第83話 【3日目】夜闇の中で動く者たち

 深更。

 暗闇に沈んだ廊下をいくつかの影が走り抜ける。

 素早く移動しながらも物音ひとつ立てず、黙したまま迷いなく進み続ける六つの影。


 やがて一つの扉の前で先頭の影が止まり、続く影達も扉の前に集まった。


(ここは執務室ではないですか?)


 やや困惑を伴う声が後続の一体から発せられる。

 そうだ、と先頭から返る応えに、改めて問を発する。


(私室に居るのではなく?

 標的ターゲットである貴卿の両親は執務室で寝ているとでも言うのですか?)

(先の念話が聞こえたろう。あれは、この館の防衛システムを使ったもの。

 そして非常事態宣言をかけたということは、母上は管理者として館の中心となる護樹まもりぎと同調を取っているはず。その同調に用いられる「交心座」と呼ばれる隠し部屋が、執務室に併設されているのだ。

 正しい手順で同調するには一昼夜ほどもかかるはず、だから執務室を狙う)


 先頭に立つグーラから説明がある。

 要するに、この家の実質的な権限を持つ奥方イラーティアは、今もこの執務室にこもっているはずだというのだ。


 当主たるオティオーシよりも実権を握るイラーティアを確保した方が良い。

 それがグーラの考えであった。


 グーラに協力をしているアミカス家のネプレスとその部下は一応の納得をして部屋への侵入準備をする。


(イラーティア女史が神術で罠を張っている可能性はないのですか?)

(儂が聞いた限り、館の護樹まもりぎと同調が完了するまでは半覚醒状態に落ちてしまい、無防備な状態になるそうだ。だからこそ、「交心座」は隠し部屋となっている。

 儂はその場所も、入り方も知っている。そこが付け目だ)


 ネプレスの懸念に対し、機密情報とも言うべき内容を伝えるグーラ。

 完全になりふり構わない精神状態にあるようだ。


 ……だからって、自分の母親を狙うかね。


 そんな感慨を抱きつつも、グーラが共通鍵マスターキーを使い侵入準備をする姿を見て、ネプレスも考えるのを止め心を鎮める。


 極小の音で開錠すると、静かに、しかし迅速に扉を開け侵入を開始する。


 闇に溶けるような目立たない装備の一行は、音もなく部屋に侵入し、先導するグーラに続き執務机に接近する。

 その机に手をかけようとして――


「ああ、駄目じゃないか。悪戯をしちゃあ」


 横合いから掛けられた声。

 ネプレス以下、侵入者達は弾かれたように飛び退く。


 しかし首謀者たるグーラだけは動かない。

 何故か。

 それは、鈍色にびいろに微光を反射する鉄の刃を喉元にピタリと当てられており、動くに動けないからだ。


 その槍の穂先から柄に視線を動かすと、その人物、当主オティオーシの姿に行きついた。


「なんだい、友達をつれて遊びに来たのかい?

 駄目だよ、僕の奥方はまだ休んでいるんだからさ。

 寝込みを襲おうとするなんて、まったく悪い子だ」


 窓から差し込む月明かりに青白く照らされたオティオーシは、その表情に微笑すらたたえている。


「ち、父上!? 何故このような場所に!」

「もちろん、奥方が休んでいるから、僕が見張っていないと不用心だろ?

 こそこそと走って来て扉の前でひそひそやっているから大人しく様子を見ていたのだけど、何か悪さをしそうだったからね」


 そう言って、くい、と槍の穂先を持ち上げる。

 皮膚が切れない絶妙な力加減で喉元を持ち上げられ、思わず仰け反るグーラ。


(お、おい! かまわん、やってしまえ!

 助けてくれ!)


 喉を圧されてうまく声を出せないグーラ。

 辛うじて見える自分の父親の目、その酷薄さに気づき、無理にでも声を出してネプレスに助けを求める。


 言われずとも。


 心の中で返事をして、ネプレスは腰に吊るした小振りの神剣を鞘から引き抜く。剣身から薄橙の光がこぼれて暗闇を退ける。

 やや前傾し腰を落とした低い姿勢で音も立てず滑るように移動しオティオーシに接近。その隙のない動きに、思わずオティオーシの口から、ほぅ、と声が漏れ出た。


 きぃんっ


 鋭い金属音がして、ネプレスが放った斬撃は下から打ち上げられ剣身が宙に浮く。

 足が止まったネプレスの両脇を後続の仲間たちが通り抜ける。

 グーラを抱え、ネプレスの剣を跳ね上げたままの不安定な姿勢にあるオティオーシに、剣を構えたネプレスの仲間が左右から二人ずつ殺到して――


「う!?」


 片側から接近していた二人に突然なにかがぶつかり、喉から思わず音が漏れた。

 標的たるオティオーシは動いていないはずなのに、何が?


