第26話 コヴァニエの赤仮面

「メフル様!」


大きな声で人の名前を呼び、さらに大きな音を立てて扉を開け、男が駆け込んできた。


メフルは思わずその男の顔面を蹴り飛ばしたい衝動にかられ、なんとかそれを押さえ込む。

以前とは置かれている環境が違うのだ、自重しなくては。

だが、随分と時間は経っているはずなのに、なかなか慣れない。


「人の名前を大声で叫ぶんじゃねぇよ、殺すぞ。

用件はなんだ、簡潔に言え」


よほど急いで来たのだろう。

汗をだらだらと流している男を、仮面越しに睨み付ける。

その暑っくるしい汗まみれの顔面を見て沸き上がる、蹴り飛ばしたくなる衝動を、再び抑え込む。


「はい、実は、荷馬車と護送隊が、街道で魔人達に襲撃され、壊滅したとの報告が入りまして。

襲撃の先頭には、あのシーニスが確認されていたそうです!」


それは珍しいな、とメフルは思った。

森をぐるりと囲む街道のうち、この砦の守備範囲である東側は比較的、安全なはずだ。

第三魔王と呼ばれるルーパスが穏健なため、と言われている。

それが本当かどうかは知らないが、事実としての事件の数は、それを肯定する。

さらに。


「シーニスだと?」


魔将シーニス。

魔王配下の魔人で、特に力ある存在を魔将と呼び、識別のために個体名をつける。

穏健派が多い第三魔王軍にあって、気性の荒い個体。元々は動物である魔人には珍しく、炎を使うとか。

記録では、アレが最初から出るケースなど、今まで例が無かったはず。せいぜい、密猟者を追いかけた魔人達と兵達がぶつかった時に出張るくらい。

そのはずだ。


「はい、過去に例が無いのですが、シーニスが先頭に立って商隊を襲ったと報告が来ています。

護衛兵の目撃情報です」

「場所は?」


東側は比較的安全と言われているが、実は南寄りの経路は、必ずしもそうと言いきれない。

南部は、第二魔王の縄張りで、その辺りはまた少し雰囲気が変わるのだ。


その周辺では、第二魔王勢力と、第三魔王勢力の抗争も良くある。

ちょうど森の中に大きな湖がある辺りが、緩衝地帯になっているはずだ。


「第二魔王領と第三魔王領の境目付近、湖に近い街道の辺りです」


ちっ、と舌打ちする。

あの辺となると、早馬を飛ばしても、片道で一日潰れてしまう。

おかしいのは、あの辺りの縄張りは、第三魔王軍内であれば魔将アルジェンティのはずで、今回の報告では魔将シーニスとあったことだ。

まあ、齟齬はいくらでも考えられるし、現場を詳しく見てみないと、何が正しいのかも分からないだろう。


それに、そもそも、だ―――


「で?わざわざ息を切らせて、なぜ俺のところに来た?」


基本的に、俺がこの砦に派遣されたのは、あの奥方ババアが、先日の騒ぎでこの地の安全性を強化したいと思ったからだ。

ここに居て睨みを利かせていれば良く、下っ端よろしく現場に出張ってあれこれやる必要性など、ない。

故に、メフルにこの件で動く気など、全くなかった。


話に付き合ったのは、あくまで情報収集のため。目的は十分に達したため、もうこの男に用はない。

仮に協力を求めて泣きわめきでもするなら、蹴り殺してやればよい。


そんな物騒なことをメフルが考えているとも知らず、男は言葉を続ける。


「はあ、巡鳩めぐりばとでこちらに救援連絡が入ったしばらく後に、本家の奥方様から念話が入りまして……

この件について、メフル様に手伝っていただけ、という指示なのです」


ぎり、という音が奥歯から聞こえた。

一瞬で怒りが最高点に達して、奥歯に痛みが走るほど、噛みしめたのだ。

この体でなかったら、砕けていたかも知れない。


だが、今は逆らえない。

ようやく、現在の立場にまで持ってこられたのだ。ここで権力者の機嫌を損ねるわけにはいかない。

同様の理由で、腹いせにこの男を半殺しにすることすらも、叶わない。

実に不自由だ、とメフルは考えた。


赤い仮面をつけたまま、メフルは立ち上がる。


「今から出立する。

皆に知らせよ」


同室に影のように潜んでいた仲間に声をかけ、遠出のための準備のために別室を目指す。


常に赤い仮面をつけ、赤仮面の戦士と半ば恐れられ、半ば嘲って呼ばれる日陰者の境遇を呪いながら、メフルは歩きだした。


***


ジリジリと照りつける夏の日差しが、空に浮かぶエルナの影を浮かび上がらせる。

この影でおおよその位置を推定し、自身は相手の視線から外れた場所に身を潜めた。


時間制限のルールを追加したので、エルナも悠長に構えては居られない。

そう遠くないうちに、急降下攻撃を仕掛けて来るだろう。

攻撃が強力なためだろう、単調なのが彼女の欠点の一つと言って良い。


意識を体の内側に集中する。

何度も繰り返したお陰で、初回の対戦時とは比較にならないほどスムーズかつ速やかに木剣に力を注げるようになったが、それでも一拍の精神集中はまだ欠かせない。


バヂ、と音がした。

木剣に力が注がれた音だ。

