第24話 2人の異常



 突如として斬りかかってきた黒い甲冑の男。その男は並いる天使をものともせず、意識の隙間をつくように、色持ちの天使の身体に剣を当てた。だから彼女は、思わず尋ねる。


「誰だよ、お前」


「──貴様を殺す者だ」


 傲慢な言葉。身の程を知らない言葉。色持ちの天使からすれば、自分以外の生命体は1つの例外を除いてみな同じ。人間も天使も、同じ肉の塊に過ぎない。


 この黒い甲冑の男も、彼女からすればその他大勢と変わらない。身体に剣を当てた? だからなんだ。その程度では、この身体には傷1つつかない。


「…………」


 そこで彼女は気がつく。そんな風に意識を割いていること事態が、既に異常であると。彼女には今すぐにでも、この国を消し炭にするだけの力がある。ただそうしないのは、大切なあの子の心臓を探す為。たかだか1人の人間に、意識を割く必要なんてない。


 それなのに、この甲冑の男を前にすると、怒りに染まっていた筈の意識が冷める。狂い切って壊れた魂が、以前の形を取り戻す。


「殺す? できるもんならやってみろよ、人間……!」


 そんな言葉が響いた直後、天使の背後から生まれる数多の白い腕。天使の死体を使い潰した死の奔流が、グレイに迫る。


「……っ!」


 グレイはそれを何とか大剣で防ぐ。……が、防いだ直後、グレイのすぐ後ろからも白い腕が現れる。国中を覆った魔界。その全てが、彼女の攻撃範囲。逃げ場なんてどこにもない。


「……なるほど。つまり、意識しなければ攻撃はできないというわけか」


 数多の腕がグレイに迫ったその瞬間、彼はそれを大剣で両断する。まるで少し前までとは別人のように、グレイの動きが速くなる。


「はっ──!」


 そしてグレイは、ハルトとの模擬戦の時に見せた短剣を投擲する。短剣型の魔道具。閃光弾。眩い光が辺りを染める。


「なにそれ。つまんない」


 しかしそんなものでは、この天使の視界を奪うことはできない。1秒の時間稼ぎにもなりはしない。


「だが、意識はそれた」


 グレイの大剣が、また色持ちの天使に触れる。今度はその首に、大剣が直撃する。……グレイの速度が、更に上がる。


「……やっぱり違うな、お前は。リーリヤと同じ匂いがする。魂の重さが、他とは違う」


 グレイは全力で大剣を振り下ろした。けれど天使の身体には傷1つない。寧ろ彼女は、楽しそうに笑っている。


「……硬いな。……もっと深く。もっともっと……深く潜らないと、こいつには届かない。なら──」


 グレイが地を蹴る。速度が更に速くなる。その速度は既に、入団試験で見せた4体もの天使を倒した時と同じ。


 色持ちの天使のあの白い腕は、彼女が意識した場所にしか出せない。ならその意識より速く動けば、攻撃は当たらない。分かっていても常人では真似できない理屈を、グレイは現実で体現する。


「はっ──!」


 グレイの大剣が直撃する。何度も何度も何度も直撃し続ける。けれど、どれだけ繰り返しても、色持ちの天使の身体には傷1つつかない。


「面白い。面白い! 面白い……! リーリヤ以来だよ、僕と遊べるの! お前、名前は?」


「……答える義理はない」


「そうか。僕はリゼンノート。お前、面白いから遊んでやるよ。壊れるまで遊んで、壊してやる……!」


 初めて、天使の方からグレイに近づく。黒い翼。黒い髪。黒い瞳。まるで闇が集まってできたような、見るもの全てに恐怖を与えるその姿。ハルトやアニスの心を折ったその片鱗が、垣間見える。


「くっ……!」


 今のグレイを持ってしても、対応できない速度。グレイの身体が、遥か遠くまで吹き飛ばされる。……何をされたのかすら、分からない。甲冑が軋む。通常の人間ならまず間違いなく死んでいる程の衝撃が、グレイの身体を襲う。


「単純に身体能力の差か。……いや、違う。それが2つ目のあいつの能力か」


 色持ちの天使……リゼンノートは、自身が生み出した天使を意味もなく殺しながら、グレイに迫る。その速度は既に、グレイの倍以上。今のグレイに、防ぐ手立てはない。


「なに、ぼーっとしてるのよ!」


 響く声。背後から現れたノアが、グレイの身体を抱きしめる。その瞬間、天使の攻撃がグレイとノア、両方の身体をすり抜ける。


「国から離れて距離を取る! 異論は?」


 余計な言葉を挟まず、ノアは叫ぶ。


「お前は来るな。あれの相手は、お前では務まらない」


 グレイはそんなノアに端的な言葉を返し、そのまま外壁を駆け上る。そして挑発するように、高みから色持ちの天使を見下ろす。彼女はそれが誘いであると気づきながら、狂ったような笑い声を響かせ、グレイを追う。


