第19話 森の娘

夕暮れ時。

熟れたトマトみたいに赤い空に、カラスのような鳥の鳴き声が響き渡る。

遠く小高い丘の上に佇む砦からは、炊事をしているのだろう、数条の細長い煙が立ち上っていた。


砦のことを少し思い出してしまい、胃がキリリと痛み、押さえつけるように奥歯を噛む。

俺は、偵察と称して砦を見張り続け、何も得るところなく今日一日が終わろうとしているのに、苛立ちを覚えた。


―――もっとも、何かアテがあって見張っていたわけでもないから、成果がないのは当然なのだが。


神樹ユイの家を飛び出してから、森の縁を伝い歩いて砦を観察するのに都合が良いポイントを見つけた。張り込みしやすいよう、ねぐらを定める。

それから数日、当てどもなく、ただ観察を続ける。


何をしようという、具体的なアイデアは持っていない。

常に焦燥感が心の底にあり、何かをしていないと落ち着かないのに、何をして良いのか考えがまとまらない。

そんな自分に苛立ち、しかし何もできない。


溜め息をひとつつき、ねぐらに戻ろうと踵を返すと、そこには大きな野犬のような獣が数匹、静かに俺を睨んでいた。


俺が木剣の柄に手をやると、一斉に警戒の体勢をとり、小さく唸り声をあげる。

野生の獣とは思えぬ統制のとれ具合だ。


俺は油断なくその野犬達を睨み付けていると、ピクリと野犬達の耳が動き、左右に別れた。

その奥から現れた異形の獸に、俺は眉をひそめる。

それは、日本では見たこともない生き物だった。


体高は、俺よりも少し低いくらいであろうか。

ほぼ同じ高さに相手の目が見える。

四つん這いの状態で、俺と近い目線であるなら、体長はいかほどなのだろうか。


顔も、異相である。

まず目につくのが鼻で、象ほどではないが、長い。動物園で見たことがある、獏のような鼻だ。

両側にある目は大きく、少し外側に出ており、黄土色の瞳がぎょろりとこちらを睨めつける。

大きく裂けたような口の下顎から長い牙が突き出す様は猪を思わせた。

体毛は見えず、赤茶けざらついた皮膚が、まるで鎧のように全身を覆っている。

敢えて言うならば、異形のサイと言ったところか。


総じて、固くて、重くて、デカそうだ。

あんなのが突撃してきたら、一瞬で死亡確定。念のため、いつでも木の枝に飛び乗れるよう、膝にバネを溜める。


「おまえが侵入者か!?」


サイもどきが、騒音といいたくなるようながらがら声で叫んだ。

こいつも喋れる獣というわけだ。

こちら風に言うなら、魔人という分類だ。全く人には見えないが。


「ちげぇよ。

あの砦を見ていただけだ。

お前らの縄張りには興味ねぇ」


森の魔人だか魔獣だかの縄張りには、全く興味はない。

本心だ。

信じてもらえるだろうか?

ユイのように、心を読んでくれるのならありがたいのだが。


「てめぇ、ふざけんな!

街道からこっち、森のなかは、ぜんぶオレらの場所だぁ!

そんなことも知らねぇわけねぇだろう!」


ずいぶんと心の狭いことを言ってくる。

こっちがふざけんなと言いたい。

こんな、ちょっとしたことでも苛々している自分を感じた。


「ざけんな、そんなこと知るか。

俺はあの砦を潰したいだけだ。

そっちには行かないから、気にすんな」


そう言うと、手で払う仕草をした。

理性では危険な行為と分かっているが、苛立ちの感情を制御できない。


「あぁ!?」


サイもどきが、がばと半身を起こす。

一気に二メートルを軽く超す高さになり、大きく固そうな五本に分かたれた指を持つ前足が見えた。


「てめぇ、こっちが話しかけてやってるのに、なんだそれは!?」


一発でキレた。

なんてキレやすいんだ、と思うが、見たまんまとも思える。


(何やったって、効きはしないだろうな)


