第72話 【2日目】地下通路の闇
これほどの騒動が起こっているにも関わらず、その日の昼餐も贅沢なものだった。
厨房で働く料理人に感謝を捧げながら、その芸術的な料理を堪能するべきなのだろう。本来ならば。
しかし手掛かりのつかめないエルナの行方が気になる俺には余裕がなく、到底そんな気になれない。
そんな俺を気の毒そうに見遣るフォルテン。
掛ける言葉も思いつかないのだろう。
下手な慰めや励ましなど、何の役にも立たない。
さりとて良い案があるわけでもない。
「とにかく、ローラー作戦を続行するしかない。
虱潰しに家の中を蹂躙するぞ」
「ローラー作戦が何なのかちょっと分からないが、何か君の言葉が不穏に聞こえて仕方がないのだが。
心配なのは分かるが、あまり目立つ真似はしてくれるなよ?」
完全に目が据わっているだろう俺に気を遣いながらも、抑えるようフォルテンは釘を刺す。
それでも、その忠告も俺の心には届かない。
これはちょっと行動を抑えるためにもアカリちゃんを連れてきた方がいいかな?
などと考えるフォルテンは、行く手に誰か佇んでいるのを見つける。
誰かと思えば、アムーラ付の侍女であるフルネだ。珍しい。
「御前を失礼いたします、お客様。
恐縮ではございますが、私の主であるアムーラ様よりの言伝を預かっておりますため、伝えさせてください。
アムーラ様におかれては一度お客様をお招きしたいとの由、差し支えなければお時間を頂戴できないでしょうか」
「今から、ですか?」
「はい。急なお誘いにて恐縮でございます」
そう言って頭を下げるフルネ。
俺は少し困惑した。
会いたいなら、別に昼餐を共にすればいいのに。
そもそもそういうシステムだろ。
フォルテンも少し戸惑いながら俺を見ている。
俺がどうするのか、回答を待っているようだ。
アムーラの思惑はどこにありそうか?
少し考えてみたが、全く分からない。そりゃ、相手の事を知らないし。
だけど、手詰まりな今の状況から考えて、変化を受け入れるのは何かのきっかけに繋がる可能性がある。
「分かりました。ご招待をお受け致します」
そう言って会釈をすると、慇懃に頭を下げて応えるフルネ。
「私も同行して良いかな?」
すかさずフォルテンが一言添えると、フルネは少し眉を顰めてから、判断が付きかねるから後ほど主に確認させてほしいと返す。
それにフォルテンが軽く頷く。
「では、こちらへお越しください」
くるりと踵を返して歩き始める。
その小さな背中について歩き始める。
(フォルテン、アムーラってのはどんな子なんだ?)
(私の兄弟の中の一番下の妹で、今年で十三になったはずだ。
言い辛いが、気まぐれで、割と軽はずみな言動が多い子だったな)
(すると、今回のような騒動に関わっている可能性は?)
(首謀者にはならないだろうね)
フルネに聞こえないよう、ひそひそ声で話し合う。
その内容を聞く限り、手の込んだ仕掛けを
なら、今回の件も、本気で興味本位の
……毒殺騒動に巻き込まれ、邸内で襲撃を受け、妻と従者が行方不明となって傷心であるだろう客人を、ただ自分の興味本位で呼びつける?
ちょっと客を招くには非常識なタイミングではなかろうか。
教育もされているだろうに、にわかには信じ難いけどなあ。
あれこれ考えながら歩いていると、ふと視界に何かが引っかかった。
なんだ?
