第75話 【2日目】貴族の心得

 この部屋に通されたのは、この家に来てから何回目であったか。

 家の主だった者達が集められる場合はこの部屋が使われるようで、今もまた呼ばれていた。


 ウルザイン家の人達が座るソファの脇をすりぬけ、フォルテンと共に席につく。

 部屋の中央部に集められているのは、主だった家族や近親者、教会の導師、あるいは家令などの一定の地位にいる者。

 昨日と異なり、今日は部屋の後方には使用人たちが整列している。

 全員ではないだろうが、それなりの数が集められているようだ。


 フォルテンと並び座る俺は、いわゆる貴賓席と呼べる特別な場所に居る。

 このやんごとなき人々に混じる自分が、いかにも場違いに感じられた。


 ――普段は森の中のツリーハウスで魔人達と一緒に雑多な暮らしをしているのだけどなぁ。


 そんなことをぼんやりと考えていると、当主オティオーシと、彼にエスコートされたイラーティアが入室してくる。

 ツンと澄ました表情で伯母のヴィタがそれに続き、最後ににわか弟子のアカリがしずしずと歩み入る。

 礼法にのっとり目を伏せ、動く歩道にでも乗っているのかと思えるように上半身がブレずに歩むアカリを見ていると、この短期間で教育されたことを恐ろしいまでに体得しているのだと理解できた。


 当主に奥方まで入り、使用人が音も立てずに扉を閉じる。

 だが、まだ全員揃っていないような気がする。誰が足りないのかな。


 数えてみると、嫡男とされていたグーラというあの尊大な男が見当たらない。

 さて、あの存在感ある男は一体どこにいったのやら、などと考えていると、隣からフォルテンの呟きが聞こえて来た。


「あれは……」


 驚きの表情を見せるフォルテン。

 その向こうに見える、教会から派遣された神術顧問であるユークィテル導師も心持ち目を見開きながら、驚きの表情を見せている。


 何を見ているのか?

 不思議に思い、彼らの視線を追うと、入室してきたイラーティアの胸元に行きついた。正確には、その胸元を飾るきらびやかな装飾品。


 深い、深い碧色をした、握り拳ほどもある美しい珠。

 繊細に装飾された大きな珠が、糸杉のように細い体形シルエットをしたイラーティアの胸元に収まっている。

 修道女のように飾り気のないイラーティアが華美な宝飾をつけているのには違和感しかない。


 不躾な俺の思考をよそに、オティオーシとイラーティアは彼らの座に進み、少し遅れてヴィタ、アカリが続く。


「揃いましたね」


 当主を傍らに侍らせ全員の前に立ち、あたかも女主人のようにイラーティアが話しはじめた。


「皆に集まってもらったのは他でもありません。

 先の披露目の宴で起こった毒殺未遂、そこから続く騒動についての状況について、話をしておくためです」


 あれからさほど時間も経っていない。そんなに調査が進むものだろうか。

 エルナを助けたのも偶然とは言え自分達であり、しかもその内容は報告をしていない。つまり彼らにとっては未解決のはずなのだ。

 それなのに状況報告を優先する。


 不可解な話の進み方に眉をひそめる。


「まずは結論から申しましょう。

 今回の主賓であるフォルテン、そしてその客人ユウ様を毒で害そうとしたのは我が長女、シャイナになります」


 ――!?


 言葉にならない衝撃が走り、期せずしてフォルテンと目を見交わす。


「毒が混入したワゴンを確認した結果、そのテーブルクロスから微量の毒の痕跡が見つけられました。これは、毒の滴を料理に垂らした飛沫と思われます。

 人の目が離れる一瞬があるとすれば、シャイナの席が倒れ注目がそちらに行ったその時のみ。席を外し、椅子を倒し注意を引きつけ、その隙に毒を垂らしたことになります。つまり、協力者が居ることになります。

 これもほどなく分かることでしょう」


 状況証拠、それも疑い程度でしかない軽さ。

 それで犯人と断定してしまうのか。

 それとも、この時代に科学捜査など望むべくもないから、こんなものなのか。


「その後に起こりました客人への襲撃、ならびに奥方が行方不明になった件。

 こちらについては、まだ詳細は不明です。

 ですが、こちらもシャイナが企んでいた。そう考えて良いでしょう。

 手掛かりは掴んでいますので、じきに事の仔細をお伝えすることが可能でしょう」


 毒殺未遂に襲撃事件を重ねて、無理やり事件を抑え込みに来た観がある。

 シャイナが弟の客人を襲うとか、どんな動機があるというのか。


 正餐の途中で話しかけて来た女性、シャイナ。

 フォルテンへ否定的な言葉を呟いていたが、本当に毒を用いてまで彼を亡き者にしようとするだろうか?

