第5話 堕ちた英雄



 ハルト ライラックは、幸せだった。



「まさか本当に俺が、あのアリカ ブルーベルの代わりを務めることになるなんてな」


 まだ日が登ったばかりの早朝。いつもより少し早い時間に家を出たハルトは、軽く伸びをしながら騎士団の訓練所に向かう。


「あ、おはよう! ハルト!」


 そして、そんなハルトを待ち伏せていたかのように、曲がり角から1人の少女が姿を現す。


「おはよ、ティア。相変わらず早いな」


「まあね。あたし朝の空気好きだし、何より早く家を出ると……早くあんたに会えるからね」


「ば、バカっ! 朝っぱらから、からかうようなこと言うんじゃねーよ!」


「あははっ。照れてる照れてる」


 ハルトとリスティア。2人は恋人のように仲睦まじく歩く。


「……でも、今になっても驚きだよな。あのアリカ ブルーベルが、天使と内通してたなんて。いくら魔剣の力を失ったからって、そこまで落ちぶれるとは思ってなかったよ」


「……そうね。あいつが教会で処刑されてから、もう半年。時間が経つのは早いわね」


「……だな」


 ハルトは寂しそうな顔で、空を見上げる。……けれどその声が弾んでいるのを、リスティアは聞き逃さない。


「あんな奴、居ない方がいいのよ。今の騎士団の空気を見ても分かるでしょ? あいつがいると、皆んなが緊張する。あいつはただそこにいるだけで、いろんな人を傷つける。そういう奴なのよ」


 アリカ ブルーベルは、全てにおいて天才だった。……いや、天才という言葉ですら生ぬるいほどの怪物だった。常人の数年の努力を、ものの数日で飛び越える。どんなことでも最高以上の結果を出す、人外の英雄。


 リスティアは幼い頃からそんなアリカに憧れていて、けれど同時に……誰より強く、嫉妬していた。


「それに比べて俺は凡人だからな。いてもいなくても、別に誰も気にしない」


「バカね、そんなわけないでしょ? 今はあんたが騎士団の副団長なんだから、もっと胸を張りなさい!」


「いてっ!」


 バシッとハルトの背中を叩いてから、リスティアは甘えるようにハルトの手を握る。


「……ありがとな、ティア」


「何が?」


「いろいろだよ。俺の為に、いろいろ頑張ってくれたんだろ?」


「……何のことかしら」


「とぼけるなよ、バカ」


 リスティアだけではない。この世界を生きる皆が、アリカ ブルーベルに嫉妬していた。そしてそれは、転生してきたハルトも例外ではない。 


「…………」


 ハルトだけは、知っていた。この世界と酷似したゲームをプレイしたことがあるハルトだけは、アリカ ブルーベルが本当はどういう人間なのか、理解していた。


 けれどハルトは、何も言わない。だってようやく夢が叶った。凡人で誰からも相手にされなかった自分が、今や皆から愛されるヒーローだ。


「ははっ」


 本当は前世でも、モテる男なんてみんな死ねばいいと思っていた。自分より目立つ奴なんて全員、死ねばいいと。そしてようやくその願いが叶って、自分の番が回ってきた。何も待っていなかった自分が、全てを持っている男に勝った。


 その優越感が、ハルトの頬を緩ませる。


「……あ。そういえば今日、騎士団の入団試験があるんだったな」


「そうよ。昨日アニスちゃんが、張り切ってたじゃない。今年は有望そうなのがいるって」


「それは楽しみだな」


「可愛い女の子でも、鼻の下を伸ばすんじゃないわよ?」


「分かってるって」


 と言いながらも、ハルトはやはり笑みを浮かべる。


 ゲームで先の展開を知っているハルトは、入団試験で合格してくるのが誰なのか知っていた。ハルトがゲームで1番好きだったヒロイン、ノア スノーホワイト。彼女がようやく、騎士団にやってくる。


「……楽しみだな」


 そう言って、ハルトは笑った。



 ◇



「これより、入団試験を始めるっ!」


 騎士団長であるアニス ルドベキアは腰まで伸びた漆黒の髪を揺らし、透き通る声でそう叫ぶ。


「結構、集まってんな。これ何人くらいいるんだ? ティア」


 少し離れたところで試験の様子を伺っているハルトは、隣にいるリスティアにそう声をかける。


「40人よ。この中から上位8人が、めでたくあたしたちの仲間になるってわけ」


「40人か、多いな。俺の時はそんな人数いなかったけどな」


「それは……あいつがいたからよ。それよりあの子よ、あの子。あの髪の白い綺麗な子。あの子が一次試験をダントツの1位で突破した、ノア スノーホワイトさんよ」


「へぇ、アレがか。……やっぱり実物は違うな」


 2人の視線が1人の少女に集まる。そしてまるで見計らったように、団長であるアニスがその少女、ノアに声をかける。


「貴様がノア スノーホワイトか。一次試験の担当者から聞いている。すこぶる優秀な人材だとな」


「……ありがとうございます」


「そう緊張せずともいい……と、言ってやりたいところだが、最終試験はそう甘くはない。昔のように……あいつのように、個人の能力がどれだけ優れていようと意味はない。大事なのは、仲間との連携だ」


