第4話 事故

 前方の車輪が四角に歪んだ自転車が歩道上で横転し、後輪がカラカラとわずかに回転している。

 そこから5メートルほど先で、日に焼けた少年がぐったりと倒れていた。

 赤黒い液体がアスファルトに流れ、道路の端の白い線を濡らす。

 フロントがへこんだ車体から、顔を青白くした男が降りてきて、ドアをばんっ、と勢いよく閉めた。


「大丈夫か」


 と男は声を上げた。少年は答える様子もない。頭から血が流れている。

 なんとかしなければ、とは思うのだが、方法が全く分からない。

 ポケットに入っていたハンカチを少年の頭にあてがうが、それはすぐに真っ赤に染まった。ハンカチの端から血が滲み、やがて滴れ落ちた。


 どうすれば、と男はその場にへたりこんだ。頭に血がのぼり、状況を飲み込むことができていない。


 男があたりを見回すと、10メートルほど先に美容室があるのを見つけた。そこには黄色い子供110の札が掛かっていた。男はなるほど、と頷き、血だらけになった少年を抱きかかえ、そこへ向かった。


 チャリン、チャリン、と来客用のドアの鈴が勢い良く鳴る。

 店内の視線が、ドアに集まる。


 「助けてください」

 

 平和だった美容室。今、入口には、白いワイシャツを真っ赤に染めた男が立っている。その腕には血を流す少年が抱えられていた。

 

 客の髪を巻いていた女性店主は、口をハの字にして、唖然とした顔を入口へと向けた。

 すでに用済みとなったヘアセット練習用のマネキンを与えられ、坊主にして遊んでいた眼鏡の少年が、持っていたバリカンをカコン、と床へ落とした。


 店内の時間が止まった。店内に流れる有線放送の曲だけがこの空になった空間をみたした。サッチモの「この素晴らしき世界」が世界の美しさを讃えている。

 

 客の髪の毛を巻きながら、目を見開き、点にして見つめてくる女性店主に向かって、男は再度言った。


 「救急車を、呼んでください。」


 は、はい。救急車ですね。きゅうきゅうしゃ。はい。店主は手を止め、ぎこちなく電話機を取った。


 「きゅうきゅうしゃは何番でしょうか」


 と電話を持つ手を震わせながら聞く女性店主に、男は


 「119番です」

 

 と伝えた。

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