第29話 コヴァニエの戦士長
「戦士長!
正面入口が突破されたようです!
魔族の奴らが、この館に入り込んできます!」
その衝撃の言葉に、戦士長は無言で窓に歩みより無造作に下を覗き込む。
確かに、入口に多数の獣共が吸い込まれていくのが確認できた。
ちっ、と舌打ちして、屋上の弩弓隊に、矢を射ち尽くしても一匹でも多くアレらを殺すように指示する。
「あの、シーニスを踏み台にして飛び込んできた奴らの仕業か……」
渋面の戦士長が呟く。
いま、この城館には百名を越す民間人が避難している。
兵士達もほぼ同数。
入口の防御力を信じて、どちらかというと攻撃寄りで上の階に多めに配置し、民間人の周辺にも兵を配した結果、入口を守る人数が過少になったのは否めない。
だが、下の魔族ども、とりわけシーニスを抑えるためには、それ以外、どうしようもなかったのだ。
「上は捨てる!
総員、入口を奪取するぞ!」
そう言って、神剣を手に取る。
これは貴重な発掘品とかで、回数限定ながら高位の魔人とも斬り合える、という触れ込みだった。
起動するときだけ神術の心得がいるが、後は勝手に魔人を斬ることのできる力を纏う。
兵達も、各々秘蔵の神具を取り出す。
これは切り札であるが、皆、ここが正念場であることを理解している。
「皆、いい面構えだ。
さあ、最後にひと暴れしようぜ!」
そう言って、階段に向かおうとした。
その時。
どん、と階段から音がして、階下から兵が飛んできた。
そのまま床に倒れた兵士は、血で赤く染まり、口の端には泡を吹いている。
階段が、ぎしり、と軋んだ。
のそり、と、階段から赤く染まった男が上ってくる。
剣らしき物を右手にぶら下げているが、明らかに兵士の装いではない。
いや、どこかで見覚えがあるぞ?
と、戦士長は目を細め、良く見てみる。
その男は、階段をのぼり、顔を上げて戦士長を見るや、にやぁっと笑った。
気味の悪い笑い方だ、と嫌悪感を感じ、同時に背筋を貫くような恐怖を覚える。無意識のまま、右手の神具に力を込め、術を発動する。
剣尖に橙色の光が灯り、徐々に柔らかい光が剣身を覆って行く。やがて剣は、淡黄色に薄く光る
周囲を見ると、兵達は皆、同じような恐怖を感じたのかも知れない。誰の指示も、号令もないままに、兵達の神具が力を灯している。
この場にいる総勢二十三名の兵士達、それが半ば取り囲むように、手に発動した淡く光る武器を構えた。
その中心に居る男は、兵士達に取り囲まれた状況に畏れる様子もなく、手に血塗れの剣を無造作にぶら下げ、朱に染まった顔に、むしろ歓喜にすら見える表情を浮かべていた。
圧倒的に優位なはずなのに、背筋にうすら寒さを感じる。
百戦錬磨の戦士長ですら、そのように思えてしまう。
その思いを払うように、魔人を睨んだ。
ふと。
その記憶に引っ掛かる魔人の顔を見るうち、何かが胸の裡でカチリと嵌まる感覚があった。
そうだ。
あの魔人だ。
この砦で捕らえた魔人どもが叛乱し、砦の内側が半壊した、あの事変。
あの時に逃走し最後まで行方が分からなくなり、今もまだ捜索対象である魔人。
あいつが戻ってきたのだ。
魔人の名の通り、魔を引き連れて。
「そいつを殺せええぇぇぇ!!」
戦士長の大声が部屋に響き渡り、
同時に男は地面すれすれまでに身を屈め、正面に向かい駆け出す。
迅い!
