第22話 絶望
「──我が力を
国中を覆った魔界。天使が生み出す夜の世界。まだ日が登って間もないというのに陽の光が遮断され、辺りは暗い闇に覆われる。
呼吸ができない。身体が重くなる。彼女の魔界に、そんな能力はない。一見、辺りがただ暗くなったように感じるだけで、他には何の異常も見られない。国中の人間がそんな状況に訳もわからず、呆然と空を見上げ……すぐに思い至る。
色持ちの天使がやって来た。
その瞬間、数多の人間がパニックを起こしながら、避難所へと走る。…… そしてそんな色持ちの天使の近くで、彼女を睨む数人の人間。
「お前を城壁内へは入れない」
「ああ、悪いがここで死んでもらう」
まだ城壁外に居る天使を真っ先に見つけた、警備をしていた騎士団の人間。彼らは勇敢にも、色持ちの天使に挑もうと剣を構える。
「…………」
対する色持ちの天使は目を瞑り、何かを探るように感覚を研ぎ澄ます。
「……油断している?」
「応援を待つべきか」
「いや、アニス団長たちなら、もう既に異常に気がついてる筈だ」
「そうだな。だったら俺たちのやるべきことは、様子見なんかじゃない」
「いつまでも新人に生意気言わせてるほど、俺たちも甘くはないってとこ見せてやろうぜ?」
「ああ!」
その場にいた騎士団員4名が、それぞれに魔剣を発動し、色持ちの天使に立ち向かう。……彼らは、気づかない。ハルトよりもずっと実力が劣る彼らは、目の前の脅威を正しく認識できない。
死が、迫る。
「リーリヤの心臓。人間が奪った、私の宝物。……返せよ。返せよ!」
瞬間、現れたのは白い沢山の腕。……いや、違う。それは沢山の、天使。彼女が持つ魔界の1つ目の能力、自身が殺した存在の使役。
彼女が殺した数多の天使が、闇の中から溢れ出す。
「くっ、なんだこれ……!」
「狼狽えるな! 1匹1匹は大した力はない! だから──」
「レン! ……くそっ、全員油断するな! この天使、1体1体が強い!」
そんな声が響いてから、数秒。依然として増え続ける天使の群れに飲み込まれ、その場にいた騎士団員、全員が殺し尽くされる。
「あーあ。リゼンノート、か。1番、タチの悪い奴が出てきたな」
そんな地獄のような光景を、外壁の外にある小さな建物から眺める少女。教会の聖女であるヴィヴィア フォゲットミーノットは、楽しそうに口元を歪める。
「うちの
自身が過ごした国が、天使によって蹂躙されている。そんな状況でも、ヴィヴィアの笑みは崩れない。
「まあ、王国には奥の手があるから、最終的にはどうにかはなるんだろうけど、あの女は最後まで出し渋るだろうし……。となるとやっぱり鍵は、お兄さんか」
そんな台詞に呼応するように、黒い甲冑の男が色持ちの天使と相対する。
「おいおい。ヒーローは遅れてくるもんじゃないのかよ。相変わらず、その辺は分かってないな、お兄さんは」
まるで恋する乙女のように華やかに、ヴィヴィアはただ笑った。
◇
天使の魔界が国を覆った直後。騎士団内にいたアニスは、その場にいた全員に直ぐに命令を下した。
国民の避難誘導。名のある貴族の警護と保護。王城の警備の強化。溢れ出る天使の討伐。そして最重要である、色持ちの天使への対策。
会議を重ねた結果、教会から派遣されることになった戦闘員、聖天戒。女王陛下直属の護衛、ナインガード。そして騎士団の半数が、色持ちの天使に立ち向かう。
……その筈だったのだが、色持ちの天使の魔界の力で急遽、街中に溢れた天使への対処に追われ、誰もまだ色持ちの天使に近づくことができなかった。
「くそっ、ハルトの奴はまだ帰らないのか! だから私は、あれほどよせと言ったのだ……!」
アニスの魔剣が並いる天使の大群を両断する。いくら色持ちの天使の能力だとしても、ただの天使の集団ではアニスの敵にはならない。
「ティアの奴もティアの奴だ……! こんな時になっても、まだ姿を見せない! このままでは、この国は……!」
周りの人間は皆、頼りにならない。教会もナインガードも、溢れ出た天使の対応に追われている騎士団の人間も、誰も頼りにならない。周りの人間が無能なせいで、民間人の被害も少なくない。
そして何より……。
