第38話 崖下の激戦
ゆらり、とメフルが立ち上がる。
その右手には、赤い光を放つ短剣。
鞭は既に使うつもりもないのか、地面に落ちたままであった。
まずは戦場全体の確認を頭の中で整理する。
この盆地は崖の途中に張り出している形で細長く平らになっており、南東から北西にかけ、長さはおよそ十八メートル程度、幅は五メートル程度。
もちろん、目測である。精度は期待できない。
メフルは北西側の開けた場所に位置している。
そこを起点とすると、ルーパスは北西崖際、メフルから三メートルくらい離れた場所にいる。満身創痍であり、戦闘力、機動力ともに普段の三割もあればいいとこか。
エルナと妖精達は北東崖際、同じく三メートル程度の位置。ルーパスとは三、四メートル程度かな。ちょうど三角形を形作っている。
ただ、エルナはほぼ戦闘不可、彼女を担ぐ老犬も同様。妖精と蜂鳥は、戦闘支援はできても戦闘力そのものはゼロと見て良い。
そして俺自身は、今現在、メフルの目の前に居る。
武器は、半分に切られた木剣……力を籠めると反応するが、武器の力は半減以下、ほぼ無力。
おお……こうゆうの、世間では無理ゲーって言うのだっけ?
メフルが動く!
首を狙って水平に薙いできた剣を、慌ててブリッジして避ける。
そのままバク転して体勢を整え――
目の前に既にメフルが迫っている!
俺はバク転直後で体勢不十分。
いきなりピンチ!!
ぼふっ
俺とメフルとの間で、何かが小爆発し、一瞬だけ煙が揺らめいた後に、幻のように消えた。
その直後、メフルの背後を黒い影が駆け抜ける。
老犬と、妖精だ。エルナを横たえ、援護してくれたらしい。
命拾いした、助けられた!
その老犬達を狙い、メフルが音もなく何かを投擲した。
あまりに滑らかで無駄のないフォーム。
思わず見入ってしまいそうだが、まずい、あいつらが!
「みぎにとべ!」
甲高い声が響く。
その声に合わせ、老犬は後ろも見ずに横っ飛びして、投げナイフを避けた。
良く見ると、老犬の頭上から半身をせりだした蜂鳥が、後方を監視している。
そう言えば、蜂鳥って目が良いのだっけか……?
なるほど、あのチームの役割が分かってきた。
目が悪いが機動力のある老犬。
力はないが視覚に優れコミュニケーション力のある蜂鳥。
手先が器用で幻を使う妖精。
良いコンビネーションだ。
そしてメフルが彼らにかかずらっていた隙に、俺はメフルから距離を取った。
メフルを中心に、ルーパス、エルナを頂点とした三角形を形成する位置取り。更に、俺は隙を見てメフルの緋色の鞭を拾っている。
「ふんっ!」
試しに、鞭に力を籠めてみる。
ぱちぱちっ
セーターを脱いだ時の静電気の音に似た、そんな可愛い音。
使い物になんねぇっ!!
「はっ、お前みたいな半端な奴に、ソイツは使えねぇよ。
ったく、人のモンを勝手に持って行くとは、随分と浅ましい小物だな」
面白くもなさそうに吐き捨てる。
「人の寝込み襲って家を吹き飛ばして、助けに来た女性を鞭で打ちまくるような変態犯罪者が、何を可愛いこと言ってんだよ」
「人だぁ?
犬っコロの化け物が人たぁ、厚かましいにも程があるぜ?
お前、本気で言っているのか?」
「何言ってんだよ、自分だって、人間でない格好の魔族をさして魔人、とか呼んでいるじゃねえかよ!」
「魔人という単語は、言葉を喋れるくらいに人間に近しい存在として、便宜上呼んでいるだけだろ。
本気にすんなよ。馬鹿じゃねぇのか?」
「俺の故郷じゃ、名は体を表すって、呼び名にも気を遣うんだよ!
