第二章 第三魔王軍

第18話 救いの道

強烈な日差しが森を照りつける。

夏の盛り、草木の強い香りを含んだ爽やかな風が、木々の間を抜けていく。

豊かに緑を蓄えた木々は、陽光を弾いて、その眩しさに、俺は目を細めた。

樹の枝に座り、遠くに見える砦を睨み付けながら、手にした幅広の木剣を撫でる。


「ユウ、またこんなところにいる!」


えんしょ、えんしょと小柄な身体を持ち上げて、息を切らしながら、砦にいた少年が登ってきた。


「そんな怖い顔をしてないで、帰って、エルナのとこでご飯でも食べようよ!」


正しくは、少年ではない。

砦に捕まっていたころ、てっきり人間の子供なのだと思っていたのだが、実際は人間ではなく妖精の成体だったらしい。


妖精族。

人間の小学生高学年くらいの体格で、一様に小太りな容姿をしている。

生まれつき一芸に長じ、その技能を活かして労働することを何より好む。

性質は穏健で、戦うよりも逃げることを選ぶほどに争いを嫌う。

その妖精達の里が、この森の中にあるらしく、この森の魔族の庇護を受けて生活しているそうだ。


以上は、この妖精から聞いた話。

妖精同士は綽名で呼び合い、個体に名前を付ける習慣がなく、この子にも名前がない。他に妖精族を知らない俺は、彼をそのまんま妖精と呼んでいる。


争い事を避けるという妖精族にあって、彼自身は争いごとにも比較的立ち向かっていく性格らしい。

この辺で性質が違うせいか、どうも里に馴染めないで、半ば里を飛び出すようにして森に居ついていた。

そうした中、森の密猟者に捕まってしまい、あの砦で奴隷に身を落としていた、と言っていたか。


その状況から解放するのに俺が手を貸したためか、妖精は俺のことを随分と慕ってくれている。


……普段であればよかったのだろうが、今の俺は、そういった感情に気を配る余裕がない。少年の声に、ふんと鼻息ひとつで応えながら、視線を砦に戻した。


いや、この妖精が助かったことは、素直に嬉しいのだ。

あとで聞いた話によると、あの騒動で脱走したのは、俺とこの妖精だけ。

それに、最後に戦士長が燃え上がったように見えたのは、彼の使う”幻炎”の力のお陰だ。読んで字の如く、幻の炎を見せる技。幻なので、熱は感じないらしいが。


砦の中で力になってくれたこと。危ない時に幻の炎で助けてもらったこと。それに、この魔族の集落に顔を繋いでもらったことには、今でも感謝している。


しかし、ダメなのだ。

今の俺の心は完全に負に傾いていて、どうしても思考が砦の人間達への復讐に向かってしまう。

食事をしていても、寝ている間も、あの砦の生活が、悲惨な逃避行がフラッシュバックしてしまう。そしてあの砦をどうやって復讐できるかと、思考が偏ってしまうのだ。

気にかけてくれる妖精には悪いが、どうしようもない。楽しく食事する気分にはなれないんだ。


隣で一生懸命、自分に話しかけてくれている妖精を意識して、思わず溜め息をつく。

もう一つ、悪いことに、この妖精の顔を見ていると、あの砦での悲惨な生活が記憶に蘇ってきてしまう。

リフレインするように浮かび上がる自分の記憶を制御することが出来ないのだった。


――また、思い出してしまう。

あの砦での生活、そしてその後の、元に戻りきれない日常を――


***


意識を取り戻したとき、目に入ってきた光景は、蔦と葉に覆われた天井だった。

咄嗟には、そこにいる経緯が思い出せなかった。

あの冷たく狭い、石の部屋で押し込められていたはずではなかったか……


「目覚めた……ようね。

無事に転生できたようで、何より、ね」


何もないはずの空間から、ユイがふわりと現れた。


「気分はいかがかしら?」


そう言って、じっとこちらを見てくる。

随分と慣れたつもりだったが、かつての想い人の顔で真剣に見られると、ドキリとする。


そう言えば、以前にも、似たようなことがあったような。

あの時は、やたらと大きな狼の群れに襲われ、ほぼ死んでいたのを助けてもらったのだっけ。

そして、今回は、あの砦から命からがら逃げ出して、それで―――


「うわああああ!」


思い出した!


長期に渡る強制労働力と、執拗な暴力に悲惨な待遇で死ぬ寸前まで追いやられ、逃げたしたところを最後まで追われた挙げ句、矢を射かけられて、逃走中に馬に振り回され、文字通り血反吐を吐きながら森を進み、そして―――


