2-3 侵入者

「なぁ、……」


 「ハイ、……」


「料理ってよ、たしか冷めてるんじゃ無かったっけか……」


 「いえ、冷めますよ と言ったんです。まだ未確定なのでセーフです」


「そっかぁ、未確定だからセーフかぁ──


  ……──ッッてなるかァァァア"!!! ナンじゃこりゃァァア"!!! 何で台所が黒煙渦巻く鎔鉱炉なってんだぁぁアア"!?!?」


「分かんないですよそんなの! 何でですかぁ、火はちゃんと消したはずなのに!」


台所へと続く扉(障子と言うらしい、知らねーケド)を開いた俺たちの目に飛び込んだ世界は、熱風と悪煙が立ち昇る、お手本の様な火災現場だった。

 進む途中 ヒルメが楽しそうに自慢して来ていた川魚やイロリ?とやらは、それはもうモチロン、跡形も無く消し炭となっていた。


「と、っとにかく火を 消さねぇと──!」


 初めて見る火災の衝撃に圧し殺されないよう、どもりながらも。隣で数秒前の俺と同じように喚いているヒルメに叫びはなしかける。


「……ふゎ?……ハ、アハハハ、ハハ」


「いや火が、その、消さねぇ……大丈夫か?」


 無言でこっちを見つめて暫く。突如ヒビが入ったかのような笑みを浮かべては、ヒルメは両目からポロポロと涙を流し、抑揚の失せた嗤い声を鳴らした。

 怖ぇよ、凄い怖ぇよ。元の目がデカいからなんか無生物みたいで、何つーかプリクラ美人が映ったら宇宙人になっちゃう的な、カッ開いた感じが呪いの人形みたいde──

 ッッてオイ待て待て待て何やってんだアンタ!!」


 顔にまじまじとふける暇もなく、急に炎に向けて歩き出した彼女。俺は慌てて両脇から腕を通すと――力強ッ!鬼人かよ!?、引きずられながらも何とか押さえ込んだ。


「へ? ナニって コウヤ、ご飯 食ベルってサっき言っタばっカじゃナイですかぁ、可笑しなコト聴キまスねぇ」


「誰が最後の晩餐ばんさんしたいっったよ! それにケガ人おいて壊れるんじゃねェ! 早く逃げねーと火ダルマになっちまうぞ!!」


です死にます離して下さいぃぃぃ!! 家も金も失くしてホームレスに落ちぶれて、越冬できずに震えながらお陀仏するぐらいならいっそ一思いにぃぃ!!」


「今 真夏ダローが!!ンな半年後のデカい問題考える前にだな、今この目の前にあるじy, o…… 、きょ、を──……」


「ん、コウヤさん?、もしも~し?、」


 目をつぶって駄々っ子のようにジダバタしていたヒルメだが、突如として声と色を失った俺の顔をのぞく。

 煙の奥の一点を見据えて、まるで時を止められたかのように止まっていた瞳。彼女はたどるようにその原因へと視線を移した。


 そして──


  背まで真っ直ぐとたなびく金髪に、


   炎を宿したかのような瞳を輝かせ、


    一糸纏わず生まれたままの御姿で、


     少しばかり円らに頬を赤らめた──



  "ソイツ" と、目を合わせた。


 あ────、


「ギャァァッ──もご!、あゥ……?、)


 耐え切れなくなって悲鳴を上げた、上げようとしたその瞬間、俺の口はすんでの所で横から飛んできた手に塞がれた。


(何を叫んでんですか! 刺激しちゃダメなんですってあゝいうのは!)


 さっきまでの発狂はどこへやら、少し冷や汗交じりながらも、真剣な横顔でささやいてくるヒルメ。


(どの口で言ってんだ! さっきまで叫んでたのアンタだろ!──ッてか、何で "アイツ" がこんなトコに……)


 とんだダブルスタンダードで突っ込んでくる彼女に言い返しつつ、状況を察して声のボリュームを落とす。


(アイツ?、知り合いですかコウ──いや、くのは後にしませう。ここで話してると家ごと焼かれかねませんし……逃げますよ?)