お前はがさつすぎるんだよ、阿保なんだろ?」
くだらない言い合いをしながら、鞭をくるくる巻いて構える。
武器としては使えないから、せめて防具として。
自分の持ち物を傷つけることを、少しでも躊躇ってくれたらいいのだが……
面倒臭そうに、無造作に周囲を見回すメフル。完全に、この場に脅威はないと思っているのだろう。
それでも万が一で自分に届き得る存在がいるとしたら――
メフルの姿がブレたと思った次の瞬間、ルーパスの前に現れていた。
「死ねよ」
ルーパスに向かい、短剣を突き刺す。
しかしこれはある程度予想していたのだろう、ルーパスは身を捻って躱した。
そのまま、左手をメフルに向かい叩きつけるルーパス。
しかし、深傷を負っている今、その動きは悲しいほど精彩を欠いていた。
メフルはその攻撃を面白くもなさそうに上体を反らして避け、少し腰を落として上体を起こしながら、ルーパスの脇の下をめがけ斬り上げる!
「スライディングキーク!!」
この世界の人には意味不明であろう単語を叫びながら、メフルの足元を狙い滑り込む。
「邪魔しに来ると思ったぜ。
まずはうるさい虫から潰してやるよ」
ひょい、と軽く跳んでスライディングを避け、その時には脚を折り畳んで蹴りの準備が済んでいる。
「引っ張ってくれ!」
俺が叫ぶと、老犬が伸ばした鞭の先端を咥えて引っ張る。
ピンと張った鞭を手繰り、メフルの強烈な蹴りを逃れた。
そのまま起きあがり、体勢を整える。
しゅるんっ、と音を立てて鞭を巻き取り、ルーパスの左隣に並び立つ。
メフルの真似をして、右手に折れた木剣、左手に丸めた鞭を構え、抵抗の姿勢を見せた。
際どい遣り取りが続く。
今も、俺を無視してルーパスへの攻撃を優先していたら、あるいは危なかったかも知れないのだ。
ここにいれば、邪魔くらいは出来るし、俺へ攻撃すればルーパスに隙を作ることになる。
ちっ、と舌打ちしたメフルは少しだけバックステップし、懐に手を入れる。
まずい!飛び道具か!?
咄嗟に、手にしていた木剣を目の前に放り投げる。
メフルが懐から投げつけた何かと、俺がメフルに向け放った木剣とが空中で衝突し、凄まじい轟音と共に爆発した。
「こな糞野郎が!」
飛び退ったメフルが忌々しそうに叫ぶ。
俺とルーパスは直撃を避けられたが、身体の各所に火傷を負ったのは否めない。
それでも、直撃を避けられたのは僥倖だった。もし喰らっていたとしたら、二人とも死んでいたろう。
木剣はぐずぐずに炭化して、地面に転がっていた
「ん……」
崖の方から、小さく声がした。
エルナが、意識を取り戻したようだ。
ふらつく足で、立ち上がる。
メフルが、ニヤリと笑うのが見えた。
またロクなことを考えていない顔だ。
案の定、メフルがエルナに向かいダッシュする。
恐らく、これは罠。
怪我で動けないルーパスに対して機動に問題ない俺だけが、エルナに駆け寄れる。
エルナを狙うのは陽動、俺を潰すのが本命。
だが、俺が行かなければ、そのままエルナを今度こそ標的にする。
奴には、強者の選択権があるのだ。
だから、成算はなくとも、駆けるしかない。
ないのだが――速い!?
追い付けない!
エルナに傷を負わせて気を挫く肚か!
標的のエルナは、立ち上がり翼を動かそうとして、顔をしかめる。
そして接近中のメフルを見つけ――
「きゃあああぁぁぁ!!」
絹を裂くような悲鳴を上げた。
その悲鳴に嗜虐趣味を煽られたか、メフルが凄まじい速度でエルナに向かい駆け寄り、赤い光を放つ短剣を振りかぶった!
「邪魔なんだよ、その翼ぁ!!」
「いやぁぁぁ!!」
怒号と悲鳴が交錯し、二人の間に血飛沫が舞い散る。
エルナは力が抜けたように、ぺたん、と尻餅をつく。
自分を襲ってきたメフルを、呆然と見上げた。
そのメフルは、切り裂かれた自らの手甲を信じ難い目付きで眺める。
血が、だらだらと腕をつたい、地面に垂れて血溜まりを作る。
……攻撃が通った?
