第23話 真相



 ノア スノーホワイトに、抜かりはなかった。



「本当に来た。あいつの言った通りになったわね」


 6日後に現れると言ったグレイの言葉通り、色持ちの天使が現れた。国中を覆った巨大な魔界。陽の光を遮断する、暗く重い闇。その闇から溢れ出す、数多の天使。普段は華やかで賑やかな王国が、今や地獄と言っても差し支えない状況。


 それでもノアは慌てず、事前に決めていた通りに行動した。


「あらかたの避難は終わった。犠牲は出たけど、最小限。……騎士団員も思っていたよりは、役に立つ」


 ノアにとって大事な人間は既に避難済み。それ以外の人間も前々から噂話を吹き込んでいた甲斐もあり、手早く避難させることができた。


「……あとは」


 いくら倒しても、止まらない天使の大群。避難用に造られた頑丈なシェルターでも、そう長くは持たないだろう。今必要なのは大量に溢れる天使への対策と、その根源である色持ちの天使の打倒。


「でも正直、私1人であれをどうにかできるとは思えないわね……」


 ノアもまた一目で気がついた。色持ちの天使が保有する圧倒的なまでの力。正面からやり合って、あれに勝てる見込みはない。今1人で立ち向かっても、無駄死ににしかならない。


「でも多分、あいつなら行く。だったら私も──」


 ノアが地面を蹴ろうとした瞬間、声が響く。


「あ、君。新人の子だよねー。よかったー、ようやく話が通じそうな子を見つけられたよー」


 この異常事態だというのに、どこか気の抜けた声。ミレイ アイリスという、ハルトと一緒に狭間への調査に向かった女。彼女は天使から隠れるように建物の影に入り、ノアを呼ぶ。


「なんですか、この非常時に。話があるなら手短にお願いします」


 不機嫌そうなノアに、ミレイは作り物めいた笑顔で言葉を返す。


「実はさ、狭間の奥の調査に向かったハルトさんが、戻らないんだよ。それで、もしかしたら別の場所から上がって先に戻ってるのかなーと思って帰れば、この一大事。大変なことになってるよねー」


「……それで?」


「うん。どう見ても、あの色持ちの天使には敵わない。私が何をしても、あれにはきっと通じない。そもそもここまで大混戦になると、私の魔剣の能力はなーんの役にも立たない」


「だから?」


「だから私は、国から離れてハルトさんを探してくるね。あの人が帰れば、きっとどうにかしてくれる。あの人はすーっごく、強いんだから」


「それを私に言って、どうしろと?」


「君さ、強いみたいだから一緒に行かない? こんなところで天使の相手をしてるより、ずっと安全な筈だよ」


 作ったような言葉。作ったような表情。透けて見える保身。……こういう人間を見ると、騎士団の堕落を実感する。ノアは疲れたように息を吐き、ミレイに背を向ける。


「悪いですけど、私は忙しいので。死にたくないなら、1人で逃げてください」


「……なにそれ、生意気」


 そんな言葉に、わざわざ構う理由はない。そう思い、ノアは色持ちの天使の方へ向かおうする。……けれど。


「我が祈りをきみに」


「……っ!」


 小さく呟いたミレイの言葉。その瞬間、ノアの身体が止まる。いくら動かそうとしても、意志と身体が切り離されたように上手く動いてくれない。……甘い香りが、辺りに広がる。


「悪いけどー、私はこんなところで死にたくなんてないの。だから君には、私に付き合ってもらう。これは命令」


「……私に、何をした?」


「何って、頼み事だよー。何故か知らないけど、こうやってお願いすると、皆んな私の言うことを聞いてくれるんだよねー」


「そうか、これが貴女の魔剣の能力ですか。そうか……貴女が、そうなのね」


「────」


 冷たいノアの言葉。簡単に解かれる拘束。理解していても抗えない筈のミレイの能力を、どういう手段か、ノアは簡単に打ち破った。


「すごっ。そんな真似できるの、あの人かアニスさんくらいだと思ってた。……ちょっと想定外。狙う相手を間違えたかな」


「……ふぅ。悪いけど、今は貴女の相手をしている暇はない。そう言いたいけど、どうしようかしら? ……今ここで、貴女を刺し殺してもいいんだけど」


「──っ!」


 ミレイは慌てて距離を取る。天使が並いる大通り。命の危険は至るところに転がっている。けれど思わず、距離を取ってしまった。それ程までに、今のノアは恐ろしかった。


「なんだよ、こいつ。こんな奴だとは聞いてない。次の勝ち馬になりそうだと思って声かけたのに、あれはちょっと無理かな……って、ティアさん!」


 そこでちょうど、ふらふらとした足取りで辺りの天使を殺す、ティアの姿が見えた。


「おーい! こっちです! こっちですよー! ティアさーん!」


 そんなティアの姿を見つけたミレイは、これ幸いとばかりに大声でティアを呼ぶ。


 騎士団でも5本の指に入るほどの実力を持つティア。彼女はハルトに心酔している。ティアなら絶対に、自分の誘いを断らない。都合のいい護衛が、自分の方からやって来た。これでやっと、こんな危険な場所から離れられる。


