第30話 イエルを倒すもの

湖から湧き出た白系色素生物ミカラミアにむんずとその体をつかまれて、真っ赤な目で恨めしそうに睨まれてもクロハはまだ平気な顔をして、イエルに軽口をたたく。


「自業自得とはいえ、仮にも自分の仲間をこんなラミアだか姦姦蛇螺かんかんだらだか知らねえ怪物に変えるなんて、ひどくねえか?」

「ラミアはその昔自分の子を殺された恨みで化け物と化したそうだ、子供同然の存在黒燕を君に殺された彼女にはお似合いの姿だろう?」

「げー、趣味わりぃ・・・」

「悪いがいくら俺でも君と直接戦って勝てるとは思わない。そこで一つ、私は奥の手を発動することにしたよ。」

「・・・奥の手は最後まで取っておくもんだぜ・・・ここぞって時までな・・・?」


やはり、奴の目線が一瞬、ほんの一瞬別の方向を向いた。だがさっきとは別の方向だ。それでやっと気づいた。その目線が向いている方向が、今地球のほぼ裏側で戦っているあの二人に向けられたのだとしたら、合点がいく。白拍子どもを世界中にばらまいてまで引き剥がした二人をどうにか呼び戻し、あくまでも自分では戦わないつもりらしい。


・・・


「そ・・・そんな・・・どうして・・・!」


赤の広場で繰り広げられた、美しくも激しい舞のような闘い。火沙々鬼かささぎとのは長時間に及び、すでに月は隠れていた。拮抗状態のなか、状況の打開策を戦いながら、と考えていたマジェンタの疑似網膜に、それは突然映った。それは戦いの中で、戦いを忘れるほどにはマジェンタにとっては衝撃の光景を写した映像だったからだ。


「隙あり!!」


だが、その一瞬の隙を火沙々鬼は逃さなかった。上段に構えた姿勢から振り下ろされる白鉄棍ホワイト・スタッフの強烈な一撃が、マジェンタの胴体に炸裂する。


「あああっ!!」


攻撃をもろに喰らったマジェンタは後ろに数歩のけぞった。運の悪いことにその足で踏んだ瓦礫を踏み外したはずみにバランスを崩し、後ろに倒れこんでしまう。それを見た火沙々鬼は勝利を確信し、ふっと口角を上げた。


「この勝負、どうやら私に軍配が上がったようですね。出来れば、もっと相手をしたかったのですが。」

「ま、まだまだ!勝負は終わって・・・ひゃあっ!!」


火沙々鬼は白鉄棍の先端に色力をためて彼女の方に向けた。すると突然、マジェンタの体に赤い鎖のようなものが飛びつき、彼女の体を大地に磔にする。胸元から足にかけて、何重にも施されたそのきつい縛めによってマジェンタは立ち上がれなくなってしまった。もがけばもがくほど、鎖は体に食い込んでくる。普段なら簡単に引きちぎれそうだが、すっかり色力を消耗してしまい、思うように動けない。


「し、しまった・・・」

「残念ですがお嬢さん、一度倒れた時点ですでにあなたの負けは決まっております。その赤色拘束鎖レッドチェーンは私が死なない限り解けやしません。貴方は負けたのです・・・お覚悟召されよ。」


相手はゆっくりと、しかし確実に、こちらに近づいてくる。だが、自分はここで死ぬわけにはいかないのだ。今すぐにでも日本に戻らねば。おそらくシアンもとっくに今頃は大急ぎで海を渡っているであろう。・・・仕方があるまい。を使おう。ここぞという時が、まさにやってきたのだ。マジェンタは体中の色力をかき集めるために必死に時間を稼ぐ。


