2-1-2

 次の愛想笑いを作るため再び表情筋をこねようとした時、いかにして先程の暴言しったいを揉み消そうかと考えていた時、不意に気付いてしまった。


 本来いつもなら込み上げてくる恥ずかしさとか悔しさとか、まぁそんな わばマイナスの側面を持った情け無い思春期プライド共が、今に限って 1 ミリも出て来やしない。


 ほだされたって言うと少し違うんだろうけど、彼女のその、邪気の無さ過ぎる笑顔が、水晶みたいな容姿からこぼれるあどけなさが、俺の中に潜んでる、ちっぽけなクセに声だけデカいソイツを黙らせてしまった。きっと、いうことなんだろう。


 いや、に決まっているんだろう。


 ……何ウジウジとしてんだよ、俺は。



「あ─~~っ、止めだヤメ、面倒臭ェ!!」



 パンッ! と思いっきり両頬を引っぱたいて、心の中でズルズルとみにくいずり回っていた自分むしを叩き潰す。


 ア──っ! と思いっきり大声でがなり飛ばして、喉の奥でモジモジと汚く逃げ散らかしていた自分むしを吹き飛ばす。


 そしてイキナリ発狂した目の前の患者に驚く彼女に向かって、今更ながら、ようやく──……"演技" ではない、


     "会話" の為、ボールを放った。


「悪かったな……アンタ、さっきからボソボソとホコリみてーな返事ばっかしちまって。寝ぼけてたわ」


「ん!?、イキナリ壊れたと思ったら真面目ちゃんモードお終いですか? 早かったですね」


「真面目っつーか、ありゃただのコミュ障モードだし……」


「まぁ、確かに……?」と首を捻りながらも納得している彼女に、俺は軽く苦味の無い笑みを浮かべながら、すっと手を伸ばす。


そして──


「え~はじめまして──、コウヤ=アマナメ !助けてくれてありがとうございます!—― ……えーっと、」


「ヒルメです! どういたしましてです、コウヤ!」


 勢いそのままに来たせいで、続きを知らずまごついた右手オレを。

 右手カノジョ はその白陶器のような、されど太陽のように暖かい手で包みこんだ。



「あ、あぁ! よろしく頼むぜヒ──


……手ェ細っそ、柔らかッ! え、マジで大丈夫なのかコレ?、いや握手求めたのコッチなんだけどさ、割れたりしねーよな!?、あ、ヤバい緊張で手汗が……


「どうしました?、手に何か付いてます?」


「ヒ→エッッ↑ヘョイ!! 何もナイ何でもねぇ何でもないだす!! 」


 あれだけ決意だのなんだのとわめいていたにも関わらず、握手一つで転校生が来た時みたいな全速力で右手へブッ飛んだ神経バカ共を、慌てて奇声ホイッスルで呼び戻す。危なかった。あと少しで昇竜拳出るところだった。


「ひえ?ヒョイ? ……まぁ、何も無いなら良いとして。どうですかコウヤ、せっかく元気も出て来たんですし、ご飯にしませんか?」


「ご飯──って、良いのか?」


「モチロンですよ! 身体が弱った時は、いっぱい食べていっぱい寝るのが一番なんです! それに、私もいい加減ボッチ飯には飽きましたし」


「じ、じゃあ、お言葉に甘えて……」


 お母さんみたいだなアンタ、とツッコもうとしたが、よく考えたら自分が母親を知らない事を思い出し口を留める。


 彼女……いやヒルメはその返事を受け取ると、恐らく台所に繋がっているであろう廊下へと跳ねて行った。



 「……そろそろ俺も起きねーとな、」


 足音のきこえなくなった背中きょりを確認して、呟くと一人。

 もそもそと音を立てながら、毛布的な何かから、遂に俺は這い出──[ベチッ、]



  「ベチ、?……」



 普段ベッドでは絶対に聞かない音に、動作が固まる。口だけが続く。


 包まれていた下半身より、恐怖がジワジワと音を立ててにじみ出す。

 反射で布を引っぺがすと、飛び出した鼻をつく甘ったるい臭いが立ち込めて。気が付けば全身の毛穴が我先にと口を開き、そこら中で冷や汗と脂汗を嘔吐した。


 夢の全貌ぜんぼうを、思い出した……


 そうだ、俺は、この歳になって──



「……ハっ、……ハ?っ、……ハハ、

              ?る??、へ、へへへへ……」



 髪の毛を 2、3 度、握り締めながら。


 開き切って割れた瞳孔どうこうで、呼吸の代わりに笑い声を上げた。


 受け入れ難い現実に、唇や指先では残像を刻むような痙攣けいれんが始まった。


 一筋すぅっと頬に冷気が走ったら、そのままどっと溢れ出した。


「あ~、ハっ、キャハハ!、へ、っハッハっ……ア"ッハハハ!!……ぉ"え、ヒッ」


 底が外れた目を覆いながら、とうとう完全に気がフレて、裏声混じりの大声でくるい出した。


「──ッ何事ですか!?」


 ドタドタと足音。慌てた叫び声。揺すられる肩。 ……ブツ切りの情報だけを頼りに、横に彼女が、ヒルメが飛び込んで来た事を悟った。


  「……ժ ̀ゎ」


 「え!? 何ですか!? 皮?」


   「、なわ、だよ……縄、丈夫な。ヒト 1 人吊るせるくらいの……」


 「イキナリ何を言って────あ"、」


 眉をひそめた彼女の口が、ギロを鳴らして閉じ方を忘れる。

 まぶたは何度も高速で空振りを続け、その度に表情は歪み、額も青ざめていった。


(……シテ……コロ、テ……)


 最後に毛布を完全にまくった時、とうとう氷河期を迎えた彼女の顔に向かって。


 俺はいつまでも、いつまでも心の中で、ボソボソと叫んでいた。

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