メフルは驚く。
眼前で、地べたにぺたん、と座っている女。
深みのある赤い髪と瞳を恐怖で揺らしている、せいぜい十五、六の小娘。
武器も持っていない。
良く見ると、革の黒い長手袋をした指先が、赤黒くてらてらと光っている。
指先でえぐった?
この手甲ごと?
信じ難い結果に呆然としたメフルは、数瞬の後に我に返る。
そして、メフル自身が驚くほど急激に、頭に血が昇る。
殺してやる!!
短剣に手を掛け、足を一歩踏み出したその瞬間、メフルの首に何かが巻き付いた。
「死んでくれっ!」
これで効いてくれっ!
だが、魔人というのは、意識しさえすれば、異常なほど防御力が上がるのだろう。
頭頂部から地面に突き刺さっていたメフルは、少しの間そのまま固まっていて、やがて勢い良く体を回転させてから起き上がった。
頭から血を流しながら、少し虚ろに見える目でこちらを睨む。
俺はメフルとエルナの間に位置取り、鞭を丸めてから構えながら、エルナに語り掛けた。
「エルナ、大丈夫か?」
「な、なんとか。
ありがとう、助かったよ」
「戦えるか?」
「ちょっと難しいかも知れない……
ごめん……」
声が震えている。
やはり、動揺が激しいようだ。
メフルに有効な攻撃手段を持っているようだったが、諦めるしかないか。
「わかった、無理しなくていい。
俺がなんとかするから、後は任せておいてくれ」
メフルが少しふらついている。
思ったより効果があったようだ、このまま押しきれば――
「来るぞ、避けろ!」
老犬の声が響く。
ほぼ同時に、メフルの姿が霞む。
慌てて左に横跳びに避けるが、間に合わずに腕が切り裂かれた。
慌てて体勢を立て直すが、メフルをまともに視認出来ないくらいの速度で迫ってくる。
「ちょ、お、え、ま、くそっ!?」
一撃毎に、体勢と位置を変えて繰り出される攻撃は鋭く速く、捌ききれず手傷が身体中に増えて行く。
「ユウッ!」
ぼふ、と音がして、メフルの前に小爆発が起こる。
妖精が起こした幻覚だろうが……ちょっとまずいかも!
!
案の定、メフルの矛先が、妖精に変わった。
その凄まじい斬撃を、老犬が襟首を咥えて引きずることで、辛くも回避する。
続く第ニ撃、三撃を、蜂鳥が的確に動き読んで避け、あるいは妖精がフラッシュライトのような発光で目眩ましをかけて防いだ。
コンビネーションは最高だが、もはや声も出さず殺戮機械のような迫り来るメフルの鋭い剣筋を相手にしては長続きしない。しかし俺の場所からは少し距離がある。
ルーパスはまだ動かない。行っても足手まといになることを自覚して、少しでも回復しようとしているのだろう。
エルナは、戸惑いと焦りが混じった表情で、フリーズしている。
止む無し!
駆け寄りながら、手にした石を投げつける。
鋭く投擲したその一投は、妖精達とメフルを遮るように飛ばした。
メフルの動きが止まり、こちらを見る。
立て続けに二つ目、三つ目の石を投げた。格好は悪いが、とにかくこちらに注目させないと。
ちっ、と舌打ちをしたメフルは、再び俺に目標を変えた。
今度は横槍が入っても、もう俺を始末するまでは標的を変更しないだろう。
ここが正念場だ。
煌々と赤く光る短剣を持ち、迫るメフル。やはり尋常な速さではない。
鞭を束ね、こん棒のように使い応戦する。しかし得物と実力の差は如何ともし難く、数合打ち合う内に手傷で俺は満身創痍となっていた。
――もう無理っ!!
メフルの、左上から切り下げる、小さく速い動きに合わせ、払いのけた鞭の束が手から離れて地面に叩きつけられた。
――丸腰。
そう認識したメフルの口吻が小さく吊り上がった。
その根っからの嗜虐趣味は、怒りに我を忘れた状態でも、心の奥底から這い出てくる。
短剣を大きく振り上げ、気持ち良く振り抜くよう力を溜めるため、一瞬だけ動作が止まった。
望外の僥倖。
生まれた僅かな隙を最大限に活かす。
直前まで悟られぬよう手で顔を庇うようなモーションで、スローイングダガーをメフルの顔目掛けて投げた!
