第3話 マイエンジェルは秒で懐柔されました

「デスクの上は隠せないし諦めるしかないか。こっちは……ああ、片付かん!」


 電話を終えた俺は真っ先に電子パッドを開く。メモ帳アプリを開き、急用を優先順に書き出した。


 母親からのペナルティとして『一人暮らしをやめること』を課せられたが、それは俺が家から立ち退くことではない。

 というのも、俺の従妹を押し付けるという話なのだという。

 確かに家に人が増える以上言葉通りだが、紛らわしい。


 ぶっちゃけ、俺はその従妹に会ったことがない。

 というか、今まで存在すら知らなかった。

 母さんには、チャロと二人暮らしだと屁理屈でごねた。しかし猫では俺の健康管理できないと判断されてしまった。


 それで、今俺が忙しくしている理由だが、その従妹……この後すぐ押し掛けてくるらしい。そんな訳で隠さなければならないものや整理しなければならないことが多すぎる。

 喚きたくもなるだろう。正に猫の手も借りたい状況だが、チャロは今寝ている。


「しまった、リビングに詰みあがった荷物が片付いていない! いや、これは後回しでいい」


 せっせと作業していると、インターホンの音。遂に例の従妹が、この家に来てしまったようだ。最後に換気だけ済ませて、玄関へと急ぐ。


 ドアを開けると、そこにはスーツケースを二つ持った少女が現れた。

 名前だけは母親から聞いたものの、顔や外見は一切知らなかった。だから、驚いた。


「初めまして、あいはらうみと申します」


 勿忘草色の髪がフワッと舞う。

 彼女の姿を見た俺は、一瞬にして目を奪われた。


 本当に俺の親戚なのか疑わしい可愛らしい顔。

 何処かのアイドルなのかと錯覚するような容姿だった。

 幾ら意中の人がいる一途な俺も、正真正銘の男だ。美人というものを前にすると、どうしてもドキドキしてしまう。

 言葉が出ずに立ち尽くしていると、不思議そうな顔をする従妹。彼女に上目遣いでじっと見つめられ、俺はハッと正気を取り戻した。


「……あー、会堂陸です。えっと……本当に?」

「……?」

「あ、だから……本当に一緒に住むつもりなのか?」

「はい。快く歓迎してくれると言伝を頂いていたのですが」

「まあ……うん」

「……何か問題があるのでしょうか」


 色々と問題はあると思うけど、まあいいか。


 しかしなんだ……快く歓迎とは? 俺の記憶にないぞ。それどころか、話はついさっきされたばかり。これは間違いなくあの母親の陰謀だ。

 可哀想に、きっとこの子も騙されたに違いない。

 俺はそっと美海の肩に手を置いた。


「いや……君は悪くない。とりあえず上がってくれ」

「は、はい。それでは、お邪魔致します」


 俺は美海のスーツケースを早急に家の中へと持って行こうとする。

 ケースは滅茶苦茶重かった。

 生活用品持ってきたのだろうか。


「シチャー! シチャー!」

「あ、この子が……チャロちゃん?」

「チャァ!!」

「これは怒っているんでしょうか」


 玄関まで持って行くと、美海に対して威嚇するチャロの姿。


(まさか、俺とチャロだけの空間を守ろうとして訴えているのか……ッ!)


