第71話 【2日目】尋問と劣情と
「お待たせ、これがあの黄色い鳥君と念話でつながる神具だよ」
そう言って、フォルテンは小さな珠を四個ほど渡してくれた。
乳白色の珠は金色の装飾が施されていて、光を当てると微かに煌めく細い紐までつけられている。
細かな仕事だ。
俺は珠を受け取ると、さっそく意識を集中してハチに呼び掛ける。
念話はユイの神樹邸で散々もまれてきたから、既に感覚まで覚えている。
(ハチ……ハチ……聞こえるか……)
心の中で呼びかける。
ハチを頭の中で意識し、どこかで繋がっているような不思議な感覚を辿る。
何かが結ばれるような手応えがあり、自分の想念が流れて行く。
(ナんだ……ユウ……カ……?)
遠くにいる相手が小声で喋っているような。
水中にいる相手と会話をしているような。
もどかしく、神経を擦り減らすが、しかし確かに繋がっている感覚。
やがて
(フォルテンから、ハチと念話をするための珠を受け取った。
これでいつでもお前と話をすることができる)
(オオ、スゲーな。ナれるとけっこう話せるモンだナ)
流石は感応系に秀でていると言われたハチだけの事はある、コツを掴むと話ができるようになるまですぐだった。
俺はアカリが元気で無事であること、ヴィタの教育は最初こそ厳しかったものの次第に丁寧に深く教え込まれていること、アカリも良く応えて同じことを聞き返すことは殆どないこと、などを聞いた。
うん、元気そうで何よりだ。
「その表情だと、うまく鳥君と繋がったようだね。
本当に見ていて分かりやすい表情の変化だよ」
「うっさいな、いいんだよ。
あと鳥君じゃないぞ、ハチという名前があるんだからそう呼びな」
でも、ありがとうな、とフォルテンにお礼をする。
「カク、後でお前も使い方を覚えるといいぞ。
この館に居ると、次の瞬間に何が起こるのか分からないところがあるから、備えておくべきだ」
さて、と言いながら立ち上がる。
「どうした、ユウ?
どこかに行くのか?」
「もちろん、エルナを探しに行くさ。
彼女が今、どうなっているのかわからない。一刻も早く見つけ出したい」
「……彼女ほどの強力な存在をどうこうできるとも思えないが、そうだな。
我々も手伝おう」
そう言いながら、皆で立ち上がる。
囚われの
***
昼餐の後。
当主オティオーシと奥方イラーティアは、改めて長女シャイナが拘束されている部屋へ向かっていた。
フォルテンならびにその客人の毒殺未遂。
客人の部屋を襲う不審な集団、そして行方不明になる夫人と小姓。
さらにフォルテンの部屋に仕掛けられた罠。
長いウルザインの歴史を紐解いても、これほどの異常事態はちょっと見当たらないだろう。
緘口令を敷いていても使用人は耳目を立てており、気の利いた他貴族は潜入させた間諜からこの恥ずべき情報を得ていることだろう。不始末の子細を他家に知られ、下手をしたら追い落としにも利用されかねない。
何としても早急に解決し、体面を保つ必要がある。
そのような想いを内に秘め、しかしイラーティアは傍目には微塵の焦燥も見せずに歩いている。
と、視界に一人の男が入った。
次男たるクヌース、こんな所で待ち伏せをして、何を?
そのクヌースはオティオーシとイラーティアに向かい深く一礼をして、非礼を詫びてから話し始めた。
「これから姉上の所へ行かれるのですか?
姉上は何か手掛かりめいたことを話されましたか?」
「貴方には関係ないこと、下がりなさい」
イラーティアはにべもなく退けようとする。
しかしクヌースはニヤと笑って、自分の話を続ける。
「姉上は孤高で、それでいて強情なお人だ。さらに頭が良い。
胸の裡に何かを秘めていたとしても、そうそう語ることはないでしょう。
――いかがでしょう、私に尋問をさせていただけないでしょうか?」
爽やかな――と言うには、何か黒いものが隠し切れていない笑顔。
この男は何を言い出すのかと、イラーティアは眉を顰める。
「何故、貴方に任せるのです?」
「もちろん、実の親が娘を尋問するなど、見ていられないからですよ!