「貴方、前回も酷いものだったけど、今回の状態はもっと悪かったわ。

……正直、良く生きてここまでたどり着いたと思う。

記憶も混乱していて、途中からうまく読めなくなった……

一体、何があったというの?」


眉をひそめながら問う。

その口調は、内容はぞんざいながら気遣う心が伝わってきた。


ふと、温かいものが体にじんわりと広がる。

同時に、涙が頬を流れるのを感じた。

胸が詰まり、声も出ない。


滂沱ぼうだと流れる涙を止める意思も働かず、あの地獄から逃げ出せたという思いが胸に迫り、そのまましばらく、ただただ涙を流し続けた。

それを、ユイが少し困った顔で見て、黙ってそこに佇んでいてくれた。


それが、今の俺には、ありがたかった。


***


暫くして、ようやく落ち着いた俺は、ぽつりぽつりと経緯をユイに話し出した。

ユイは、途中までは記憶を読んで知っているはずだが、口を挟まずに黙って聞いてくれた。

そして話を聞きながら、顔が強ばって行く。


あの意気揚々と出発したユウが、ほどなくして、そのような酷い目に会っていた。

文字通り、九死に一生を得たわけだ。

最後まで話を聞いて、改めてその辛い体験を思った。


「そんなことが……」


何か声を掛けようと思うものの、こういう時に、なんと声をかけてよいか、ユイには言葉が見つけられない。

形の良い眉を八の字にしながら、出てきたのは、ありきたりな言葉だった。


「酷い目にあったのね。大変だった。

もう大丈夫だから、ゆっくりなさい……」


俺の中にある結依の記憶を引き継いだユイだったが、元々が植物である神樹である。高い知性を持つとは言え、そもそもの精神の有りようが違う。

こんなときに、どんな言葉をかければ良いか、どうしてあげれば良いか、分からない。


ただ、心が深く傷ついていること、それだけが分かった。

ユウの回復を信じて待つしかない。


***


それ以来、ユウは、自室にこもってぼんやり過ごし、時に悪夢やフラッシュバックにさいなまれる、そんな日々が続いた。

苦しむユウを、ユイは黙って見守った。


ユイは思う。

植物も、生える場所によっては常に日陰に生えざるを得ないこともあり、あるいは風雨にさらされる過酷な環境を強いられることがある。

自力で動けない植物は、それらを黙って受け入れて、強く根を張り、精一杯強くなり順応するしかない。

ユウも、きっといつか受け入れ、そして克服する。できる。

ユイは、ただそのサポートをするしかないと考える。


そんな日々が一ヶ月ほども続いたある日、ユイがユウの様子を確認しようとユウの部屋に意識を向けると、そこに生体反応が感じられなかった。


(?)


館の内部全体に意識を回すと、武器庫にユウがいるのが感じられる。

すい、と武器庫で精神体を構築し、積み上げられた武具を漁るユウの背中に声をかけた。


「ちょっと、なにをやってるの?

一応、仕方なく転生してあげた都合上、ここに立ち入る権限も付いてしまったけど、貴方が勝手に入っていいところではないのよ、ここは?」


腕を組み、少し睨むようにして声をかける。

ユウの記憶から汲み取った、少し相手に対して距離を取って話すポーズ。

しかし、最近の塞ぎ込んで何もできなかったユウが、いつもと違う行動を取ったことが少し嬉しくて、ちょっとだけ口調が柔らかくなっている。


しかし、その言葉には反応せずに、整然と並べられた品々を漁るユウ。

片端から、黙々と手にとって見ては、戻している。


「ねぇ、聞いてくれる?

この部屋は、貴方の勝手にしちゃダメなのだってば。

そもそも、そこに置いてあるものは、貴方には使えないものばかりよ?」


ぴく、とユウが反応する。


実際のところ、並んでいるものは、ユウにとって理解の及ばない物ばかりであった。

胡桃のような何かの実であったり、筒を組み合わせた謎の構造体であったりして、銃器のようにも見えるが、引き金のようなものが見当たらないものであったり。

つまり、どれも、使い方が分からない。

後ろで腕を組んで半眼になっているユイを見ても、おそらく使い方を教えてはくれまい。

ユウは大きく溜め息をつくと、立ち上がる。


部屋を出ようとして、入口付近の台に挿してある物が目を引き、柄を持ち引き抜いた。

それは幅広で厚みがあまりない木剣のような形状をしており、良く見ると剣身の両側に、蔦のような紋様が刻まれている。

刃の部分が溝になっており、一ミリ程度の隙間になっていた。


これで斬られたら痛いだろうけど、殺傷力という点では期待できない。

しかし、この飾りのような木剣でもないよりはマシだろう。


鞘も無さそうだし、そのまま持って行けばいいか。

ユウはそう思い、くるりとユイの方を向く。


木剣の柄をきゅっと握り、ユイに向かって話し始めた。


「話があるんだ、ユイ」


その言葉に、ぴくりと頬と動かす。

本当に人の動きを真似るのがうまくなったな。

ユウは、これから話すことと関係ない、そんな些末なことを思いながら、話を続けた。


「俺は、このままここにいることが耐えられない。

あの砦の奴らが、今、この瞬間ものうのうと生きていると思えることが、許せない。耐えられないんだ」


少し考えるだけで、心臓が絞られたような感覚が走り、激しく動悸がする。

手足が冷たくなったように感じ、口が乾いたように粘つきを感じる。

心は落ち着きを失い、何かを求める。

その何かが復讐を望むのか、逃避や忘却を望むのか、方向性が心のなかで移ろい、不安定になる。


留まることが耐えられない。


一瞬、ユイの顔が強ばった。

心を読める彼女には、言葉で説明する前に、全て伝わってしまうのだろう。


口を開きかけ、そのまま、また閉じてしまう。

心を読めると、言いたいことを口にする前に、その無力さを悟ってしまうのかも知れない。

結局、ふぅと溜め息をつき、諦めたようだ。


「貴方が自分の行く末について分かっていることは、私も知っているけれど、それでも言わせてもらうわよ。

貴方のその行動に未来はない――ほぼ、拾った命を捨てに行くのに似ているわ」


睨むようにしてこちらを見るユイに対して、ユウも答える。


「わざわざ命を救ってくれたのに、悪いとは思っている。

いろいろ考えた。

でも俺は、これ以外に思い付かなかった。これだけが、明日を思うことができた。

今の俺には、復讐だけが救いの道なんだ」

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