第29話 内なる反撃

煙草の三大有害物質はニコチン、タール、一酸化炭素とされているが、このうち、ニコチンの特筆すべき点は、その依存性もさることながらひとたび一服すれば物の数秒で脳細胞に達すとされるその吸収の良さである。そのニコチンの吸収速度と、肺にこびりつくタールの物理色に、微小構成体ナノマシンという要素を組み合わせて一種の情報戦をイエルに仕掛けたクロハの奇策を理解したときには、イエルは逆に目の前の男に敬服の念を覚えた。


「・・・君は意外にせっかちなようだな。」


クロハは手の内を明かされたにもかかわらず、舌打ち一つして頭をわしゃわしゃと掻いただけで顔色一つ変えていない。


「情報戦は一分一秒の遅れが勝敗につながるんだ、悪く思うなよ。これはもしもお前がでたらめをほざいた時の一種のウソ発見器も兼ねてるんだ。」

「ニコチンの血管壁から脳細胞までの吸収経路に微小構成体をのっけて、記憶領域から情報をすっぱ抜いた後は、再び血流に戻して肺へと向かい、タールに含有される黒系物理色回線を経由して自分の領域へと帰還させる・・・まいった。降参だ。教えてくれ、どうやったらそんな策を思いつく?」

「目的地へ効率的に乗継を駆使しつつ、行きと帰りはなるべく違う一筆経路にする。”土産”もしっかり買いつつな。乗り鉄の基本さ。・・・それに、どんなに外側の防御を固めても、その内側まで防御しきれる奴はそうそういない。お前も例にもれずって所だが、この手口を一本吸っただけで見破ったのはお前が初めてだぜ。」


イエルはその言葉を一応誉め言葉として受け取っておくことにしたが、そのときに自分を睨んで全く動かなかった彼の目線が一瞬だけ外れたのが引っ掛かった。奴はまた何を企んでいる・・・?


・・・


黄羅滅鬼との戦いが拮抗状況に陥っていたシアンに、思わぬ”天啓”が訪れた。同時に、早急に片を付けて奥只見へ戻らなければならなくなった。彼の疑似網膜に緊急回線で割り込んできた映像がもし本当だとしたら、こんなところで手をこまねいている暇はない。シアンは黄羅滅鬼に向き直って刀を上に構えて、大きくとびかかった。


「わはは、無駄だと言っておろうが、俺の体はお前のなまくらなぞ一寸も通さぬわ!!」


黄羅滅鬼はぐわぐわと大きく口をあけて笑っている。それこそがシアンの狙いだった。シアンはあと少しで黄羅滅鬼とぶつかる、と言う紙一重の所で、突然自分の体を等身大へと収縮した。シアンはその勢いのまま、大きく開かれた相手の口の中へ・・・


「わはは、うんっ!?むぐっ!?・・・ごっくん。」


突然口の中に飛び込んできた異物に、黄羅滅鬼はどうしていいか分からないまま、嚥下してしてしまった。ややあって、体の中から青い光筋が断続的に表れ始め、そのたびに痛覚が全身を走り抜け、臓腑がキリキリとしてくる。


「おうっ!?・・・ぐぐぐぐ、いたい、いたい・・・腹が・・・ぐうう!!」


腹痛を表す言葉として、火箸で刺されたようなという表現があるが、今まさにそのような痛みが黄羅滅鬼を苦しめていた。シアンが自分の中で――おそらく胃のあたりで――暴れている。臓物を突き刺している。外側の防御は完璧だったが、内側までは頭が回らなかった。かといってまさか体内に攻撃を仕掛けてくる奴はいないだろうから、防御しようとする考えさえも浮かばないのが普通だ。内なる攻撃に必死に痛覚に耐えていると、突然ぴたりと痛覚が止んだ。やっと攻撃をやめたかと一息つく間もなく、今度は急激な内圧がかかり始める。そして、その内圧の意味が何たるかを真に理解した時、黄羅滅鬼の顔は”蒼白”になった。


