第26話 秘密



 色持ちの天使、リゼンノートが翼をはためかせグレイに迫る。


「死ねよ! 死ね死ね! 死ね……!」


 その速度は既に、グレイの10倍以上。今のグレイをもってしても認識できないほどの速さで、グレイの身体が蹴り飛ばされる。


「……っ!」


 まるでボールのように、グレイの身体が宙を舞う。近くの森の木々をへし折りながら、遥か遠くへ吹き飛ばされる。


「これくらいで死ぬなよっ! 人間!!」


 そして更に、天使の速度が上がる。グレイは剣を構える暇もなく、また遠くに蹴り飛ばされる。既に戦いの体を成していない、一方的な蹂躙。2人の間には、それ程までに力の差がある。


「…………」


 そこで、リゼンノートは違和感を覚える。どうして、あの甲冑は壊れないのだろうか? 今の彼女の力なら、鉄の塊だって紙のように引き裂ける。特殊な魔道具を使えば、鉄なんて及びもつかないほど硬い甲冑を作ることができる。しかしそれでも、今の彼女にそれが壊せないとは思えない。


 なのにあの甲冑は、軋んだような音を立てるだけで傷1つ付いていない。


「よし決めた! 次はあれを壊そう!」


 新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔で、天使が天を駆ける。


「……進化……いや、成長か」


 グレイは何とか身体を起こしながら、そんな天使を見定める。


『成長』


 それがリゼンノートの2つ目の能力。魔界を発動している間、彼女は無限に強くなり続ける。国中を覆い更にまだ広がり続ける彼女の魔界。その魔界が消えない限り、彼女の強さに果てはない。無限に成長し、無限に強くなる最強の怪物。


「いつまで保つか……」


 そんな呟きを言い切る前に、音より速く天使の手がグレイの頭を掴む。


「これさぁ! どれくらい力いれたら壊れるかのかなぁ! ねぇ、教えてよ! 人間!」


 兜が軋む。数値では計り知れない程の握力が、グレイの頭を握り潰す。


「──っ!」


 グレイはそんな天使から逃れようと、何度も何度も大剣で斬りつける。けれど、どれだけ斬りつけようと、彼女は力を緩めない。最初の一撃で傷をつけることができなかったグレイの剣が、成長し続ける彼女に通じる筈もない。甲冑が壊れ、グレイの素顔が明らかになるまで、この地獄は終わらない。


 ……その筈だった。


「────」


 天使がグレイから離れる。一瞬見えた、黄金の瞳。それが脅威であると、怪物である天使が距離を取る。


「逃げるのか?」


 グレイのが、また上がる。


「……お前は、何なんだ? 分からない。お前はリーリヤとも違う。どうして壊れない? どうして死なない? お前のその目は何なんだ?」


「答える義理はない……!」


 グレイはまた地を蹴り、天使へと斬りかかる。その速度は、先程までとは別人のように速く鋭い。……しかし、永遠に成長し続ける天使にとって、その程度では止まっているのと変わらない。


 元々あった彼我の差は、既に永遠に埋められないほど広がっている。


「……くっ!」


 にも関わらず、天使は思わずその一撃を避ける。……意味が、分からない。


「なんだ。なんだ? なんだよ! この胸のざわつく感じは! お前を見てると、他の全てがどうでもよくなる! あたしは、リーリヤの心臓を奪い返さないとダメなのに、それすら忘れそうになる!」


「……そもそもどうして、あの国にその心臓があると思った?」


「うん? 知らないよ、そんなの。……最初は他の天使が奪ったと思った。でもいくら殺しても、誰もリーリヤの心臓を返さない。それで……なんでだったかな? 忘れたけど、急にあそこに心臓がある気がしたんだ!」


 支離滅裂な言葉。人間では理解できない本能で動く天使。その中でも更に狂った怪物であるリゼンノート。彼女の言葉に、深い意味などない。


「戯言だな……」


 まともに話しても意味はないと、グレイはまた剣を振り上げる。


「……でも、それもいい加減、飽きてきた。壊れないんだったら、壊せばいいだけじゃん」


 瞬間、今度はグレイが慌てて距離を取る。……いや、取ろうとするが、間に合わない。天使の頭上で圧縮された魔力の塊。永遠に増え続ける熱量。


 それが、グレイに向かって降り注ぐ。


「──っ!」


 一国を消し炭にできる程の魔力。今までにない衝撃。近くの山をまとめて飲み込みながら、空間すらも断絶する魔力の塊。そんなものを正面からぶつけられて、生きていられる生命体はいない。かよわい人間なら、なおのこと。


