第61話 【0日目】兄弟姉妹
「何かやたらとお前の母親が目立っていたな」
俺は廊下を歩きながら先ほどの対面を思い出す。
フォルテンの母親を名乗る、糸杉のように細い老女イラーティア。
隣に立つ当主オティオーシは人目を引く雄偉な体格を持ち、老いているのだろうがそれを感じさせない力強さを持っていた。
普通に考えればこの当主の方に目が行くはずなのに、何故か奥方イラーティアの方に意識が行ってしまう。
しかもよく考えてみると、喋っていたのも、挨拶を交わしたのもこのイラーティアなのだ。当主は隣でニコニコと微笑んでいただけ。
「当家では、全て母上を中心に動いているからね」
あまり触れたくないのか、言葉少なにそれだけを伝えてくるフォルテン。
「次は私の兄弟と会ってもらうよ。
母上とは違った意味で厄介な兄弟さ」
つまりそれは母親も厄介といっているわけで、お前の家族はどうなっているんだ。
それきり黙ったまま廊下を進み、豪奢な扉をノックして開ける。
中に入ると広い部屋に複数のソファのような長椅子が置かれ、それぞれに一人ずつ腰を下ろしているのが見えた。
「グーラ兄上、ただいま帰りました」
フォルテンはその中で最も恰幅の良い男性が座るソファの側に移動した。
傍で立つ数人の使用人らしき男達はそっと退いて場を開ける。
「何だ、まだ生きていたのか。久しぶりだな、フォルテン」
その男は立ち上がる気配もなく、足を組み背もたれに大きく体重を預けたまま、尊大に返事をする。
「兄上、こちらが事前にご連絡差し上げた客人のユウ殿とその家族です。
ユウ、エルナ、この方がウルザイン家の次期当主となる、当家長男のグーラです」
その言葉を聞いた後、足を戻して状態を起こし、長兄グーラは、その大きな目玉をぎょろつかせてこちらを見た。
「貴殿らが異国からの客人と申す者達か。
ふん、あんまり質の良い冗談ではないが、まあ客は客だ。
この家の洗練された食事でも楽しんで行くといいさ」
――こいつ、これで気の利いた挨拶でもしたつもりか?
こちらを不躾に眺めながら片頬で笑う男は、まあ異相というか、迫力はある。
それにしてもこの尊大な態度。
ちょっと蹴り飛ばしたい気持ちで一杯になったが、フォルテンの手前、あとアカリの情操教育的にも、ぐっとこらえざるを得ない。
ひとまず挨拶だけして、その場を離れた。
続いてその隣のソファの前に移動する。
「おう、フォルテンか、久しぶりだな。
元気でやっているか」
「ええ、クヌース次兄も元気そうで何よりです」
「オティリス嬢やプリーツィアちゃんも来ているのか?
迷惑かけているんじゃないか?」
両脇に侍らせていた女性に軽く会釈をして、男らしく整った顔貌に人懐こい笑顔を浮かべながら立ち上がってフォルテンの肩を叩く。
当主オティオーシに迫るほどの体格を持ち、良く鍛えられていることが分かるほどにその所作は鋭さを伴っていた。
そしてフォルテンの紹介があり一度顔を下に向けて起こした後には、彼の目はエルナの顔をまじまじと見つめていた。
「これは、また……随分と美しい貴婦人ですな。
貴殿もこのように素敵な伴侶と共にいられるとは、なんと幸運な方なのか」
この歯の浮くような台詞をエルナを見続けたまま、つまり俺の目などまるで見るつもりもなく言い放った。
少しは性癖を隠せよ。
次兄クヌースは、このウルザインにおいて武勇を担い、既に対魔族戦闘でも功績を上げているらしい。そのせいか、彼の座るソファの周囲には、武装こそ短剣のみであるものの腕の立ちそうな男達が護衛として立ち、こちらを値踏みする目で観察する。
更にクヌースの目がアカリの方に向いたのを見た俺は、早々に次へ向かい不快な視線からアカリを護るのだった。
「久しぶりだね、フォルテン兄さん。どれくらぶりかな」
次のソファに近づくと、まだ表情に幼さを残した少年が、完璧な笑顔を湛えて歩み寄って来る。目が笑っていないので、完全に社交的な作り笑顔であることは見え透いているのだが。
先のクヌースとは異なり、繊細で整った顔。中性的な美しさを持っていた。
「ああ、久しぶり……随分、大きくなったね。
前回会ったのはいつだったか……あれ、二年前くらいかな?」