「なんなんだ、あの化け物は……」
アニスがいる場所からまだ遥か遠くにいる、翼に色を持った天使。アニス自身の魔剣の能力と通常の身体強化が合わさり、その距離からでも彼女は色持ちの天使を視認できる。視認できてしまったから、真っ先にその異常さに気がついた。
あれは、化け物だ。
きっとこの数多の天使も、彼女の能力の一部なのだろう。しかしそんなものは、瑣末に過ぎない。彼女単体が保有する力。それは、今まで見てきたどの天使とも比較にならない。あれがその気になれば、この国なんて一息で消し炭になる。
次元が違う。
「……くっ」
正しく自分が騎士団の団長であるのなら、こんなところで弱い天使の相手なんてせず、あれに立ち向かうべきだろう。それが団長としての責務であり、責任だ。……少なくとも、アリカ ブルーベルならそうした筈だ。
なのに今の自分は側にいない誰かのせいにし、逃げていることからも目を逸らし、ただ言い訳するように弱い天使の相手をし続ける。
「くそっ!」
戦力の差が分からない騎士団員が、また色持ちの天使に向かい死んだ。動く手筈だった教会の聖天戒や女王陛下のナインガードも、未だに姿を現す気配がない。……きっと、自分のように震えているのだろう。言い訳して、逃げているのだろう。
あれはそこまでの、怪物だ。
そんなことを考えた瞬間、ふと黒い甲冑が見えた。
「待て貴様! 持ち場を離れ、どこへ行く気だ!」
思わずアニスは、その背を止める。
「この場はアニス団長1人で充分だと考え、私はあれの対処に向かおうと考えています」
「ふざ……ふざけるな! 彼我の差が分からないのか! 貴様1人でどうにかなるような奴じゃないんだ! 教会や女王陛下が動いてからでないと、ただの無駄死ににしかならない!」
「新人である私1人が死んだところで、大した差はないでしょう」
「貴様……貴様は分かっていない! アレがどれほどの化け物なのか……」
色持ちの天使の噂は知っていた。それでも自分なら、どうにかできると思っていた。……なのにあれは、そんな幻想を容易く破壊した。あの暗い瞳は、人間が戦っていいものではない。あんなものは、この世界にいていい生き物じゃない。住む世界が違う。
アニスの身体が、恐怖に震える。
「ですが、その化け物に対処するのが騎士団でしょう。違いますか?」
「きさっ……! 貴様はあの男のようなことばかり言って! 身の程を知れ! お前は英雄ではない! お前ではあれには勝てない! だから──」
「くどい。それが団長の姿ですか? 貴方は何の為に、剣を取ると決めたのですか? ……自分の身が可愛いのなら、そこで一生震えているがいい」
「くっ……!」
一瞬、見えた英雄の背中。あの眩い黄金がこの黒い甲冑に重なる。アリカ ブルーベルなら、震える自分にきっとそんな言葉を投げかけた。
「私は行きます」
それだけ言って、グレイはアニスを置いて色持ちの天使の方へと向かう。
「なんなんだよ、お前は……」
羨望。嫉妬。憧れ。ありとあらゆる感情が、アニスの胸を満たす。グレイほどの実力があるなら、あの色持ちの天使の怖さが分からない筈がない。なのにあいつは、その背に一切の恐怖を見せず走った。
あの男のように、走った。
「……くそっ。くそっ! くそっ……!」
嫉妬していた。ずっと嫉妬し、憧れていた。自分も、あんな風になりたかった。どんな時でも揺るがない、眩い英雄に憧れた。……なのに今の自分は、こんなところで震えていることしかできない。それがアニスという女の本質だった。
「……あぁ。もう一度、お前に会いたい。会って私を助けてくれよ、アリカ」
それは自分の罪から目を逸らした罪人の言葉。そして同時に、いつか遠くに置いてきた臆病で弱虫な少女の、願いにも似た言葉だった。
そして。
「はっ──!」
数多の天使をくぐり抜け、大剣が漆黒の翼を持った天使に振り下ろされる。
「…………」
天使はそれを当たり前のように自身の腕で防ぎ、言う。
「誰だよ、お前」
「──貴様を殺す者だ」
グレイは端的に、そう答えた。
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