第2話 主人公



 アリカ ブルーベルという男がいた。黄金の瞳に同じく黄金の髪を持つ、歩くだけで花が咲くとまで言われた眉目秀麗な男。



 影のできない黄金。殺戮皇帝。光の破綻者。永遠の英雄。



 数多の異名を持ち、それら全てを超越している圧倒的なまでの美貌と力。傲慢で不遜ありながら、他者を惹きつける比類なきカリスマ。どんな物語でも主人公になってしまうような、そんな男。



 それが、アリカ ブルーベルという男だった。



 ……そう。



「くそっ。どうして、こんなことになった」


 薄暗い部屋で疲れたように息を吐き、安い酒を煽る。決して美味い酒ではないが、飲んでいる間だけは余計なことを考えずに済む。


「あの日から、何もかもが狂った……」


 1年近く前のとある日。幼馴染であるリスティアの紹介で、ハルトという少年に出会った。彼は私と同じ騎士団に所属しているらしかったが、一度も気に留めたことがないほど凡庸な男だった。



 けれどそんな少年に、私の全てを奪われた。



 あの少年と出会ってしばらくしたあと、私はとある理由で魔剣の力を使うことができなくなった。最初はみなもそんな私を心配してくれたが、関心は徐々に私の代わりに活躍するあの少年へと移っていった。


「力は失くしたが、見た目も家柄も何もかも私が上だ」


 けれど今ではもう、皆が彼に夢中だ。幼馴染であるリスティアも、騎士団の団長であるアニスも、商会の看板娘であるリリィも。もう誰も、私など眼中にない。


「……くだらん」


 彼のあの、まるで未来の出来事が分かっているかのような知性。最強と言われた、私の魔剣に酷似した力。彼は一見、凡庸だ。けれどその力は、この私に比肩しうる。


「いや、あんな男にこの私が負けるものか」


 言い訳のように呟き、安い酒を口に運ぶ。もう1週間もこの薄暗い部屋で酒に溺れている。けれど誰も、私の心配なんてしていない。その証拠に誰も様子を見に来てはくれなかった。