「火沙々鬼・・・さん。」

「はい?」

「戦いの、戦いにおいて本当の意味での勝者って・・・どんな人と思いますか?」


相手は突然の質問に首をかしげている。そうだ、そのまま、そのまま・・・体内の全ての色力が、唯一自由に動かせる両腕に集まっていく。


「・・・何を言い出すかと思えば、そんなに死ぬのが怖いのですか。」

「死ぬ前に、聞かせてくれたっていいでしょう。せめてものはなむけに。」


この技にはクロハもよく助けられていると言っていた。だからこそ、彼にこの技についてかなり念を押されたのをよく覚えている。ここぞという時にしか使うな。奥の手は最後まで取っておくからこそ真価を発揮する、と。そしてついさっき、その言葉が緊急回線で”あの映像”と共に送られてきたのは、事実上の使用許可とみて間違いない。この技を使えば腕を失う羽目になるが、命には代えられないし、あとで治療すれば腕なんて簡単に生やせる。


「言うまでもない。勝ったか負けたか。これほどまでに単純な物事に、また何を見出すというのですか。私の方が聞きたいくらいですよ。・・・もうよろしいかな。」


火沙々鬼はすでにマジェンタの急所に狙いを定めて、白鉄棍を構えている。あと一回その一撃をもろに喰らえば、マジェンタは死ぬだろう。だが、その時こそ絶好のチャンスだ。既に両腕の自切準備は整っている。後は・・・その時を絶対に逃さないことだ。


「負けたとはいえ、貴方の戦いは賞賛すべきものでした。勝者の責として、貴方の名を後世に語り継いで差し上げましょう。それでは・・・覚悟!!」

「・・・戦いの・・・本当の意味での勝者は・・・」


白鉄棍の先端が大きく弧を描く。その瞬間だ。疑似網膜に幾多もの警告文が表示されるが、気にしない。賽は投げられた!


「・・・最後まで、諦めなかった人を言うんです!!」


そういい放った瞬間、マジェンタが一瞬で相手方に構えた両腕の肘部分で小さな爆発を起こし、腕を自切した。両拳は爆発の勢いに任せて大きく振りかぶって全くガードのない火沙々鬼のみぞおちにまっすぐに入り込み、そのまま肉と骨、臓物を突き破って・・・貫いた。


「むううっ!?むぐぐぐ・・・」


ごおんごおんと鈍い金属音を立てて、白鉄棍はあともう少しの所で無念にも打ち捨てられた。口を一文字に固く結んでどうにか痛みに堪えてはいるが、まさかのに流石の火沙々鬼もその表情に動揺を隠せなかった。マジェンタの両拳が貫いた穴をふさぐ両手の隙間から、ぼたぼたと真っ赤な体液がしたたり落ちる。


「が、がはっ・・・お、お嬢さん・・・お、お見事・・・ぐっ」


火沙々鬼はそのまま前のめりに倒れこみ、そして動かなくなった。縛めが音を立て壊れたところからみて、完全に死んだとみて間違いないだろう。マジェンタはどうにか足だけで立ち上がった。そして、敵とはいえ自分に礼儀を尽くした赤い好敵手に、軽く一礼をした。


「敵ながらあっぱれでした。貴方と戦えたことを光栄に思います。・・・火沙々鬼さん。」


長時間の激しい戦いを終えたマジェンタだったが、これで終わったわけでは無い。すぐにでも日本に戻らねば。おそらくシアンもすでに向かっていることだろう。マジェンタは残った色力を振り絞って色球に変形し、前よりいっそう真っ赤に染められた赤の広場を大きく蹴って上空へと飛び立った。