無謀とは思うが、木剣の柄を握る。

眉間あたりに突き立てたら、多少はダメージが通らないか。


そんなことを考えていると、サイもどきの脇をすり抜けて、小柄な影が近づいてきた。


「兄ちゃん!」


あの砦にいた少年だった。


「おお、生きていたか!」


無事に逃げ延びることができたようだ。

あの地獄のような日々を共有した相手に会えて、少しだけ苛立ちが納まる。


少年は俺の前に駆け寄ると、くるりと背を向け、両腕をひろげてサイモドキに対峙した。


「シーニス!

彼は、あの人間の砦に、ボクと一緒に捕まっていたヒトだよ!

ボクを助けてくれたんだ。

悪いヒトじゃぁないよ、そんな脅したりしないでくれよ!」


シーニスとは、あのサイモドキのことだろうか。

名前なんてあったのか。


シーニスは、ギョロリと目を回して、首をくるんと傾げてから、吠えるように言った。


「うるせぇぇぇ!

おめぇみてぇなチビを助けたからなんだってンだ!

妖精族のでき損ないのクセして、でしゃばるんじゃぁねぇよ!」


そういって、胸の前で両前足を叩き合わせた。

どんっ、という音と主に、爆発が起こる。

どう言ったカラクリであんな現象が起こるのか。


「なんだよ、ひどいよシーニス!

同じ仲間だろ!?

そんな言い方ないよ!」


少年の身長は、いいとこ百四十センチ前後だろう。

半立ちして、二メートル近いサイモドキを前に威勢が良い。

いい度胸をしている。


しかし、そんな少年の度胸も、サイモドキことシーニスには関係ないらしい。

牙をガチガチ鳴らし、地団駄を踏みながら叫ぶ。


「どけっ!

どかねぇなら、てめぇも一緒に踏みつぶしてやるからな!」


半立ちから、四つ足に戻り、牛のように後ろ足で地面を蹴り始めた。


流石に怖いのだろう、小刻みに震えている少年を下がらせようと、一歩前に出た時、上から声が降ってきた。


「ちょっとシーニス、何でそんなに脅してるのよ。

そんな怖い声ださなくてもいいでしょう?」


そう言うと、バサリと黒い翼をはためかせ、降りてきた。


鮮やかなワインレッド色の長い髪が、ふわりと肩の上を舞う。

黒く艶のある、革製らしきツナギのような服から、白く長い手足が伸びる。

同じ黒革の素材と見える長手袋を着け、膝まで覆う長いブーツで着地した。


ばさりと肩に髪が降り、顔を上げると、暗紅色の大きな瞳が見える。

目鼻立ちのはっきりとした、紛れもない美人だ。

ツンと出た胸部と引き締まった腰部が、女性であることを主張する。


ただし、その端正な外貌よりも目が行くのは、まず背中に生える、漆黒の翼。

光を吸い取るかのような黒い翼は、彼女の背中で折り畳まれ、高さはおそらく二メートルくらいあるだろう。

そして、彼女の額から生える一対の角。艶消しされたような黒い角は若干の反りがあり、天を突くように上に伸びている。

長さは十センチ以上、十五センチくらいあるだろうか。

身長も百七十センチ以上ありそうで、角を入れたら俺よりも高いだろう。


「エルナ!」


少年が、その悪魔風の容姿の女性に向かい、声をかけた。

その女性―――エルナという名なのか、彼女は少年に向かってニコリと微笑みかけながら、軽く手を上げて応じ、シーニスの方を向く。


「なにそんなに苛立ってるの、シーニス?知らない魔人ひとり迷い込んだくらいで。

そんなに怒ってると、お腹減るよ?」

「うるせぇ!

こんなヤツに、コケにされたままでおさまりがつくかってんだ!」


仲裁の甲斐なく、地団駄踏みながら目を剥いて威嚇してくる。


「まあ、そう言うなって。

この子の恩人みたいなんだし、ここは見逃してあげて?」

「お前はすっこんでろ!

