第55話 ユイの苦悩

「――と、そんな感じで狼どもと争ってきたわけだ」

「はぁ。貴方も狼に襲われるのが本当に好きなのねぇ。

 あれだけ噛まれて、まだ飽きてなかったと言うの?」


 薄暗い静謐な部屋の中、厳かに佇立する神樹の前の円卓に座る俺とアカリ。

 その斜向はすむかいに座るユイは、大仰に呆れた風の仕草をする。

 この少し辛口の反応には既に慣れたもので、俺は苦笑して受け流す。


「でも、この周辺でそんな勢力争いがあったとはね……。

 私がここに住んでいるだけでは、そういったことは全然知り得なかったわ。

 貴方を拾って世話を焼いた甲斐もあったというものね」


 これもユイからすれば十分な賞賛の言葉。

 実際に拾われて世話を受けた身としては、返す言葉もない。


「ああ、俺もこの周辺でそんな勢力争いがあったと知って、びっくりだよ。

 人間達が入り込んでくることに躊躇するような領域だということもね。

 全く、ここにいては分からないことだらけだった。箱入りのユイの代わりに世界を見て回れて良かったよ」


 さり気なく、ユイの耳目の代わりに情報を届けたよ、とアピールしておく。ささやかな意趣返し。

 そんな俺の様子を見てニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべるユイ。更なる皮肉の言葉でも考えているのだろう。そういうのが好きそうだ。


「しかし、アカリが狼の鼻っ面を殴り飛ばした時は驚いた。

 狼だってびっくりしていたさ。

 前に話した通り、機織りの能力も常人離れしていたし、この子はやはり普通ではないようだよ」


 とりあえずユイの皮肉の効いた言葉が発される機先を制しておく。


「なるほどね。

 確かに、聞いていた話と比べて、あの子からは力を感じられたから、変だとは思っていたわ。

 ――でも、仮にあの子が魔人であったとしても、それで初見の器械をするすると使えたり、あるいは野獣に効果的な攻撃を加えられているものではない。

 どちらかと言うと、私達に近いものを感じるわ」

「そう。スケの恩恵ギフトに近いものを感じた。

 俺がユイに転生してもらった時に、必要な知識が封入インストールされていたと言っていたけれど、同じような感じでできるものか?」

「そうね。可能だと思うわ」


 そう言って、俺とユイは期せずして同時にアカリを見る。


 何者かが知識を予め封入インストールしている。

 つまりそれって、人為的な過程プロセスが介在してアカリが存在していることを意味している訳で。

 初めて俺がアカリに出会った時は、コヴァニエから避難してきた人達に混じって、誰にも世話をされていない状態で居たわけで――。


「考えていても仕方ないわよ」


 変な方向に向かう思考をユイが遮る。


「誰がこの子の関係者であっても、拾ったのは貴方。

 彼女を護りたいなら、貴方の好きにすればいいんじゃないの?

