第74話 【2日目】罠
「これは、なんだ……」
グーラの目の前の血溜まりに倒れる侍女。
確か、先ほど騒いでおった末娘アムーラの侍女である女だ。
急ぎ執事が脈を改める。
「……死んでおります」
何故?
急な展開に、頭がついて行かない。
「グーラ様」
「今度はなんだ!?」
「こちらの短剣ですが、グーラ様の名が刻まれております」
「なんだと!?」
侍女の背に突き立つ血塗れの短剣、言われてみれば見覚えのあるその柄に彫られた紋様を見ると、確かにグーラの名が刻まれていた。
が、これは以前、部屋の中より失われていたはずのもの。
どうせ部屋の中にあると多寡を括り無視していたが、誰かが密かに持ち出し凶器として使用した、ということか。
謀られた。
グーラは顔から血の気が引くのを感じた。
この騒ぎを起こしたことそのものを問題にするだろう。
まずい。
「い、急いでこれを片付けるぞ!
母上に見つかれば、儂だけでなく貴様らの落ち度にもなるのだからな!」
「私がどうかしましたか?」
聞きなれた声が耳に届く。
それはいま、一番、聞きたくない声だった。
……なぜここに!?
「グーラ。これはどのような状況ですか。
説明なさい」
恐る恐る振り返るグーラの視線の先には、当主たるオティオーシと末娘アムーラを伴ったイラーティアが佇む。
血を見ても、死体を見ても、一切その顔色を変えず、完璧なまでに伸びた背筋に微動だにしない佇まい。
それに引き換え、アムーラは顔を青くして、通路脇の壁に向いて蹲って震え、えずく音が聞こえる。
「は、母上はなぜここに!?」
「私の質問に答えずに質問で返しますか。
非礼にあたりますが、非常のようなので、今回は許しましょう。
私は、アムーラに呼ばれて同伴したのです。ここで異常な音が聞こえ、また小さな声がする、とね。
場所が場所なだけに、私が自ら赴いたというわけです」
ぎょっとしてアムーラの方を見遣るグーラ。
馬鹿な。
いまここに母上を伴い来たということは、グーラがここに来る前に気づいたということだろう。
だが女魔人を封じ込めている間の音や声、あるいは痕跡には一段と注意を払わせていた。自分が視察した際も異常は見られなかった。
注意力に欠けたこの馬鹿妹がそんなことに気づくのか。
――いや違う。
その女魔人は既に逃走した。
何があったのかは分からないが、その時に物音がして気づいた可能性がある。
それを偶然、この馬鹿妹が聞いた、それなら理解できる。
何と間の悪いことか。
「な……何してんのよ、この馬鹿兄上!
あたしのフルネに何してくれてんのよぉ!!」
ようやく廊下の隅から顔を上げたアムーラが、青い顔をしたまま走り寄ってグーラに食って掛かる。
「ひどいわ! ひどいわ!
みんな、いいモノを貰っていて、あたしなんてフルネくらいしか貰ってないのに!
なんでそのフルネを取り上げるのよ!
あんたなんか、長男なんだからもっといいモノいっぱい貰っているんでしょ!
返してよ! あたしのフルネを返してよぉ!!」
グーラの襟を掴んで振り回し、涙で顔を濡らしながら訴える。
「わ……儂は……ワシは……
ええい、うるさい!
貴様は引っ込んでおれ!!」
そう言いながらグーラは右手を振りかざし、平手を打ち下ろし――
ぱぁん!!
乾いた音が廊下に響き渡る。
グーラは自分の手を受け止めた、固く大きな手を見詰める。
「グーラ、か弱い妹を叩くなんて、いけないなあ」
見上げると大きな影が、父上たるオティオーシがにこやかに見下ろしている。
この偉丈夫、巨体が、この一瞬で間合いを詰める。
いくら武が不得手なグーラとは言え、ただ手を振り下ろすよりも速く移動し止めるとは、相変わらずの人間離れした身体能力を見せつけられた。
「グーラ」
阿呆のように父上を見ていたグーラに、底冷えのするような静かな声が耳を打つ。
「私は説明なさい、と言いました」
恐怖さえ感じさせる
いつの間にか、その傍らに
「ち、違うんです、母上! これは儂の仕業ではないのです!
