第18話 真実
リスティア アストロメリアは、不機嫌だった。
騎士団内……いや、今ではもう国中に広がった、色持ちの天使の噂。その対応に追われる慌ただしい日々。生意気な新人。話をしてから丸一日経つのに、動く気配のない使えないあの2人。
そんなことは、別に大した問題ではない。
ティアにとって、それは疲れる理由にはなっても、怒る……苛立つ理由にはならない。
「……イライラする」
腹の底から湧き上がるような、言語化できない感情。胸の内から這い出るような、冷たい針のような痛み。ずっとずっと、あの日からずっと感じ続けるその感情は、日に日に大きくなっていく。
「よ、随分と調子が良さそうじゃないか、おねーえさん」
夕暮れの人通りのない裏道。そこからまるで影のように気配なく現れた少女。教会の聖女であるヴィヴィア フォゲットミーノットは、心底から楽しそうに笑う。
「……悪いけど、あんたの相手をしてるほど、暇じゃないの」
ティアそんなヴィヴィアを、露骨に避けるように歩き出す……が、ヴィヴィアはそれを見逃さない。
「騎士団、随分と忙しそうだね? ティアちゃんも、随分とイライラしてるように見える。……お肌も荒れてるみたいだけど、大丈夫? ちゃんと手入れしてる?」
「うるさい」
「怒るなよ。愛しいハルトくんに最近、構ってもらえなくて溜まってんの?」
「黙れ」
「ああ、それとももしかして、今更になって後悔してるとか? ……アリカ ブルーベルを、殺してしまったことを」
「────」
ティアは足を止め、ヴィヴィアを睨む。辺りの空気が軋む。ティアの目は殺意すらこもった悍ましいものなのに、ヴィヴィアはただ楽しそうに笑う。
「ハルトくん。彼も頑張ってはいるんだろうね。それはボクも認めてやるよ。彼は頑張ってる。そして、今までも頑張ってきた。……けどさ、彼最近、前みたいに未来を予知するようなこと言えなくなってるよね?」
「……何が言いたいの?」
「事実だよ。ここしばらくの彼は、大した成果を出せていない。半年前の天使の大襲撃を予測したのが、ピークだな。そこから……アリカ ブルーベルが死んでから、彼の言葉には信憑性がなくなってきている」
ヴィヴィアの瞳が歪む。それはグレイと会話している時には決して見せない、捕食者の笑み。
「そして、今回の色持ちの天使の噂。それもまた、ハルトくんは予測できなかった。これで本当に色持ちの天使が現れたら、彼の価値はまた下がる。ただでさえ、新人に負けたばかりなんだからなおさら。……ハルトくんもその辺、ちゃんと自覚してるんだろうね? だから彼は必死になって、色持ちの天使の噂を否定してる。自分が正しいと主張しなければならない。……元が凡人だから、不安なんだろうね? 自分の本当の姿を見られるのが」
「……ハルトを、馬鹿にするの?」
「だから、ボクは事実を言ってるだけだって。ハルトくんはあのアリカ ブルーベルに代わって、副団長を務めている。その重荷は相当のものだ。何をしたって彼と比べられてしまう。……怖いよね? だから彼は、必死になって自分の価値を証明しようとしている」
ハルトの性格が、あそこまで攻撃的なものになったのも。女にだらしなくなり、仕事をサボるようになったのも。全部、不安だったから。どれだけ頑張っても追いつけないと、彼はどこかで気づいてしまった。
「宝くじに当たった奴が破産なんて、珍しくもない。できない奴の成り上がりなんて、所詮はしれてる。それが自分の努力じゃないなら尚更だ。……って、この国には宝くじなんてないか。ごめんごめん」
「……貴女は私を怒らせに来た。そういう認識で間違ってないわよね?」
「いやいや、ボクは正しくこの世界の調停者として、何より教会の聖女として、君のメンタルケアをしに来たんだよ」
「必要ない。失せろ」
「ティアちゃんさ、一度でも思ったことない? アリカ ブルーベルが、生きててくれたならって」
「────」
瞬間、ティアの手に魔剣が生成される。地を蹴る速度は団長であるアニスにも引けを取らず、並の天使なら簡単に両断できるだろう刃がヴィヴィアを襲う。
「っと、怖い怖い。ヒステリックな女って、すぐに手が出るから嫌だよね」
そんなティアの剣を、ヴィヴィアは簡単に自身の魔剣で受け止める。
「怒らせたいんじゃなくて、死にたいってことなんでしょ? だったらあたしが、あんたの望みを叶えてあげる」
「悪いけど、死にたいならもっといい男のところに行くよ。ティアちゃんみたいな可愛い女の子に殺されたら、末代までの恥だ」
2人の距離が離れる。けれど、ティアから発せられる殺意は収まる気配がない。それでもなお、ヴィヴィアの言葉は止まらない。
「確かにお兄さん……アリカ ブルーベルは、騎士団内でも浮いていた。見た目も家柄も頭脳も剣術も魔剣の能力も、他の追随を許さないレベル。……でも何より、その在り方が多くの人間を狂わせた」
「…………」
その言葉に、ティアは何も言えない。