 そんなミレイの思いが通じたのか、ティアの瞳がミレイを捉える。ティアは涙で真っ赤に腫らした目を大きく見開き、ミレイの方に向かって駆け出す。


「新人さん。君は忙しいんでしょ? だったらもう行ったらどう? 私はこのままティアさんと、ハルトさんを探しに行くから!」


「…………」


 ノアは言葉を返さず、少し逡巡する。けれどそれも、ほんの僅か。ノアはミレイに背を向け、色持ちの天使の方へと向かう。


「……やっと行った。なんだよ、あの目。私がお前に何かしたのかよ。……ま、したかもしれないけど」


 その時の感情だけで生きているミレイには、思い当たる節が数え切れないほどあった。彼女には何の信念もなく、保身とお金の為に生きている。その場の強い人間に上手く取り入り、邪魔な人間は陰で殺す。


 最初はアリカ ブルーベル。次はハルト。この事態が収まれば、次は誰にしようか。そんなことを考えていると、すぐそばにティアがやって来た。


「あ、ティアさん。昨日は仕事サボって、どうしたんです? みんな心配してましたよ? って、今はそれどころじゃないか。それより聞いて下さいよ。……って、ティアさん?」


 そこでミレイは、ティアの異常に気がつく。虚な目。発色の悪い肌。いつもは戦闘中でも綺麗な髪が、ボサボサに乱れている。


 ティアは、小さく呟いた。


「……死ね」


「………………え?」


 ティアの魔剣が、ミレイの腹に突き刺さる。状況が理解できないミレイは、確かめるように自分の腹に手を当てる。


「痛い。……痛い痛い痛い! 何すんだよ……くそっ! 痛い! なんでお前、こんなこと……!」


「あんたは、あいつを誑かした……」


 掠れた声が、戦場に響く。


「……なに勘違いしてんのよ。私とハルトさんは別に、そういう関係じゃない……」


「違う……! ハルトなんて男はどうでもいい! そうじゃない! そうじゃない! そうじゃない……! あんたはあいつをっ! あたしの大好きな幼馴染を、誑かした……!」


「いまさら、なにを……」


 アリカ ブルーベルが死んだとされるあの日。ティアがアリカ を誘惑し、教会へと誘導した。しかし、いくら落ちぶれたといっても、彼は英雄。女性経験がない訳でもなく、寧ろそんな誘惑は日常茶飯事だった。なのにどうしてあの日は、簡単に色仕掛けに引っかかったのか。



 ミレイ アイリスの魔剣は、甘い香りで人を操る。



 正確には人間だけではなく、天使をもその香りで操ることができる。その能力で、彼女はアリカの心を乱した。いくら魔剣の力を失ったと言っても、あのアリカ ブルーベルを完全に操ることはできない。


 しかし、感情を昂らせることくらいならできる。ミレイの力があったからこそ、ティアはアリカを陥れることができた。


「あ……あれは、お前が頼んだことだろ? 新しい男の為に……古い男を捨てようとしたお前に、私は……」


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ、黙れっ……!」


 触れていない筈のティアの魔剣が、ミレイの身体を八つ裂きにする。それでもなおティアの感情は止まらず、闇雲に剣を振るい続ける。


「死ね! 死ねっ! 死ねっ……!」


 ティアは女王に謁見し、ヴィヴィアから教えられた話の事実を確認した。


 本当にアリカ ブルーベルが、自分の為に魔剣の力を捨てたのか。彼を英雄たらしめていた最強の魔剣の力を、本当に自分のような女の為に捨てたのか。



 『ああ、そうだよ。彼は私の命令で魔剣を捨てた。君を守る為に』



 女王は嘘はつかない。こんなところで、嘘をつく理由がない。だからティアは、どうしてそんなことをしたのかと問い詰めた。しかし具体的な返答はなく、返ってきたのはありふれた言葉だけ。


 『この国を守る為に必要だった』


 本来……ゲームのシナリオでは、魔剣の力を失うのはアリカではなくティアだった。彼女は力を失ったことで、自分の抱えていた嫉妬と向き合い、アリカ ブルーベル……大切な幼馴染の力になろうと決める。


 けれどハルトという異分子のせいでそのシナリオは崩れ、英雄は魔剣の力を失い、彼女は抱えていた嫉妬に押し潰された。その結果が、今の惨状。


 ティアの心は、もう完全に壊れてしまった。


「アリカ。アリカ! アリカ……! 大丈夫! 大丈夫だからね!! 絶対にあんたは、私が助けてあげる!」


 狂ったように叫んで、またティアはふらふらとした足取りで街を彷徨う。彼女の傷はもう、永遠に癒えることはない。狂った声が、ただ戦場に響き続けた。


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