第84話 【4日目】束の間の離別

「暇だよぉ~」


 ベッドの上でごろごろと転げまわるエルナ。

 救出した時はかなり衰弱していたようなのに、一日寝ていただけでここまで回復するとは、さすがの一言しか出てこない。


「ほら、部屋の中まで監視されている可能性もあるし、一応毛布くらいはかぶって翼を隠しておいてくれ」


 そう言いながら、俺とフォルテン、それにアカリは朝餐の支度をしている。

 今日も状況を説明したいから全員集まって欲しいと使いが来たのだ。

 客人扱いは俺とアカリまで、エルナは公式には行方不明の扱いなので、行くのはフォルテンを含めた三名だけ。いや、連絡役としてハチも同行させるので、三名と一羽だ。


「シュテイナ、非常事態宣言が出た今、母上や兄上がどう出るか分からない。くれぐれも注意して皆の事を頼む、

 オティリス、エルナさんをお願いできるかな」


 フォルテンに頼まれた二人は頷いて、任せるように言ってくれる。

 それを見てから俺達は呼びに来た使用人の後を歩き朝餐の会場に向かう。


「昨日、非常事態と言っていたけれど、発令されたとして普段と何が変わるんだ?」

「非常事態宣言は、例えば大規模な作戦行動中や敵の襲撃があった場合などに館内の規律を、当主ないしその指名する者が一時的に絶対的権限を持つ、という宣言だ。

 ウルザインは魔族と戦う役目を持った家だから、この館も城砦と同じ役割を持つ。対魔族との攻防を考慮した構造になっており、準戦時にあるとしてこれを運用することを意味するんだ。

 宣言が有効な間は、私的な理由で不必要に部屋から出てはならないし、役目を持つ者は必ず所在を明確にしていなくてはならない。

 当主は家中の指揮権、人事権、そして治安維持権を掌握して、これに反する場合は秩序を乱す者として処罰すらされる可能性がある」


 館内で一時的に独裁権限を持つという。

 現代日本からは考えられないほどの強権。


「我々はできるだけ大人しくしているしかない……。

 さすがに客人にそこまで強引なことはしないはずだ、しばらくすれば落ち着くことを祈るばかりだよ」


 そう言ってからフォルテンは、軽く俯いた。


「ユウ、すまない。まさかこんな事態になるとは思わなかった……。

 君とアカリちゃん、エルナさん達を巻き込んでしまった。本当に申し訳ない……」


 暗い顔をするフォルテン。

 その横顔を少し見てから、俺は背中をはたいた。


「まあ、仕方がないさ。

 こんなことになるとは誰も予測できない。

 全力で乗り切るしかないだろう?」

「ああ、その通りだな。

 すまん、迷惑をかけてしまった」

「それは言わない約束だろう?」

「そんな約束していたかな?」


 もう一度フォルテンの背中をはたくと、アカリがそれに続いて腰のあたりをぽんぽんとたたく。

 その感触に、フォルテンの表情に苦笑が浮かんでしまう。


「ありがとう」


 その言葉をフォルテンが発するのと同時くらいに、朝餐の会場に到着する。

 俺とフォルテンは先導役の使用人に続いて中に入り――


「止まれ」


 武装した戦士に囲まれ、喉元に剣を突きつけられる。

 視界の下側に在る刃はうっすらと橙色の光を纏っていて、魔族にも通じうる力を持つことを察した。


 さらに視線を下に移動させ、アカリの表情を見ると――まずい。

 普段よりも眉根が二ミリくらい寄っている。

 これはかなり感情が険悪になっていることを意味する。

 この子は普段は抑制的だが、時に狼に殴りかかるほどに無鉄砲だ。

 ここで暴れさせるわけにはいかない。


 そんな俺の焦燥と関係なく戦士達は抜刀し油断なく俺とフォルテンの周囲を取り囲む。

 その戦士達を割り、次期当主候補のクヌースが現れた。


「よぉ、フォルテン。

 折角の披露目の最中に悪いが、お前はアムーラならびにその侍女の殺害容疑で拘束させてもらう。

 抵抗は無駄だから、大人しく従え」


 いきなり殺人の容疑者として拘束するという。

 俺とフォルテンは同時に目を丸くした。


「一体、何の証拠があって、私が妹を殺害したと言うんだ!?」


 珍しく声を荒立てるフォルテン。

 強い視線で睨みつけるが、クヌースは何も感じないようにニヤニヤと笑う。


「それはこれから話してもらうさ。

 まあ、状況から見てお前が一番怪しい、というわけだからな」


 要は証拠も何もなく、ただ疑惑だけで拘束したらしい。

 事実に関係なくフォルテンに冤罪をなすりつける気か。


「馬鹿な……!