・・・


ミカラミアはさらに強く、強くクロハを握りつぶそうとする。しかし、クロハは全く表情を崩さず、涼しい顔をしている。


「おまえのせいで・・・おまえのせいで・・・!!」

「どうしたクロハ。なぜ転身しない。貴様が勝てないような相手では無かろう。」


イエルが煽ってもクロハは聞かなかった。むしろ、にやにやと不敵な笑みも浮かべている。


「その手には乗らんぞ、黒燕との戦い見たく俺を利用してこいつを消そうってんだろ。なんでわざわざあの夜にやってきたのか、ようやくわかったぜ。」

「ぐああ・・・あのとき・・・おまえが・・・くろつばめを・・・」

「違うぜ、黒燕を処分したのはあのイエルさ。そして今、あんたまであいつの手ごまとして利用されようとしている」

「・・・うそだ!・・・うそをいうな・・・おまえが・・・!!」

「何ならブラックウィングだって、結果的には奴の重光線で焼き殺されたんだ。俺はあくまでも乗り移ってただけさ。」

「うがあああ!!だまれぇ!だまれぇ!」


ミカラミアは怒りのあまりクロハを地面にたたきつけた。だが、それくらいで壊れるほどクロハの超硬度合成樹脂ハード・プラスティカの体はもろくはない。地面に大の字の型を作って起き上がったクロハを、さらに湖から伸ばした大きな長い尻尾で巻き付けて、水面にばしゃん、ばしゃんと打ち付ける。いくら水面とはいえ、勢いよくぶつかればコンクリートブロックも砕くほどには威力が増す。だが、どんなに痛めつけられても、水中で締め付けられても、クロハは戦う意思を見せなかった。


「ぶくぶくぶくぶく、ぶくぶく。ぶくぶくぶくぶく。(いっぺん聞いてみな、イエルに。お前が殺したのかって。)」

「うあああ!!」


クロハを水中から引っ張り上げて、再び地面にたたきつけられた。ミカラミアの真っ赤な目は、今度はイエルをにらみつける。


「・・・こいつの・・・いうことは・・・ほんとうか・・・」

「・・・」

「ほんとうかと・・・きいている!!」

「・・・ああ、本当だ。ブラックウィングはさておき、黒燕は俺がこの手で直接殺した。」

「・・・」

「だが、本当はお前も感づいてたんだろう?」

「・・・」

「それもそうだ、お前にこんなことをする動機があるのは、俺くらいしかいないからな。」

「・・・」

「だがお前は俺に乗るしかなかった。そうでもしなけりゃ、無駄死にした二人が浮かばれないからな、そうだろう?」

「・・・うううう」


イエルの言う通りであった。岐路井という一人の人間をそそのかし、蒼井桃花やCOLLARSのメンバーを殺すように命令したのは、ほかならぬ彼女自身なのだ。だが、利用していた側のはずが、逆に利用されて大事な存在を奪われて、あまつさえ怪物にまで身を堕とすとは。因果と言うものはなぜこうも無慈悲で恐ろしいものか。ミカラミアは顔を覆った。その体を大きくくねらせて嗚咽を上げた。だが、もはや怪物となった自分の目からは、涙は一滴も出ない。イエルは哀れなミカを嘲った。


「すべては因果応報だ。ミカ?」

「・・・くくっ」


突然、クロハが大声で笑いだした。何が面白いのかわざとらしくふんぞり返って笑っている。


「クロハ、何がおかしい!!」

「ははは、岐路井、やっぱりお前はまだ人間のままだ。」

「その名を呼ぶなっ!」

「因果応報だってぇ?力の権化になりたいなら感情なんてこれっぽっちも必要ないはずさ、だがお前は力を得る為、邪魔者を消すためとかそれっぽい理由つくろって、復讐と言うベッタベタの感情表現をしやがったんだ、こんな笑える話があるかよ?」

「・・・その減らず口二度と聞けぬようにしてやろうか。」

「悪いが俺に喧嘩売っても買わないぜ。俺はこの世界の主人公じゃねえからな、あんまり出しゃばり過ぎると怒られちまう。まあ、さっきのやりとりで、俺が直接手を出す必要もなくなったがな。」

「・・・なんだと。貴様が私を倒さぬなら、誰がやるというのだ!!」

「そいつなら、もう日本に帰ってきたぜ。ほら、もうすぐ上に・・・」


クロハが指さした上空から、青い色球が恐ろしい勢いで接近してくる。その色球はミカラミアめがけて真っ逆さまに落下しながら形を変えて、褐色の刀を持つ蒼い巨神の姿へと変わった。シアンだ!


「くらえええええ!!」


シアンは急降下の勢いで褐色刀をミカラミアに大きく振り下ろした。ミカラミアが敵の急接近に気付いたときには、既に己の下半身が斬撃によって真っ二つにされた後だった。遅れてきた痛みに耐えかねずに上げた悲鳴は、ダム湖中に響き渡った。

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