 誰が介入して来ても、知った事ではないわ」

「拾ったって、そんな物みたいな」

「人だろうが物だろうが、何だっていいわよ」


 そう言ってユイは柔らかく笑いかけて来た。

 その柔らかな瞳が、いざとなったら匿ってあげるから好きになさい、と俺の将来あるかも知れない行動をあらかじめ受容してくれているようで。

 この植物の現身うつつみには敵わない、と感じさせる瞬間だ。


「あら? その石は……」


 ユイと話していると、つい結依との過去を思い出してしまい、気づくと胸元のお守り代わりの黒水晶をまさぐっていた。


「前にも話したと思うけれど、前の世界から持ってきた俺のお守りなんだ」

「いえ、そうではなくて」


 そう言って、黒水晶をよく見ようと、ずいと身を乗り出してくる。

 目の前にユイの頭が迫り、思わず仰け反る。


「少し貸してもらうわよ?」


 有無を言わせずに俺から黒水晶を受け取ると、目を細めながら透かし見る。

 天窓から零れ落ちる光を浴びて煌めく黒水晶、それを眩しそうに透かし見るユイ。その情景に思わず見惚れてしまう。


「以前、見た時よりも、随分と力を失っているわね?」

「え? どういうこと? ご利益が薄れていると言うのか?」

「なによ、そのご利益って……」


 少し眉根を寄せて溜息をつきながら、出来の悪い生徒に教えるかのようにユイが話し始めた。


「この石には、分魂の依代となっていたの。それは貴方を護る力になっていた。

 私の目から見てさほど強い力ではなかったけれど、それでもその核は確固としていて現世への介入も多少なら行うことができたの。

 ところが、その力がかなり衰弱しているわ」

「そこ、詳しくお願いします」


 更に眉間に皺を寄せて、ユイは無造作に頭をがりがりと掻いた。


「うーん、知らないか……。これって、話して良い内容なのかな……?

 神術ちからも自力で習得してきたし、これなら常識の範疇に含めても……」


 ぶつぶつと独り言を呟くユイ。

 しかしやがて結論は出たようだ。


「ま、いいわ。あまり詳しくは言えないけれど。

 この黒水晶には、元々、魂の力が籠められていたのよ。

 私たちが分魂と呼ぶ技術に近い業で、言ってみればその術者の分身みたいな存在を作り出し、それをこの石に定着させていた。

 もちろん、こんな石に封入される程度なので大した思考はできないけれど、一定の判断と力の行使が可能となるわ」


 え? そんなことが?

 思わずユイが持つ石を凝視する。


 確かに、この黒水晶を持っていると、様々な不思議な体験をした。

 妙に感覚が冴えて視界にない存在を感じられたり、敵を払おうとして火花が飛んだり。

 しかし、これはこの世界に来る前に、結依から贈られた品。いったい、誰が、どんな技術を用いて作成したのか……?


「この分魂体は……確証はないけれど、恐らく貴方の記憶にある結依という女性のものであると思うわ。

 彼女が、自らの意思と力を、時間をかけてこの石に溜めたのよ」


 ――!


 声にならない思い。

 まさか、行方不明になった彼女の欠片がこんな所にあったとは!?

 え、そんなオカルトめいた技術を、小なりとは言え社長としてビジネスを預かっていた彼女がどうやって!?


「おそらく、貴方を護るという目的で作られた存在。

 危険に応じてその力を少しずつ使って、徐々に削れて言ったのね。

 もう、存在も危ういほどに衰弱しているわ」


 ――!!


 本日、何度目の衝撃だろう。

 技術の出どころや彼女の出自に想いを馳せるどころではなくなった。

 また、彼女との繋がりを俺は失ってしまうのだろうか!?


「ユイ、それって何とかならないのか!?」

「そんな必死そうな顔しなくても大丈夫よ。

 私が力を補充しておいてあげるわ。特別サービスよ」

「……ありがとうございます……」


 ほっとして、椅子にもたれかかってしまう。

 もはやユイの言葉遣いに突っ込みを入れる気力も残っていない。


「相変わらずに、前の世界の女が大切なのね。

 ふふふ、別の世界に渡っても同じ顔をした別の女に世話を焼かれる自分て、どんな風に感じるのかしら?」


 そう言ってにんまりと笑いながら黒水晶をぶらつかせて笑う彼女の言葉に、俺は何も返せずに情けなくも力なく笑うことしかできなかった。


***


 ユウとアカリが帰った後も、ユイはしばらく黒水晶を掌で転がしながら余韻に浸っていた。


 植物としての彼女は、基本的に他の存在と交わることがない。ユウとの交流は彼女の精神性を活性化させる貴重な一時なのだ。

 静としての彼女の精神を揺り動かし、目覚めさせて活動させた後に、再び植物としての精神性に沈んで行く。静やかに入眠する時の心地よい精神的な解放感に似ているのかもしれない。