 母上はどこだ! 母上ならばここまで非論理的な話はしないはずだ!」


 自分の娘シャイナろくな証拠もなく犯人にしようとしたイラーティアだが、それでも一応はシャイナの言葉を聞こうとした。フォルテンは、イラーティアは彼女なりの行動原則があり、いまクヌースがしているような場当たり的かつ拙劣な手段には出ない、と考えているのだろう。

 ある意味では、フォルテンはあの非倫理的に見える母親を信じている訳か。


 クヌースはフォルテンのその言葉を聞いて、表情を少し険しくする。


「そんなことを答える義理はない……と言いたいが、いちおう答えてやると、まだこちらには降りてきていない。調整に時間がかかっているようだ」

「調整……なんのことだ?」

「ん? 覚えていないのか、フォルテン?

 十二年にあった襲撃事件のことを。

 まあ、まだあの時のお前は小さかったからな、良く分かってなくても仕方がないか」


 わからんなら気にするな、と言い捨てるクヌース。


「これ以上、母上に心労をかける訳にはいかない。だから、こちらも降りてくる前にこの件は片づけさせてもらう。

 いいか、この事件について、知っていることを残らず話してもらうぞ」

「ふざけるな!

 私は何も知らない、故に何も話すことなどない!」

「いいのか?

 そんなことを言って?」


 クヌースは嫌らしくニヤリと笑う。


「先ほどお前らを拘束したのと同時に、お前の仲間も確保に行っている。

 仲間の命があるかどうかは、お前の態度次第なのだぞ?

