第56話 巡回布教師

 大空を滑空する鳥。

 その小さな影が大きな円を描きながら、ゆるゆると降下を始める。


 最初は小さい点のようだったその影は徐々に広がり大きくなり、やがて巨大な鷲の影を形作る。

 ふわり、と地上に舞い降りたその鷲は体に様々な装備を纏い、背に人を乗せていた。


 ぱたたた。


 軽やかな羽音が聞こえ、鷲の大きな体に比して豆粒のように小さな影が、その背に乗る人物の肩に収まった。


(アイテル様、ユークィテルです。

 ウルザイン家の動向について連絡事項がひとつ。

 例の赤仮面メフルを詐術を用いて奥様自身で刺殺を試みましたが、背に短剣が刺さったまま赤仮面は逃走。行方を見失いました。

 後事への対処のために、奥様が例の神剣を十本ほどご所望です)


 肩に止まった巡鳩めぐりばとからの念話を受け、アイテルと呼ばれたその男は微苦笑を禁じ得なかった。

 あの奥方、御年いくつであったか。人の事は言えないとはいえ、矍鑠かくしゃくたるものだ。というか、無謀にも程があるだろう。

 それでも命を繋いでいる彼女には、敬意に似たものすら感じる。


 巡鳩に掛かっている首輪を外すと懐から出したケースにそれを仕舞い、別の首輪を取り出して再び巡鳩に掛ける。

 了解、引き続き監視をよろしく、と返事の念話を送ると、そのまま巡鳩は飛び去って行った。


 さて、彼の御仁の逗留する街まで、ここから徒歩でここからどれくらいかかるかな。

 これからの移動を考えると、アイテルも少しばかり面倒くさい思いがある。


 騎乗していたその大きな鷲を労わるように、ぽん、ぽん、と叩く。

 鷲は一声鳴くと、その大きな翼を広げて飛び去った。


 天翔鷲てんしょうじゅは街の近くで降りれないから不便なんだよなぁ。

 そう独り言ちながら、アイテルは近くの街に向かい歩き始めた。


***


 さして大きくもない街デプレメストは、それでも旅人などが立ち寄る街として、それなりに活気がある。

 その中央広場の近くには、二、三軒の宿屋兼飲み屋があり、遅くまで煌々と明かりが灯り旅人や地元民が飲み、騒いでいるのが日常の風景だ。

 そんなありきたりの一軒の隅で複数名の男女がテーブルを囲む。

 そのテーブルの中央には一枚の大きな紙が広げられていた。


「これが第三魔王領の地図か。今まで未踏だった領域が、随分と明確になったな」

「ヤズデグが脅威となって、ずっと探索ができていなかった第二魔王領と第三魔王領の中間地点の湖畔。

 簡単なものであっても、ここの地図が書けたのは嬉しい限りだよ」


 そう言って相好を崩すフォルテン。


 ユウ達のところに遊びに行ったり、求めに応じて協力したりする傍ら、地道に地形調査を行い、ちまちまと地図を作製していた成果がいま目の前にある。

 もちろん、正式な測量器具を持ち込んでおおっぴらに計測するわけには行かないので、地図といっても簡易的なものだ。それでも目印とその大凡の距離を取った地図を作製できたということは、彼らにとっては大きな一歩に違いない。


「何か少し騙し討ちみたいで気が引けるが……」

「何をいっているんだい、シュテイナ。

 この間までは、君が一番、『奴らは潜在的な敵だ、遠慮などいらん!』とか言って乗り気だったじゃないかい?」

「そうは言うけどな。ジャレコ、お前だってこの前の湖畔の一件では、彼女らに助けて貰ったろう?

 あそこまで体を張ってもらった相手に隠し事というのは、どうもな……」


 そう言って顔をしかめるシュテイナ。

 それを見たフォルテンは、苦笑しながらも少し補足をする。


「確かに、口で友誼だ何だと言っておきながら、騙し討ちみたいなやり方は気が引けるというのは、私も良く分かるさ。

 でもな、ユウは多分、私達がこうして策を弄していることは気づいていると思うよ?」

「嘘だろ?」

「いやぁ……。時々、ぼそっと釘を刺されるんだよ。

 この間も、妖精の里に行ったときに『この里のことはあんまり広めるなよ』とか言われて。理由を聞いたら、妖精は性質上あまり抵抗できないから、悪い奴らにかどわかされたら困るから、と。

 そんなわけで、この地図にもあの里のことは既知のことしか書いていないんだ」


 苦笑しながら、こちらの私製手記メモには書いたけどね、と続ける。

 ユウが知っているなら、おそらく魔王ルーパスにも多少なりと伝わっているだろう。

 薄々感づいているけれど放置、と言ったところか。


「やあ、随分と面白そうな話をしているね?」


 背後から突然かけられた声に、フォルテンは椅子ごと仰け反りそうになる。一行の他のメンバーも同じようなものだ。

 話に興じながらも、決して周囲に警戒を怠ったことはない、筈なのだが……


「……アイテル師。お久しぶりです。

 ですが、その気配を殺して近づいてくる癖は、何とかなりませんか……」


 激しく拍動する心臓を宥めながらも、外見上は穏やかな風を装いながら、フォルテンは訪れたその男に挨拶を返す。

 アイテル師と呼ばれたその男は、優し気に微笑みながら、辛辣に続けた。


「声を掛けられる前に気配に気づけるようになってみなよ。

 これで僕が悪意を持つ存在だったら、君達の密談は筒抜けだったということだよ?」


 これには苦笑いを返すしかない。


「あ、あの!」

「ん? なんだい、ダーヴァイ?」

「先日は、気配隠しのマントを供与いただき、ありがとうございました!