思い出して困惑してるフォルテンを見ながら、片手で口元を抑えてくつくつと笑う少年。その仕草がいちいち様になっている。
「まあ、仕方ないよ。兄さんは好奇心が強いからあちこち飛び回って、家には殆どいないものね。
でも僕としては、もう少し家を気に掛けてくれても良いと思うんだ。
会えて嬉しいよ、フォルテン兄さん。
――で、僕をお客様に紹介してくれるのではないのかな?」
「ああ、すまん。
こちらが今回、異国から来ていただいた貴人、ユウだよ。
そしてユウ、彼が四男のヴァニタスだ、よろしく頼む」
挨拶を受けて、俺もその少年に向かい礼を返す。
それを受ける様子も、礼法に通じている様子が窺えた。
まあ、俺自身、この国の礼法を良く知らないから何とも言えないのだが……。
「そうだ、彼も紹介しておくよ。
この方が僕の教師役であるテオトル師。
何でも良く知っているけれど、特に詳しいのは神術。
教会でも有望視されている神術士なんだ」
「ご紹介に預かりました、テオトルと申す者。
ですが、この館には私の上司たるユークィテル導師が居られます。
とても神術が詳しいなどと自惚れることは適いませぬ」
そう言って、暗色系のだぼっとしたローブにフードという陰気な出で立ちの背が高い男はうっそりと頭を下げた。
こちらも礼を返していると、突然後ろから甲高い声が響き渡る。
「ちょっと、いつまで待たせるのよ!
フォルテン、とっととこっちまで来てくれないと、私が暇じゃない!
少しは気を利かせなさいよね、ほんと」
後ろを振り向くと、まだ小柄な――おそらくはアカリと同世代くらいの少女が、黄色いドレスを着て腰に手を当て、こちらを睨んでいる。
「フォルテン、早く紹介しなさいよ!
いつまでレディを待たせるつもりなの!?」
脳にまで響きそうなその声に苦笑しながら、フォルテンが紹介する。
「彼女が末の妹のアムーラだ。
とても活発で……その、愛らしい妹だよ」
フォルテンの苦しい紹介を受け、まんざらでもない表情で胸を張る末娘アムーラ。
彼女に向かい俺達も挨拶をすると、さも当然という顔でそれを受けている。
「じゃ、挨拶も済んだし、私はもう行くわね!
行くわよ、フルネ。ぐずぐずするんじゃないわよ!」
一通り挨拶が終わったと思えば、そう言い捨てて歩き出した。
近くで控えていた侍女と思しき女性を手招きして連れ出すと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
自由だ。
「――なかなか個性的な兄弟だな。
しかも四男一女とは、なかなか賑やかだな」
「いや、実は長兄と次兄の間に長女がいるのだけど、部屋に籠りきりで出てこないんだ」
なんと、まだ引きこもりの姉がいるとか。なかなか多彩な家族構成だ。
「私はどうもあの兄弟達が昔から苦手でね。早々に家を出たいと思っていたのだが、今回の披露目を終えれば、ようやくこの家と距離を置けるはずだ。
だから、今回だけは無事に乗り切りたいのだよ」
「だからって、森の魔族の手を借りるとか。
ちょっと警戒しすぎじゃないのか?」
「――いや。
今までも、家に居る時は何度か命を狙われた形跡があったんだ。
私に近しい者達も、不審な死を遂げた。
だから私は――この家から逃げ出したんだ」
そう語るフォルテンの表情は硬く、本心から嫌い、怖れていることが見て取れた。
近しい者の死。それがあるから、フォルテンが心配しすぎ、と決めつけられない。
だからこそ、いつもの
仲間の命の危険も含めて、少しでも生存確率を上げるために。
「なぜフォルテンが狙われるのか、心当たりは?」
「理由は多分、当家の継承権に関するものだと思うが――正直、良く分からない。
ひょっとしたら、他の兄弟も狙われているのかもしれない。
私の兄弟は、自分の身を守るために各々の協力者を置いているのかもしれない」
そう考えると、先ほど紹介された際も、みな一人ではなかった。
「なるほど、家督争いか。
それで血縁の中に敵がいるかも、と思うのは確かに気持ち悪い」
「そう――そうだ、な。
家督争い、そのはず――だな、うん」
自分で言っておいて、やけに歯切れが悪い。
まだ何か心当たりでもあるんだろうか。
「ひどい! ひどすぎる!