 ああ、あと、あの女魔人には期待しても無駄だぞ。どうせお前の部屋に匿われているんだろ。

 対魔人装備と拘束具を持って戦士達が捕獲に向かった。

 これであの女魔人は確実にお終いだ、諦めろ」


 こいつ、卑しい笑い方をするな。

 これが次代の当主候補であるとは。呆れたとしか言いようがない。


 そんなことを考えていると、ふと下の方から圧を感じた。

 視線を下ろしてみると……アカリの眉間に、しっかりと縦皺が刻まれていた。


 ――やばい! これは本気で怒っている――


 アカリが暴発する前に止めなくては、と思うが、喉元には薄く光る刃があり、体勢を変えることすらままならない。

 そこに、厳しさを伴う女性の声が響く。


退きなさい。

 まったく、たった二人を相手に何を物々しい。礼法もなにもあったものではない、野蛮な行為ですね」


 武装した戦士達も怯むような視線を投げつけながら、ヴィタが歩いてくる。


「ユウ様。お嬢様は私が預かりましょう。

 仮に貴方様に何かあったとしても、私が責任を持ってお嬢様を指導いたしますから、ご心配は無用ですわ」


 軽い笑みを浮かべながら、俺の目を見てアカリを引き取ると言うヴィタ。

 ぎゅっ、とアカリが俺のズボンを握り拒否の構えを取る気配が感じられた。


「――少しだけ、アカリと話をさせてくれ」


 俺は喉元の刃を指差しながら何とかそれだけ言うと、ヴィタは笑みを深めながら頷き、戦士達に刃を引くように指示した。

 喉元の剣が離れ、代わりに後頭部に剣の切っ先が軽く当てられているのを感じながら、俺はアカリにヴィタについて行くように言った。

 顔をしかめるアカリの肩に手を置き、顔を近づけて優しく語り掛けた。


「大丈夫だ、すぐに誤解を解いてから迎えに行くさ。

 お前は何も心配しなくていい」


 そう言いつつ、肩に置いた手で死角をつくり、アカリの胸元にハチを送り込む。

 ハチはそのままするっと首筋を周り、アカリの艶やかな長い黒髪の中に紛れる。


 仏頂面をしたアカリの背を押してヴィタの方に向かわせると、ヴィタは嫣然と微笑んで、アカリを連れて部屋を出て行く。

 アカリが少し気づかわしそうにこちらを振り返りつつ扉の向こうに消えるのを手を振って見送っていると、チッと舌打ちする音が聞こえた。


「まったく、ヴィタ伯母も酔狂なことだ。

 なにも容疑者の子を連れて行くこともないだろうに」


 苦々しそうにこぼすクヌースを見ていると、ヴィタがこの家の中で、相応の立場にいることがうかがえた。

 何しろ、次期当主と公式に指名されている男の意向に逆らえるのだから。


 まあいい、と吐き捨てるように言うと、クヌースは笑いながら言った。


「フォルテン、お前はこれから尋問部屋に行き、いろいろ話してもらうぞ。

 客人は別室行きだ。それも有罪確定の罪人としてな。

 お前の妻を名乗る女が魔人だということは知っているんだ。どうやって使役しているかは知らんが、その条件も話してもらうぞ。

 娘にはああ言っていたようだが、まともな姿で戻れると思うなよ」


***


 ほんの昨日までシャイナが尋問を受けていた部屋。

 その時は救出する側として、今は尋問される立場として連れ込まれたフォルテンは、この下らない茶番に小さく溜息をついた。


「さて、まずはあの客人と女魔人の素性を教えて貰うぞ。

 それから、シャイナの居場所もな。

 どうせ扉を破壊してシャイナを拉致したのはお前しかいないんだ、諦めて全てを吐け」

「先ほども言ったが、私は何も知らない。

 友人について話すこともない。

 諦めるのは貴方だ、クヌース兄上」


 激昂していた先ほどと比してだいぶ鎮静している様子のフォルテンを見て、クヌースは逆に嗜虐心をくすぐられる。

 昔から自由に振る舞うこの弟が、時に無性に癇に障るのだ。


「ふん、先ほども言ったが、そんな態度がいつまも続くと思うな。

 お前の仲間も、お前の友人の仲間も。今頃はまとめて捕縛されている頃合いだ。

 お前の友人が無事に済むかどうかは、お前次第だぞ?」


 そう言って顔を歪めるクヌース。

 そんな兄に向かい、フォルテンは言う。


「いや、私の仲間はそんなに弱くない。

 私が信頼する者に後事を託したのだ、おそらく問題ないだろう。

 どちらかと言うと、兄上の仲間をこそ心配すべきだろう」

「なにを――」


 フォルテンの小癪な落ち着きに頭に血を昇らせるクヌース。

 この弟に身の程を知らしめるために剣を鞘から抜き放つ。


「片目くらいは覚悟しろよ?」


 クヌースが剣をゆっくりと頭上に掲げたその時、背後で鈍い音が立て続けに聞こえ、すぐに破壊音となって鼓膜に響いた。


「またかよっ!?」


 昨日と同様の展開に悪態をつきつつ、破砕されたドアの破片を避けながら剣を構える。

 油断していた昨日と違い、今は決して隙など見せない。肩書を抜かしてもその実力は家中で有数の腕前として認められ、実際に対魔戦でも数々の功績を残しているのだ。


 こんな襲撃くらい、一人でも捌いて見せる!


 大きな破片をやり過ごしたクヌースは腰を落とし、剣を中段に構えて入り口を向いた。心を鎮め、扉があった方向に意識を集中する。


 ――来たな!


 凄まじい速さの黒い影、それでもクヌースの優れた目はそれを捉え、タイミングを合わせて剣を撃ち込む。


「はいやぁっ!」


 鋭く吐き出す呼気に合わせた一閃が完璧なタイミングで黒い影に向かう。

 その黒い影に吸い込まれるように呑まれる銀光の一閃。


 捕まえたっ!


 そう感じた次の瞬間、澄んだ音と共に銀色の光が天に向かい打ち上がった。


「――は?」


 辛うじて言えたのはその気の抜けた一言。

 クヌースの会心の剣閃が侵入者を両断したはずなのに、逆にその剣は半ばから折れてなくなり、剣先は回転しながら宙を舞った。


 ふわりと舞う深く赤い長髪、その内から覗く瞳はクヌースを見据えて、彼の剣を軽く折った爪が空を滑るように迫る。


 ――死んだ――。


 鉄を折る鋭い爪を前に、人間の肉体などはひとたまりもない。

 一瞬で死を覚悟したクヌースは、次の瞬間に世界が大きく揺れ、暗転するところまでを意識できた。


***


 どたどたと意識の無い主を担ぎ上げながら走り去る男達には見向きもせず、エルナは部屋の中央で拘束され椅子に縛られたフォルテンに歩み寄る。


「大丈夫だった?」


 気づかわし気な表情で覗き込みながら、エルナは人差し指を軽く振り下ろす。

 それだけで拘束していた荒縄は綺麗に断たれ、フォルテンの着衣には傷ひとつつかない。


「フォルテン、無事か!」


 フォルテンの仲間達が慌てて走り寄り、残っていた縄を取り除く。


「お前達……ありがとう、助かった。

 しかし、どうしてここに?」

「ええ、実は部屋で待機していたのですが、ハチさんからエルナさん達に連絡が入って。ユウさんからの伝言で、『俺はいいからフォルテンを助けてあげてくれ、尋問部屋に連れて行かれみたいだから』と言われたんです」


 オティリスがフォルテンに怪我がないのかを確認しながら答える。

 その後は、フォルテンから尋問室の場所を聞いていたシュテイナが先導して皆でここまで移動してきた、と。


「しかしエルナさん、まさか素手でクヌース兄上の剣を折るなんて……あれもかなり強力な神具なのですが」

「そうだった?