「くそっ。力が使えなくなった途端、家の連中まで私を見捨てやがって……!」


 今の私にはもう、頼れるものが何もない。それどころか力を失ったのを皮切りに、今まで僻んでいた連中がこぞって嫌がらせをしてくるようになった。


 どいつもこいつも、今まで助けてやった恩を忘れやがって……。


「……ちっ、酒が切れたな」


 台所の棚を漁るが、空になった瓶が乱雑に詰め込まれているだけで、飲めそうなものは見当たらない。どうやら買い置きは、全て飲み干してしまったようだ。


「面倒だが、出るか」


 フラフラとした足取りで家を出る。


「……っ」


 久しぶりに浴びる朝日が痛い。いつも酒を買っている酒場までは徒歩数分で行けるが、面倒だから辞めてしまおう。そう思ってしまうほど、身体が重い。


「別に、太ったわけではないんだがな」


 痛んでしまった黄金の髪を乱暴にかき上げ、ゆっくりと歩き出す。


「…………」


 少し前までは歩くだけで花が咲くとまで言われていたのに、今では誰も私の方に視線を向けない。寧ろみな怖がるように、私から距離を取る。


「気分が悪いな、くそっ」


 小さく呟いたところで、曲がり角から大荷物を持った1人の女性が姿を現す。


「おやおや。誰かと思えばアリカくんじゃないか。随分とやさぐれてるから、一瞬、誰だか分かんなかったよ」


 酒場の店主であるフィーネ。彼女は……彼女だけは昔と変わらない表情で、こちらに笑いかけてくれる。


「ちょうどよかった、フィーネ。家まで酒を届けてくれないか? 金なら3割増しで払う」


「悪いけど、うちはデリバリーはやってないんだよ」


「なら、こんな時間にこんな場所でなにをしている? 店はいいのか?」


「買い出しだよ、買い出し。君んとこの騎士団が、何やら手柄を立てらしくてね。今夜、パーティーがあるんだよ。……アリカくんは、知らないの?」


「……知らないな」


 もう1ヶ月近く、騎士団には顔を出していない。噂で聴いた話だと、私の居場所だった副団長の座はあのハルトとかいう少年に取って代わられているらしい。


「もしかしてアリカくん、ハブられてる?」


「どうかな」


「どうかなって、なんでそんなことになってるんだよ……。ちょっと前までは君、ヒーローだったじゃないか」


「…………」


「うわっ、怖い顔。まるで盗賊だ。……って、睨まないでくれよ。冗談だよ冗談」


「別に、睨んでなどいない。今さらなに言われたところで、どうでもいい。それより今は、酒を──」


「……ん? どうしたの? 急に黙り込んで……って、あ」


 そこでフィーネも気がついたのか、向こうから笑い声を響かせて歩いて来る、少年と少女に視線を向ける。


「ハルトは今日のパーティー、どうするの? あたしは庶民の酒場でのパーティーなんて気が進まないけど、一応、付き合いで参加してあげるつもりよ」


「んだよ、その態度。フィーネさんの料理を1番楽しみにしてるのは、お前だろ? ティア」


「う、うるさいわね。いいでしょ? 別に。フィーネさんのミートパイは絶品なんだから」


「だったら、カッコつけたこと言ってないで……って」


「ん? どうしたのよ? ……って、あ」


 そこで2人、ハルトとリスティアも俺の存在に気がついたのか、冷たい目でこちらを見る。


「随分と情けない顔してるわね、アリカ」


 と、幼馴染である少女、リスティアは言った。


「のっけから随分と辛辣じゃないか、ティア」


 私はそれに、最後の見栄で努めて冷静に言葉を返す。


「そりゃそうじゃない。あたしたちは今まで、『狭間』で天使と戦ってたのよ? なのにあんたは朝っぱらから酒に溺れて、フィーネさんに絡んでる。辛辣になるのは当然じゃない」


「…………」


 それは確かにその通りなので、私は何も言えない。……くそっ。


「そう怒らないでやってくれよ、ティアちゃん。アリカくんはアリカくんでいろいろ──」


「フィーネさんは黙ってて!」


 ティアは真っ赤な顔でそう叫び、そのまま私の胸ぐらを掴む。


「魔剣が使えなくなったからって、1人で拗ねて何やってんのよ! みんなにチヤホヤされなくなったからって、何もかも投げ出して馬鹿みたい! 今のあんた、最低にカッコ悪いわ!」


「……うるさい、それがなんだというんだ。お前には関係ないことだろ? ティア」


「関係ない? 馬鹿じゃないの! あんた今、自分がどれだけ周りに迷惑かけてると思ってるのよ! ハルトがどれだけ、頑張ってくれてると思ってるのよ! なのにあんたは、そんな……!」


「だから、その男に乗り換えたのか?」


「────」


 その瞬間、頬に衝撃が走る。……どうやら頬を、叩かれたようだ。


「最低! あんたなんて死んじゃえ、馬鹿!」


 私の頬を叩いたティアは、そのまま走るような勢いでこの場から立ち去る。


「……結局、恵まれてるだけの人間ってのは、そんなもんなんだな。何でもできると思ってたヒーローも、一度折れればこのザマだ。ほんとお前はつまらない人間だよ、アリカ ブルーベル」


 そして私の全てを奪った男……ハルトは、吐き捨てるようにそう言ってそのままティアの背中を追う。……それこそまるで、恋人であるかのように。


「…………」


「…………」


 残された私とフィーネは、ただ黙って去っていく2人の背中を眺め続ける。


「いいのかい?」


 2人の姿が完全に見えなくなってから、どこか同情するようにフィーネが言う。


「なにがだ?」


「いやなにがって、君が何の理由もなく魔剣の力を失くすなんて思えない。きっと君は、皆の為に──」


「黙れっ! 誰が好き好んで、あんな奴の為に……!」


 苛立ちをぶつけるようにそう叫び、そのままフィーネに背を向ける。……なんだか、酒を飲む気分ではなくなってしまった。このまま帰って、一度、眠ろう。


「どいつもこいつも、好き勝手言いやがって。この私を誰だと思っている……!」


 ティアのあの侮蔑するような目。怒りと蔑みに染まった、あの言葉。今まで何度も助けてきたのに、その全てを忘れたようなあの態度。


「今の私が情けないなら、今までの……今のお前はなんなんだよ? ティア」


 幼い頃、結婚の約束までしていた幼馴染、リスティア。何度も何度も私に好きだと言ったその口で、彼女は私を侮辱した。そしてきっと今頃は、あの男と一緒に私の悪口でも言っているのだろう。


「くだらない」


 家に帰ってそのままベッドに倒れ込む。つまらないことばかりの現実から逃げるように、意識を手放す。


「……こんな世界、滅びてしまえばいいのに」


 そしてそのまま数時間。目を覚ますと、辺りはすっかり真っ暗。どうやら夜まで、眠ってしまっていたようだ。


「今頃みなは……ティアは、フィーネの店で楽しくやっているのだろうな」


 或いはもしかしたら、あのハルトとベッドの上なんてこともあり得るだろう。……しかしそんなこと、私にはなんの関係もないことだ。


「……そういえば、朝から何も食べてないな」


 重い身体を無理やり起こして立ち上がり、台所の方に向かう。……けれど、まるでそんな私の行動を遮るように、ドンドンと家の扉を叩く音が響いた。


「誰だ? こんな時間に……」


 心当たりはない。が、無視するわけにもかいない。なので私は相変わらずフラフラとした足取りで、玄関の扉を開ける。



 すると、そこにいたのは……。



「わざわざこんな時間に何の用だ、ティア」


 今朝、私の頬を叩いた少女……リスティアが、泣きそうな顔でこちらを見上げている。


「…………」


「黙ってないで、なんとか言ったら──」


「お願い、アリカ」


 私の言葉を遮り、潤んだ瞳がこちらを見る。


「なんでもするから、だから……お願い! ハルトを……ハルトを、助けて……!」


 そして彼女はそのまま、そんなふざけた言葉を口にした。


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