第2話 鬼の面

 カラスが鳴く。木の葉が風で揺れる音を聞く。何度繰り返した時間だろうか。


 朽ちた神社のさらに裏。何かがここまで訪れることはありえない。

 いや、最近おかしな少年が一人、ここへ正面から回り込んできた。こちらを見るや否や、ぎゃーっと叫んで帰っていった。失礼なやつだ。そいつが慌てて逃げた際に脱げた履物が未だに残っている。愚かしい。履物を無くしたことで、少年が母親に怒られてはいないか。少し気がかりだ。


 カラスがあーっ、あーっと鳥居に向かって鳴いた。何かが来たのだろうか。


 「鳥居の真ん中を通ると神様が怒るんだぜ。」


 元気な子供の声が聞こえた。


 「翔太君、神様はもう怒ってると思うよ。」

 

 震えて答える声があった。神様なんてここにいるのだろうか。見たことは無い。


 「気にすんな。」

 「気にするよ。」

 「大丈夫だって。」

 「大丈夫じゃないって。もう帰ろう。」

 「帰ったら呪われるぞ。」

 「やめてよー。」


 幼い声たちが近づいてくる。

 

 左方から、目のくりっとした、日焼けした少年が神社の影から顔をひょいっと出した。その後ろで肌の白い少年が、麦わら帽子で目を隠している。


 やっ、あれが鬼のお面だぞ、みろよ、と日焼けした少年がこちらを指さして騒いでいる。その背中で、もうやめてよ、と麦わら帽子の少年は顔を左右に振り、いやいやをしていた。日に焼けた少年は、その様子に構うこともなく、麦わら帽子の少年の手を引っ張り、鬼の面の正面に立った。麦わら帽子の下から、眼鏡のガラスがきらりと光る。

 

 「鬼のお面、こっちを見ろ。」

 「やめろよ、翔太君。見られたら呪われるよ。」

 「まさる君は呪われたか。大丈夫だったろう。」

 「多分、もう、まさる君は呪われているよ。」

 

 麦わら帽子の少年の言った事に日に焼けた少年はむっとした様子だった。

 

 「わっ、鬼の目が動いた。逃げるぞ。」


 そう叫ぶと、きゃーっ、はははははと笑いながら日に焼けた少年はかけていった。素早くたんたんたたた、と石段を下っていく。


 そこには麦わら帽子の少年が残された。少年はその場でへたり込む。腰を抜かしているのだろうか。そのまま両脚を両手で抱えて丸まり、細かに震えだしてしまった。うっうっとすすり泣く声が聞こえる。


 すると先ほど逃げた少年が麦わらのそばへ駆けてきた。素早いやつだ。


 「何泣いているんだよ。目が動いたってのは嘘だぞ。ほら、何も起こらなかっただろ。ちょっと脅かしただけやん。ほらー、行くよ」


 日焼けした少年は、麦わら帽子の少年の腕を持ち、引っ張ろうとした。麦わらの少年はその手を横に振りほどくと、また丸まって座り込んでしまった。いじけている様子だ。泣き顔を見せたくないのかもしれない。


 「大ちゃん、もう、先に帰るからな。ずっとそこにいろよ」


 日焼けした少年は怒ってそう言い捨てると、また、石段をくだっていった。

 麦わらの少年は丸くなったまま、一人で残されてしまった。

 うっ、うっと少年がすすり泣く声と、木の葉が風でさーっと擦れる音が馴染んでいく。

 神社の屋根にいるカラスが少年にあーっ、と鳴いた。少年に、うるさいから帰れと言っているようだ。


 しばらくすると、少年は泣き止んだ。少年はゆっくりと立ち上がり、鬼の面の正面へと移動した。目が赤く充血している。頬にはいくつにも涙が通った筋が残っていた。


 少年は、鬼の面を、腫れた目でじっと見上げた。

 

 「鬼さん、本当にごめんなさい。僕たちは悪いことをしようとしたんじゃないんです。許してください。呪わないでください」


 絞り出すような霞んだ声で言うと、少年は体を前方へ傾け、ぺこりと頭を下げた。この少年、意外と肝が据わっているではないか。

 すると、少年は、はっ、と何かに気がついた表情をした後、再び泣き出しそうな顔に崩れてしまった。

 そして、日焼けした少年のあとを追うように、たたたっと鳥居のほうへ駆けていった。


 石段の下あたりからだろうか。

 おせーよ、大ちゃん、待ってたんだぜ、はははっ、と笑う少年の声と、うわああ、何でおいて行くんだよ、と泣き叫ぶ声が聞こえた。その幼い声たちは次第に笑いあう声に変わりながら、小さく遠のいていった。


 こんなに時が動いているように感じたのは久しい。もう、葉の揺れる音しか聞こえない。


 カラスがあーっと鳴き、神社の屋根から飛び立った。

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