 どちらかと言うとその否定的な感情の矛先を実家に向けていたように感じたのだが。


(フォルテン、俺はシャイナという女性を良く知らないが、そんなことを企むような性格なのか?)

(いや、しばらく家を離れていたから何とも言い辛いが……どちらかと言うと、引っ込み思案の方だったように記憶している)


「また、残念な報せがあります。

 我が家のアムーラ付の使用人であるフルネが邸内で刺殺されました。

 使用された刃物は嫡男グーラの物であり、当人もその場に居合わせているところを発見されております。」

「なんでっ!?」


 イラーティアがそう告げた瞬間、悲鳴に似た甲高い声が遮る。

 声のした方を見遣れば、アムーラが蒼白な顔をして立ち上がっていた。


 数瞬の間イラーティアを見て、その後、ヴァニタスの方を向き彼女の兄をじっと見詰める。


「――どうしたの?

 君の侍女が亡くなったのは残念だけど、僕を見ても帰ってはこないよ?」


 そう言って苦笑するヴァニタス。

 その様子をイラーティアはじっと眺めていたが、すぐに「座りなさい」とアムーラに注意する。


 顔色が蒼白なまま、のろのろと着席をしたアムーラを確認し、イラーティアは話を続ける。


「具体的な関連は不明。

 釈明を求めましたが、筋の通った回答は得られておりませんが、事件への関与は確実でしょう」


 そこでイラーティアは言葉を切って視線を伏せた。

 一拍を置いて視線を戻し、口を開く。


「そこでグーラの嫌疑が晴れるまでは後継候補からはずし、次期当主の候補を次男のクヌースに定めます。

 仮に今後、本件に関するグーラの関与がないことが明らかになれば、グーラを再び後継として指名し直すことも考えますが、当面はグーラは廃嫡の扱いと致します」


 そこまで話してから、イラーティアは視線をクヌースに向ける。

 それを受け、クヌースが微笑みながら立ち上がり、イラーティアの隣まで歩み寄ってこちらを向き、深々と頭を下げた。


「いま聞いた通りだ。今後は、俺が暫定で後継候補者となる。

 経験が浅く、当分は皆の力を借りることになるが、宜しく頼むよ」


 その言葉を受けて、にこやかに拍手を送る当主オティオーシ。

 当主の拍手を受け、やがて部屋の中の者達もクヌースに向け拍手を送った。


 そんな様子を冷厳と見守っていたイラーティアだが、拍手が収まるのを見届けてから、改めて口を開いた。


「最後に、ひとつ伝えねばならないことがあります」


 表情を崩さないまま、彼女は続けた。


「愚息グーラですが、その後、謹慎していた部屋から逃走し、現在行方が分からなくなっています。

 現在邸内を捜索中であり、大事ないとは思いますが、見掛けたらすぐに私達に連絡しなさい。

 良いですね」


***


 後継者の交代。


 衝撃的な報告を受けてから部屋に戻ってきたヴァニタスはしかし、扉から内に入るなり顔を歪めて笑い出した。


 まずは、ひとり。


 次男であるクヌースだって同罪のはずなのだから、本来であればグーラと一緒に処分されて良いはず。まだ残っているのは、母上イラーティアがまだ秘密の通路で行われていた愚行を知らないからに違いない。


 なら、それを知らしめてあげれば良いだけ。

 なるべく自然ナチュラルに、自分の関与を悟らせないように。

 その後、残る兄であるフォルテンを何とかすれば、後継ぎの座は不動だろう。


 そうヴァニタスは考え、再び抑えきれない笑い声が零れだす。


 そんな中、扉を叩く音が響いた。


「ヴァニタス!

 いるんでしょ、開けなさいよ!」


 愛すべき愚かな妹の声。


「通してあげて」


 ヴァニタスがそう言うと、物陰に潜むテオトルがそっと移動して扉を開く。


「ちょっと、ヴァニタス!