 半瞬ほどの狼狽の後で、彼らは自分達にぶつかってきたのがグーラであることを知った。

 オティオーシがこちらに向けて突き放したのだ。


 それを勘づかせないほどに最小の動きで、腕だけで大の男を突き飛ばす。その膂力、そして体幹。

 襲撃者であるネプレスの仲間は驚いて視線を遣ると、そこには槍を振るい残りの二人の剣を跳ね飛ばして悠然としているオティオーシの姿があった。


 進路を塞ぐグーラを脇に突き飛ばし、襲撃者たちが標的に迫るべく剣を構え直して――そのまま槍の柄で横面をしたたかに張られ吹き飛ばされる。

 遠くなりかけた意識をなんとか繋いだこと、襲撃者たちはそれをいっそ誇らしく思えた。


 その様子を後方から眺めていたネプレスは、戦士としての格の違いを思い知らずにはいられない。

 ほんの二呼吸か、三つも呼吸しただろうか。

 その間に自分を含む五人があしらわれたのだ。


 見たところ誰も戦闘不能に陥っていない。

 これはネプレスたちの技量が優れていたためではない。

 逆だ。

 殺すまでもないと見切られていた。

 それ程までの、圧倒的な技量差が双方に存在した。

 ネプレスを含む五名の襲撃者も、いずれも魔王の森で鍛えられた手練れと呼ぶに相応しい戦士であるにも関わらず、だ。


「まだ、やるかい?

 誰だか知らないから念のため殺さなかったけど、次は容赦しないよ?」


 その言葉と同時に槍の穂先がネプレスの喉元に突きつけられる。


 臨戦態勢なのに、動けなかった。

 槍を突く、美しいほどの動作。

 その無駄のない動きは彼我の力量差を思い知らせるに十分だった。


「グーラ、すみません。

 我々では敵わない。逃げます」


 ネプレスがそう言うのとほぼ同時に五人とも逃走に移り、すぐに全員が部屋から消えた。

 床に尻をつけたグーラは、あんまりなその対応に唖然とするしかなかった。


「やあ、逃げ足は疾いなぁ。

 どうせこの館からは逃げられないし、奥方が安定したら敷地内で隠れられる場所なんてなくなるのに、ご苦労様だね」


 のんびりと当主は独りちた。

 そして床に座り込んでいる、次期当主の座を奪われた長男を見下ろした。


「なあ、グーラ。お前は何をやっているんだい。

 僕達を襲撃するつもりだったのかい」

「それは――」


 口調の穏やかさに比して、全く穏やかでないオティオーシの目を見て、グーラは言葉に詰まる。


「僕はいいさ。どうせ、当主なんてやりたくもないし、その器でもない。

 槍を振るうくらいしか能がないからね。好きなだけ襲ってくれて構わない。

 だけど、僕の奥方を手に掛けようとしたこと、これが駄目なんだなぁ」


 ひゅっ、とグーラの喉が鳴る。

 喉元に冷たく尖ったものを感じた。

 それは、容易に自身の命を奪い得るもの。


「それに、どうしても許せないんだよ。

 僕の奥方が動けないのを知っていて襲撃に来ただろ。

 そんなことを彼女が知ったら、どう思う?