儂も意味が分からないのです!」
目をぎょろつかせ、吠えるように叫ぶグーラ。
その様子を醒めた目で見るイラーティアの表情には何も浮かばない。
「なるほど。
では、これからどうするのですか?」
「それは……」
この女を殺した犯人を捜す。
どうやって?
方法など問題ではない。犯人など、一人しかいない。
何しろ、この秘密の扉に儂が向かうことを知っているのは奴しかおらん。
クヌース。
奴ならば、儂を陥れる動機などいくらでもあろう。
だが、それをどう説明する?
あの女魔人を捕えていたことを告げれば、それは儂の破滅でもあるのだから――
千々に乱れる思い。
グーラは考え続け、しかし結論は出ない。
「成程。この侍女はこれを持っていたのですね」
グーラが思考の泥濘に囚われている中、イラーティアは死んだ侍女の手元に落ちていた紙片を拾い、内容を読み上げた。
「ここに魔女が匿われている
犯人は中に居る」
グーラは愕然とした。
完全に、嵌められた。
クヌース。貴様。
「お、おい! アムーラ!
お前、なぜ母上を呼びに行ったのだ! 誰に
グーラはアムーラに向かい叫ぶ。
悲鳴を上げるように。
その様子を見て、思い切り眉を
すぐに口角を鋭角に上げ、蔑むように言い放った。
「ふん、情けないわね。あたしをぶとうとしたからよ。
なんで母上をお連れしたのか?
そんなの決まっているじゃない! フルネが言っていたのよ!
ここで悪だくみをしている人が居るって!
あんたの事だったのよ! フルネは知ってたのよ!
ふんだ、普段から偉そうにしておいて、いい気味よ!」
実際には、フルネからのメッセージとして四男ヴァニタスから
アムーラの頭の中ではフルネは
「――下らない。
グーラ、貴方は部屋に戻って謹慎していなさい。
沙汰が決まるまで当家の跡継ぎとしての立場は留保とします」
そう告げ、グーラ付の執事に見張りを命じた。
執事達は既にグーラから権力が剥がれたことを悟り、先刻まで主人であった男は監視対象へと変わる。
力なく項垂れるグーラを抱えるようにして、部屋に
***
治癒士オティリスが傷に手をかざしながら目を閉じて集中する。
掌をかざした傷口の周囲が熱を持ち、やがて皮膚そのものが淡く光を灯す。
そうして徐々に傷口にピンク色の薄い皮が張られて行く。
しばらくして、オティリスは集中を解いた。
「これで傷はひとまず落ち着きました。
動いたらすぐにも開くでしょうが……それでも、さすがは魔王の森の娘と呼ばれる方、おそろしく効きが良いようですので、治りは早いと思います」
額から流れる汗を拭い、息を荒くつきながら、オティリスは応急措置が完了したと告げた。
「ありがとう、スケとエルナを治療してくれて。
……なんとお礼を言ったら良いのか」
傍らで安らかに寝息をたてているスケは傷こそなかったが、毒煙の影響か苦しそうにしていたところを、オティリスの治癒の力で穏やかになった。
なんでもこの術は生命の回復力を底上げする力だそうで、毒への耐性向上にも効果があるのだそうな。
「どういたしまして、あたしもリスちゃんも、あんた達にはお世話になっているしね!」
創傷処置を施してくれた
「ですからプリーツィア、リスちゃんというのは……あ、失礼。
お二人とも安定はしましたが、しばらくは安静ですからね」
そう言ってオティリスもニコリも微笑みかけてくれた。
自然と表情が綻ぶのを自分でも感じる。
「私の不肖の家族が本当に申し訳ない。
まったく、何を考えているのか、私にもさっぱりだ……」
対照的に悄然と項垂れるのはフォルテン。
だからこの家には帰りたくなかったんだ、と呟くのが聞こえるが、そこに誘ったのはお前なんだぞ。
――まあ、俺が彼の立場でも、まさか魔族と知って手を出すとは想像もしないだろうけど。
