第14話 模擬戦
騎士団では魔剣の能力を申告する義務はない。自身がどういう能力を持っているのか。どれくらい深く潜れるのか。任務での必要最低限の情報交換以外、自身の能力を隠す者も多い。それはバレると不都合になるような能力も存在するし、稀ではあるが知られることで発動しなくなる能力も存在するから。
しかし名がある人間の能力は、自ずと知られるようになる。
騎士団の副団長であるハルト ライラック。彼の魔剣の能力を、騎士団内で知らない者はいない。
「おいおい、威勢がいいのは最初だけか!」
ハルトが剣を振るう。その動きは特別、洗練されているようには見えない。寧ろ、ふざけたように剣を振るっているだけだ。しかしそれでも、グレイはそんなハルトと剣を打ち合わせることすらできず、ただ逃げ続ける。
「……っ」
「くははははっ! 無様だな! 甲冑男!」
ハルトが笑う。グレイは馬鹿にするようなハルトを前に、逃げることしかできない。
そんな様子を見て、ノアが小さく呟く。
「どんなものでも斬れる魔剣、ね」
「それがあの人の魔剣の能力なんスか?」
と、いつの間にか近くに居たユズが尋ねる。
「……そうよ。どんなものでも斬れる。だから剣を剣で受け止めることすらできない。どんな能力であろうと関係なく、魔剣ごと両断できる。強度の低い魔界なら、辺りの空間ごとその能力を両断できるって噂よ」
「そんなの最強じゃないっスか! いくらグレイさんでも、流石に厳しいんじゃないっスかね……」
「…………」
ノアは目の前の、逃げるだけで手一杯に見えるグレイを見る。甲冑を着込んでいるせいもあり、グレイに焦りは見えない。しかし逆に、余裕があるのかどうかも分からない。対するハルトは、そんなグレイをまるで遊びのように追いかける。
グレイの力があの時……4体の天使を簡単に倒してみせたあの時のものなら、決着は既についていただろう。それ程までに、あの時のグレイの力は凄まじかった。
「……何か、制約がある能力なのかしら? まあ、そうじゃないとおかしいものね」
「ん? 何か言ったっスか?」
「いいえ。なんでもないわ」
「でも、グレイさんには悪いっスけど、ちょっとだけ気になるスよね? グレイさんの素顔」
「貴女ね……」
「いやいや、あたしもグレイさんに勝って欲しいっスよ? ……でも、あの仮面の中の素顔が超絶イケメンとかだったら、めちゃくちゃ熱いじゃないっスか! ノアさんも女の子なら、1回くらいそんなことを考えたことあるっスよね?」
「…………」
ノアは少しだけ想像してしまう。あの兜の中の素顔。それがイケメンだったなら。……アリカ ブルーベルのような力を持ったグレイが、彼のようにカッコよかったら……。
「って、何考えてるのよ、私!」
ノアは余計な思考を振り払い、目の前の2人に視線を戻す。するとちょうど、グレイが動いた。
「──はっ!」
ハルトから距離を取ったグレイが、アニスとの勝負の時に見せた、おもちゃのような短剣を投擲する。
「おいおい、ふざけてるのか?」
しかしハルトは、弾丸のような速度で迫る短剣を簡単に両断する。グレイはそれでも諦めず、その辺に落ちていた小石なんかも投擲するが、それら全てがハルトに届くことはない。
「なんだよ、それは? 石を投げるなんて、子供でもできるぜ? まさかお前、そうやって石を投げて天使を倒したんじゃないだろうな!」
ハルトは楽しそうに笑う。そんなハルトに釣られ、2人の戦いを見物している騎士団の人間からも、小さな笑い声が溢れる。
「…………」
しかしグレイは、そんなハルトの挑発も周りの声も一切気にせず、淡々とハルトの太刀筋を観察する。
太刀筋は大雑把であるが、訓練の跡は見られる。調子に乗ってふざけているが、剣術だけで見ても並の騎士より遥かに強い。魔剣の深度も、団長であるアニスと比べても遜色ない。
距離を取っても意味はない。近づいたら、なんでも斬れる魔剣の餌食。
「悪くない……」
或いはハルトが初めから全力で戦っていたなら、勝負はもうついていたかもしれない。