「弱気を助け、強気を挫く。まさしく英雄の鏡。完璧な人間が、完璧なことをやり続ける。そんなものを近くで見せられたら、いくら精鋭揃いの騎士団だって、おかしくなるのは当然だ。お兄さんは、誰かの隣に居るには強すぎた」
「だから、あいつは死んだ。あんたが殺した」
「そ。君たちに頼まれて、ね」
ヴィヴィアの口元が裂けるように歪む。……ヴィヴィアという少女が何を考えて、何を成そうとしているのか。それはティアには想像もできない。
……ただ1つ分かることがあるとするなら、この女がまともではないということだけ。
「それでティアちゃん……いや、君たちみんなが乗り換えた新しい男、ハルトくん。さっきも言ったけど、彼もまあ頑張ってはいるんだよ。でも、君たちは……ティアちゃんは、気づいてしまった。実はこの男、大した奴じゃないんじゃね? って」
「────」
もう一度、ティアがヴィヴィアに斬りかかる。その速度は既に天使を相手にしている時と変わらない。一切の手加減のない一撃。
「っと、怖い怖い。そんなに怒るなよ。ボクはさ、君の為を思って言ってやってるんだぜ? 馬鹿な男に引っかかった女は、大抵、自分じゃ引き返せなくなるものだ」
「……うるさい」
「もし仮に自分が選んだ男が大した奴じゃなかったら、その男を選んだ自分まで間違っていたことになる。幼馴染だったお兄さんを殺したという事実に、向き合わなければならなくなる。君は、それが怖いんだ。だからティアちゃんは、益々ハルトくんに依存する。彼が正しくないと、ティアちゃんは呼吸もままならないくらい──っと!」
またしても振り下ろされた剣を、ヴィヴィアが受け止める。……いや受け止めた筈なのに、ヴィヴィアの頬から薄らと血が流れる。
「おっと、油断した。そういや君も普通じゃなかったね。このボクに傷をつけられる人間なんて、中々いない。誇るといい」
ヴィヴィアの頬の傷がひとりでに治る。教会の治癒術がある限り、ヴィヴィアという聖女は死なない。……けれどティアは、その程度のことでは止まらない。
「次は、そのうるさい口を抉る。その次は、その薄気味悪い目玉。そして最後に……心臓をくり抜く」
「怖い怖い。怖いからおふざけは辞めて、本題を話そう。本題を」
「…………本題?」
「そう。ちょっとさ、面白い情報を手に入れたんだよ。だから1番関わりが深そうなティアちゃんにも、教えてあげようと思ったんだ」
「聞く気はない」
「そう? でも絶対、気になってると思うんだよね。アリカ ブルーベルが失墜した原因。どうして彼が、魔剣の力を失ったのか」
「…………」
ティアは何も言わない。アリカ ブルーベルが処刑された表向きの理由は、天使に内通していたからというもの。けれど本当の理由は、ハルトの為とアリカに嫉妬し疎ましく思ったティアたちの策略。
……けれど、アリカ ブルーベルが魔剣の力を失ったことは、ティアたちの策略とは関係ない。
「あれはさ、君らの女王陛下の命令だったんだよ」
「……嘘ね。女王陛下がそんな命令をするわけない」
「本当にそう思う? 言っちゃアレだが、あの女の人格はぶっ壊れてる。ぶっ壊れてるボクがぶっ壊れてると思うくらい、ぶっ壊れてる。ものの考え方が人間のそれじゃない。だから彼女は命令した。命令するつもりだった。……他ならぬ君にね、ティアちゃん」
「────」
ドクンと、ティアの心臓が高鳴る。
「アリカ ブルーベルは最強の魔剣の力を持っていた。なのに彼は迷うことなく、それを捨てる道を選んだ。何より大切な幼馴染の為に」
「……嘘よ」
「なのに君は、そんなお兄さんを嘲笑って、ぽっと出のモブに乗り換えた。つまらない嫉妬を、捨てられなかったから」
「……………………嘘よ。嘘よ! 嘘よ……!」
「ボクは嘘はつかないよ。なんなら君らの女王陛下に訊いてみるといい。君なら会えるだろ? そしてアレは、ボクと同じで嘘は言わない」
ガチャンと何かが落ちる音。ティアの手から魔剣が落ちる。蘇る過去の記憶。優しかった笑顔。いつも助けてくれた大きな手。淡い恋心。今でも夢に見る、忘れたい過去。
「嘘よ! あいつがあたしの為に……あたしなんかの為に! そんなことする訳ない! お前は嘘をついている……! そうに決まってる……!」
「でも、そういう男だったから、君たちは彼に嫉妬した」
「黙れ! 黙れ! 黙れ……!」
「今さら何を言っても、もう遅い。いくら後悔しても、アリカ ブルーベルは死んでしまった。あのモブでは、彼の代わりにはなれない」
響く叫びと笑い声。冷たい風が2人の声を遠くに運ぶ。
「そこから君が何を選ぶのか。まだあのモブに執着して、現実から逃げるのか。それともこれから、決して償えない大きな罪に向き合うのか。ボクはいつでも、君の幸せを祈っているよ、ティアちゃん」
放心し、もう声なんて聞こえていないティアにバイバイと手を振って、ヴィヴィアはその場を後にする。
「……くふっ、やっぱりおもちゃっていうのは、壊す瞬間が1番楽しいよね」
いつの間にか登った月を見て、ヴィヴィアはやはり笑った。
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