よし、と意識を戻した瞬間に、視界の隅に黒い影が現れる。


ここ数日間、何度も繰り返した動きが、無意識下で再現され、火花を纏った木剣が黒い影を目掛けて振り抜かれた。


「痛いっ!!」


その勢いのまま墜落したエルナは、ゴロゴロと転がったあと、頭を抱えてうずくまっていた。


……ていうか、俺のまぐれのクリーンヒットを受けて、痛いで済むんだ……


やりすぎが大事に至らなくて安心すべきなのだろうが、自分の攻撃の威力不足を目の当たりにして、複雑な気分である。


「君の勝ちだ、ユウ」


老犬が厳かに勝利宣言を行う。


勝ちと言っても、何十回も繰り返してようやく拾った一回。

それも、相手の手の内を知り、対策を練りまくり、さらに偶然の一撃までオマケされての一回。

更に言うなら、偶然の一撃を打ち込めてなお、痛い、程度の反応しか得られないのだから、実戦になったら勝機など微塵もないだろう。


それでも。


「すごいじゃん、ユウ!

まさかエルナに一発、入れることができるなんて!」


妖精からお褒めの言葉を頂く。

そして。


「いったー……

でも、すごいね、こんな短期間で、いいの貰うなんて、思ってもみなかったよ!」


少し涙目になりながら、後頭部をさすりながら、エルナが素直な称賛の言葉をくれた。


「ありがとう、これもエルナのお陰だよ。

大丈夫か?偶然、いいのが入ってしまった手応えがあったんだけど……」


そういうと、胡座をかきながら、会心の笑みでニパっと笑った。

これはこれで、少し傷つくわけだが。


よっ、と言いながら、大股を開きつつ立ち上がるエルナ。

前世の経験からは、いささか恥じらいに欠けた所作であると言いたい。

しかし、擦れているとかではなく、そもそも魔人達に囲まれて森で育ったエルナに、そういった様式を求める方が違うのだろう。


と、そこに、蜂鳥が飛び込んできた。


「オウ、どうした?

ダベっているとこだったか?」

「いや、いま、ユウが初めてエルナに勝ったんだよ!」


妖精が、我がことのように嬉しそうに答える。


「オウ、それはスゴイな!

ヤルじゃねーか!」


老犬の頭の上に止まった蜂鳥からも、お褒めの言葉をもらった。


「聞いたか?

シーニスのヤツが、人間のトリデにケンカをふっかけたらしいゾ?」


キナ臭い情報が入ってきた。

蜂鳥が言う話を整理すると、こんな感じだ。


元々シーニスは砦で虐げられてきた仲間の話を聞き、憤慨して砦への報復をルーパスに訴えていた。

ルーパスは、それは元をたどればルーパスの定めたルール、街道には手を出さないことに逆らったせいで、自己責任であると言う。

更に、蜂鳥が確認したところ、既に砦に囚われている魔人仲間は居ない、だから攻める必要はない、として却下したそうだ。


そんなルーパスの態度にシーニスは怒り心頭であったが、自分一人の力で人間の砦を相手にできると思うほど、我を失ってはいない。

特に、最近入ってきた、赤い装備に身を固めた一団のリーダーが、離れた場所からも分かるほどに、強者の気配を持っている。


そこで、シーニスは一計を案じた。

内容は簡単で、シーニスは自身の行動範囲ギリギリである縄張りの南端で人間と衝突し、急いで戻って赤い人間達がそちらに向かったスキをついて砦に攻撃を仕掛ける。

単純な筋書きだが、うまく乗ってくれたらしい。


一斉攻撃に乗っかろうという連中も、魔人、魔獣を問わず、大勢集まっている。

どうもシーニスとその周辺を中心にお祭り騒ぎになっていて、勢いで同行する者が多いとか。


いずれにせよ、無視できない大勢力が現在進行形でできつつあり、それが今にも砦に向かって突撃をしようとしている。


ここまで長々と話し、疲れたのか老犬の上で蜂鳥が尻餅をついている。


静かに話を聞いていた俺は、木剣を握り、駆け出した。それを見て、機敏に反応したのは老犬だった。


「チビスケ、乗れ!」


妖精の襟首を咥え、器用に自分の背中に乗せると、いつもの調子からは考えられないほどの速度で駆け出した。


「ユウはどうしたの?

あんな急に駆け出して……」

「混乱に乗じて人間に復讐するのだろう。いつも機会を狙っていた」


老犬は全速で駆けたが、ユウに追い付くことはできない。

人間型にしては、凄まじい速度である。


もともと森の外れの方で訓練をしていたこともあり、すぐに森から出て、砦が見えた。


砦からは幾条もの煙が上がっており、既に襲撃されていることが伺える。

近づくにつれ、魔獣の死骸や、兵士の死体が散乱していた。

その奥に、ユウが走っている姿が見える。

老犬もかなりの速度で走っているが、僅かにユウの方が速いようで、いまや豆粒のような背中だった。


「ユウー!!

一人で行くと危ないよー!!」


妖精は叫んだが、ユウはその速度を落とすことなく、砦に吸い込まれるように姿が消えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る