第8話 戦闘



「──あはっ、食料みっけ」


 腰まで伸びた真っ赤な髪に、2mを優に超えた巨大な体躯。そして何より目を引く、背中から生えた真っ白な翼。


 天使。


 人類に敵対する本能を持った現存する最強の生命体。彼女は捕食者に相応しい獰猛な笑み浮かべ、真っ赤な鎌を持ち、地を這う人間に襲い掛かる。


「わざわざ探す手間が省けたわね」


 そんな天使を前にしても、ノアは余裕そうな笑みを浮かべ静かに剣を構える。


「ば、馬鹿っスか! 殺されるっス! 準備もなしに天使と戦っても、勝てるわけないっス!」


「貴女の常識なんて知らないわ。いいから見てなさい、こんな奴に私は負けない──!」


 ノアの剣と天使の鎌がぶつかる。あまりの衝撃に空気が軋む。


「あはっ、なに生意気に受け止めてんの? ムカつく」


 天使が鎌に力を込める。するとまるでノアの身体が消えたかのように、鎌が身体をすり抜ける。


「はい、まずは一撃」


 体勢を崩した天使の横腹をノアの剣が切り裂く。人間とは違う青い血が、どろりと地面を染める。


「す、凄いっス。あんなに簡単に天使に傷を負わせるなんて! 流石は成績ナンバーワン!」


「……いや、あれじゃ逆効果にしかならねぇな」


「は? なーに言ってるんスか。37位は黙ってるっス!」


 ノアの様子を見て、子供のようにはしゃぐユズ。対照的に腰を落としゆっくりと剣を構えるロウ。


「…………」


 そして、僅かな動揺もなくただ黙って天使とノアを見つめ続ける甲冑の男グレイ。


「……痛い。痛い。痛い痛い痛い! 痛い……!!!」


 天使が叫ぶ。翼をはためかせ、逃げるように大空へと距離を取る。


「逃すわけないでしょ」


 ノアが地を蹴り追撃を図る。速度は圧倒的にノアの方が上。それでも天使は流れ出る青い血を隠すように手で覆い、ただひたすらに天を目指す。


「終わりよ」


 ノアの剣が天使の胸へと突き刺さる。……その一瞬前に、天使は小さく囁いた。


「我が力をかこに」


 瞬間、辺りを覆う空気の質が変わる。天使に迫っていた筈のノアの身体が、地面へと吹き飛ばされる。


「──っ!」


 地面に激突する直前に体勢を立て直し、軽やかに着地するノア。天使は空に立ったまま、色のない目で地に立つ蟻を見下ろす。


「……4匹、か。このあたしに傷をつけやがって。許さない。許さない。許さない! 全員八つ裂きにしてトカゲの餌にしてやる……!」


 刺さるような殺意に、ユズの身体が震える。


「き、傷が治ってるっス。それに、なんスか? この感じ。身体が上手く動かないっス……」


「お前は座学を受けてないのかよ。これは──」


「天使の『魔界まかい』よ」


 ロウの言葉を遮って、ノアが言う。


「私たち人類の魔剣は、祈りを合図に自分の身体を書き換える力。対して天使は、力で強引に世界を書き換える。……つまり今この場は、あいつの腹の中ってことよ」


 言い終わる前にまたノアが地を蹴る。


「……あれ?」


 けれどその速度は常時の半分にも及ばず、どう見てもいい的でしかない。


「あはっ、今度はすり抜けないんだ」


 天使の鎌がノアを捉える。


「ちっ……!」


 ノアはそれをなんとか剣で防ぐが、勢いはそのまま地面へと激突する。


「や、やっぱり無理なんすよ、天使に勝つなんて……。もう逃げるしかないっス」


「この状況で逃げられると思ってんのかよ、お前は。腹キメるしかねぇんだよ。……我が祈りをあかに」


 ロウが魔剣を構える。ユズもまたそんなロウの姿を見て逃げられないと悟ったのか、震えた声で祈りを捧げる。


「わ、我が祈りをうそに」


「あはっ、次はそっちの2人? いいよ、遊んであげる……!」


 天使が迫る。2人はほとんど同時に剣を振り上げる。……が、身体が上手く動いてくれない。まるで身体が、普段の倍以上の重さになったような感覚。……いや身体だけではなく、思考までもが上手く働いてくれない。


