第6話 魔剣



「──では、行きます」 


 一切の迷いなく背中から大剣を引き抜いた甲冑の男──グレイは、その巨大な体躯からは想像できない速さでアニスに迫る。


「…………」


 対するアニスはまるで祈りでも捧げるかのように、静かに剣を構える。


「やばい、離れろっ!」


 そのアニスの姿を見た騎士団の部下や入団希望者たちは、慌てて2人から距離を取る。


『死んだな、あの馬鹿』『団長の噂を知らないのかよ』『ちょっと図体がデカイ程度で、あの人に勝てるわけないだろ』


 そんな声が、ボソボソと響く。この場にいる全員が、アニスの勝利を信じて疑わない。いや勝利どころか、勝負にすらならないと誰もが思っている。


「……!」


 グレイの大剣が、アニスに向かって振り下ろされる。それは美しさなんてかけらも感じられない、粗暴なだけの一振り。力任せに剣を振るった、素人の一撃。


「お粗末だな」


 そんなアニスの言葉が響いた直後、グレイの身体が数メートル後方まで吹き飛ばされる。この場にいるほとんどの人間は、その一撃を目視することすらできない。それほど速い、アニスの一刀。


「……何度見ても、アニスちゃんの魔剣は怖いよね」


「ああ。単純な能力だけど、だからこそ隙がない」


 吹き飛ばされた馬鹿な男を憐れみながら、ハルトとリスティアは息を吐く。


 この世界で『魔剣』と呼ばれる力は、祈りの言葉を合図に具現化する、剣の形をした人体を書き換える異能だ。使用するだけで身体能力を何倍にも増強させ、各々1つのルールを扱うことができる。


 アニスの能力は、単純な『強化』。自身の身体能力を何十倍、何百倍にも引き上げる、ただそれだけの能力。


 けれどそれ故に隙がなく、どんな搦手も彼女は剣1本で断ち切る。


「どうした? もう終わりか? その程度の実力でよくもまあ、あんな大口を叩けたものだな」


 自身の力に酔いしれるように、アニスは口元に笑みを浮かべる。そんなアニスの様子を見て、もうあの甲冑の男は立ち上がれないなと誰もが思った。



「──流石は、団長殿ですね」



 けれど、吹き飛ばされたグレイは淡々とした仕草で立ち上がり、また正面からアニスに向かって斬りかかる。


「……ほう、どうやら多少はやるようだな」


 アニスはそんなグレイを楽し気に見つめ、先ほどの焼き増しのような一撃をかわし、もう一度、剣を叩き込む。


「────」


 先ほどよりも強い一撃に、グレイはまた地面を転がる。が、辺りに広がった土煙が消えるより早く、グレイは再度、地面を蹴る。


「なんなんだ、貴様は……!」


 5回。10回。20回。数えるのも馬鹿らしくなるほど、同じ動きが繰り返す。グレイは冴えるものが一切ない素人のような太刀筋で、何度も何度も斬りかかる。対するアニスは、そんなグレイを同じように吹き飛ばし続ける。