「あーあ。楽しかったけど、これで終わりか。……馬鹿らしいな」


 グレイという小さな人間は、跡形もなく消え去る。


「……次元が、違う」


 遠くで2人の戦いを眺めていたノアが、小さく呟く。目にも止まらぬ速さで移動し続ける2人に、なんとか追いついたノア。しかしその戦いは既に、ノアが介入できるレベルではなかった。英雄の面影を見たグレイですら、手も足も出ない怪物。


 山すらも消し飛ばす一撃を受けたとあっては、いくらグレイでも無事だとは思えない。


「いや、あいつは……死んでない」


 ノアにしては珍しい、縋るような言葉。……しかし現実として、もう縋らざるを得ない。聖典戒の2人に、自分は負けないと啖呵を切った。実際、ノアには1つ奥の手があった。


 けれど、今それを使っても勝てる見込みがない。敵は、一息で山をも消し飛ばすような化け物。それを使い疲弊しているならまだしても、彼女の力は上がり続ける一方で、一切の疲弊を感じない。


 リゼンノート。色持ちの天使。彼女は『悠遠のブルーベル』というゲームには登場しないが、彼女と同等の別種の天使は登場する。中盤の難所と言われるその部分。英雄でも敗北を喫する化け物。



 そんな化け物を、ゲームでは一体どうやって倒すのか。



「──なに見てんだよ」



 不意に天使がノアを見る。


「──っ!」


 死の実感。およそ0.1秒先の確実な死。今の天使の速度は、ノアの能力の発動よりずっと速い。仮に避けられたところで、次の一手で殺される。ノアの能力も、万能ではない。


 思考が加速する。過去が蘇る。そんな中で見えたのは、幼い自分と高笑いする天使の声。そして、そんな天使を一瞬で倒してみせた英雄の姿。眩く憧れた黄金。どうして助けてくれたんですか? という自分に、彼は笑って言ったんだ。



 『人が死んだら、悲しいのは当然のことだろう』



 その言葉で、ノアは決めた。この人の隣に立つのは自分だと。この人の為に自分は──。



「なにを惚けているっ!」


 瞬間、響いた声は天使とは別のもの。いつの間にか立ち上がったグレイが、何とかノアを抱きかかえ天使の攻撃をかわす。


「来るなと言っただろう。どうして来た? お前が割って入れる状況ではないのは、見れば分かるだろう」


「ごめん。でも、貴方を1人で戦わせたくなかった」


「…………なんだ、それは」


「なによ、心配しちゃ悪いって言うの?」


「……いや。まさかこの私に、そんなことを言う奴がいるとはな」


 初めて聞いた穏やかな声。こんな状況なのに、グレイは小さく笑った。


「だが、あいつの相手は私1人で充分だ。あいつは必ず、私を狙ってくる。その間に、お前は逃げろ」


 グレイがノアを地面に下ろす。それでノアは、ようやく気がつく。


「貴方、右腕が……」


「先ほどの魔力の放出で消し飛んだ。しかし、支障はない」


 片腕で剣を構えるグレイ。まるで痛みを感じていないかのような、勇敢な振る舞い。その背を思わず止めたくなるが……ふと気がつく。血が、一滴も流れていない。


「貴方、血が……どうして……」


「私は剣だ。何があろうと、決して折れない1本の剣だ。故に私に、敗北はない」


 グレイがまた地を蹴る。ノアの頭に浮かんだ、1つの想像。グレイがどうして、甲冑を外さないのか。食事すらとっている姿を見せず、決して素顔を晒さないのは何故か。噂に聴いた魔剣の結晶化。一定以上の深度に達した魔剣使いが死ねば、その祈りは剣になる。


 なら、アリカ ブルーベルが死んだら、その祈りはどこへ行くのか。英雄と呼ばれた程の男が、ただ殺されてそれで本当に終わってしまったのか。


「まさか、そんなこと……」


 ノアの声が震える。死してなお、1つの理念で動き続ける剣。アリカ ブルーベルの魔剣。もし仮にそれがグレイの正体だとして、ならあの甲冑の中身はなんなのか。……どうして血が流れないのか。



 ──或いは中身など、初めから存在しないのか。



「……違う! だって、私は確かに見た! 甲冑の中にあいつの目を!」


 ノアが走る。するとまた、眩い光。響く轟音。近くの森に吹き飛ばされた、黒い何か。いくらグレイでも、このままだと絶対に死んでしまう。そう思い駆け寄ろうとして……気がつく。


「あはははははははっ! 確かに死んだ筈だろ? どうなってんのさ! やっぱり楽しいよ、お前!」


 吹き飛ばされたのは、グレイではなく天使の方。どうやっても倒せないと思った怪物が、確かに今、青い血を流している。


「……いい加減、お前の相手も飽きた。そろそろ、終わりにしよう」


 グレイは目を瞑り剣を構える。そして静かに、祈りの言葉を口にする。



「──我が祈りをけんに」



 その瞬間、グレイの甲冑にヒビが入った。


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