「私なんて眼中にないってわけ? ……ムカつく」


 ノアはそのまま2人を追おうとするが、ふと現れた人物に止められる。


「待ってくださいー。いま行くのは危ないですよー」


 およそ戦場に似つかわしくない、小さな少女。


「現状、どこに行っても危険やけどね」


 そしてその背後に立つ、叩けば折れそうなほど細身な男。


「……なに? 貴方たち。避難所は向こうよ? ……ったく、仕方ないから護衛してあげる。いいから早く──」


「いえいえ、その必要はありませんー。あたしたちは、聖典戒。教会の執行機関ですー」


「────。貴方たちが、あの……」


 いくつもの国に根を張る教会。そんな彼らが治癒術を独占し続けられるのは、その執行機関があまりにも強いから。聖典戒。教会の中でも最強と言われる戦闘集団。


「本当に貴方たちがそうなの?」


 小さな少女と眼鏡をかけたガリガリの男。どちらも戦えるようには見えない。


「人は見かけによらん言うことや。……僕は、ザリ。んで、こっちのちっこいのが、アリア。今の教会が派遣できる最強の戦力や」


「ちなみにね、あたしの方が先輩なんだよー?」


「歳も上やもんな」


「歳の話はしないで!」


 ふざけたようなやり取りをする2人。けれど今は、そんなものに構っている暇はない。


「悪いけど、どうでもいい。私はもう行く。あいつをいつまでも、1人で戦わせる訳にはいかない!」


「待て待て。話を聞けよ、嬢ちゃん。嬢ちゃんが行っても、邪魔になるだけや」


「……私があいつの、足を引っ張るって言いたいの?」


 否定はできない。先程グレイを庇えたのは、タイミングがよかっただけ。あの天使が本気で自分を狙えば、その瞬間に自分はこの世を去るだろう。


「それでも、私は──」


「ちゃうって。そういうことちゃうねん。……あのお兄さん、今はグレイって呼ばれてるんやっけ? あの人はな、1人の方が強いねん。……いや、1人やないと全力は出せへん」


「そうですよー。どうしてあの人がずーっと甲冑を着込んでいるのか、その意味をもっと考えた方がいいですよー」


「……なに? どうして教会の連中が、あいつのことを知ってるのよ」


「僕らは別に知らんよ。ただ、こっわい聖女さんから言いつけられててなー。あのお兄さんが戦い出したら、だーれも手出しできんようにしてやってって」


「ヴィヴィアさんは、そんなこと言ってないですけどねー。ただ、一緒に戦ったら死ぬってそう言ってただけですよー」


「アホか。あの女の言葉を、そのまま受け取ってどうすんねん。読まなあかん、言葉の裏を」


「…………」


 ノアは少し考える。この2人の言葉の真意。……いや、この2人が只者ではないというのは、もう分かった。その証拠にここら一帯の天使は、全て殺し尽くされている。こんな真似ができるのは、騎士団でもアニスかティアくらいだろう。


「それでも、私はあいつを1人にさせない」


「頑固やなー。……でも、それで1番困るのはあのお兄さんやで? 英雄は皆んなの為に、皆んなの力で戦うもんや。けどあの人は、英雄ちゃう。皆んなの為の皆んなの力では、あの人は戦えんのや」


「そうですよー。その証拠に言ってたじゃないですかー。『お前は来るな』って」


 外壁の外から響く轟音。グレイがあの天使と戦っている。たった1人で戦い続けている。


「……ちなみに、あいつが負けたとして。貴方たち2人であの天使を止められる?」


「無理や。見たところ、あれでまだ、実力の半分も出してない。能力もまだ、ほとんど分からん。勝ち目は0や」


「ですねー。結局、ナインガードの皆さんは出てくる気は無さそうですし。他の聖典戒の人たちもそれは同じ。あたしたちだけじゃ、どうにもできないですー」


「そ。なら、私は行く。私は私の力であの天使に勝てると信じてる。私は……負けない」


 ノアは地面を蹴る。2人はそれを引き止めない。


「行っちゃいましたねー」


「あそこまで覚悟があるんやったら、止められん。……それに、ええんちゃう? あのお兄さんにも、1人くらい味方が居ても」


「でもあの子、びっくりするんじゃないですかねー。……お兄ちゃんの、あの顔を見たら」


 依然として増え続ける天使。徐々に増える被害者。圧倒的なまでの戦力差。いつ死んでもおかしくない状況。それでもなお、2人は笑った。



「──待ってなさい。貴方は、こんなところで死んでいい男じゃない!」



 そして、ノアはただ走り続ける。


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