「しかし、俺達が魔族であることが家族に知れてしまっただろうが、これからどうするかな。
お前の立場もマズいのではないか、フォルテン?」
「対外的には面子にかけて家が秘匿するだろうから、問題はないだろう。
内側の話としては……むしろ縁でも切ってくれた方が嬉しいのだがな。
犯罪者や賞金首にでもならない限りは、別に困りはしないよ」
フォルテンは立派に自立している。
街道の護衛や、村や街での
それで食べて行けるだけ治安が悪い、と言うことの証左でもあるのだが。
実家からの支援がなくなるが、第三魔王軍と妖精の里と協力体制を取れれば、失った以上の見返りがあるに違いない。
確かに、問題にはならないだろう。
「とは言え、このまま逃げだしたら私にどんな冤罪を被せられるか分からないから、穏当にこの家を出られるまでが勝負だね」
「そうだな、まだエルナもスケも動かせられない。
何よりアカリを連れ戻さないとならないから、強硬手段には出られないな」
そう、一番のネックはアカリの存在。
ヴィタに預けているアカリは、ウルザイン家のど真ん中に居る。
先ほどハチに念話でアカリの様子を確認した。
特に環境に変化はなく、今もヴィタの厳しい特訓を受けているそうだ。
とりあえずハチに状況を説明して、何か異変があればすぐに連絡してくれるよう頼んでおいた。
まずは緊急の事態ではなさそうだ。
だが傍にはあのイラーティアが控えているのだ。
迂闊な真似はできない。
「まだ賓客がこの館には滞在している。
母上の考え方から、絶対にそちらに伝わらないことを最優先に家を動かしているはずだ。急いで別邸へ移動することを考えるだろうけど、さすがに昨日の今日では無理だろう。性急に騒動を起こすことは考えにくい。
まずは母上と父上の動きを見ながら、臨機応変に対応するしかないな」
「それしかないな……」
今すぐにやれることはない。
その方針だけ固まったときに、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「どうした?」
「御食事をお持ち致しました」
フォルテンの問いに扉の向こうから答える声。
これは家令ラツィットか。
一応、奇襲を警戒しながら、慎重に受け入れる。
「本日は邸内で少々不都合があり、別室を取っての正式な昼餐を設けることができずに大変申し訳ございませんでした」
数名で食事を運んできた使用人達は、手早く昼の食事を配膳する。
搬送してきた簡易的な物とは言え、こんな折でも十分に立派な食事が並べられた。
「すまないね」
「とんでもございません、フォルテン坊ちゃま。
邸内を騒がせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「それはラツィットの責任ではないだろう。
だけど、他の賓客の方々には迷惑をかけてしまっているか」
「はい、オティオーシ様も奥方も、大変心を痛めておられます。
いま、来客の皆様方も、王都の別邸へとご案内をしている最中でございます」
人払いは早急に進められているようだ。
来客がいる間はそうそう大きな動きは取れないだろうが、その安全弁としての役割も長くは続かないだろう。
「御食事をお取りいただき、しばらく致しましたら、改めて部屋に伺わせていただきます。
お召し物はあまり崩されないようにお願い致しますね、坊ちゃま」
「ん? まだ何かあるのかい?」
何気なく質問したフォルテンに、ラツィットは軽く頭を下げながら言った。
「はい、今回の件について、奥方様より重要な説明があると聞いております。
現在までに判明している情報についてお伝えしたいため、お客人にもご同席いただきますよう、お願い申し上げます」
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