「うぐあああ!!・・・やめろ!!やめろ!!・・・うああああああ!!」


悲痛の叫びの直後、黄羅滅鬼の体は内圧に耐え切れずに爆散。そこらじゅうに黄羅滅鬼”だったもの”が飛び散り、リバティ島は真っ黄色に染められた。そして、黄系色素生物がいた場所には、敵の体に潜り込み、これでもかと臓物の中から斬撃を繰り出した後、そのまま巨大化して内側から敵を破滅させた、われらが英雄、シアンが雄々しい姿で立っていた。


「どんなに外側の防御を固めても、その内側まで防御しきれる奴はそうそういない、か・・・おっと、こうしちゃいられない、早く日本に戻らなきゃ!!」


シアンは何やら急いだ様子でリバティ島を後に飛び立っていったが、この時の決戦はのちにハリウッドで映画化されるほどには米国人のロマンチズムをくすぐり続けた。そして、黄羅滅鬼撃退の決定打となったシアンの奇策には、日本のある童話に類似性が見られるとしてつぶやいたあるSNSユーザーのつぶやきは、しばらくの間日米両国のトレンド上位に居座り続けることになる。


〔日本のシキモリの戦い方、まるで一寸法師みたい〕


・・・


「・・・なるほど。面白い考えだ。では俺の事を理解したうえで、何か聞きたいことはないかな?」

「・・・俺はな、こういう仕事柄上いろんな世界を駆けまわってきたから、お前みたいな、力に心酔する奴らを何人もこの目で見てきた。そうなるきっかけはみなそれぞれ違うんだが、末路はみんな一緒なんだ、みんな死んじまう。」

「俺はまだ死んではいないよ。」

「いずれはそうなるさ。力はあくまでも目的を達成するための手段でしかないのに、皆いつの間にか目的と手段を入れちがえる・・・それはお前も同類だ。イエル。」

「・・・なぜ、そう思うのかな。」


イエルは微笑して聞き返した。彼の笑顔は、かつて笑いと言う感情が攻撃性の意味を含んでいたことを思い起こさせることを嫌でも想起させる。だが、クロハはそれくらいでは臆さない。


「それは、結局お前も人間だからさ。イエル。」

「・・・なんだと。」


微笑は崩れた。


「人間と言うのはいつも不完全なんだ、それが人間を人間たらしめる要素でもあるんだけどな。お前は完全な力の権化になろうとしているが、さっき軽く調べてみても、お前は力の権化になるには不完全な要素が多い。」

「俺は人間岐路井と言う器を捨ててこうして色素生物へと進化したのだ。どこが不完全だというのだ。」

「・・・体は進化できても、心はどうかな?三つ子の魂百まで、はあながち間違いでもないんだぜ。第一それを完全に取り払ったら、今ここにいるお前はアイデンティティのないただの抜け殻だ。」

「・・・」

「己を形作った人の心を完全に切り捨てることもできず、かといって手放すこともできず。そうやって葛藤していたまさにその時に、それを転嫁する格好の手段を見つけた、それが・・・」


バゴォン!!


クロハの結論を待たずして、イエルはガーデンテーブルを破壊した。腕のみが転身し、鋭い爪がクロハの喉笛を今にも掻っ切らんと狙いを定めている。


「・・・戦いに来たわけじゃない、んじゃなかったのか。」

「・・・たとえ全て知っていたとしても、プライバシーには気を付けてほしいものだね。」

「地雷を踏まれて激情するなんて、やっぱりお前は人間だよ、岐路井。」

「・・・話は終わりだ。クロハ。」


そういうとイエルは指を鳴らした。その瞬間、ザバァと言う水しぶきと共に湖の底から真っ白な腕が伸びて、クロハを鷲掴みにした。だがクロハはじたばたと無駄にもがいたりはしない。その腕の主は真っ赤に充血したような眼で――色素生物の血の色ははそれぞれの色素に依存するので本来は正しくない――クロハを見るなり呪詛のような言葉を発する。


「おまえが・・・おまえが・・・ころす・・・ころす・・・!!」


湖から出現した、上半身は人型で、下半身は大きな蛇のような尾をもつ、まるで古代神話の怪物ラミアのような姿の未確認の白系色素生物。そのような怪物こそが、イエルに薬を盛られて正気を失った、冷血のミカの成れの果てであった。




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