娘相手では、どうしても追及が鈍ろうというもの。
その点、私は昔から
対等な関係性から、強く出ることも、情に訴えることも。
私にお任せいただけるならば、必ずや姉上の心に秘めたものを引き出してお見せ致しましょう」
――何をくだらない、と思うが、それを口に出さずに考える。
息子の事はまあ理解しているつもりだ。
大凡の魂胆はお見通しだが、しかしそれはシャイナに対して強力な牽制に成り得るかも知れない。
眩暈がするほど腹立たしいが、しかしこれも一つの手段か。
それに、この男もその先を考える機会かもしれない。
「好きになさい」
それだけ言うと、家令ラツィットに後を任せて踵を返した。
***
きぃ、と音を立てて扉が軋む。
暗い部屋に薄く差し込む光、また誰かが来たのだ。
母上たるイラーティアだろうか。
家令であるラツィットだろうか。
父上は一人でなど来ないのだから、除外して良い。
誰が来ても同じだ。
自分は、本当に何も知らない。
自分が席を外した隙に自分の椅子が音を立てて倒れた?
普通に考えて、だから何だと言うのだ。
自分はただ、屋敷の中の有力者が不在になった隙に、この家の汚らわしい蛮行を調べたかっただけなのだ。
各有力貴族の醜聞。
それを元にした当家の恐喝。
王家に対する偽証。
様々な情報、それに伴う幾許かの証拠。
滅多にない機会に、これらを収集していただけなのに。
――いずれ、この家から逃げおおせるために。自分の身を護るために。
しかし、だからこそ。
こんな目に会っても、それは言えない。
それが露見したら、家にとって役立たずの弟の殺害未遂、あるいは客の夫人が行方不明、それどころではない。
娘などと言う立場は何の役にも立たずに、身の程を知らされた上で、無惨に棄てられるだろう。それこそ、死ぬよりも酷い目に会って。
だからこそ、例え自分に咎を押し付けられて、最悪殺されることになっても、真実を語ることはできない。
ここは、そういう
さあ、誰が来たと言うの?
それが
そう覚悟を決めて顔を持ち上げ、見たその相手は。
「やあ、姉上。ご機嫌麗しゅう。
まだ自白されていないのですか?
駄目じゃないですか、仕方がないから俺が来ましたよ?」
信じられないものを見た。
なんで次男たるクヌースがこんなところに?
手に鞭などを持って、あんなに下卑た笑顔を顔に張り付けて?
何をしに来たというの?
「あ……あんた、何をしに来たの!?
あんたは何の関係もないでしょ!
退きなさい、ここはあんたのいる場所じゃないんだから!」
自分が
そんな自分の声を聞いて、より邪に笑顔を深める弟を見て、絶望しかなかった。
「そりゃあ……頑なに真相を語ろうとしない姉上に、教えて差し上げないと。
理解していますか? 貴女は今、咎人と同じ扱いなのです。
俺も残念ですが……この家で咎を負うというのがどういうことかを、姉上にも知っていただければ」
そう言うや、クヌースは手元の鞭を鳴らし、姉たるシャイナを打ち据える。
椅子に拘束されているシャイナは椅子ごと後方に倒れた。
酷い衝撃。
恐怖のためか殆ど痛みを感じない――と思ったが、本当に打たれた場所には大した痛みがない。
その代わりに右肩の被服がざっくりの裂けて、普段、日に当たらない青白く滑らかな肩が剥き出しになっていた。
「ははは……。
俺は普段から武具を嗜んでいて、だから殆ど痛みを感じずに打ち据える事だってできるんだ。
どうだい、ほとんど肩に傷もついていないだろう?」
痛みが殆ど残らない鞭打ち。
被服を破っただけ。
それに何の意味があると言うのか。
この男、何をする気?