前方の通路を、赤い何かが視界を横切ったように感じたが。
「ちょっと失礼」
看過し得ない何かを感じて、本当に失礼をしているという自覚を持ちながらも廊下を走り、その何かを探す。
おそらく、この角を右に抜けて行ったはずだが――
そう考えながら何かが通り過ぎて行ったはずの通路を見ると、そこにそれがいた。
赤い仮面、茶色の髪に、赤いマント。
間違いなく、赤仮面メフルの装束――のはずだが、何か違和感が。
一瞬、互いに硬直する。
そして赤仮面は背中を見せて逃げ出した。
見苦しいばかりにばたばたと。
「おい、ちょっと待て――」
俺も駆けだそうとして、膝を曲げ溜めをつくると。
「お客様ぁー!!」
背後からフルネの悲痛な叫び声が聞こえる。
ぎょっとして思わず背後を振り返ると、顔を青くして震えながらフルネは叫んだ。
「廊下を走らないで下さい!!」
「そんなお行儀いいこと言ってんじゃねぇよ!」
思わず素で返してしまい、
足を止めている間に距離を稼がれた。
既にその姿は小さくなっている。
慌ててその後を追う。
赤仮面のくせに相手の足は遅く、みるみるうちに近づいて行き――
追い込みをかけようと廊下の角を曲がったが、そこには何もおらず、ただ長い廊下が伸びているだけであった。
***
「赤仮面が現れて、消えただって?」
フォルテンが胡乱そうに顔を
(ああ、赤仮面と言っても、メフルのような身体能力は有していないようなのだが。
えらく不格好に走っていたから、あの時間でこの長い廊下を駆け抜けられるとは思えない)
侍女フルネの耳があるから迂闊なことは喋れない。
小声でフォルテンに囁いた。
(なんとかこの廊下を探したいのだが――)
「どうかなさいましたか?」
フルネが怪訝そうな表情で質問をしてくる。
「いえ実は少々急用を思い出してしまいまして。
アムーラ様のご招待については改めて応じさせていただく形としていただけないでしょうか?」
手掛かりが逃げていくのではないか。
そんな焦燥を背筋に感じながら、
「え……そんな……困ります、応じると仰ったではございませんか」
目を潤ませ、半ば泣きそうな勢いて詰め寄って来る。
客に詰め寄るとか、侍女としてその言動はどうなのだと思うが、俺がそれを指摘するわけにもいかない。
ちょっと対応に
「嬢さん、客人を困らせるのは良くない」
突然知らない声が背後から聞こえて、びくっとして背後を振り返るフルネ。
しかしながら、そこには困惑した表情のフォルテンが居るだけ。
慌ててきょろきょろと周囲を見渡すが、フォルテンと客人たるユウ以外には誰も
見つけられない。
いや、正確には、知らない間にユウの足元に犬がふさふさの尻尾を悠然と左右に振っているのをフルネは見つける。
――え? いつの間に?
「すまない、急に後ろから声を掛けてしまい驚かせてしまったね」
動揺するフルネに声を掛けるフォルテン。
「え……フォルテン様の声ではなかったと思うのですが……」
「いや、君の勘違いではないかな。
私が後ろから急に声を掛けてしまい驚かせてしまったせいで、いつもと違うように感じたんだね。
もっと君の状況を理解すべきだった、申し訳なかったよ」
そう言って微笑みかけた。
その柔らかい声質と親し気な笑みに、なんとなく誤魔化されてしまうフルネ。
「そう……だった……のかも、知れません。
こちらこそ、失礼しました」
フルネが頭を下げ視線が切れた隙に、フォルテンはカクを睨みつける。
しかし、フルネに声を掛けた本人であるカクはそっぽを向いて、どこ吹く風、の様子だ。
そんな漫才は置いておいて、俺はカクに状況を説明する。
(ハチから伝言を聞いてくれたか、助かった)
(念話で聞いた)
(おそらく、この辺に何らかのからくりがある筈だ。
調べてくれないか)
(もう分かっている。そこだ)
そう言うと、カクは壁に向かい歩み寄った。
これは……装飾はあるものの、ただの壁ではないのか。
そう思って見ると、確かにカクの前の壁は装飾に囲われ
おれは近づいて少し壁を叩き、この向こうが空洞になっていることを確認した。
ならば、どう開けるのか?
カクは現世のものが見えないから、そういった仕掛けの類は分からない。
俺が調べるしかない。
慎重に壁を叩いて空洞が続くが、あるところで音が鈍くなることが判明。
これはひょっとして。
ぐい、と矩形領域の左端を押す。
するとそのまま壁は奥に押し込まれ、矩形領域の反対側が迫り出してくる。
忍者屋敷などでよく見る、隠し扉と同種のそれ。
「こんな所に、扉が……!?」
フォルテンが驚いている。
この家の家人たるフォルテンが知らない通路。
おそらく、当主か、それに準ずる者しか知らされない、秘密の場所なのだろう。
(ユウ、白煙の臭いだ。少量)
カクがそっと呟く。
白煙。俺達の襲撃犯が使っていた、意識を混濁させる毒ガス。
やはり、ここにエルナがいるのか。
秘密の通路に足を踏み入れる。
襲撃者が居るかも知れないが、躊躇をしている時間はない。
「――暗いな」
「白煙が濃くなるまでは先導する」
そう言って先に行こうとしたカクだが、ふと足を止めて、右手の暗がりの方を向く。
俺もつられて右を向こうとして。
「お客様ああああぁぁぁ!!!」
突然、後ろから侍女が抱きついて来た。
何事!?