 早速、使わせていただきました!」

「ああ、役に立ったのならば何よりだよ」


 神術士ダーヴァイが声を上擦らせながら述べる感謝の言葉に、アイテルは軽く手を上げ、鷹揚に答えた。


「ということは、第三魔王領に潜入したのだね?

 フォルテン、首尾の方はどうだったんだい?」

「ええ、まあ……。最初は良かったのですが、途中で見つかってしまいまして。

 抗ったのですがまるで相手にならずに、彼らの棲み処に連行される有様でした」

「だから、潜入は止めた方がいいと忠告したのに。

 あの気配隠しのマントは、あくまで神気を遮断するだけで、普通の気配を隠せるわけではないのだから」

「返す言葉もございません。

 アイテル師のご経験をもっと聞いていれば、不覚を取らずに済んだかもしれないのですが」


 そう言って微笑みを絶やさずに、フォルテンは意味深な視線をアイテルに送る。

 柔らかい笑顔でその視線を受け流し、アイテルはやんわりと返した。


「僕は一介の巡回布教師だよ? 君のような勇者に教えられることはないよ。

 教会との仲立ちをして、保管している神具を融通するくらいが精々さ」


 よく言うよ、とフォルテンは思う。

 半瞬ほど視線を交わした後に、アイテルが話題を変えるように言う。


「まあ、マントのことはいいさ。

 それより、魔王領に潜入した顛末について教えておくれよ」


 問われたフォルテンは、魔王の森に潜入した時のことを話し始めた。


 第三魔王軍のまだ見ぬ魔将級の魔人に遭遇したこと。

 彼らとは対話が可能であったこと、その流れで魔王ルーパスと面会を果たしたこと。

 コヴァニエに捕らえられていた人間達は既に解放されていたこと。

 赤仮面を被った戦士が襲撃してきたこと。

 そして、最終的に赤仮面は魔王により退けられたこと。


 意図的にユウとアカリの存在を曖昧にして説明する。

 何しろ、目の前のこの御仁、何を考えているのか全く分からないのだ。

 それだけではなく、言ってみれば魔族の天敵とも言える存在でもある。


「なるほどね、よく命があったものだ」


 アイテルは微笑みながら、フォルテン達の冒険をねぎらった。

 追及を受けなくて済んで、密かに一息つくフォルテン。


 しかしフォルテンは知らない。一行パーティーの行動はダーヴァイからユークィテル導師に報告され、そのユークィテル導師を通してアイテルに情報が筒抜けであり、全てを知った上でこうして話を聞いていることを。


「話してくれてありがとう。僕はそろそろ行かせてもらうよ。

 ところでフォルテン、たまには実家に顔を出したらどうだい?

 もし会ったらそう伝えるよう、頼まれているのだけれど」

「それは御免ですよ、アイテル師。

 あんな魑魅魍魎の棲む家になんか、帰りたくないですよ」


 珍しく顔をしかめながら返すフォルテン。

 そんな彼を笑いながら、アイテルは席を立った。


***


「ああ、いろいろ話してくれてありがとう。

 参考になったよ」


 人を逸らさぬ笑顔を湛えながらアイテルは礼を述べる。

 少々むさくるしい男共は、その美しい顔立ちに相手が男としりつつも少しばかり鼻の下を伸ばしながら応じていた。


 そんな彼らのことはその場から離れるのと同時に忘れて、今入手した情報を頭の中で整理する。


 コヴァニエ砦の生存者達の言葉から、緑色の髪をした魔人の存在が見えて来た。


 まずは兵達の証言。

 春先に捕らえたその無防備な魔人を奴隷にして、散々こき使った。従順だったその魔人は、しかしその後の魔族叛乱に大きく関与していた。確証はないらしいが。

 深手を負いつつ砦からの追跡を振り切ったその魔人は、夏に行われた魔族によるコヴァニエ砦への大規模襲撃に参加しており、最終的に戦士長を討ち取ったのはこの魔人だと言う。


 続いてコヴァニエの住人で、現在は難民となっている者達の証言。

 彼らによると、砦で奴隷になっているときはあまり目立たない存在だった。

 しかし魔族により連行され森で屈従を強いられた際に庇ってくれた少数の魔人の一人であり、最終的に自分達を開放してくれたのは彼だと言う。

 彼らの森での生活に気を配り、魔王や有力魔族との間に立ってくれ、森を出る際は住民の行く末に心を砕いた。


 これらの証言を整理すると、必ずしも人間に敵対する意思はないが、不条理には決して屈しない心根を持っている、と言えそうだ。

 さらにユークィテル導師から聞いた話では、住民が森に残してきた女の子を、自分の子供のように大切に育てているらしい。

 そこからは、共感力が高く、情に篤い性格が見えてくる。


「ずいぶん面白い存在のようだが、さてこれからどういう存在に成長してゆくだろうか?」


 ニヤリと笑いながらそう呟くアイテル。


「教会にとって使える存在となるか、それとも敵となるのか。しばらく泳がせて様子をみる必要があるな。

 ――どうせなら、直接接触してみるか。なにせ面白そうだ。」


 魔王の森の方角を眺めやりながら、クスクスと笑い楽しそうに去って行った。

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