これはオレのケンカだぁ!」


息を荒げて、足を踏み鳴らし、シーニスが怒鳴り散らす。

エルナが取りなそうといろいろ話しかけるが、聞く耳をまるでもたない。


ふう、と溜め息をつき、やや真剣な面持ちになりエルナが言う。


「どうしても暴れたいってんなら、あたしが相手してあげてもいいんだよ、シーニス?」


腰に手を当て、挑むように顔を突きだしながら告げるエルナに、シーニスはぐっと言葉を詰まらせる。

左右に視線をさ迷わせた後に、どすん、と足を踏み鳴らしてから、ケッと言い捨て、背を向けて去ってゆく。

一緒にいた野犬達も、シーニスに合わせて姿を消した。


「ありがとう、エルナ!」


少年がエルナに向かってダイブし、それをエルナが抱き止めている。

それをぼんやりと眺めていると、エルナがこちらを向いた。


「あんたが、あの砦に捕まっていた、この子の手を引いてくれたんだって?

おかげでこの子も助かった。

礼を言うよ」


そう言って、魅力的に微笑む。


「ああ、俺もその少年が無事でよかったよ。

助けてくれて、ありがとな。

それじゃ」


そう言い捨てて、片手を上げ、その場を立ち去ろうとする。

それを聞いたエルナは少し目を見開き、ちょっと苦笑いして、既に半分背を向けていた俺に声をかけた。


「あー……

折角だから、いちどあたし達のところに来てくれないかな?

この子を助けてくれたお礼もしたいし」

「気持ちだけ受け取っておく」


その、グラビアアイドルにも負けないであろう美貌と抜群のプロポーションは、普通であればとても魅力的だと思う。以前であれば、間違いなく付いていったはずであるが……今は、まるで心が動かない。

我ながら、だいぶ病んでいるのかな、と自覚はしている。


とにかく、いまは、あの砦に復讐することだけにしか思考が回らない。

潰す。

それだけだ。


「兄ちゃん、ちょっと待って!」


少年が、走って回り込んできた。


「このままだと、またあのシーニスにからまれるよ!

とにかく、いったんボクらの住みかにおいでって!

そう遠くないからさ」

「そうよ、思い込んだシーニスはちょっと面倒なのよ?

あんた、さっきは逃げようとしてなかったけど、もしかしてアイツに勝てるの?」


少年とエルナに諭される。


確かに、あんな巨体でタックルかまされたら、ダンプにはねられるのと末路は変わらないだろう。

感情は若干アレだが、俺も理性的な思考がなくなったわけではない。

それくらいの道理はわかる。


「もしここに来るのなら、ボクらの住みかから通えばいいよ!

だからさ、こっち来てよ?」


少年はそう言って、懇願するような目で見てくる。


……もうここまで来たら、断る理由が見つからない。


「分かったよ……一度、お邪魔させてもらうよ」


溜め息をつき、頭を掻いて、降参する。

少年と、あとエルナが、安堵したように微笑む。

少年はともかく、ろくに知りもしないエルナがこんなに気にかけてくるなんて、この少年はよほど大切な存在なのだろうか。


それにしても、あのサイモドキのシーニスとやらにいい啖呵を切っていたが、このエルナとはそんなに強いのだろうか?

少年とエルナについて歩きながら、こっそり少年にだけ聞いてみる。


「あのシーニスってヤツはえらく強そうだったが、彼女は張り合って、おまけに退かせていたな。

そんなに強いのか?」


それを聞いた少年は、嬉しそうに笑いながら答えた。


「エルナは強いよ!

でも、エルナはそれだけじゃないんだ。

昔からこの森のみんなに大切に育てられて、みんなに好かれているからね!

だから、みんなはエルナのことを、森の娘、て呼んでいるんだ!

森の娘に怒られたら、誰だって困っちゃうよ!」

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