 あれで結構、家族のことを気にかけているんだよ?」


 喉元の冷たいものが、自分の皮膚を突き破るのを感じる。

 ほんの僅かずつ、確実に侵入してくるそれ。

 だが、オティオーシの眼力に硬直したグーラは微動だにできない。


「お前の異常なまでの意地汚さを知ってなお、当主となれるよう導いてくれた彼女。

 その寝込みを襲うような真似をしたなんて聞いたら、彼女なりに愛情を注いだ相手に裏切られたなんて知ったら、彼女の心の冷たい炎がどうなるか。

 そうだ、こんなこと、彼女には聞かせられない。

 彼女を悲しませるなんてことはできないさ、そうだろう?」


 うまく呼吸ができない。

 うまく座り続けることもできない。

 もう、許してほしかった。

 もう、全てを諦めるから――


「ごめんな」


 それが、グーラが最期に聞いた言葉だった。


****


 森の木々も寝静まる、未だ一条の日の光も差し込まない刻限。

 深い闇の中に現れたそれは、口からだらんと舌を垂らし、荒い息をついた。


 ああ、本当に遠かった。

 カクは荒く深く肺に空気を送り込んだ。

 こんな時は、自分を覆う長い毛を疎ましく感じる。


「ここが……彼の家なの?」


 カクの背から降りた女性、シャイナ・ウルザインは、大樹の上に乗るユウ自慢のツリーハウスを見上げた。


「そうだ。登って、好きに寛げ」


 そう言って鼻先で方向を示してシャイナを促し、先に上らせる。


 戸惑いつつも登り始めたシャイナを見て、自分も登ろうと梯子に前肢をかける。

 ……前肢がぷるぷると震えている。うまく登れない。こんなに走ったのは、本当に久しぶりだったな。

 カクはしみじみとそう感じる。


 力を入れて震えを押さえ、改めて登るために後ろ脚を踏み込んだ、その時。


「きゃぁっ!?」


 甲高い声が響き、カクの上にシャイナが降って来る。

 そのお尻に潰されるように、地面に這いつくばった。


 まったく、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。


「ば、化け物!?」


 シャイナが梯子を見上げながら声を震わせ、入り口を指さしている。

 何事かとカクも上を見ると、ツリーハウスの入口の暗がりからこちらを見下ろす、闇の中で光る大きな二つの光が見えた。


 あれは――


「カクか。遅かったな」


 その言葉と共に、入り口から巨大な影がぬぅっと出て来た。


 夜目が効かないシャイナには光る瞳しか見えず、恐怖しかないだろう。

 その狼の如き顔貌は、カクにとっては親しみのある長年の友のものだった。


「ルーパス。珍しいな」


 カクがそう言う間にも、風のようにルーパスの巨体はシャイナとカクの前に降り立った。


「シャイナだ。連れて来た」

「相変わらず要点しか話さんな。

 もう少し説明してくれても良いのではないか」


 そう言って説明を求めるようにシャイナの方に顔を向ける。

 だがシャイナは生まれて初めて見る魔王に硬直し、それどころではない。

 なんなら、呼吸すらも忘れてるほどに。


「死ぬぞ」

「――!?

 ごほっ、ごほっ!?」


 カクに背中を叩かれ、呼吸を再開し、むせるシャイナ。

 その様子に事情を聞くことを諦めたルーパスは、再び言葉足らずの友、カクの方に視線を向ける。


「それでエルナはどうしたのだ?」


 エルナが気になっていたのか。

 なるほど、群れるのが嫌いなルーパスが、こんな場所にいる理由に合点がいった。


 完全に気が動顛しているこのシャイナに説明させるのは無理だろう。

 そう考えたカクは、古き友人を安心させるために、彼にしては丁寧に説明した。


「エルナは襲われた。助けたが寝込んでる。休む必要がある」


 その言葉を聞いて、ルーパスの気配が殺気に染まり、膨れ上がった。

 周囲の草木も緊張するような、凄まじい威圧感。


 カクにしては言葉を多くしたつもりだが、どうにも言葉が足りなかったらしい、と気づく。

 だが、普段は喋らないカクには、どう説明すればルーパスを落ち着かせられるのか分からない。


 そんな困惑するカクを他所に、ルーパスは一気に走り出した。


「待て! 持っていけ!」


 その様子に説明を諦めたカクは、ユウから受け取ったハチと念話するための念珠を投げた。

 慌てて急停止しそれを掴んだルーパスは、しかし次の瞬間にはもうそこにいなかった。


 風のルーパス。


 その二つ名に恥じない凄まじい速度で駆け出した。

 この速度なら、昼過ぎには館に着いてしまうのではなかろうか。

 場所は――あの念珠があれば、きっと大丈夫だろう。


 奴が行くならばエルナ達は安心だ。

 ゆっくり休ませてもらおう。


「女、登れ」


 未だ梯子を上っていないシャイナを促すように語りかけ、それが無理であることをカクは悟る。

 ルーパスの凄まじい殺気にあてられたシャイナは、その一瞬で気絶して地面に倒れ伏してしまっていたのだ。


「これを上に運ぶのか……」


 うんざりしたような、諦めた様なカクの声だけが、夜明け前の森の静寂に響くのだった。

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