 でもあれじゃあ、例えばシーニスにだったら傷ひとつつけられないよ?」


 何でもないように話すエルナ。

 なるほど、これでは人間がいくら頑張っても魔王の森を攻略できない訳だ。


「やっぱりエルナは強いや!

 でも良かったの? あいつら、意識を失ったあの偉そうなヤツを抱えて逃げちゃったよ?」


 スケが首を傾げながらエルナを見上げつつ、そう聞いた。


「フォルテンを助けるのが目的だったから、まあいいんじゃない?

 あたしは気を失った相手に止めを刺すような真似はごめんだよ」

「エルナはもともと相手を殺すなんてしたことないだろ?」


 突然割り込んできた声にその場の視線が集中する。


『ユウ!?』


 期せずして重なった呼び声、その相手がふらりと部屋に入って来る。


「皆、無事に集合できたようだな」

「ユウ、君は捕まったのではなかったのか?」


 のんびりと話すユウに、皆を代表するようにフォルテンが問う。


「ああ、隙を見て相手をのしてから逃げて来た。

 これを使って拘束していた縄を解いたんだよ」


 そう言って自分の右足の爪先を持ち上げる。

 皆の視線が集中したのを確認してから――


 シャリン!


 澄んだ音を立てて、靴の爪先から小ぶりの刃が飛び出した。


「ヒゲカジと一緒に、靴に刃物を仕込んでおいたんだ。

 神術で留め金を動かすと、発条バネの力で刃が飛び出すんだよ。

 両足の爪先と踵に仕込んであるんだ、面白いだろ?」


 そういって笑うユウの表情は、ただの悪戯小僧のそれにしか見えない。

 すごい! と言って一緒に喜んでいるのはスケとエルナだけだ。

 人間側の面々は、まあ呆れたというか何というか。お前は神術を使って何をやっているのだ、と。


「事態がこうなったらもう考える必要はない。全力で逃げる、それだけだな」


 そうだ、ユウの小道具に呆れている場合ではない、と気持ちを切り替えるフォルテン。

 確かに、もはややりすごすという道はない。

 この館から逃げて態勢を整え、今後の活路を見出す必要がある。

 

「フォルテン、ここから別行動にしよう。俺はアカリを迎えに行って、そこから直接逃げる。

 それでいいか?」

「ああ、わかった」


 そう言うとフォルテンは、おそらくヴィタ伯母が向かうのは執務室であろうと言って、その場所をユウに伝える。


「我々も何とか館から脱出を試みる。

 お互い脱出したら、ユウの樹上の家ツリーハウスでまた会おう」

「ああ、わかったよ。

 エルナとスケも、フォルテン達と一緒に行動してくれ。

 皆の力になってあげてくれるか」

「もっちろん!

 みんなで一緒に帰るよ!」


 そう言って、俺とフォルテンとエルナは互いの手を叩き合う。


 これから警備が厳しくなるはず、時間との勝負という側面があるのだ。

 そう考えて、俺はそのまま執務室に向かって走り始めた。


***


 あっという間に走り去るユウを見送ったフォルテンは、皆の方に向き直る。


「さあ、我々も急いで逃げよう。

 非常事態宣言が出た今、館がいつ臨戦態勢に入るかも知れない。

 この館は対魔族用の装備、古代の神具を使い強化された城塞だ。

 ひとたび戦闘態勢が整えば、魔王の襲撃にだって耐えうるとさえ言われているからな」


 そう告げ、部屋を踏み出そうとしたその時。

 皆の頭に、再びイラーティアからの同報念話が届いた。


(この館に滞在する皆に連絡します。

 今まで指示が途絶えていたことを謝罪致します。

 今回の非常事態宣言に則り、わたくしイラーティアが、当主代行として危機管理者に就きました。

 以降、今回の非常事態が解除されるまで、私の指示は当主の指示と考えなさい。


 最初に館内の秩序を定めます。

 各人はいったん自分の部屋に戻り、待機なさい。

 使用人も全てこれに従いなさい。新しい指示は追って出します。


 これより規定の場所以外にいる者は、秩序紊乱びんらんの罪で拘束、抵抗する場合は排除致します)

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