 どういうことよ!?」


 足音を踏み鳴らしながら、真っ赤に顔を染めたアムーラが入って来る。


「どうしたんだい、アムーラ。

 そんなに怒ると、折角の可愛らしい顔が台無しになってしまうよ」


 軽く両手を広げ、柔らかく微笑みながら妹を迎える。

 そんなヴァニタスの所作を気にも留めずに腕を振り回し叫ぶように告げる。


「フルネを――殺した短剣て! グーラの短剣て!

 あれ、あんたが持ってた奴じゃん!

 なんでそれでフルネが殺されているのよ!」


 その言葉を聞いて、一気に頭の芯が冷えるのを感じるヴァニタス。

 何故、アムーラが知っている?


「何のことだい?

 僕はそんなものは知らない――」

「とぼけても無駄なんだからねっ!

 前に、あんたがテオトルに話してるの聞いてるんだから!

 あんたに悪戯しようとして隠れていた時に聞いてるんだから!」


 言いながらダンダンと足で地面を踏みつけ、腕を振り回す。

 見るからに駄々をこねている子供の行動だが、語るその内容は……。


 何を聞かれたのか。

 ヴァニタスは記憶を探る。


 この短剣のことを、たとえ部屋の中と言えど語ったことは殆どない。

 それを聞かれていたのなら、なんと運のないことか。

 そして、話の中でそれを出すときは、大抵は何らかの策謀をテオトルと考えているとき。つまり、聞かれてはならない相談事。

 そんな重要な内容を聞いているはずの妹は、何の策もなく目の前で大声で糾弾するばかり。


 ああ、何と愚かしくも愛すべき妹であることか――。


「ちょっと、何を余裕ぶってんのよ!

 あんたがフルネを殺したんでしょ!? 信じらんない!

 どうしてくれんのよ!

 あたしなんて、フルネくらいしかないのよ!」


 冷ややかに自分を見るヴァニタスの様子を余裕ぶっていると受け取ったアムーラはより興奮した様子で声を張り上げる。


「ヴァニタスはいいわよね、男だし、あたしより上の生まれだし!

 グーラもそう、クヌースもそう、シャイナだってあたしよりも綺麗だし、女性らしいし!

 みんなあたしにないものを持ってる!」


 ふー、ふー、と息を荒立てながらヴァニタスに詰め寄り、両手でその襟元を掴みながら前後に揺さぶる。


「ちょっと、どうしてくれるのよ!

 もしこのままだったら、あの短剣のことを皆に言いふらしちゃうんだから!

 フルネを殺したんなら、代わりを頂戴!

