2-1 崖下の遭遇

 目を覚まして、瞬間。


 俺は真っ先に今、置かれている状況を理解した。




  ────── 『 はりつけ 』 ──────




 確信出来た。

 手足を震わせることはおろか、こえを発することもいきを吸うことも叶わず、ただ心臓だけがやかましく鳴り響いていたのだから。


 ここはどこなのか、なぜこんな目に遭っているのか、そもそも現実なのか、

 ……様々な疑問達が代わる代わる微睡まどろんだままの脳裏を通過してくる。


 しかし、彼等が思考の中心に立つ事は、本当の意味での疑問となる事は、遂に無かった。




 それ程にまで、目に映る彼女は美しかった。




 一切の濁り無く陽光の如く伸びる、天の川を束ね仕立てたであろう紺色の長髪。


 快晴を浴びた雪原に桜が舞い踊る空想を、いとも簡単に叶えて魅せる頬。


 艶やかに紅を纏っては、同じ空気を吸ったことすら懺悔したくなる唇。


 宝石の価値というものが、以下に下賤げせん見窄みすぼらしいものか。"美" とは何かを一瞬にして説き伏せてくれる、太陽を宿し光り輝く瞳。


 いつか観た小説や喜劇の一端を厨二病で取りつくろった語彙ごいで、決壊した大河の如く賛美のうたを打ち鳴らす。産まれて初めて望む絶景を、真白に澄んだキャンパスに向けて描き刻む。


 だがくやしいことに、ど田舎の貧困層のガキが持つインクなど たかが知れていて。そう時間が経つ事なく筆は折れ、脳もただ壊れたレコーダーのように "キレイ" と繰り返すことしか出来なくなってしまった。


 ……起きよう。


 いい加減目を覚まそう。


 まだ理性ならギリ残っている。ここまで来たら、もう俺なんぞにやれる事は残っちゃいない。


 彼女だって、こんな目つきの悪いクソガキに延々と視姦されてちゃ迷惑だろうし。


 だからホラ、あと さん……じゅう秒見たらいや、次 まばたきをするシーン観たら起きよう。


 ……やっぱ次あの髪を右手でいじるのを観終わったら起きよう。

 そんで次、俺を未だに磔にしているあの眼球が動いたら…………


  次 …………


     たら……



        そして………



             分経って………



 ぁ、っ……」


 つらつらと押し付けがましく言い訳を並べ続けていた矢先、とうとう、俺と彼女の目が合った。遭ってしまった。

 死にかけたガラガラのノドからこぼれたのは、千切れる寸前のうめき声。本当にただそれだけだった。


「目が覚めましたか……」


 、「ア、h……ふ、ぁいっ、」



 ダメだ、違うんだ。


  どうか間に受けないでくれ、


    頼むから一思いに殺してくれ


 ここまで綺麗な声だと思わなかったんだ。


 本当はもっと気の利いた、声も裏返らさずに、それこそ『君が助けてくれたのかい?キラッ☆』みたいな……いや、コレは流石にキモいか。でも正直そうやって役にでも入んないと正気が……ん?」


 ケタケタという聞き慣れない楽器の音に、ふと我に返って。彼女の顔をのぞいて。

 ゆでダコになってる身で言えた事じゃないが、再び目のあったその顔は、ほんのりと少しばかり、桃のような色に染まっていた。


「照れますよぉそんな、声までだなんて……ホストみたいなこと言う子ですねぇ」


 バツが悪そうに指でこめかみを掻きながら、どこかあどけなく、へにゃっとした笑顔で彼女は笑う。

 ダダ漏れだった心の声に "○ね" を連呼しながらも、その神々しさとはかけ離れた純朴な笑顔に、彼女が美の化身だとか太陽の女神だとかいう大層なものではなく、自分と同じ人間なんだという事を今更 理解し、安堵していた。


 あと ほすと?とかいうやからは取り敢えず、見つけ次第 山奥にあるドラゴンの巣にでも簀巻すまきにして置いてこようと、そう勝手に誓った。



 宣誓からしばらく。思い出したように寝かされていたベッド……じゃねぇや何じゃコレ、毛布?から上半身を引っ張り起こす。


そして今更ながら、遅ればせながら、「ありがとう」と、頭を下げた。


 あのお花畑きょうかいに住んでる連中がホザくことなんざカケラも信用しちゃいないケド、命の恩人(多分)にすら言えなくなったら、そんなクソ野郎にはきっと天罰が落ちると、そう思ったから。いや、天罰を落とされるべきなんだ。


「ど、どういたしまし……て?」


 我ながら生まれて初めてレベルの真剣な感謝に届いた返事は、ヤケに歯切れが悪かった。不思議になって顔を戻すと、彼女はまるで別の生き物でも見るかのような、キョトンとした目で此方を覗き込んでいた。


「……何か変だった、ですか?」


「あ、いえ、そういうことは無くてですね。ただ何というか、別人みたいだなぁと言いますか……」


「別人?前に会ったことありま──」


「いえいえ、ばっちし初対面ですよ。ただアナタ、ほんの数分前までうなされてたんですよね。それがすごい剣幕でして……」


 うなされてた?俺が?


 夢、どんな夢見てたっけ……ダメだな、ピクリとも思い出せない。全部この人と出会った衝撃でぶっ飛んじまった。何かヤバイ事口走ってなきゃ良いんだが……


「もう凄かったんですよ! カワイイ顔にぐぅってシワ寄せて、ドスの聞いた声で "しねェ!" だとか "ころすぞォ!" とか。あっ、"くたばりやがれェ!" とも言ってましたねぇ」


「は、へ、ヘェ~~、ソ、

           そうですか~ハハ、」


  (ギィャア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!)


 クソッタレが!、何やってくれてんだコウヤァ!


 恥っず!、恥ッッズ!! どうすんだよコレ、至れり尽くせり一字一句 聞かれてんじゃねぇか。縦笛舐めてるの現行犯で目撃された○○○プライバシーの奴並みに弁解できネェ!!—―クッソ、激マブ相手にこのチンケなルックスで唯一 勝算のある "健気でかわいい気弱な幸薄ショタ作戦” が瓦解しちまった!!


 包帯まみれの頭をわしゃわしゃと掻きむしりもだえ苦しむ俺を見て、彼女は演技を察したのか。一度コチラを見て「フっ、」とだけほくそ笑むと、先程と同じようにケタケタと口を開き大声で、子供じみたそぶりで笑い出してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る