第4話 願いの先に



 教会という組織は異質だ。



 彼らは王国内に独自の自治領を持ち、女王であったとしても逆らえない程の強い権力を持つ。それは教会が治癒術という秘術を独占しているからであり、彼らに楯突けばまともな治療はまず受けられない。


「だというのに、何をやっているんだ、私は……」


 王城近くの居住区から離れた、教会の自治領。質素で色のない建物が並ぶその場所に建つ、一際目立つ巨大な建物。この国に数ある教会の総本山。一般人は足を踏み入ることもできない、神秘の最奥。


「……行くか」


 私はそんな地獄の門を、正面から堂々とくぐる。すると見計らったように、声が響いた。


「ほんとに来たんだ、お兄さん」


 だらしなく脚を組んで長椅子に腰掛けた、青い髪の少女。彼女は心底から楽しそうな顔で、こちらを見て笑う。


「言わなくても要件は分かるな? ヴィヴィア」


「まさか。ボクってばお兄さんと違ってバカだから、ちゃんと1から説明してもらわないと分かんないよ」


「…………」


「あははっ。嫌そうな顔。やっぱりアリカ ブルーベルは、いつだって頭を下げるのが嫌いなんだね」


 肩口で切り揃えられた青い髪を揺らして、ヴィヴィアはゆっくりとこちらに近づいてくる。


 ヴィヴィア フォゲットミーノット。聖女という教会でも特殊な役職を持つ、頭のおかしい女。黙っていればそこらに飾られた彫刻のように美しい見た目をしているが、その力も性格も異質な存在。


「どうしてあの男……ハルトを連れ去った? いくら教会といえど、騎士団と揉めるのは得策ではないだろう」


「さあ、どうかな。ボクはただ、命令通りに動いただけだよ」


「嘘をつくな」


「あははっ、嘘じゃないって。ボクってば面食いだから、イケメンじゃない男には興味ないの」


 ヴィヴィアは意味もなく私の首筋を撫でてから、子供のような顔でこちらを見上げる。


「それで? お兄さん。お兄さんは一体、ここに何をしに来たの? どういう目的があって、わざわざこんなとこまでやって来たの?」


 こちらを小馬鹿にするような態度。いつもならそんなこと気に留めないが、今日はそれが妙にかんに障る。


「……無理を承知で頼む、ヴィヴィア。あの男、ハルトをどうにか助けてやってくれないか? ……お願いだ」


 そう言って私は、頭を下げる。……くそっ。どうして私が、あんな男の為に頭を下げなければならない……!


「くはっ。あはははははははははははははははっ!!! 永遠の英雄とまで言われたあのアリカ ブルーベルが、ボクみたいな女に頭を下げてるよ! あははっ! 面白すぎる!」


「笑うな。私は本気だ」


「本気だから、おかしいんじゃないか! あははははははははっ!」


 ヴィヴィアはしばらく、壊れたおもちゃのように笑い続ける。私はそんなヴィヴィアの機嫌を伺うように、ただ黙って頭を下げ続ける。


「あー、笑った笑った! 久しぶりに思いっきり笑ったし、そろそろ種明かしをしてあげるよ」


「……種明かし?」


「そ、種明かし」


 ヴィヴィアはそこで思考を切り替えるように短く息を吐き、さっきまでとは違う氷のように冷たい瞳で言う。


「──お兄さんはね、売られたんだよ」


「……は?」


 口から乾いた声が溢れる。こいつは今、なんと言った? 売られた? この、私が?


「どうせお兄さんはあのティアちゃんに、『ヤラせてやるからお願いー』とか言われて、こんなとこまでノコノコやってきたんだろ?」


「……だったら、なんだと言うのだ?」


「そりゃ残念ながら、嘘だぜ? あの女にその気はない。……お兄さんは今まで馬鹿みたいにモテてたから、その辺の女の怖さは知らないかな? 騙されたんだよ、お兄さんは。……いや、騙されたっつーか薬でも盛られたのかな? あの女、いつもはあんな甘い香水つけてなかったろ?」


「────。何を、馬鹿な。いくら私が魔剣の力を失ったからといって、ティアがそんな──」


「事実だよ、お兄さん。それでもまだ疑うんなら、この教会の中を隅から隅まで調べてみなよ。あのモブの姿なんて、影も形もないから」


「────」


 本当に、この私が売られたというのか。ティアのあの涙も、愛していると言ったその言葉も、全て嘘だったというのか。


「……っ」


 張り裂けるほど胸が痛む。……どうしてだ? 最初から、期待なんてしていなかった筈だ。なのに、私は何を──。



「──我が祈りをそらに」



 そこでヴィヴィアは、唐突に神へと祈りを捧げる。私たち人類が天使に対抗しうる唯一の力、魔剣。祈りによって現れる剣が、瞬きの間に構築される。


「さて、ボクの魔剣の力は知ってるよね? お兄さん。魔剣を使えない今のお兄さんじゃ、ボクからは逃げられない。……まあ、逃げたところで帰る場所なんてどこにもないんだろうけど」


「……何が目的だ? ヴィヴィア」


 ティアが私を売ったのは、もう分かった。けれど、だとしても。敵対している教会と手を組んでまで、私をはめる理由はなんだ?


