第19話 後悔
アニス ルドベキアは、不満だった。
騎士団内に広まった色持ちの天使の噂。会議や対策に追われる慌ただしい日々。ティアと同じく騎士団に長く在籍するアニスにとって、その程度のことは日常の一部。アニスもまた、それくらいで心を乱したりはしない。
……だから、アニスの心を乱しているのは、もっと別のことだった。
「……ティアの奴は仕事をほったらかして、何をしているんだ」
今朝から、ティアの姿が見えない。何の連絡もなく彼女が仕事を休むことなんて、今まで一度もないことだ。一応、体調でも崩したのかと団員に家まで様子を見に行かせたが、家はもぬけの殻。ティアの姿は、どこにもなかった。
「あいつに限って、誰かに襲われたなんてこともあるまい。きっと、どこぞでサボっているな」
普段なら、別にそれくらい構わない。しかし今は非常時だ。いくら息抜きが必要だといっても、時と場合を考えるべきだ。……いつからティアは、ここまで腑抜けてしまったのだろう? 少し前までのティアを思えば、考えられないことだ。
「……ちっ、またミスがある」
ハルトから回された報告書。それはところどころにミスがあり、この忙しい時にそんなもののチェックに手間取ることが、更にアニスを苛立たせる。
「あいつなら……あいつがいたなら、もっと……」
何をしても完璧だった男。何をさせてもそつがなく、どんな場面でも頼りになった男。こういう状況だと、ついあいつのことを思い出してしまう。
「馬鹿か、私は。……くそっ」
思い出してしまった、懐かしい笑顔。それと同時に蘇る、忌々しい言葉。
『家柄だけで団長になった奴とは違うな』『流石は英雄だ』『何であの人が団長じゃないんだ?』『いくらルドベキア家が代々、団長を務めてるからって、おかしいだろ』『どう考えても、間違ってる』
「……くだらない」
思い出した過去の言葉。輝かしい英雄の影に隠れた自分。そうだ、ずっと邪魔だった。煩わしかった。あらゆる才能に恵まれた、完璧な男。どこに行ってもあいつばかりが注目され、その癖あいつはそのことをなんとも思っていない。
自分の血の滲むような努力をたった数日で超え、更に高みへと上っていく怪物。……ずっと、邪魔だった。邪魔だったから、殺した。なのに今さらそれを後悔するなんて、そんなことはあってはならない。
「アニス、ちょっといいか」
そこでハルトが、部屋に入ってくる。
「……ハルト。お前まさか、また同じことを言いにきたんじゃないだろうな?」
そんなハルトを、アニスは冷たい瞳で睨む。
「いや、まあ聞いてくれよ、アニス。何度も言ってるが、色持ちの天使の襲撃はないんだよ。あれの行動には周期があるんだ。前回の時……隣国が襲われた時も、その前の時も、全部、日食の時に色持ちの天使は現れた。だから──」
「何度も同じことを言わせるな。貴様も、分かっているのだろう?」
アニスが立ち上がる。その背はハルトよりずっと高く、感じる威圧感にハルトが一歩、後ずさる。
「誰が言い出したかは知らんが、色持ちの天使の噂は既に国中に広まっている。教会の耳にも、四大貴族の耳にも、無論、女王陛下の耳にも噂は届いている。ここまでことが大きくなった以上、何の対策も講じなければ騎士団の威信に関わる」
「だが──」
「だがではない!」
アニスの声に、ビクッとハルトの身体が震える。戦闘能力で比べれば、アニスとハルトに差はない。寧ろ、魔剣の能力はハルトの方が優れている。
しかしアニスの迫力は、そういうものとはまた別の恐ろしさがあった。
「貴様、最近たるんでいるぞ? 報告書もミスだらけ、教会や貴族との会議でもにいいように言われ、おまけに貴様……あの新人、グレイの奴に負けたそうじゃないか」
「あ、あれは、違う! 俺はただ先輩として、手心を加えてやっただけだ! 決して、実力で負けた訳じゃない……!」
「貴様の感情など知らん。ただ、周りを見てみろ! 貴様が何を思って負けたのか、それを団員全員に説明して回るつもりか! 貴様も副団長として半年以上、勤めているのだ! もう少し立場を考えろ!」
部屋の外まで響くようなアニスの声。それが団長の立場を貶めるようなものだとアニスもようやく気がつき、疲れたように息を吐く。
「私は何も貴様に、預言者のようなことを求めている訳じゃない。……無論、前の天使の大襲撃の時は助けられたが、あんな都合のいいことが何度もある訳がないんだ」