その弟が自分に近づいて来る。
シャイナを拘束している椅子ごと引き上げ、再び床に置く。
そのまま離れようとするクヌースを見て、少しだけ息を抜いたその瞬間。
「ひっ!?」
頬に生温かい感触が走る。
何事……これは頬を舐められたの!?
その気色悪い事実に愕然とする。
「母上が尋問しているうちに偽証でもなんでもしてしまえばよかったんだよ。
馬鹿だね、俺が尋問を代わることを考えなかったのかい?」
そう言って剥き出しになった肩を撫で回すクヌース。
信じられない行動に、思わずシャイナは顔を上げる。
見下ろす男の表情には、劣情としか言いようがない感情しか浮かんでいない。
その目付きは、家族を見る目、いやいっそ人を見る目ですらないように感じさせられた。
卑劣な男。そして、自分の弟。
これまで自分が蒐集してきたこの家の秘密の愚行、その中にあった次男クヌースに関する資料には、その色情狂としての蛮行が記されていて――
「いやあああぁぁぁ!!
何でも話す、何でも認める!!
だから助けて! 助けてぇ!!」
「ははは、やっと気づいたかい、姉さん。
でももう遅いよ、こんな機会は二度とないのだから――」
そう言って手にした鞭を天頂に向け振りかざす。
その恐怖に呼吸することすら忘れてしまったシャイナは――
『お止めなさい!』
さほど大きくはない、しかし鋭い一声が大きくもない部屋に響き渡る。
「は……ははうえ……さま……」
小刻みに震え、涙を浮かべながら、椅子に拘束された状態で見上げる娘。
そんな様子を、まるで感情も浮かべずに見下ろすイラーティアは、そのまま視線をクヌースに向けた。
「シャイナは自白する考えを出しました。
よくやりました、クヌース。もう下がってよろしい」
「し……しかし、母上。
まだ誤魔化す可能性も残っているので……」
「クヌース。目的を見誤るのではありません。
私の目的は、当家の醜聞を鎮静させるための材料です。
決して、貴方の見苦しい欲望を遂げる事ではありません」
そう言って睨まれるクヌース。
もはや理屈ではない、幼少の頃から躾けられた
その様子を見て、大切なものと引き換えに、自分の人生は終わったことをシャイナは悟った。
***
「以前、母上が赤い仮面を被った男を使っていたことがあった。
この仮面はその男が使っていたものに良く似ている。
おそらく、その男がこの館に居る時に使っていた部屋だろう。
良く見つけてくれたね、フルネ。ありがとう」
そう言って四男のヴァニタスはふわりと柔らかく微笑む。
末娘アムーラに仕えるフルネは、その可愛らしい表情を嬉しそうに綻ばせて、ヴァニタスから駄賃を受け取った。
自分の扱いづらい我儘な主と異なり、容姿も最高で気遣いまで行き届いている敬愛する相手、彼の為ならば大抵のことはやってのけるだろう。
「滅相もございません。
ヴァニタス様のお役に立てるのなら、このフルネ、何でも致しましょう」
その想いを鷹揚に受け取るヴァニタスは、思いついたように語る。
「そうだ、ひとつ君にお願いしたいことがあるんだ」
悪戯っぽく笑う彼の表情を眺めながら、なんでしょう?とフルネは問い返す。
「うん、ちょっと耳を寄せてもらえるかな?」
そう言って、耳を寄せるフルネに密やかに語るヴァニタス。
耳にかかるその湿った生暖かい感触を気にしながらも、その内容を反芻した。
「承知いたしました、ヴァニタス様。
――アムーラお嬢様を動かすことも、そう難しくないと存じます」
そう言って微笑んでから一礼をして立ち去る。
その様子をにこやかに眺めながら小さく手を振るヴァニタス、その奥の物陰から音もなくそっと出てくる神術教師のテオトル。
「……あの地下通路ですか?」
うっそりとそれだけを語るテオトル。
「ああ、兄上達の手勢を見張って、君が見つけてくれたアレ。
僕も知らなかった秘密の通路、それを暴きたいんだ。
だから、ね。ちょっと一石を投じてみたいんだ」
そう言って、ヴァニタスは悪戯っぽく、くすくすと嗤った。
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