「……だが、経験不足だな」
と、誰にも聴こえないよう小さく呟き、グレイはまた短剣を投擲する。
「だから! そんなのが通用するわけないだろ!」
ハルトが迫る短剣をまた、両断する。
「──っ!」
その瞬間、眩い光が辺りを覆う。短剣の形をした閃光弾。何の意味もなく、グレイという男がおもちゃのような短剣を持ち歩く筈がない。
「魔道具か! ふざけやがって!」
魔剣によって強化された人体。ハルトほどの深度にもなれば、閃光弾による視界の混濁はほんの僅か。……ハルトがそれを警戒していたのであれば、本当に一瞬しか視界を奪えなかっただろう。
けれど、彼は油断していた。
グレイはまた短剣を投擲しながら、地面を蹴る。
「……くっ!」
ハルトは判断に迷う。おぼつかない視界。響くような頭痛。ここでまたこの短剣を斬ると、何か仕掛けがあるかもしれない。これ以上、恥を晒すわけにはいかない。
「くそっ……!」
ハルトは迫る短剣とグレイから逃げるように大きく距離を取り、視力の回復を図る。……しかし、そんな余裕を与えるほど、グレイという男は甘くない。
「終わりです、ハルト副団長」
すぐ近くで響いた声。一瞬で詰められた距離。まるでハルトの行動を見透かしたような、一連の動き。僅かに見える黒い甲冑が、大剣を振り上げる。
「なめるな!」
ハルトはそんな状況で、反射的にグレイの大剣を受け止めようと、剣を構える。ハルトの魔剣の能力なら、それだけでグレイの大剣をへし折ることができる。
けれど構えた瞬間、気がついた。
……それが、誘いであったのだと。
「……っ」
首筋に冷たい感触。大剣を持っていない方の手に握られた小さな短剣の刃が、ハルトの首筋にあたる。
「まだ続けますか? ハルト副団長」
「……くっ!」
その状況に周囲が息を呑む。現騎士団最強と言われている男が、まだ入団して1週間程度の新人に敗北した。それは、今までの自分達の訓練を否定されたようなもの。本来ならあってはならないこと。
『最近の騎士団は、少したるんでいるように見えます』
先ほどのノアの言葉が、胸に刺さる。
「は、離れろ! くそっ……!」
ハルトがグレイから距離を取る。グレイは静かに大剣と短剣を仕舞い、真っ過ぐにハルトを見る。
「そんな目で見るんじゃない……! ……もう一度だ! 今のは単に……調子が乗らなかっただけだ! こんな結果、認めていい筈がない!」
「ハルト副団長は、実戦でも同じことを仰るのですか?」
「……っ」
「何も私も、実力でハルト副団長に勝てたなどとは思っていません。私がまだ新入りだということもあり、ハルト副団長が手心を加えて下さったということは、理解しているつもりです」
淡々と静かに告げられる言葉。それは丁寧な言葉遣いとは裏腹に、妙な圧迫感をハルトに感じさせる。
「分かっているならいい。だが──」
「そうです。それでも約束は約束です。この兜の着用、認めて頂けますね?」
「……ちっ、分かってるよ」
ハルトが逃げるようにグレイから視線を逸らす。……周りの視線が痛い。失望するような視線。動揺と困惑に満ちた視線。アリカ ブルーベルなら、決して受けなかった筈の辱め。
「……許さねぇ」
このままもう一度、斬りかかってやろうか? 油断さえしなければ、こんな奴は敵じゃない。今の俺が本気になれば、誰にだって負ける筈がない。
ハルトが静かに、魔剣へと手を伸ばす。
するとちょうど、声が響いた。
「──随分と面白い見せものでした」
騎士団内には似つかわしくない、豪奢な服。ノアとはまた毛色の違う気品と余裕を感じる、背の高い1人の少女。そんな少女がゆっくりと、それでいて堂々と、グレイとハルトの方に近づいて来る。
「はじめまして、皆様。わたくしは、リーシィ 。リーシィ グロキシニアと申します」
淡い紫色の瞳で、少女は楽しそうに笑った。
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