「……だが、俺には分かるんだよ」
「…………」
アニスは少し黙り込み、ハルトを見る。入団当初は、目立つところが何もなかった男。なのに不意に、予言のようなことを言い出し、魔剣の力も強力になった。……光るものがあると思った。こいつなら、自分のいい右腕になってくれると。
アリカ ブルーベルのように、いつ自分の立場を奪ってくるか分からない怪物を隣に置くなんて、そんなのは御免だった。
ハルトのような普通の、それでいて光るものがあるような人間。そういう人間こそ、自分の隣に相応しい。……ずっとそう思っていた。なのに、アリカ ブルーベルがいなくなってから、騎士団は明らかに弱体化していた。
「貴様も、もう仕事に戻れ。貴様が何と言おうと、今さら対策を辞めるなんてことはできん」
「……分かったよ。じゃあ俺が一度、狭間の様子を見てくる」
「……! 馬鹿か貴様! 状況を考えろ! 今ここで騎士団の副団長に何かあったら、それこそ──」
「分かってるよ、アニス。でも調査は、誰かが行かなきゃならない。それに実際、最初の調査以降、何度も調査に行かせているが誰も被害に遭ってない。それどころか、天使の1匹たりとも見つかってない。そうだろ?」
「しかし……」
「騎士団の副団長である俺が、直々に狭間を調査する。それで何の異常も見られなければ、俺の言葉にも多少の信憑性が生まれる。違うか?」
「…………」
アニスは舌打ちを飲み込み、小さく息を吐く。ハルトの言っていることは、間違いではない。一度の調査で問題がなかったからといって警戒を解くことはできないが、それでもハルトの言葉に信憑性が生まれるのも事実だ。
しかし、それは上手くいった時の場合。ここで騎士団が副団長を失うようなことがあれば、騎士団の威信は地に落ちる。
「悪いがアニス。お前が何と言おうと、俺はもう決めた。……それに何も俺も、1人で行こうって訳じゃない。ティアか、ミレイ。それかシンの奴を連れて行くつもりだ」
「それは……分かった。まあいい、他の仕事が上手く回るよう、こちらで調整しておく」
「恩にきるよ、アニス」
ハルトは笑う。その顔は少し前まで、肩から力が抜ける優しい笑みだと思っていた。でも今は、ただの頼りない笑みとしか思えない。
「…………」
苛々する。何に苛々しているのか自分でも上手く分からない。けれど、どうしても胸の内から溢れる想いを止められない。
「……そうだ、ハルト。ティアの奴を知らないか? あいつ、今朝の会議をサボって、どこぞで油を売っているらしい」
「いや、俺は知らないけど……。なんだ、あいつが仕事をサボるなんて珍しい。ここ最近、忙しかったから体調を崩したのか?」
「いや、私もそう思い手の空いてる奴らを家まで様子を見に行かせたが、もぬけの殻だったらしい」
「あいつに限って、誰かに襲われたなんてことはないから……」
「だからきっと、どこぞでサボっているのだろう。見かけたら、強く言っておいてくれ」
それだけ言って、アニスはまた席に戻る。ハルトももう用は済んだとばかりに、部屋から出て行く。
「……どいつもこいつも、たるんでいる」
こんな状況で本当に色持ちの天使が現れたら、果たして勝てる見込みはあるのだろうか? 本当に安心して背中を任せられる人間が、今の騎士団に何人いる?
「どうして、あいつのことを思い出す……」
そこで頭に浮かんだのは、グレイという甲冑の男。どれだけきつく扱いても泣き言1つ言わずやり遂げる、生意気な……けれど、芯のある男。
あの男はどこか、アリカ ブルーベルを思わせる。
「くそっ! 今さらになって、どうしてあの男のことばかり考えるんだ!」
あれは、自分が殺したも同然のこと。アリカ ブルーベルは、確かに自分の殺意で殺した。直接手を下していないなんて、そんなことは言い訳にもならない。なのに今さらそれを惜しく思うなんて、そんなことあってはならない。
「……たとえ色持ちの天使が現れようと、私1人で倒してみせる」
その声はどこか、自分自身に言い聞かせるようなものだった。
……そして。
「くそっ、どいつもこいつも俺の言葉を信じやがらねぇ。そんなに不安だって言うなら、俺が直接見て来てやるよ。それで分からせてやる。俺の本当の価値を」
そしてハルトは、人気のない廊下で小さくそう呟いた。
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