 周囲は次第に、グレイの異常性に気がつく。いくら甲冑を着込んでいるからといって、ああも何度も吹き飛ばされ続ければ、死んだっておかしくはない。


 なのにグレイの動きは、一切乱れない。


「…………」


 ……いや、その動きを誰より近くで見ていたアニスだけは気がつく。グレイの動きが、徐々に徐々に速くなっていることに。


「……面白い。それがお前の魔剣の能力か」


 そこでアニスはスイッチを切り替え、遊びの時に使う構えを辞め本気の戦闘で使う構えをとる。


「──はっ」


 その一瞬の空白を、グレイは見逃さなかった。


 大剣が空を切る。グレイは自身の身長と同じくらい巨大な大剣を、アニスに向かって投げつけた。


「なっ……!」


 何度も何度も繰り返された剣戟で広がった土煙の中から、大剣が迫る。どうせ次も、同じように斬りかかってくるだろうと思い込んでいたアニスは、虚をつかれ対応が遅れる。


「──っ」


 普段なら難なくかわせた一撃。しかし構えを変えた一瞬の隙を突かれたせいで、避けることができない。


「舐めるなっ!」


 それでもアニスは身体を強引に動かし、自身の剣でグレイが投げた大剣を吹き飛ばす。


「いい動きだ、流石は団長殿」


 そして、その動きを最初から想定していたかのようにアニスの背後に回り込んだグレイが、拳を振り上げる。


「だからっ! 舐めるなと言っている……!」


 けれどそこまで積み重ねてなお、グレイの拳はアニスに届かない。天使との戦いでも滅多に見せない、魔力の放出。そのアニスの奥の手が直撃し、グレイの身体がまた遠くへと吹き飛ばされる。



 ……そしてその瞬間、勝負は決した。



「私の勝ちだ。……団長殿」



 アニスの頭に、コツンと何か小さなものがぶつかる。


「……え?」


 自分の頭に当たって地面に落ちた、小さな何か。アニスはそれをゆっくりと拾い上げる。……それは、オモチャのような短剣だった


「約束通り、一太刀入れました。これで試験を受けさせて頂けますね?」


「……貴様」


 アニスに傷は一切ない。魔剣の能力で耐久力も強化されている今のアニスは、グレイの大剣を頭に受けても傷1つ負わない。



 けれど確かに、一太刀入れられた。



 ……入れられてしまった。


「随分と舐めた真似をしてくれるじゃないか。こんなオモチャのような短剣を隠し持っていたとはな。……貴様、初めからこれを狙っていたのか?」


「ご想像にお任せします」


「はっ、なら好きなように想像させてもらうさ。……ああ、久しぶりだよ。貴様のような男は。貴様のように、あの男のように! 私を見下す男は……!」


 何がアニスの琴線に触れたのか、アニスの瞳が怒りに染まる。


「私はな、あまり気が長い方ではないんだよ。分かるか?」


「見れば分かります」


「……っ。ああ、だから貴様のそういう態度が、癪に障って仕方ない……!」


「けれど今さら、約束を反故にはしないでしょう。そんな人間が頂点の組織なぞ、国を守るに値しない」


 あくまで淡々と告げ、グレイは大剣を拾いそれを背中の鞘に収める。これでもう戦いは終わりだと言うかのように。


「アニス団長。そろそろ試験を始めないと、時間が……」


 そして見計らったように、部下の1人がアニスにそう声をかける。


「……ちっ、分かった。分かっている。……分かっているさ」


 アニスはそれに苛立ち気に言葉を返し、そのまま全員に向かって声を上げる。


「皆、時間を取らせた! これより40、最終試験を開始するっ!」


 その声を合図に、入団希望者たちが一次試験での順位順に整列する。無論、グレイもその中に入る。


『あいつ、あのアニス団長に一太刀入れやがった』『偶然だろ? あんなに何度も吹っ飛ばされてたし、実戦ならとっくに死んでたよ』『……だよな』


 なんて声が、ボソボソと入団希望者の中に広がる。けれど一次試験を1位通過したノア スノーホワイトだけは、気がついていた。



 ──この男は、普通ではないと。



 最初に単調な斬撃を繰り返し、次もまたそうくるだろうと油断させた策略。構えを変えた一瞬の隙を見逃さず、唯一の武器を瞬時に投げつけた、観察力と胆力。更にその行動すら囮にし、背後をとった身体能力。


 そしてそれら全ての行動は、アニスの注意を頭上から逸らすためもの。遠巻きで見ていたノアにすら気づかせず、あの男はアニスの頭上に短剣を投げてみせた。



 文字通り、一太刀入れる為に。



「…………」


 何よりグレイは、祈りの言葉を口にしていない。なら或いは彼は、魔剣の力抜きであの一連の動きをこなしてみせたのかもしれない。



 ……怪物。



 知らず、ノアの手が震える。……或いは彼なら、自分の復讐に利用できるかもしれないと。


「……ふふっ」


 そうしてここから、波乱の入団試験が始まった。


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