第25話 修羅場



「やばいっス。どう考えてもやばいっス……」


 国中に溢れる数多の天使。辺りを覆う暗く冷たい魔界。逃げ場なんてどこにもない地獄。まだ新人でもあり、1体の天使の相手もできないユズは、持ち場の避難誘導を終わらせた後、自身の魔剣の能力で身を潜めていた。


「騎士団員は避難所に入れないとか、どう考えてもおかしいっス。差別っス。あたしだって、善良な国民の筈なのに……」


 足音を立てないようにゆっくりと歩きながら、天使が少しでも少ない場所を探す。


「あたしの能力は、ノアさんみたいに攻撃が通り抜ける訳じゃないから、天使の羽が掠っただけで死ぬっス」


 ユズの魔剣の能力は『透明化』。自身の身体を不可視にするという、ただそれだけの能力。実際にそこからいなくなる訳ではないので、感覚が鋭い人間や天使には気づかれてしまう。


「騎士団に入ったら贅沢し放題だと思ってたのに、いいことなんて1個もないっス。この事態が収まったら、給金前借りして肉を食べまくってやるっス」


 そんなどうでもいいことで現実逃避をしながら、ユズは進む。


「って、あれは……」


 そこでユズは見つけてしまう。虚な目でふらふらと歩くティアと、騎士団で見た覚えるのあるミレイという女を。


「やばいっす……」


 天使も不味いが、ティアに見つかるのも不味い。そう思い身を隠した直後、ティアはどうしてかミレイを刺し殺した。


「ひっ……!」


 思わず溢れる声。狂ったような声で笑うティア。ティアはそのまま喉が壊れたような叫び声を上げ、ユズの方に近づいてくる。


「ちょっ、え……?」


 声を聞かれた? それとも何らかの手段で、魔剣の能力を破られた? 分からない。けれどティアはそのままユズの方へと近づき、そして──。


「何をしているっ! ティア!」


 そして、その背後から現れた団長であるアニスに斬りかかった。


「あはははっ。久しぶりだね、アニスちゃん」


「どうしたんだ、貴様……。まるでいつもと、別人じゃないか……。まさか何か、天使の能力で」


「違うよ。私がそこいらの天使に遅れをとる訳ないでしょ? ちょっと考えれば分かることじゃん。相変わらずアニスちゃんは、頭が弱いな」


「…………」


 2人の視線が交わる。普段とは別人のようにやつれた2人。既に2人とも、まともな精神状態ではない。いつ斬り合いになってもおかしくない状況に、周囲の空気が軋む。


「あー、イライラする。イライラする。イライラする! 殺さないダメなんだよ、アニスちゃん! 殺さないと、ダメなの! あいつを……あたしのアリカを傷つけた奴を、生かしておいちゃんダメなんだよ!」


「貴様は……貴様は、何を言ってるんだ!」


 もう一度、ティアがアニスに斬りかかる。アニスは動揺しながらも、反射でその剣を弾く。激しい戦場に、冷たい静寂が広がる。


「あたしさ、聞いたんだよ」


 と、ティアは小さく呟く。


「聞いたとは、なんだ! この非常時に貴様は何を──っ!」


「あいつが……アリカがさ、どうして魔剣の力を失ったのか。あたし聞いたんだよ。……もしかしてアニスちゃんは、知ってたりした?」


「貴様は本当に何を……。そんなこと……そんなこと、私が知る訳ないだろう! あいつはある日突然、魔剣の力を失った。いくら私が理由を訊こうと何も答えず、冷めたような顔で笑うだけ。あいつは……あいつは! いつもそうだ! 私が置いていかれないよう、どれだけ必死に努力していたと思う! なのにあいつは私なんて気にも止めず、1人で全て簡単に終わらせる!」


 溜まっていた鬱憤を吐き出すように、アニスは叫ぶ。彼女はアリカ ブルーベルがいたから、ここまで強くなることができた。本当は気弱な少女でしかないアニスが、曲がりなりにも騎士団の団長を務められるまでになった。


「なのにどうして……!」


 胸の痛みが、止まらない。後悔と嫉妬がないまぜになった感情が、胸の内で暴れ回る。


「どうしてあいつは、私に何も言わなかった! 何も……何も言ってくれなかったんだ! あいつは、私にとって全てだった! なのにあいつは……あいつは! 私のことなんて何とも思っていなかった! あいつにとって私は、路傍の石と変わらなかった……!」