先程、メフルが老犬に向かって投げた物をお返しする。
想定外の事態に目を見開き、構えを解いて顔を横に倒す。
チャーンス!
俺は体勢を低くして、メフルの足目掛けてタックルをかけた。
そのまま両足を抱え、押し倒す。
からんと音がして、短剣が地面に転がる。
尻餅をついたメフルが状況を把握する前に両の足を脇の下に抱え込み、体ごと回転する。
「ジャイアントスイーング!!」
メフルがぎょっとしているのが見えた。しかし、それも束の間。
すぐに、回転されているにも関わらず、何事もないように腹筋で上体を起こしてくる!見た目、怖い!
「さようならっ!」
そのまま、足を解放して放り投げる。
流石は魔人の身体というべきか、凄いパワーだ。メフルはエルナや老犬の頭上を越えて、崖の外に向かった。
――やった!
これで、メフルは崖の下。なんとか、今回の脅威を排除することができる!
「ふざけんなっ!!」
凄まじい爆発音。
メフルが破れたマントで身を守りつつ、自らの爆弾の爆風に乗り、空中で軌道を強引に修正。
正に自爆行為。
「お前ら、まとめて吹き飛ばす!」
そう言って、着地を待たずに懐に手を入れる。
やばい、爆弾で片を付ける気か!?
「エルナ、風を!
そいつを崖の外に吹き飛ばしてくれ!
」
咄嗟に放った言葉にびっくりしたエルナだが、すぐに崖の外に向かい手をかざした。
「させるかよっ!」
メフルは懐手から小さな球を放つ。
一拍の呼吸をおいて、エルナが手をかざした方向に向かい、風が吹き始めた。
手をかざし続ける先で風は急激に勢いを増し、一気に暴風と呼べる強さになった。
風に煽られた複数の球は、空中でその軌道を変えて――
ごおおおぉぉぉぉん……
丘を揺るがす程の爆音が轟き、メフルは煙を上げながら、崖下に転がり落ちていった。
崖際に仕掛けられた吹き上げ型の爆発物『昇炎炸壁』に、風に煽られた球が接触、爆発し、誘爆した昇炎炸壁が凄まじい火炎を上方に向けて噴き上げたせいだ。
丘の中腹の台地には、凄まじい爆発の衝撃に圧倒された者達が残され、ただただ呆然と崖の外を見ていた。
***
その後の出来事。
ルーパス、エルナは重傷でまともに歩けず、俺も満身創痍で他者のサポートまで手が出せず。
仕方がないので、妖精と老犬、蜂鳥達に森に戻ってシーニスを連れてきてもらい、奴に治癒をかけてもらった。
ずっとぶつぶつ文句を言っていたシーニスだけど、怪我した我々の体調にはかなり気を遣い、その後も甲斐甲斐しく世話をしてくれたことは、付記しておく。
それから、大分遅くなったが、メンバーを選抜して崖下にメフルの捜索隊を送り出した。
結果は、見つからず。
生死不明ということだが、アレの死体が見つからないのであれば、まだどこかで生きていると考えた方が良いだろう。
ちなみに、メフルと一緒に来ていたアレの仲間達は、あの後散り散りになり、半数近くは死亡、残りは行方不明。
まあ、メフルと違いこいつらは普通の魔人でも対処可能だから、さほど心配はいらないが。
様々な傷痕を残したが、今回のメフルによる侵略は、このような形で幕を閉じた。
とは言え、第三魔王軍の当面の戦力は大幅にダウンし、またメフルという脅威の芽も摘み損ねてしまった。
大変だなぁ、と思う。
場合によっては、今後、何かあれば助太刀もやぶさかではない、とも。
しかしあくまで第三魔王軍の問題。
俺は近く森を出る身。
ルーパスが復帰して、今後の対策を考えてくれればいい。
そう考えていた。
しかし。
まだ解決しなくてはならない俺自身の問題も実はあったのだ。
そして俺は能天気にも、この時点ではまだそのことに気づいてもいなかった。
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