第39話 爪痕

「もう一回、言ってみろ!」


腹の底から湧き上がる怒りの感情を押さえきれず、目の前の男を怒鳴り散らしてしまう。そんなことをして良いはずもない。そんなことは百も承知であるのに。


とは言え、やはり、この男が言っていることは許せない。

同じ苦労を共にしてきた仲間を何だと思っているんだ。


くそう。

メフルの奴のせいで、こんな問題が俺に降りかかるとは。


目の前で真っ青になって震えている哀れな男を半眼で見ながら、こうなってしまった経緯を今一度思い返した。


***


皆が大怪我を負ったメフルの強襲から数日が経った。


砦からの避難民達も森を離れる計画を練り直す必要が出たものの、改めて代表を立てて人里に戻る算段を考えていると聞く。

ようやく、この話もひと段落つくだろう。


ファシールは残念なことになってしまったが、彼らも、そして俺達も先に進まなくてはならない。だから、今日は新しく取りまとめ役になったという者達から出発に関する再計画について相談があると聞かされ、会いに来たわけだ。


彼らの計画をざっと言えば、これから三日で準備を整えて、並行して道筋と目的地を確定し五日後には出発する、というもの。いささか性急な内容であるような印象を受ける。

しかし、早々にここを離れたいのだろう。その気持ちが言葉の端々から感じられ、差し出口を挟むのも彼らの神経を逆立てるだけだろう、と考えた。


まあ、森の魔族からの襲撃を考えなくて良いのなら危険も少ないか。そう考えて聞いていたら、最後に彼らはこう告げてきた。


「この子を連れていくことは出来ません」


そう言って、前に出してきた子供。

俺が体を張って自由を取り戻した子。その行く末をファシールに託したつもりになっていた子。


え?

言っている意味がわからない。


「なに言ってるんだよ。お前達の同郷だろ?

見捨てるようなこと言うなよ」

「我々も、住んでいた場所がなくなりました。そして、まだ自分達自身の新しい定住地も見つかっていません。

散り散りになり、見知らぬ土地で余所者として新しい秩序に従う必要もありましょう。その中で、この子のような、言葉も通じない子を連れて行く余裕など、ないのです」


彼らの立場からしてみたら正論のつもりなのだろう。

彼ら自身が今後の行く末に不安を抱えているのだ。更に不安要素など抱えたくない、という気持ちがあることは理解できる。


だが。


「確かに、お前達に不安はあるだろう。たが、お前らが囚われていたのを解放したのは俺だろう?なら、俺の頼みを聞いてくれても良だろうよ」


恩に着せるのはあまり好きなやり方ではない。

だが、背に腹は変えられない。

あの子には、同じ人間同士の環境が必要なのだ。


こんな、魔族の徘徊する森で育つことが、この子にとって良い影響を与えるとはとても思えない。といって、あの神樹の家みたいな閉鎖された空間も駄目だろう。

あの子に、ちゃんとした環境を用意してあげなくてはならない。


「……確かに、あなたには、魔族の奴隷という最悪の状態から助けていただきました。でも、それって、そもそも魔族が人間の砦を攻め込んだのが悪いのですよね?

魔王の森であの戦士達に襲われたのだって、元をたどればあんたら魔族にここまで連れられてきたせいだ。

恩を着せられる筋合いはありませんよ!」


いっそ、最後まで言いきった目の前の男は、大したものかも知れない。

いま目の前に居る五人の男達は、話ながら急速に青ざめ、震えていった。


……何故って、俺の形相が、それほど急変したのだろう。


「……お前ら、俺があの砦で、どんな扱いを受けたか知っていて、そんなこと言っているのか?お前らも、体験してみたいのか?」


話でしか聞いたことがなかったが、これが殺気を放つ、ということなのかも知れない。何かが自分の身体から放出され、それに比例して目の前の者達が青くなっていく。そんな気がした。


「ユウ、そんなに脅したら、何も喋れなくなっちゃうよ……」


くいくい、と裾を引っ張られた。

ふと我に返る。最近、落ち着いていたのだが、復讐モードのスイッチが入りかかっていたようだ。


……危なかった。妖精に感謝。

頭を少し振って、意識を無理矢理戻す。


「いいか、俺は人間社会について詳しいことは知らない。だがな、あの子みたいに普通の生活を送ることが難しい子も保護してくれるような施設があるだろう?

あの子がちゃんと生活を送れるよう、そこまで見届けてくれたらそれでいいだろう。

別に、俺への恩義なんて考えなくてもいい。それでも、同胞の子供を支える気持ちならあるだろう。

違うか?」


努めて穏やかに、作り笑いまで浮かべて訴えかけた。

あんな突き放すようなことを言っていたが、内心では俺への多少の恩なり気遣いなりがあるはず。

そこに情を上乗せすれば、さすがに……!