「フ、フルネさん?」
「すみません、ちょっと怖くなってしまってぇ」
そう言いながら、小刻みに体を震わせる。
身体に伝わるその震え、これは演技とかではなさそうだ、と感じる。
「フォルテン様!
大丈夫でしょうか、フォルテン様!」
錯乱しているのか、背中に縋りながらフルネはフォルテンにまで声をかける。
思わず思案顔になったフォルテンも歩み寄ってきた。
「に……逃げて! ここから! 逃げましょう!」
「フルネ、落ち着くんだ」
そう言ってフォルテンが宥めることしばし、いきなりフルネは顔を上げた。
「……取り乱して、大変失礼いたしました。
申し訳ございません、少々気分が優れませんので、持ち場に戻らせて下さい」
「分かった。そうしなさい。
途中まで、私も付き添おう」
去り際に俺はフォルテンに念珠を渡す。
(フォルテン、何かあったらハチ経由でここに伝言をする、持っていてくれ)
(分かった。我々の念話用に準備しておく必要がありそうだね)
そっと念珠を渡して、フルネに付き添い去り行くフォルテンを見送る。
「……さて、何だっけ。
何かしようとして途中だったような気がしたけれど」
「いや。もういいだろう。先へ進もう」
カクはそれだけ言うと、少し右手の暗がりに視線をやって、すぐに元に戻してから奥へ足を進めた。
***
(これは……)
その空間全体に白い煙がたゆたう。
ほとんど光もない通路、蛍光灯の切れた地下道を思い出す。
じっとりと重い湿気を含む、土臭い空気。
ほとんど掃除もされていない、ざりざりした床を進む。
今にも何かが出てきそうな雰囲気。
……いや。
実際に、何かいる気配が感じられる。
静寂に包まれた空気の中、微かに聞こえる息遣いの音。
そっと隠し持った短剣を構える。
(カク)
(五人。右手前方十歩に三人、
右手の奴ら、我々を狙っている)
ぴっ
その時、軽い弦音が聞こえる。
「おおおおおっ!」
咄嗟に短剣に力を籠めると、剣身にアーク放電のような光が這い、その一瞬の光で空中を飛翔する矢が浮かび上がった。
俺は矢を叩き落し、一息で敵のいる場所へ飛び込む。
盾のような大きな板状の遮蔽物。
その遮蔽物の裏にはマスクを着けた男達、まさに俺達を襲撃した不審者と同じ格好。
殺すまでもない。
軽く短剣を舞わせ、一瞬で三人とも気絶させた。
とりあえず一人からマスクを奪い装着する。
「カク、そっちはどうだ!」
「対処した」
軽い応えがあり、左手奥の襲撃者達も制圧されたことが分かった。
続いて、毒ガスを避けるためにカクが後方に戻る音が続く。
その時。
「……ユウ……?」
探していた声が聞こえる。
ようやく。
「エルナ、どこにいる!?」
「……ここ……だよ。
少し……待って……ね」
その言葉の後で滞っていた淀んだ空気が動き出し、徐々に空気が動き出す。
エルナが風を起こして換気してくれている間に、手早く襲撃者達の荷物を漁って灯火と思われるものを取り出し、明かりをつけることに成功していた。
「大丈夫か、エルナ!」
影の奥、壁際の暗いわだかまりに隠れるエルナ。
大きな黒い翼を広げ、岩肌の上に胡坐をかき、その上に気を失っているスケを載せていた。
小さな灯火に照らされた
「……みつけて、くれたんだ……よかった……」
言いながら、頭が左右にゆるく揺れている。
肌は汚れ、長い髪は乱れ、足は血に濡れていた。
限界なのだ。
その瞬間、体中の血が沸騰したような錯覚を覚える。
肌がヒリつくような怒り。
それなのに、頭の中はどこか冷静で。
……いや、怒っている場合ではない。
俺はエルナをそっと抱きしめた。
「もう、大丈夫だ。
無理に意識を繋ぐ必要はないんだ。
回復するまで、俺が全て何とかする」
「ありが、とう。でも――」
それでも立ち上がろうとしたのか、身体を動かすエルナだったが。
「大丈夫だから。
――おやすみ。」
彼女を離さなかった俺に抵抗をあきらめて、頭を寄りかからせる。
俺の胸の中、やがて穏やかに寝息をたてはじめた。
「寝たのか」
側に寄ってきたカクが、エルナの足の傷をぺろりと舐める。
「ああ、悪いけど、スケを頼めるかな。
ひとまず部屋に戻り、エルナを休ませてあげよう」
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