 ずっと、邪魔だった。隣に立っていられるだけで、不安になった。……でも、それでも、隣に立っていられるようにと努力し続けた。諦めず、頑張ることができた。少しでいいから、こっちを見て欲しかった。


 ティアの言葉をきっかけに、アニスがずっと抱えていた想いが、溢れ出す。


「あたしの、代わりなんだって」


 そんなアニスを冷めた目で見つめながら、ティアはポツリと呟く。


「……え?」


「あいつが魔剣の力を失ったのは、あたしの代わりなの。どうしてか知らないけど、女王陛下が強い魔剣の力が必要だと言って、それで本当は……私が選ばれる筈だった。なのにあいつは、あたしを庇って……。あたしのせいなんだよ! なのにあたしは、あいつが力を失って……ざまあみろって思った!」


 ティアの目から大粒の涙が溢れる。狂ったその目に、一瞬だけ正気が宿る。


「だって、だって、だって! だって、仕方ないじゃん! あいつはあたしが欲しいもの全部、持ってて! 昔からずっと、あたしだって必死に頑張ってるのに! あいつばっかり褒められて! 一度くらい、痛い目見ればいいと思った! 思ったんだよ!」


 憧れだった人間が落ちぶれて。どんどんどん腐っていって。新しく好きな男ができて。その人の力になりたいと思って。全てを持って産まれた男が、全てを失うまで落ちぶれて。酒に溺れて。愚痴ばかり吐いて。ものに当たって。腐って。まるで別人みたいに、荒々しくなって。



 そこまで堕ちても、ずっと独りで抱え続けた。



 どれだけ落ちぶれても、決して光を失わなかったあの瞳。どれだけ馬鹿にしても、どうしてか穏やかだった瞳。あの瞳が、恐ろしかった。どこまで落ちぶれても、どこまでも自分とは違う怪物。そんな英雄の在り方が恐ろしくて、ティアはアリカを殺すと決めた。


「でも、アニスちゃんだって他人事じゃないんだよ? あいつは……アリカは、みんなを守ろうとした。守ろうとしたのに、あたしたちはあいつを……あいつを! 殺した……! そんなのおかしいよ、ねぇ!」


「黙れ」


「だからあたしは、あいつを傷つけた全部を殺さないとダメなの!」


「黙れ」


「だからアニスちゃん。貴女は死ななきゃいけないの!」


「黙れ! 黙れ! 黙れ……!」


 ティアとアニスの剣が再度ぶつかる。既に2人とも、必殺の殺意を持って剣を振るっている。


「ねぇ、アニスちゃん! 教えてよ、あたしは今からどうすればいいの!」


「貴様のことなど知らん! ただ1つ分かるのは、貴様のせいであいつは死んだということだ!」


「……黙れよ! だいたいアニスちゃんさ、どうしてこんなところにいるのさ! 会議の時は散々、自分が色持ちの天使を倒してやるって息巻いてたくせに、こんな所で何やってんの?」


「……うるさい」


「あはっ、どうせ怖くてビビったんだろ? 大人になっても弱虫は治らなかったんだね? アニスちゃん!」


「黙れ! ビッチが!」


 剣と剣がぶつかり合う。2人とも既に自分が何をしているのか、理解できていない。ただ本能で。ただ後悔で。ただ情けなさで。壊れたように、剣を振るい続ける。


「我が祈りをてんに」


 アニスが祈りを捧げる。


「我が祈りをせんに」


 ティアも同じく祈りを捧げる。ここは天使が蔓延る戦場で、止める者は誰もいない。


「や、やばそうなんで逃げるっスー」


 事情を全く飲み込めていないユズは、足音を立てずにこの場から逃げ出す。


「弱虫の癖に偉そうなことばっか言ってさ! ずっとうざかったんだよ、アニスちゃん!」


「私だって、幼馴染というだけで特別扱いされてた貴様が、ずっと気に入らなかった!」


「死ねよ! ビビり!」


「死ぬのは貴様だ! 尻軽女!」


 現騎士団最強の2人が、本気の殺意で殺し合いを始める。もう誰も、それを止めることはできない。


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