 ……認めたくはないが、今の私は薄暗い部屋で酒に溺れることしかできない、つまらない男だ。そんな私を騙してこんな所に連れ出して、それで一体なんになる?



 或いはそうまでして私を嗤いたいのか、あの女は……!



「違う違う。そこまでティアちゃんも性悪じゃないよ。彼女はもっと合理的な理由で動いてる」


「……合理的?」


「そ、合理的。ティアちゃんはね、お兄さんが邪魔だったんだよ。いや、ティアちゃんというより、あのモブにとってお兄さんは邪魔だった」


 長い脚を見せつけるように近くの長椅子に腰掛け、ヴィヴィアは淡々と言葉を続ける。


「あのモブくんは、異例な速さで手柄を立てて騎士団の副団長にまで上り詰めた。けどそれは、単なる代理に過ぎない。いくら騎士団が実力主義と言っても、家柄を無視するわけにはいかない」


「それは……」


「どれだけ落ちぶれようと、お兄さんは四大貴族ブルーベル家の長男だ。お兄さんに力が戻れば、あのモブは簡単に立場を追われる。君たち王国の貴族社会ってのは、そういうもんだ」


「……だからティアは、あいつ……ハルトの為に、私を……売った」


「そ。邪魔だからって、流石に殺すことはできない。かといってこのままお兄さんを放置してたら、また元気になって復活しちゃうかもしれない。なら、どうすればいいのか。どうすれば実害なく、邪魔な男を消せるのか。そう考え、ティアちゃんは……あいつらは、ボクに声をかけた」


「……くそっ!」


 この場所は治外法権だ。王国の権力は及ばない。ここで何があっても、誰が死んでも、王国は何の手出しもできはしない。


「本当はボク、お兄さんのこと好きなんだよね。なんでもできて顔がいいし、何より……真っ直ぐだから。でももう、お金を貰っちゃったんだよ。だからその分は、ちゃんと働かないといけない」


「殺すのか? 私を」


「それはお兄さん次第かな。ボクの慰み者になってくれるって言うなら、首輪をつけて飼ってあげるぜ?」


「……御免だな」


「だろうね」


 ヴィヴィアは魔剣を振り上げる。私は……死ぬのだろう。他人事のようにそう思う。


「残念だけどさ、お兄さん。誰かの為に戦う英雄なんて、もう流行らないんだよ。今は皆んな、自分だけが幸せならそれでいい。世界よりも隣にいてくれる誰かが大事で、お兄さんは……誰かの隣にいるには強すぎた。魔剣の力を失った、今でもね」


「…………」


 私は何も言わない。ヴィヴィアは言葉を続けるわ


「お兄さんは、皆んなの為に力を捨てた。本当は……、あのティアちゃんが受けるはずだった命令を肩代わりして。そしてその結果が、これだ。お兄さんを好きだと言った女なんて星の数ほどいるのに、誰も助けになんて来てくれない。それどころか騎士団の連中は今頃、酒場でパーティーしてる筈だ。これで邪魔者は、いなくなったってね」


「……はっ」


 なるほど、はなから全員グルだったのか。どおりで手柄の話なんて聞かない筈だ。……そもそも香りを操る能力は、私の後輩の得意技だったじゃないか。


「さてお兄さん。最後に何か、言いたいことでもある? どんな恨み言でも、ボクがちゃんと聞き届けるよ。なんせボクは、聖女だからね」


 ヴィヴィアは笑う。ガラス窓から溢れる星明かりを受け、神のように彼女は笑う。


「…………」


 ……けれど、私は笑わない。死を前にして。指先1つ動かせない現実を前にして。何度もくぐり抜けてきた死線を前にして。つまらない人間のように、ただ叫ぶ。


「──復讐してやる。いつかきっと、あいつら全員……殺してやる……!」


 私を騙した女。私を捨てた騎士団。私の立場を奪った男。散々いいように利用して、使えなくなったらゴミのように捨てた、この世界の全て。



 それら全てが、私は憎い……!



「そうか。けど残念ながら、お兄さんは……ここで死ぬ」


 ヴィヴィアは一瞬、色の抜けた瞳で私を見る。けれど、またすぐにいつもの笑みを浮かべて、剣を振り下ろす。


「バイバイ、英雄。あんたはいい男だったよ。……ただ、産まれる世界を間違えたね」


 剣が迫る。死が、心臓を掴む。


「…………」


 最後に私は思う。


 もし次があるとするなら、別に才能なんてなくてもいい。優れた頭脳も、カッコいい顔もいらない。幸福なんて贅沢品は、1つだって必要ない。


 だから、



「もし次があるなら、決して折れない剣になりたい」



 なんて馬鹿なことを最後に呟いて、私の意識は消えた。全てを持って産まれた最強の英雄は、ここで確かに死んだのだった。死んで、そしてどうなったのかは……



 ──まだ、誰も知らない。


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