 マイエンジェルの威勢に、俺は感動した。

 きっと俺達の絆は永遠だ。


「ちょっと小腹が減っているだけだ。ん? なんで名前知っているんだ?」

「事前に聞いていましたので」

「……そっか。猫がいるって必要な情報だしな」

「そうそうキャットフード持ってきたんですよ」


 そう言うと、俺が持ってきたスーツケースを開いてキャットフードを取り出した。

 荷物が重かった原因はこれだったらしい。

 生活用品は? 衣服とかが詰まっていたんじゃなかったのかよ。


 だけど、その程度でチャロは靡かない。俺と同じくらいの絆を紡ぐには沢山の供物を捧げなければならないんだ。

 上手く言いくるめれば、暫くチャロの餌には困らないだろう。新たな金策を思いついた俺はほくそ笑んだ。


「チャン~」

「擽ったいです。沢山食べるとおデブになっちゃいますから、少しだけですよ」

「…………」


 しかし、餌を与えられたチャロは機嫌を取り戻し、美海に抱き着いていて餌付けされていた。

 それも即オチである。

 本当に小腹が減っていただけだったのかマイエンジェル……俺達の絆は薄っぺらかった。


 一先ず美海の荷物の整理は後回し。リビングで、彼女と対面になるようにテーブルへついた。

 美海もあんな重荷を引き摺ってきたんだから、相当疲労が溜まっている筈だ。


 ちなみにチャロは満足したのか何処かへ行ってしまった。まったく良いご身分である。


「飲み物何がいい?」

「お任せします」

「おっけ」


 やっと落ち着いたが、幼馴染以外で異性を家にいれる事は初めて。美海が美人なのもあって、不思議な感覚になる。


 今日は驚愕の連続で落ち着かない。そもそも母さんに姉妹がいたなんて、どうして今まで教えてくれなかったのだろうか。


 俺の両親は秘密主義で、どんな仕事をしているのかさえ知らない。親戚関係でも何か秘密があるとは思っていたが、まさか従妹がいたなんて考えたこともなかった。

 正直、同居人が出来ることよりも、よっぽど重大事件である。幸い家の中が広い為、同居には困らないのだ。どの道、俺は母さんからは、二人分に増えたお小遣いを既に頂いていた。

 そう……金に魂を売った俺はしくしく従うしかないのだ。


「あのさ……実は俺、美海が来ること今日知って、事情とか良く知らないんだ」

「そうだったんですね。私は以前から陸さんのお話を聞いていましたので」

「本当に?」

「あれ……叔母様が陸さんが私に会いたがっていると仰っていたのでご存知かと思っていましたが」


 なんてことだ。俺は従妹の存在すら知らなかったのに……事実無根の嘘を吹き込まれている。


「母さんは基本良い人だけど虚言癖あるから。姪が可愛くて適当言っているだけだから」

「えっ? ですが…………わかりました。」


 戸惑う顔を見せる美海。

 まあ急に言われても、信じにくいか。


「それと俺の事は陸って呼び捨てにしてもらっていいから」

「では、陸くんとお呼びしてもいいですか?」

「呼びやすいなら何でもいいよ……それと、俺と美海は同い年だろ? 目上に見なくていいから」

「話し方の事ですか?」

「それそれ」

「でしたら、変えるのは難しいかもしれません」

「無理していないならいいよ。じゃあまずは、どうして俺の家に居候することになったのか教えて」

「居候ではありません。同居でございます」


 やっぱり同居……か。現実逃避してみたけど、現実は変わらなかった。

 急に同居人が増えた身としては、色々とこれから考えることが多い。

 美海の方は引っ越しすると決まって今日来たみたいだし、落ち着いているみたいだ。


「それで、どうしてこっちに引っ越すことに? 何か事情があるなら聞きたいんだ」

「端的に言いますと、家が老朽化で無くなりました」

「……大変だったな」

「なので、私は今ホームレスです」


 老朽しても無くなりはしないと思うのだが。

 もう住めないレベルというニュアンスなのだろう。割とリアルな理由だった。


「ホームレスって……両親は?」

「海外でございます」

「そうなのか」

「そこで叔母様に引き取って頂き、陸くんの世話係をするように言われました」

「断って良かったんじゃないか? というか断れ」

「いえ、学校が近場だったので丁度良いかと」


 俺の知る限り、東木場にこんな可愛い子はいないはずだ。在籍していれば噂くらい聞こえてくるものだろうものだからな。


「え、学校どこ?」

「西木場女子でございます」

「あそこか。頭良いんだな。あそこ偏差値高いお嬢様校だった記憶があるけど」


 西木場女子学院。

 家の出身が集まる、かなり敷居が高い高校か。

 中学の頃、幼馴染の千夜が推薦された事があり知っていた。


 正直、老朽化した家に住んでいると聞いた時点では、お嬢様には似合わないイメージだった。しかし美海の容姿や言葉遣いからすれば納得できるものがある。


 まあ言うほど俺の家から近場かと言われれば微妙なところだ。最寄り駅が遠い事を鑑みれば近場なのだろうか。


「友達を家に連れて行けないは不便でした」

「老朽していたら、まあそうかもな。なんで、そんな家に長年住んでいたのか疑問だけど」

「学校が近場だったのです」

「……確かに大事だよな。近場なのは」

「はい。大事なことです」


 美海は年頃の女の子の割に、細かい事を気にするらしい。いや年頃だから繊細な部分が多いのか。


「因みに、もっと近場の物件を探すとかはしなかったのか?」

「残念ながら最低条件を満たすところは空いていませんでした」

「……そうなのか」


 美海も望んで引っ越した訳じゃないんだ。

 部屋を一つ与える程度やぶさかではない。

 対価として俺の身の周りの世話をしてくれると言うなら、むしろメリットが大きい。

 とはいえ、俺も最低限のプライベート空間は守りたいところだ。


「そういえば、言い忘れていたことがあります」

「ん……? ああ、何でも言ってくれ」

「実は、夜一人で寝るのが苦手なんです」

「んん?」

「寝室はご一緒させていただけませんか?」


 俺は耳を疑った。

 一体何を知っているのか、意味がわからない。

 ただ一つ確かなことがある。


 俺のプライベート……終わった。

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