 決まり切った提案に俺は無言で頷く。ヒルメは、再び目を合わせないままに口を開いた。


(良いですか、絶対に目を逸らしてはいけません。姿勢も変えず音も漏らさず、このままゆっくりと下がって距離を取るんです。出来るだけまばたきも厳禁げんきんでお願いします。幸いココから玄関までは十めーとる も在りません、つまづきでもしない限り余裕です)


(わかった、……って言いてぇトコなんだが一つ質問い──


(外には緊急時こういうとき 用のごうが有ります。玄関のすぐ下にあるので其処そこ避難ひなんしましょう!)


  (……了解、!」


 不安要素を口から出る前に全て叩き潰してくれた彼女と共に、聞こえないよう小さく小さく深呼吸を一回。


 見据みすえるは煙の奥、未だコチラを刺すような眼で睨み付けてくる "ソイツ" に標準を合わせては。一歩、また一歩、さらに一歩と――


 。ため始し生再逆を道た来どほ先



 少しずつ離れて行く 2 人と 1 匹。しかしその速度は昼の落下とは比べ物にならない程に遅くて。2 回目の呼吸もままならぬというのに、冷や汗や過呼吸ばかりがやかましく前進を駆け巡っていた。


 あぁ嫌だ、数回 足を動かすだけだというのに、膝がこんなにも笑い転げる。


  あぁ厭だ。数秒 息を止めるだけだというのに、肺がこんなにも張り裂ける。


   あぁ卑だ。数滴 血を届けるだけだというのに、心臓がこんなにも泣き喚く。



   …………我慢しろ、俺。


 トカゲ如きにビビッてんじゃねぇよ、そもそも昼にゃ数キロも逃げ切ったじゃねーか!……いや、死んだけどさ。なっ何を今更、残り数 メートル で弱気になっているんだ? 崖から落ちても生きてんだゼ?、怖いことなんてあるもんか。いや、無いだろう? 無いに決まっている!


 …………無いッってんだろ!!」


 何度も何度も臆病なんかにかからないよう警報を鳴らし続けた。

 血が出るほどに強くてのひらを握りしめては、恐怖かんじょう痛みかんじょうで強引に塗り潰した。もうそれしかなかった。


 早く、


  さぁ速く、


   とにかく疾く、


 終われ、終われ、終わってくれ―――!!



    ……頼むよ、


      [ジャリっ、……]


 ”逃げる” 以外すべての感情が消えてしまうほどに張り詰めていた神経ぜんしんに、突如 足から終了の音が飛びついた。

明らかに床の板とは全く違う感触の、無数の石ころを踏んだあの痛気持ち良い独特な感覚が、ジワジワと押し寄せて来たんだ。


 「──よっシャァっ、!!)


 外だ! 間違いねぇ! 着いた!!、


 れかけた感嘆かんたんを圧し殺して。背後の扉に狙いを定めて。震えそのままに勢いを限界まで殺して。先程 廊下で見た障子モノと同じように、慣れぬ動作で横にスライドして。

 扉は小さく "ギィ、" と産声を上げ終えて、俺はようやくその瞬間、白黒の世界に色が戻って来たのを実感した。己を雁字搦がんじがらめにしていたから恐怖の、解放を確信できた。そう、確信できたんだ!


(おいアンタ! やったぞ!! いたぞ!?、早いとこ逃げちまお──……、ぜ?、)



 引っかかったのは違和感。声は急速に落ち込んで行く。今ここに居るはずの名主なぬしが放つ気配という奴が、いつの間にかまやかしに成っている事を察したのだから。


「おい、? ヒル──

         ────ごヘェ"ッ!!」



 立ちめた焦燥しょうそうから、もう一度彼女の名前を呼ぼうとしたのその瞬間、"ソイツ" から目を逸らしてしまったその瞬間、突如 俺の身体に向けらていた重力のベクトルが真横へと回転した。


 視界の唸りと共にすさまじい衝撃が飛びついて、昼間 崖から落ちた時と同じく、自分の身体は急速に加速していく。


 耳にこだまする[ガシャァン!!]という破壊音。

 俺は自分の身体が本日二度目のトマトになるであろう、避けられぬ事実を悟った。





 

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