折角、兄弟とか姉妹とか、大切にできるのに! ひどいよ!」
突然、横合いから憤慨する声が聞こえる。
横を見ると、エルナが顔を赤くして怒っていた。
「ずるいよ! 私だって弟とか妹が欲しいのに!」
地団太を踏みながら悔しがるエルナを宥めつつ、周囲を気にしながら部屋の隅に寄る。幸い、エルナのことを気にしている人はいないようだ。
「しかし、さっき、近しい者が不審な死を迎えた、と言ったよな?
デリケートな話で申し訳ないが、詳しく教えて貰っても良いか?」
話の風向きが変わった雰囲気を察したのか、エルナも大人しくなる。
「……そうだな、この家に滞在する以上、無関係ではないしな。
例えば、私がまだ小さい頃、あまり周囲に馴染めなかった私に良くしてくれた
私は彼にお願いして、家族に内緒で良く外に連れ出してもらった。そこで外の村への行き方や、外の人間との交流を覚えることができるようになったんだ。
今から考えると大変な迷惑をかけたものだが、彼は全く悪い感情を私に見せず、それどころか様々に気を遣ってくれるようになり、私もそんな彼を深く信用した。
……周囲から、その
そこで話を一旦区切ったフォルテンは少し遠い目をする。
しばらくして、ゆっくりと口を開いて、話を続けた。
「ある日、館内に彼の姿が見えなくなった。
毎日のように顔を見ていた私は不思議に思ったが、数日後には彼と再び会えた。
裏山で、獣の牙でズタズタに切り裂かれた、変わり果てた遺体として、ね」
再び話が止まる。
ふぅ、と一息ついてから、吐き出すように付け加えた。
「獣の牙の後は、恐らく死後に付けられたものだろうと言う話で、決定的な死因は分からなかった。
その後も、私に良くしてくれた者、味方してくれた者は、いつしか居なくなったり、あるいは同じように決定的な死因も分からないままに不審な死を迎えた。
未だに行方不明の者もいる」
そこで言葉を止めるフォルテン。
俺もエルナもかける言葉が見つからずに、沈黙が訪れる。
「おや。静かに向かい合って、どうなされましたかな?」
気まずい沈黙を破ってくれたのは、親し気な笑みを浮かべ禿頭に小さな帽子を載せた爺さんだった。
爺さんとは言え、背が高く恰幅の良い体からは生命力が感じられる、そこに居るだけで存在感のある男。
「これは導師。ご無沙汰しております」
フォルテンが恭しく頭を下げる。
「こんな爺いに、そのようにお気遣いなさるな。
こちらこそご無沙汰をば。久しぶりですな、フォルテン坊ちゃん、いやフォルテン殿」
その言葉を聞いて苦笑いをするフォルテン。
一瞬で表情を改めて、俺とエルナに紹介をしてくれる。
「ユウ、こちらは教会から当家に派遣いただいている神術顧問のユークィテル導師だよ。当主オティオーシと同格として滞在いただいている。
神学にも神術にも通暁されており、教会内での位階もかなり上位にあたるお方だ」
「そのようなご紹介をいただくとは、痛み入る。ただの教会の爺さん、で良いのじゃがな。
お客人、お初にお目にかかる、私はユークィテルと言う者。
教会には時間だけ長く籍を置いてる関係で、何か知りたいことがあれば、お聞き下され」
そういって、軽く首を下げる。
おっと。
ひょっとしてこれは、またとないチャンスではないだろうか?
「こちらこそ、宜しくお願い致します。
改めまして、私は海の向こうのガンダーラと呼ばれる国から参りした、ユウという者でございます。こちらは妻のエルナと、娘のアカリです」
俺の紹介に合わせてエルナとアカリが挨拶をする。
好々爺とした様子で挨拶を返すユークィテル導師。
そして俺は、折角巡ってきた
ただし最初は答えやすいことから、本命はその後で。
「恥ずかしながら、実は私はこちらの国の文化に疎く、困っています。
貴国の神話や歴史などについて、差し支えない範囲で構いませんので、お話を伺えないでしょうか?」
その言葉を聞いて驚いたように少し目を見開き、再び微笑を浮かべて話し始めた。
「なるほど、確かに遭難されて来たという御身には、本国の神話については明るくないのは止むを得ないこと。
この老人で宜しければ、少しお話しをさせていただきましょう」
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