 それにしても、とユイは思う。


 純度が高い貴重なこの石は、小さくとも比較的強い力を憑かせることができる。

 この世界においても、その者によっては高い価値を持つだろう。

 それに封じられた分魂、言わば作られた小さな魂は、長い時間を経てもその核を失わない程に強く、そして確かな技術に裏付けられている。

 神術の技術を全く知らなかった彼の世界においても、その技を持つ者はいると言うこと。そしてそれを彼自身は露ほども知らない。


 ま。でも、そんなことはどうでも良い。


 この石の分魂は、言ってみれば彼の想い人、結依の分身のような存在。魂の波動は本体のそれを継承しており、それを通じてユイにもその波形が感じられる。

 これを感じ取り、自分のそれに取り込んで行けば、ユウとより強い繋がりを持つことができるだろう。


 ふふ、仕方ないなあ。


 ユイは微笑みながら、その黒い水晶を掌で転がす。

 他者の世話を焼くのが快い。不思議な在り様。

 過去の自分から考えたら、到底考えられない心の在り方。


「ん?」


 何かを感じる。


 久しくない、望まぬ訪問者だろうか?

 特殊な樹液を霧状にして、彼女の分魂をそれに纏いつかせる。

 来るものを惑わせ、拒む魔の霧で家を覆おうとして――そこで初めて気づく。


 これは、強化転生者である。

 彼女に封入インストールされた知識がその感覚の区分カテゴリを教える。


 今更、何で?


 まず疑問に思い、次に煩わしく感じるが、しかし契約に縛られている彼女はその条件に従わなくてはならない。霧を退かせる。


 そして、その存在が扉を開く。


「おう、お前がこの家の管理者か?」

「誰が管理者よ。この家は私の物、家主よ。

 ただの管理者と一緒にしないで頂戴」

「はっ、植物風情が何を偉そうに。

 家を管理している存在なんだから、管理者でいいんだよ」


 ユイの目が細まり、険しくなる。

 とは言え、いくら腹が立っても手は出せない。少なくとも、アレが理不尽な扱いをしてこない限りにおいては。


「おう、随分と美人のナリを選んだもんだな。

 全く、俺の管理者も見習ってほしいもんだぜ」

「うるさいわね。あんたに私の容姿を言われても毛ほども嬉しくないわよ。

 要件は何。さっさと言いなさい」


 よく見ると、その来訪者の男は随分と白い顔をして、感じられる力も弱い。

 強がって軽口を叩いてはいるものの、立っているだけでも辛いのではないか。


 ――このまま消してしまえたら、どんなに気持ち良いか。


 契約は魂を縛る。自分で自分を騙せなければ、違反はできない。

 ユイがこの束縛を今ほど呪ったことはないだろう。


「お前、あれだ。緑色の髪をした魔人のパートナーだろう?」

「――あんた、何か知っているの?」


 男はニヤリと顔を歪ませた。

 ユイは怪訝そうな表情を相手に見られてしまった自分を苦々しく感じる。


「俺の名はメフル。神樹の契約者パートナー

 戦時規定に則り、そちらの強化転生体の使用を要求する。

 ――まさか、否やはないよな?」


 ぐ。


 ユイ、というか神樹を縛る契約にある規定。

 神樹の契約者が相当の理由により一時的に保有する強化転生体の使用を要求した場合、神樹ならびに契約者は最大限、それを融通し協力しなくてはならない。

 そんな内容が存在する。


 神樹は契約者の必要性に応じて一度に三体の強化転生体を生成する。そして一度生成された身体は一年間ほど保持される。

 ユウの神紋遺伝子をベースとして生成された強化転生体は既に二体消費され、残り一体をユイが管理していた。


 これらを合わせて考えた場合、目の前のメフルという男にユウの強化転生体を提供しなくてはならない。

 嫌である。

 嫌である、のだが――。


 この男の転生、そして身体調整リハビリにおよそ一か月程度か。

 その間、この男がユウの顔をしてこの家に住まうと言うのか。


 目の前の、白い顔をして苦しそうでありながらも嫌らしい顔でニヤつく男を見ていると、心底契約の束縛を呪いたくなる。本日、二度目の過去最高記録更新だ。



 (全く、なんで連絡手段も用意していないのよ!)


 ユウにこの事態を伝える術がないことに今更ながらに気づいてしまい、ユイは誰へともなく呪いの言葉を思い浮かべるしかできなかった。

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