 そこでアニスはノアから視線を逸らし、この場にいる全員に向かって声を上げる。


「全員、よく聞け! 貴様らも知っているだろう? かつて英雄と呼ばれた男のことを! 強さだけを追い求め、結果、道を誤り地に落ちた英雄のことを!」


 アニスの言葉を聞き、誰かが小さく呟く。『堕ちた英雄、アリカ ブルーベルのことか』と。


 半年前に姿を消したアリカは、天使に内通していたとして教会に処刑された。……と、いうことになっている。四大貴族の長男で騎士団の副団長であるアリカが、敵と内通していた。それは本来なら、国を揺るがす事態だ。


 けれど騎士団は、そんな不祥事が気にならなくなるほど手柄を立て続け、ブルーベル家はそんな騎士団を全面的に支援し続けた。


 結果、ヘイトは全てアリカに集まり、今では彼は最悪の悪人、堕ちた英雄として語られるようになっていた。


「強さだけが、全てではない! 才能だけが、力ではない! 他人と協力し弱みをカバーし合うことこそが、今の騎士団に求められる資質だ! 最終試験では、その資質を測らせてもらう!」


 アニスの言葉を聞き、この場の全員の肩に力が入る。ここから最後の試験が始まるぞ、と場に緊張が走る。……けれどそんな空気に水を差すかのように、声が響いた。



「──すみません、遅れました」



 まるで地獄の底から響いたような、低い声。そんな男の声に、全員の視線が背後に集まる。そしてその声の主の姿を見た瞬間、全員が驚きに目を見開く。


 禍々しいデザインの漆黒の甲冑に、素顔を隠すようなフルフェイスの兜。そして何より目を引く、背中に担がれた巨大な大剣。


「…………」


 2メートル近い背丈も合わさって、誰もが息を呑むほど恐ろしい姿がそこにはあった。


「……誰だ? 貴様は。貴様のような男がいるとは聞いていないぞ」


 訝しむようなアニスに、甲冑の男は淡々と言葉を返す。


「今朝方、合格者の中に1人辞退者が出たという話を聞きました。であるなら、一次試験で41位だった私が補欠合格するものだろうと考え、この場に駆けつけました」


「…………」


 アニスはチラリと、背後にいる部下に視線を向ける。


「確かに今朝、1人の入団希望者から辞退するとの手紙が届きました。しかし、補欠合格なんて話は聞いていません」


「だ、そうだ。どこで聞きつけたのか知らないが、勝手な真似をして規律を乱すな」


 吐き捨てるように、アニスは言う。……けれど、甲冑の男は動かない。


「聞こえなかったのか? 私は帰れと言ったのだ」


「聞こえています。けれど帰るのは、試験を終えてからでも遅くはないでしょう」


「随分と自信があるじゃないか。だが貴様の成績は41位。つまり貴様は、この中で1番劣っているということになる。……そんな劣っている人間に、無駄な時間を使っている暇はない」


「一次試験で測れなかったものを、この最終試験で測ると聞いています。一次試験の成績順で選定するのであれば、このような試験は必要ないでしょう」


「……っ」


 アニスは苛立ち気に髪をかき上げ、そのまま甲冑の男に近づく。


「貴様、名前は何という?」


「今は、グレイと呼ばれています」


「そうか、グレイ。貴様の言い分はよく分かった。貴様がその大層な見た目に似合わず、よく口の回る男だということもな」


「お褒め頂き、ありがとうございます」


「……っ。しかし、騎士団は規律の組織だ。どんな理由があろうと、遅れてきた奴に何のお咎めもなく試験を受けさせることはできない。……そんな大層な鎧を着込んでくる暇があるなら、遅刻せずに来れた筈だからな」


 そのアニスの言葉に、周りから笑い声が響く。


「では団長殿は、私に何をお望みですか?」


「そうだな……ああ、そうだ。こういうのは、どうだ?」


 言ってアニスは軽やかなステップで距離をとり、空に向かって右手を伸ばす。


「──我が祈りをてんに」


 瞬きの間に、魔剣が構築される。あのアリカ ブルーベルを差し置いて団長の座にいた、現騎士団最強の女。その女が手にした魔剣から放たれる魔力を前に、入団希望者の全員が息を呑む。


 ……いや、甲冑の男だけは淡々と言葉を発する。

 

「私に、何をしろと?」


「簡単だ。私に一太刀でも入れることができれば、貴様の言い分を認めてやる」


 誘うようにアニスは笑う。


「うわっ、アニスちゃんは相変わらずおっかないな。今の騎士団でアニスちゃんに一太刀入れられる奴なんて、ハルトとあたしくらいだよね?」


 一連の騒動を遠巻きに眺めていたリスティアが、ハルトに向かってそう告げる。


「だな。あの甲冑の奴、下手したら死ぬかもな」


「流石にそこまで馬鹿じゃないでしょ。どこの誰だか知らないけど、彼だってアニスちゃんの実力は知ってる筈。……アニスちゃんが、怖いくらい加減を知らないこともね。だから──」


 謝って帰るに決まってるでしょ? なんていうリスティアの言葉を拒絶するように、甲冑の男は背中の大剣を引き抜く。



「──では、行きます」



 そう言って彼──グレイは、地面を蹴った。


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