想定外の動きに兵士達の動作が合わず、意図せず一瞬の硬直を生んだ。
その僅かな隙に男は兵の懐に滑り込む。
その片手にぶら下げた、血塗れの剣から青白い光が迸り、剣身に付いた血痕は霧となり散った。
白い火花が表面で弾け、青白い光を纏ったその剣が、左下から右上に斬り上げられ、その切っ先が光の筋を描く。
二人の兵が血を撒きながら吹き飛び、硬直からまだ完全には戻れていない他の兵達が体の向きを男に向けることしか出来ない中で、男は戦士長に向かい駆け出した。
そのまま、男は右上にある剣の切っ先を、左下に向けて振り下ろす―――
ぎぃん!!
凄まじい音を立て、男の一撃を受ける。
強い!
背丈は人並みでも、膂力では自分より頭二つも大きい男相手でも負けはしないと自負する戦士長だが、それでも男の一撃は重く強く、衝撃を全身で吸収するのが精一杯だ。
ぎり、と奥歯を噛みしめ、渾身の力を籠めて押し返す。
突然、軽くなったと思えば、続けざまに左右から斬撃が襲いくる。
ぎぃん!
ぎぃん!
辛くも凌ぐが、一撃を受ける毎に体が軋むようだ。
見ると、男は薄ら笑いを浮かべながら、まるで剣の振り方など知らぬとばかりに、でたらめな所作で剣を振るってくる。なのに、早く、重く、途切れない。
なんだ、この不条理な存在は?
抗し切れない圧倒的な力への畏怖よりも、斬撃を受ける毎に感じる死への恐怖よりも、腹の底から湧き出る不条理への怒りの方が勝った。
怒りで歯を噛み締める。
ごり、と奥歯が変な音を立てた。
口のなかに錆びた鉄味を感じながら、男の剣を左手に持つ剣で受け流し様、怒りに任せて右手で男の肩を掴む。
完全な悪手。
自分の剣を握る力は落ちるし、肩を掴むことにより奪える相手の自由も、大した事はない。
おまけに、掴んだ
が、それは一対一の場合。
一対多数なら―――
「お前ら、オレに当たっても構わねえ!この魔人を殺せ!!」
この言葉により、兵隊が男に殺到する。
背後はがら空き、戦士長を殺したところで事態は変わらない。
そう思った瞬間、目の前から男が消え、視界が一回転した後、戦士長の体が地面に転がっていた。
男は剣を捨て、戦士長の右腕を軸に腕の下側に体を回転させて投げ捨てたのだ。
襲いかかった兵達も、突然男の姿を見失い混乱する。
次の瞬間には、近くにいた兵士の懐に男が潜り込んでいた。
がば、と戦士長が身を起こす。
奴はどこだ?と周囲に目を走らせた。
いた。兵士達の中に。
戦士長の周囲にいた兵士達を、男は殴り、投げ飛ばし、時に身を翻して暴れまわっていた。
男は、自身が傷つくことも厭わないのか、身体中が傷だらけであった。
あの血に染まった体は、返り血だけでなく、実は自身の血でもあったのだろうか?だとしたら、かなりの流血量。
その上でこの闘志、噂に聞く狂戦士もかくや、だ。
気づくと兵から武器を奪っていた。
血飛沫が舞う。
兵達の苦痛の喘ぎが耳を打つ。
やめろ。
何をしている、やめろ!