「まずは1人」


 鎌がロウの右腕を切り飛ばす。


「あぁ──! くそっ……!」


 ロウは叫びを上げながらも勇敢に斬り返そうとするが、返す鎌で左腕も斬り飛ばされ、地面に倒れる。そして天使はそのまま隣のユズを斬ろうと目を向けるが……。


「……あれ? いない」


 そこには既にユズの姿はなかった。


「あたしの魔界から逃げた? あの軟弱な人間が?」


 一度、空に上がり辺りを見渡す。しかしどれだけ探しても、ユズの姿は見えない。見えるのはただ1人、淡々と状況を眺め続けていた甲冑の男だけ。


「まあいいや。次はお前だ……!」


 目にも止まらぬ速さで天使が迫る。その刹那、呟くようにグレイは言った。


「停滞、か」


 天使の鎌を大剣で受け止める。膂力では上回る筈の天使が、どうしてか攻めきれず距離を取らされる。


「……あっちの白いのが1番かと思ったが、お前の方か、人間」


 ノアに傷をつけられ、頭に血が上っていた時とは別人のような天使の目。その目は冷静に敵であるグレイの様子を観察する。対するグレイは動揺する様子は一切なく、あくまで淡々と言葉を告げる。


「筋力の停滞。魔力の停滞。思考の停滞。この場にいる全ての人間が、常時の半分も力を出せなくなる。それがお前の魔界の正体だ」


「ふふっ、だったら? 分かったところで、何もできないでしょ? 君たち弱い人間は」


「そうだな。弱い人間では何も成すことができない」


「あはっ、分かってるならさっさと死ねよ」


「言われなくてもそうするさ」


 グレイが走る。その速度は停滞の中にいるとは思えないほど、速い。……けれど、それは天使にとって脅威になる速度ではない。


「……なんだ、見込み違いか」


 天使が翼をはためかせ、鎌を振り上げる。一瞬の油断。ほんの僅かな心の隙間。その一瞬をグレイは見逃さない。


「なっ──!」


 天使の口から驚愕の声が溢れる。まだ大丈夫、そう思っていた間合いが一瞬で詰められている。何が起こったのか、何をしたのか、全く分からない。


「死ね」


 荒々しく振り下ろされる大剣。天使はなんとか、それを鎌で受け止める。……しかし、弾き返すことができない。


「くっ、どうしてあたしが力負けするんだ! 人間なんかに、負けるわけ……ないのに!」


「種が分かれば対策を立てられる。狙う順番を間違えたな」


「くっ──!」


 それで天使は気がつく。これは力の差ではない。斬りつけるタイミング。力の入れ方。角度。呼吸。その全てをコントロールし、1番嫌な場所に1番嫌な斬り方をされた。



 圧倒的なまでの戦闘技術。



 だからこのせめぎ合いは、力の差ではない。あと1秒。あと1秒あればこの剣を振り払い、鎌でグレイの首を切り落とすことができる。それくらいの力の差が、人と天使にはある。



 だが──。



「そんな時間、あるわけないでしょ」


 ノア スノーホワイト。一度やられてからずっと気配を隠し岩陰に隠れていた彼女が、グレイの作った隙を見逃す筈がない。彼女は一瞬の躊躇いもなく、背後から天使の首を切り落とす。


「くっ、そ……。おぼえてろよ、人間。絶対に……絶対に……殺してやる」


「あんたみたいなヒステリックな女、覚えとくわけないでしょ」


 そうして勝敗は決した。……決したように見えた。


「……逃げられたか」


 と、グレイが言う。


「何言ってるのよ。確かに私は殺したわ。天使は死体が残らないからって、いい加減なこと言わないで」


「自分の剣を見てみろ。血がついているか?」


「────。どうして……」


「1匹じゃなかったということだ。運が良かったな。2匹同時に来ていたら、お前は死んでいたぞ」


「……2匹だろうが何匹だろうが、私は死なない」


 ノアは剣を鞘にしまい、グレイに背を向ける。先ほどの天使を逃してしまった以上、試験はまだ終わらない。


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