第12話 警察官
私は、秋坂 淳之介と申します。
〇年〇月〇日に、私が運転する自動車により、横断歩道を渡ろうとしていた松田 翔太さんを轢き、脳挫傷という大きな怪我を負わせたことで間違いありません。本日は、その経緯について、話していきます。………
秋元 淳之介
以上のとおり録取し、読み聞かせた上で閲覧させたところ、間違いのないことを申し立て、署名押印した。
全同日
高穂町警察署
司法警察員 佐藤 隆 印
取調室。一人の警察官が、顔を真っ青にした青年と机を挟み向き合っている。
その二人を背に、警察官が一人、PCに向かいキーボードを鳴らす。
青年は顔を下に向け、口を真一文字に結んでいる。無理もない。この息の詰まる部屋に閉じ込められ、落ち着こうというほうが異常だろう。
佐藤は質問を続けていく。それらに対して青年から帰ってくるのは、はい、そうです、という簡単な返事だけであった。全面的に罪状を認めている。この一件については、一通りの質問を終えたら、すぐに調書をまとめることができるだろう。
先ほどまでカタカタとキーボードを打っていた同僚の手が止まった。調書が纏まったようだ。同僚と共に、取調室から出ると、印刷機へと向かう。印刷したての温かい調書を手にとり、構成要件の取り漏れがないか、誤字脱字がないか、二人で確認する。一通り内容を確認し、校正を終えると、また二人は取締室へと戻った。青年は、先ほどと変わらず両腕を机に真っすぐに置き、顔を真下へと向けていた。
佐藤は調書を青年の前で読み上げた。これで間違いないか、と佐藤が問うと、青年はこくりと頷いた。佐藤は、青年に、調書を手渡し、内容を確認させた。
青年は心がここに無いような様子で、中身をぱらぱらと確認すると、すぐに机に置き、これでいいと思いますと返事をした。
佐藤は青年に、調書の全ての頁に黒い指印を押させ、濡れたティッシュを手渡した。青年は黙ってそれを受け取り、左手示指を丁寧に拭いた。
「これで調書は終わりだが、何か質問はあるか」
「はい、翔太君なのですが、今の病状はどうでしょうか」
ここまできて、なお自身を差し置き少年の様態を心配するこの青年に、佐藤はますます同情した。自身の過失を全く認められない人間たちがいる中で、なんと素直で実直な人間だろうか。
「今は集中治療室にいるようだ。今後どうなるかは分からないが、事故時よりは落ち着いてきていて、回復してきているようだ。意識が戻るといいな」
相手を落ち着かせるためとはいえ、自身の楽観的な希望を伝えてしまった。佐藤は眉間を抑えたくなった。
「そうですか。それがよかったとは言えませんが。教えてくださりありがとうございます」
コックリと青年はお辞儀した。この、風が吹いたら飛びそうなほど弱弱しい青年は今後、どうなっていくのだろうか。佐藤が今後知るのは、検察官がこの青年を立件するかどうかと、その裁判結果だけだ。その後は矯正行政が担うところであり、佐藤は知る由もない。そう、割り切ることにした。
佐藤が交通課に配属されたのは今年からだ。佐藤は、以前は強行犯係であった。暴行、強盗、窃盗。これまで佐藤が相手にしてきた犯罪者たちは、確信を持ち悪いやつだと思えた。だからこそ、佐藤は情熱を燃やし、捜査できた。
だが、交通事故はそれと違う。青年は、昨日、少年を轢いた。それは誰であっても、起こしうる事故である。ふと、不意に不幸に巻き込まれただけのようにも思えた。そんななんでもない人間を、自身が断罪しうるのだろうか。ただ、一方で、彼の不注意がなければ、一人の少年が大怪我を負うことはなかったのは確かだ。
佐藤の持っているこの葛藤は、警察官証票を得た時には払拭すべきものだ。法律に定められたことを犯す者は職務として取り締まるべきものであり、それに背くことはあり得ない。ただ、職務に忠実であれば、このような葛藤はしなくて済む。しかし、この取り締まりにより、何でもない人間が不幸になっていくような感覚が佐藤にはあった。
佐藤は、さきほど出来上がったばかりの調書を再度読み返した。この事件のなかで、どうしても佐藤には納得できないことがあった。
この青年が、現場から逃走するような人間には思えなかったのだ。
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