神具を握りしめ、男に向かい飛び掛かった。
男はこちらに気づき、体を向ける。
渾身の力を一振りに籠め、戦士長は男に襲いかかる―――
***
無我夢中だった。
最上階まで辿り着くのにも、何人も斬り伏せて行かなくてはならなかった。
精神的、肉体的な疲労で、視界は狭まり、時々記憶が飛ぶ。
それでもなんとか、たどり着いた最上階で、探していた男がいた。
戦士長、と呼ばれる男。
俺を捕らえると指示した、責任者と思われる人物。
いた。
こいつだ。
表情が自然に緩んでしまう。
端から見たら、気色悪い笑いかも知れない。
だが、俺は、見つけたんだ。
そんなことは些事だ。
斬りかかって来る。
いいぜ。
来いよ。
奴等の攻撃を受け、返し、避け、撃つ。
頭では何も考えられないのに、身体が自動的に敵の攻撃を
世界がふわふわしていて、まるで夢の中のよう。どこか他事のように、体が勝手に動くような感覚。
それでも、腹の底から上ってくる、黒い感情。
覚えている。
あの顔も、この顔も。
俺を拒絶し、虐げ、嘲笑った顔。
そこから黒い力が沸いてくる。
こいつらは敵だ。
排除しなくてはならない。
だが、苦しい。
息が続かない。
腕が上がらない。
足の感覚がわからない。
それでも、それでも。
こいつらを叩き伏せなくては。
気がつくと、俺は戦士長に襲いかかっていた。
渾身の力を打ち付ける。
戦士長の顔がゆがんでいる。
ざまあみろ。
と、戦士長に肩を掴まれた。
同時に、兵士達が襲いかかってきた。
まずい。
力がでない。
力を吸い取ろうとする木剣を手放す。
心持ち、全身が軽くなった。
肩にかかった手が邪魔だ。
腕返しで体を入れ換える。学生時代に鍛練した柔道技が助けてくれた。
そのまま戦士長の体を投げ捨て、兵士達の中に飛び込む。
無我夢中だった。
気がつくと、兵から奪った剣が右手にあった。
不思議な、橙色の薄い燐光を帯びた剣。
俺の木剣と違い、楽だ。
これはいい。
まだ動ける。
目の前に戦士長が立つ。
手に、淡黄色の光を纏う剣。
そこらの兵の剣とは光の密度が違う。
俺の持つ剣では負ける。
戦士長が襲いかかってくる。
手にした剣を投げつける。
咄嗟に剣で弾く戦士長。
俺は、床の木剣に飛び付く。
受け身を取り転がり体勢を取る。
膝のバネを溜めて身体に残ったありったけの力を木剣に籠めて―――
***
それは、戦士長が今まで見た中で、最高に強い光だった。
青白く輝く光を纏った剣が、手にした神具の剣を打ち砕く。
そうか、これまでか。
戦士長は、自らの終わりを理解した。
その力強い光が自分を飲み込む。
おかしな話だが、それを見て思う。
なんと美しい光だろう、と―――
***
戦士長が床に膝をつき、崩れていく。
巻き付く鎖ごと切り裂かれた体からは、夥しい血が溢れ出す。
それを為した男は、右手に剣をだらりと下げて、残った兵士達の方を向く。
厳しく、たまに理不尽であったが、戦闘に際しては常に先に立ち、頼もしかった戦士長。
訓練で何度挑んでも、決して彼が土をつけるところを見なかった。
その彼が敗れ、崩れ落ちておく。
「わあぁぁぁ!!!」
恐慌状態に陥った兵士達は、さけびながら、我先にと階段を駆け下りて逃げ出す。
残されたユウは、しばし茫然としてから戦士長の亡骸の傍らに、腰を落とした。
俺を終わらせてくれないのか?
本懐を果たした。
もう、別に思い残すことはなかった。
だから、終わらせて欲しかった。
だが、導き手がいなくなってしまった。
もう、身体に、力が欠片も残されていない。
目を開いているにも関わらず、世界が緩やかに昏くなって行く。
誰かの手を借りなくても、このまま目を閉じれば、もう目を覚まさなくて済むのではないか。
そう思えた。
息を吸うと、煙たい空気が肺を侵す。
そうか、火が回りつつあるのか。
この館が俺の棺。
炎で焼いてくれる。
ならば、じきに終わる。
静かだ。
――こんな穏やかな気持ちになれたのは、いつ以来だろう?
外を見たくなり、首をひねり窓の外に目を向ける。
……ああ、お迎えが来たのかな?
青い空に、黒いシルエットが浮かぶ。
あの羽の形は、天の使いではなく、悪魔か死神だろうか?
最後に罪を犯したのだから、それも仕方ないさ。
そんなことを思いながら、俺は静かに目を閉じた。
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