 もっといいものじゃないと、承知しないんだからね!」


 そんなアムーラに向かい、ヴァニタスは微笑みを絶やさずに語り掛ける。


「まあ、待ちなよ。

 ちゃんと説明するし、可哀想なアムーラには僕から素敵なプレゼントを用意するからさ、まずは僕の話を聞いてくれるかな?」


 素敵なプレゼントと言ったところで襟をつかみ揺さぶる動きが止まる。

 ヴァニタスはそっとアムーラの腕を外し、その両肩に手を置く。


「誓って言うよ、フルネは僕が殺したんじゃない。

 あの短剣は、グーラと取引した時に返却しているんだ。

 僕の手元にはなかったんだ」


 その言葉に眉をひそめるアムーラ。

 しかし、何も言葉は発さず、ヴァニタスの言葉の続きを待つ。


「大切な侍女を失った君の悔しい気持ちは痛いほど分かるよ。

 だから、僕の大切な傷心の妹よ、君にびっくりするくらいの贈り物をしたいという気持ちでいっぱいだ。

 でもね、所詮は末の弟の僕では、大した力がないんだよ。

 当主なら、いくらでも素敵なものを贈れるのに、それはクヌースに決まってしまった」


 再び出てきた贈り物という言葉に、耳聡くアムーラは反応する。

 自分を大切にしてくれる。そう感じ、真っ赤に染まっていたアムーラの表情は落ち着きを見せていた。


「僕は思うんだ。

 当主はあんな女狂いの次兄が継ぐべきではない。

 僕こそが継ぐべきなんだ。最愛の妹のためにもね。


 その時は、きっとアムーラが生まれて良かったと心から思えるほどのもの、僕の全てを君に与えることを誓おう。

 あの侍女一人なんかじゃない、もっと多くのものを君に捧げようじゃないか。

 だって君は僕の最愛の妹なのだから!」


 言いながら、花開くような笑顔を見せるヴァニタスは、そっとアムーラの両手を取る。

 目を見開くアムーラの瞳を見てその怒りと疑惑を溶かしたことを確認してから、やや口角を鋭角に吊り上げながら囁く。


「だからね。

 アムーラには、僕が次期当主になるために、もう少し手を貸して欲しいんだよ」


 小さな声で。

 声を聞くことに集中させて。

 彼女の意識を自分の声にだけ向けさせて。


「……本当に、あたしだけを大切にしてくれるんでしょうね」


 そんなことは言っていない。

 またアムーラの中で妄想が進行している、とヴァニタスは察した。


 でも、別に構わない。

 そう勘違いしてくれているならば、僕にとって都合が良い。


 ヴァニタスはそう考え、アムーラのその言葉を否定しない。


「もちろん、君は僕にとって特別なのだから。

 だから君も僕にとっての特別でいておくれ」


***


 その夜。


 家督の相続権を一位に指名されたクヌースは、やや緊張した面持ちで自分の父親と母親の前に立つ。


 自分自身が望んでいたわけではない僥倖。

 いや、心の奥底に沈めて秘してきた望み、なのかも知れない。


 思いがけずに手に入れた地位、だからこそその立場の危うさも承知している。

 下手に立ち回れば、あっという間にフォルテンかヴァニタスに次期当主の座が転がり落ちる可能性も否定できない。


 そんな緊張感を持ちながら、改めて自分を指名してくれたことに対する感謝の意を示して頭を下げるクヌースに向かい、イラーティアから声が掛けられる。


「それで、貴方は今回の件をどのように処理するおつもりでしょうか」


 言われていた役割。

 それは、今回のフォルテン毒殺未遂から、客人の襲撃、奥方の拉致に至るまでを、自分の力で解決する事。その手際が認められれば、仮にグーラの無罪が立証されたとしても家督相続の権利は保証されると聞いている。


 そう、本番はこれからだ。

 毒殺未遂は自分はあずかり知らぬこと、まずは犯人を捜さなくてはならない。

 襲撃と拉致は自分が仕組んだこと、これを如何にグーラの単独犯行に見せるか。

 そのもっともらしさが鍵となる。


 舌で唇を湿らしながら、クヌースは顔を上げてゆっくりと語り始める。


「はい、まずはシャイナ姉上の尋問を継続、証言を取り、それと並行して毒の種類特定を行います。そして毒を如何にして入れたか、その方法について仮説を立て、それに従い検証し立証を――」

「くだらない」


 考え得る最も事実に迫る案を一蹴され、言葉に詰まる。


「貴方は今まで教えてきた事を何も理解できていないのですね」

「……と、いいますと」


 顔をしかめているクヌースを見て溜息を一つつくイラーティアは、ゆっくりと語り始める。


「真実など、どうでも良いのです」


 イラーティアの口から出て来た言葉にクヌースは当惑する。

 真実を求めないなら、何を以て事件を裁くと言うのか。


「大切なのは、ウルザインという家名。

 いいですか? 悠長に真実など追い求めている余裕はありませんよ。

 このただれた貴族社会において、隙を見せればあっという間に潰されるのです。必要なのは、皆に上位貴族と認められるよう家名を守り抜くこと。

 真実の追求など余事。そんなものは、事件を処理した後で好きなだけ調べればよろしい」


 ――真実は問題ではない。大切なのは体裁である。


 そう言い切る自分の母親を前に言葉が出ない。


「私はこの件を穏便に処理するために、自分の娘であるシャイナをにえとして出す覚悟がございます。

 彼女に事件を収束させるために必要な罪状という役割を与えなさい。


 ――貴方は後継として十分な教育を受けていない。

 だから今回は止むを得ないとしましょう。

 いいですね、他の貴族どもから当家の名を護る、そのために他家から見て隙のない筋書きを考え、導きなさい。

 使用人も信用してはなりません、誰が通じているのか分からないのですから。

 信用できる一部の使用人以外に見聞きされたことは、他家に流れると考えなさい。


 強大で隙の無い貴士ウルザイン家。

 その名が恐怖と畏敬を持たれている間、初めて当家は安泰なのです。

 決して、家名を動揺させてはならない。


 家の名誉を護る、それが当主たるものの務めなのです」


 母親から話を聞き言葉が出ないクヌース。

 その彼に向かい、イラーティアは無表情で下がるように伝えるのだった。

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