第3話 今さらの願い



「なんでもするから、だから……お願い! ハルトを助けて……!」


 ティア……いや、、まるで許しでも乞うかのように私の手を握り、潤んだ瞳でこちらを見上げる。


「今さら何を言っている。手を離せ、リスティア」


 燃えるように熱いリスティアの手を、強引に振り払う。けれどリスティアは諦めず、また私の手をとる。


「ハルトが、教会の聖女に連れて行かれちゃったの! このままじゃハルト、あの聖女に殺される……!」


「それがどうした。そんなこと、私の知ったことではない。……大方、パーティ中に馬鹿騒ぎをして、教会の執行機関にでも目をつけられたのだろう。自業自得だ」


「教会はそんな言いがかりみたいな理由で、人を処罰したりしないわ! 知ってるでしょ?」


「知らんな」


「……そもそもハルトは、騎士団の副団長なのよ? 教会がいくら力を持ってるからって、簡単に手を出していい相手じゃない。なのにあいつらは、ハルトを……」


「…………」


 どうやら本当に、私の居場所だった副団長の座はあの男のものになっているらしい。私が何年もかけて手に入れた地位を、あいつはたった1年で手に入れた。……くそっ。


「……まあいい。どちらにせよ、何にせよ。私があいつを助ける理由などない。……そもそも騎士団でパーティーをしていたのだろう? だったらそこには、騎士団の連中が揃い踏みだったというわけだ。それなのに、副団長を連れて行かれた? 天下の騎士団も落ちたものだな」


「……その時はちょうど、2人きりだったのよ」


「はっ、そうかよ」


 何をしていたのかなんて、聞くまでもないだろう。酒を飲んで2人でベッドにいたところを、不意打ちされた。その状況で教会の執行機関が相手なら、2人が遅れをとるのも理解できる。


「事情は理解した。しかしそれでも、私の言うことは変わらない。帰れ、リスティア。どうしてもあいつを助けたいというなら、騎士団を通して教会に直接、抗議すればいい」


「そんなことしても、あいつらが聞き入れてくれるわけないわ」


「だったらアニスと一緒に、教会に攻め込めばいい。不意を突かれなければ、教会の人間なぞお前たちの敵ではないだろ。くだらんことに、私を巻き込むな」


 もう一度、手を振り払う。


「…………」


 普通に考えれば、教会だって騎士団を敵に回すような真似はしたくないだろう。なのに奴らは、強引にあの男を攫った。どう考えても不自然だ。……不自然だが、今さら関わる気などない。


「……ねぇ、アリカ。覚えてる?」


 さっきまでとは少しトーンの違う声。……それこそまるで昔のような優しい声で、リスティアが笑う。


「あたしとあんたは、ちっさい頃からずっと一緒だった。わがままで自分勝手で……それでも優しいあんたの後ろを、あたしはずっとついて回ってた。あんたはあたしの、憧れだった」


「だから、どうした?」


「うん、だからね。本当はあたし、ずっとあんたのことが……好きだったの」


 リスティアは、笑う。赤い髪を夜風に揺らし、花のような笑顔で彼女は笑う。


「でも今は、あの男が好きなのだろう?」


「…………」


 私の問いに答えを返さず、リスティアはゆっくりとこちらに近づいてくる。冷たい風と一緒に、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「……ねぇ、アリカ。あんたは教会の聖女、ヴィヴィアと仲がよかったわよね? あの女は人の話を聞かないイカれた奴だけど、あんたの言うことなら聞いてくれるかもしれない。ハルトを、助けられるかもしれない」


「だから、それは私には関係ないことだ。そんな媚びた顔をしたところで、今さら私は──」


「──お願い、アリカ」


「……!」


 手のひらに、柔らかな感触が広がる。……胸を、押しつけられた。リスティアは強引に腕を引っ張り、私の手のひらを自身の大きな胸に押しつけた。


「ティア……お前、なにを……」


「今さら、あんたに頼めた義理じゃないのは分かってる。でも今は、あんたにしか頼めないの。あんただけが頼りなの。……お願い」


 柔らかな胸の奥から、ドキドキとした鼓動が伝わってくる。風に揺れる赤い髪から、甘い洋菓子のような香りが伝わってくる。


「……っ」


 私はアリカ ブルーベルだ。女なんて私に惚れて然るべき存在で、私の心を揺さぶるような価値はない。ましてや少し胸を押しつけられた程度で、この私が動揺などするはずが……。


「ハルトを助けてくれるなら、あたし……なんでもするわ。ハルトだって知らないあたしの全てを、あんたに教えてあげる。……だから、お願い」


「今さら、そんなことを言っても……」


 思考が霞む。溶け込むような甘い香りが、脳から正常な判断を奪う。このままこの女を、押し倒したい。私を捨てたこの女を、もう一度、自分のものにしたい。


 そんな愚にもつかない思考が、頭の中を支配する。……抗えない。


「ほら、こういう風にされるとドキドキするでしょ? もっと激しく……好きにしてもいいのよ? あたし、あんたになら何をされたって構わない」


「なにを、しても……」


「そう。今あんたが想像してることや、もっと凄いことだって。なんでも、なんだってしてあげる。だからお願い……ハルトを、ハルトを助けて……」


 幼馴染の、見たことがないような甘い顔。甘えるような、媚を売るような、蕩けた表情。……頭が、痛い。


「愛してるわ、アリカ……」


 熱い吐息を吹きかけるように囁いて、ティアの薄ピンクの唇がこちらに迫る。もう私のものではない女が、愛しているとうそぶいて私の唇に──。


「──分かった。頼むだけ、頼んでやる」


 最後の理性でそう言って、強引にティアから距離を取る。……あのままキスをしていれば、私はきっと終わっていた。最後に残った何もかもまで、失ってしまうところだった。


「ありがとう。やっぱりあんたは優しい。優しくて何より……かっこいいわ」


 赤くなった頬を隠すように俯いて、ティアは言う。


「白々しいことを言うな」


「失礼ね、本心よ。あたしのドキドキした鼓動、ちゃんと伝わってたでしょ?」


「……どうかな」


 無性に痛む頭を押さえて、そのまま外に出る。今日は月が出ていないから、夜がいつもより深い。澄んだ空気のお陰か、少しだけ頭が軽くなる。


「教会に行ってくる。ヴィヴィアのことだ、今から行っても話くらいはできるだろう」


「……うん、分かった。ハルトをお願いね、アリカ」


 そんな声を背中で聞いて、ゆっくりと歩き出す。心臓の鼓動が、まだドキドキとうるさい。柔らかな感触が、手のひらから消えてくれない。


「今さら、何を期待している? ……くだらない」


 小さく呟き、歩くペースを上げる。逃げるように恐れるように、夜の闇を歩く。夜空の星々から溢れる光が、どうしてか今は胸に痛む。


「…………」


 私は頭を真っ白にして、早足でただ歩き続ける。







「……ほんとあんたって馬鹿よね、アリカ」



 だから背後から響いた小さな呟きは、私の耳に届くことはなかった。


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