男達は、しばらくもじもじしながら俯き黙っていた。

それを黙って、能面のような作り笑いを浮かべながら、黙って見ている俺。きっと、彼らのプレッシャーはすごいことになっていると思う。


男達の一人が、思いきったように顔をあげ、涙を流しながら喋り始めた。


「うるさいな、魔人のあんたには関係ない話だろっ!

畜生、あんな足手まとい抱えていたら、俺の心が三日と持たないよっ!

この森に置いていけば、森に還るんだから、それでいいんだ!!」


一瞬、コイツが何を言っているのか、本気で理解できなかった。

その後、再び感情が弾ける。


「もう一回、言ってみろ!」


喉元までせり上がった怒りの感情を押さえきれず、目の前の男に怒鳴り散らしてしまう。

そして再び、くいくいと裾が引かれた。


いかん。また感情的になった。

冷静になれ、俺。なんでこうなった?

ここまでの経緯を頭の中で反芻してみる。そしてそれが終わる頃に、次撃が俺を打ちのめす。


「知っているぞ、あんたファシールさんに、『ちゃんと育てているか見に行く、手を抜いていたら承知しない』とか言って、脅したんだろ!」

「どうせ俺達を魔術で俺達を監視して、思い通りでないと俺達を呪い殺すつもりなのだろ!」

「そんなに俺達を殺したいのか!?人を殺すのが楽しいなら、あのガキを置いていくから、好きなようにすればいいだろう!

もう、俺達に関わるなよ!」


涙まみれに、支離滅裂な放言を垂れ流す男達。

俺はただただ、唖然としてそれを眺めるばかり。まさかここまで、意識のすれ違いがあったなんて。


それを期待していたつもりはないとは言え、こうも気持ちが通じないと、あいつらを助けなきゃ良かったのか、などと思ってしまう。


いかん、気持ちが闇落ちがちになっている。ファシールがいれば、こんな気持ちにならなかったのに。あの人がどれほど貴重な存在であったのか、今になってこれほど痛切に感じるとは。


気持ちを切り替えて考えよう。

そもそも、こんな奴らにあの子を託すことは出来ない。そう考えれば良い。

そこだけは、気持ちの区切りをつけることができた。


しかし、こうまで気持ちが通じ合わないものなのか。(元)人間として寂しくなる。本当に、こいつらの性根が腐っていることだけが原因なのだろうか?


まあ、彼らも大概にひどい目にあってきた。

自分達の家である砦を破壊され、それまで敵として見ていた森の魔族の保護下に入った。それでも秩序を求めて、リーダーを立てて頑張った。

砦の住民達の過大なストレスを引き受け、日常的に発生する問題や揉め事を真摯に対応してきたファシール。その彼が急に居なくなったのだ。

精神的な余裕がないこともうなずける。


小さく溜め息をついて、この、どうしようもない種族間の抗争にすり潰され、失われた未来に思いを馳せた。


***


「ちょっとまってよ!なんでそんなに歩くの早いんだよ~」


あの子が、森の中をあてどもなく歩いている。

その後ろを妖精が慌てて追いかけている。


あの妖精、よくあの子の面倒を見てくれて本当に助かった。


いや、それを言うなら、エルナも時折様子を見てくれるし、老犬もさりげなく安全に気を回してくれ、蜂鳥も肩に止まって取り留めもなく語りかけてくれていた。


人間とか、魔族とか、本当に関係なく良い奴は良くて、嫌いな奴は嫌な奴だ。いまの光景は見ていて気持ちが良い。

だけど……


「ねえ、もう、この子を森で育てちゃったらいいんじゃない?」


妖精が、あの子を捕まえながら、そう言い出した。


「あたしは、たまに面倒を見るくらいなら、全然協力できるよ!」


にこやかにエルナが言ってくれる。


「オレ様も、コトバをおしえてやるぜ!カタにとまって、イロイロはなしかけてな!」


蜂鳥がそう言ってくれると、下に居る老犬もゆったりと尻尾を振る。

賛成してくれているのだろう。


本当に嬉しい言葉だ。

だけれども……


いや、迷うまい。

いくらこの森の連中が気持ち良い者達でも、あの子は人間。育てるとなれば、そんな単純な話ではないはず。

人間は、人間の元に。これが正しい在り方。の、はずだ。


それよりも、気になることがあった。


俺は、その子の様子を改めて見る。

初めて見た頃は、垢で汚れ、髪も伸び放題のボサボサ、衣服もボロボロで汚れ放題、ひどいものだった。

その後、ファシール夫婦が体を清めてくれて、服も有り合わせの物で誂えて、かなり良くなった。

ファシールが亡くなった後も、時折、エルナや妖精が体を拭いてくれたり、髪を梳かしてくれたりして、今ではだいぶマシな見映えになっている。


だがしかし、清潔が身上の日本出身の俺は、それでは納得できない。

それに、このくさくさした気持ちを切り替える、良い気分転換になるかもしれない計画を思い付いた。


そう思った俺は、このいつものメンバーに、ちょっとした提案をしてみるのだった。

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