1-1 拝啓、初まりの墜落

「ハァッ、ハァ…っ、オェッ、ゲェ……」


 嗚咽おえつにえづきを混ぜた息を漏らして、かすかな希望を持って迫り来る震音に振り返った。


 擬態ぎたいする気が 1 ミリも感じられない蛍光黄色の鱗を纏った全身に、人体をスナック菓子みたいにサクサク逝けそうな口。明らかに設計者が深夜テンションで書き上げたかのような凶悪極まりない爪牙。

 ヒビと見紛うほど濃く血走った双眸そうぼうは、まるでコチラを射殺すかのようににらんで来ている。


 あいにく俺は生物学者なんて名誉変態じゃないので名前なんぞ知らないが、挙げれる精一杯の特徴が上の連中なんだ。もし付けるとしても "バケモノ" の一言で片付けてやろう。



 なんて心の中で吐き出した筈の悪態は、思ったより大きかったらしい。


 奴は "ガオー" でも "ギャァァ" でも無い、

"ゴゴボッ、ゴボボボッ!" ──っと、まるで潰されて喘ぐゴキブリのような、ある意味 期待通りのキモさとヤバさを響かせて加速して来た。


「──ッっ待て待て待て待て! んな怒んなって!! コレには深い深いワケが……あるかって聞かれたらネーんだけどさ!?、違うんだよ出来心なんだよ! 本当、少しだけ好奇心が湧いちゃった的な!? 貴方様の住処が魅力的でチョットぉ興味が湧いちゃったって言うかぁぁ"あ"あ"っ熱ッつ"!!」


 恐怖に急かされ目を逸らし、騒ぎ回って 3 秒間。突如後ろで鳴った "バシャン!" という不吉な破裂音。

 やがてソレは "疲労" 一辺倒だった神経に次々と押し入ると、手に持った "激痛" の斧を手当たり次第に振り降ろし始めた。


「い"、痛ってェ!、っこのッ、フザケんなボケェ……なんでその体格で毒なんざ持ってんだよ、パワーバランスって言葉知らねえのか?」


 凶行に顔を歪ませながらも、その正体を暴くために振り向く。

 しかし背後そこで目に出来たものは、血みどろになったヤケに見覚えのあるカオの、現在進行形で進む火炙りだった。


 既に痛みに耐え切れずヤクに両手を2度漬けしそうになっていた精神をへし折るのに、そのグロテスクなワンシーンは充分も良いところで。


 気付いた頃には自分の理性を言の葉っぱに包み火を付けて、換気扇を付け忘れた副流煙の如く辺りに向けてブチまけていた。


「…… あぁぁ痛ッてぇんだよクソッタレが!! ボケ!死ね!!、何だって俺ばっかりがこんな貧乏くじ引かなきゃなんねーんだよ!? もっと居るだろ? 引いても良さそうなの! こう……なんて言うかさ? 殺人鬼とか金持ちとか浮浪者とかさァ!?」


「それをなんで神様は、俺みたいな純真無垢──とまでは行かんけど善良? な一般市民に引かせちまうんだ!? ちゃんと明確な選定基準あんのか?、いいや、絶対選んでないよな! 選んでないに決まってるよな! この前 夢で見たからな! 遊びに来た孫に選ばせてんの!!ザケんなクソババァほうれい線伸びろ!」


 叫ぶだけ叫んで溜まった熱と鬱憤うっぷんを EXIT 。落ち着きを取り戻すのに兼ねて背中にへばり付いた燐と労を流す為、未だに煙を立てていた背中に水筒の残りを振り撒く。


 正しくヤケ意思に水な行為に果たして意味があるかは分からないままだったが、このまま居るかどうかも分からない存在にキレてるよりは遥かにマシだろうと、そう思うことにした。



「んっ─……ぐぅ、ぅ"」


 背中を水浸しにして一秒。ズクズクと背中にきしむような痛みが染み渡る……が、どうやらこの選択は正解だったらしい。

 主張こそ激しいままであれど、朝に食べたスクランブルエッグ並みにグチャグチャだった視界や冷静さに限って、どうにか親父に作らせた目玉焼き位には正気げんけいを取り戻してくれた。


 しかし回復すると同時に思考は、今更もう使い物にならないニュースも知らせて来た。


 それは決して、朝の卵が痛んでたとかナメた事じゃなくて。ただ一番限界なのが怪我でも理性でもなく己の体力だという、純情な感情3分の2を超えるほどに解りきっていた事実だった。


 そう、ピンチなんだよ……少なくとも今 自分で勝手に想定してる 30 倍くらいには。


 ──いやマジで!、何してんだ俺!? 何でこんなノンビリ落ち着いてんの!?、探せよ! 走れよ!!──っマジで死んじまうんだぞ!?


 やっと自覚した命の危機に、フル回転させる足と視界。葉を 木を 茂みを 穴を 瓦礫ガレキを、この際ゴミでもヘドロでも。

 手当たり次第に目当たり芝居で、死中に活を見出す為に。四方八方 すべての方位、痛みも忘れて我武者羅に。


 こそあど全てを見渡せど、その度に押し寄せてくる "絶望" の波。それでも最後の気力を振り絞って、己の足に "狂" と "叫" を混ぜた挟檄きょうげきを掛けて。

 刻々コクコクと迫る限界を、銑々ズクズクと叩く激痛を、いつまでもいつまでも振り払い続けた。ソレしかなかったんだ。


 土を蹴飛ばし枝をへし折り、

      全速力で駆け回った。


  底無しの沼や決壊した橋を、

        骨折覚悟で飛び越えた。


   誰も知らない遺跡が作った断崖も、

        スリ傷 片手によじ登った。



 ──そして、遂にその時が来た。


 全身でけたたましく鳴り響いていた警告アラームが、一際 強く跳ねたかと思うと、そのままの勢いで吐き出したのだ。


 とうに事切れてボロ雑巾と化していた肺の残骸ざんがいを、意識と共に投げ捨てたのだった。

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