第19話 纏うはゴシック

COLLARSセーフハウス兼民宿、「奥会津」に朝が来た。宿に着いてからというものの風呂にも入らずに泥のように眠りについた蒼井は、寝ぐせだらけの髪をぼさぼさとかきながら洗面台へと向かう。洗面台の鏡に映る自分の顔には、疲労の文字が浮かんでいるように見える。いろいろなことが短い間に起り過ぎて理解が追い付かないのだから、無理もない。蛇口をひねって、放たれる冷たい水を顔に打ち付けていると、どこからか旨そうなにおいが漂ってくる。たしかこの宿には小さいながら食堂があったはずだ。


蒼井が食堂の方へ歩いていくと、何やら声が聞こえてくる。一人はマジェンタの声らしいが、もう一人は・・・


「そうそう、あとはもう余熱で固まるから」

「こがさないように・・・こがさないように・・・」

「そんで、パンに塗る奴どうする?マーガリンとジャムがあるが」

「ジャムの味は何があります?」

「イチゴ」

「じゃあジャムで」

「よし、では俺はこのブルーベリー味を・・・いや、これは蒼井にあげようかな」


蒼井が食堂で目にしたのは、備え付けのキッチンにてエプロンを付けたマジェンタとクロハが二人で料理を作っている所であった。蒼井に気づいたマジェンタが朗らかに声をかける。


「あ!蒼井さん!おはようございます!」

「おお、やっと起きたかお寝坊さん、朝飯はもうすぐできるからな」


朝ご飯のメニューは、トーストとスクランブルエッグ。そしてゆでたソーセージにコールスローとこれと言って言う事のない普通の献立でうまそうだ。いや、そんなことはどうでもよくて、何故彼女は昨日の今日で突然接触してきたかつての敵とここまで馴染めているのだろうか。


「「いただきます!」」

「い、いただきます・・・じゃなくてっ、おまえ、一体何のつもりだ!」


真っ先にトーストにマーガリンを”むらなく”塗りかけていたクロハは突然何のつもりだと問われて困惑した。


「何って、朝ご飯だよ朝ご飯。ブレークファースト。モーニングセット。」

「そんなことじゃなくて、どうしてお前はマジェンタと一緒に・・・」

「蒼井さん、私はクロハさんをお手伝いしただけです。この人は、誰よりも早く起きてキッチンで料理していたんですよ?」

「て、手伝い・・・?」


クロハはそうだとうなづきながら、溶けたマーガリンがひたひたとしみ込んだトーストを頬張る。


「別に俺一人で作っても良かったんだけどよ。彼女がどうしても手伝いたいというから、簡単な奴だけ手伝わせたのさ。」

「・・・」

「ほら、早く食わねえと飯が冷めちまうぞ。」


だが蒼井は手を付けようとはしなかった。


「・・・僕は、まだあなたを信用している訳じゃない、どうやってマジェンタを丸め込んだかは知らないけど、僕はそうはいかない。」

「別に丸め込んでねえって、意外と頑固なんだなあお前。」

「知ったような口を利くな!僕はお前からの施しは・・・」


グゥゥ・・・


緊張しかけていた雰囲気を一瞬で打ち砕いたのは、空腹に耐えかねて鳴きだした蒼井の腹の虫であった。昨日の夜から何も食っていなかったので無理もない。たとえ口では立派に断っても空腹状態で目の前に食物を置かれてはいくらシキモリと言えども欲求に敗北せざるを得なかった。蒼井は赤面した。


「・・・体は正直、ってやつかな。」

「う、うるさいっ。」

「蒼井さん?意地張るのもいいですけど、まずは体力をつけてからです。さあ、早く食べて。ご飯が冷めちゃいますよ。」


マジェンタに諭されて、蒼井はしぶしぶとちょうどいい熱さになったトーストを口へと放り込んだ。


「ジャムいるか?青色のジャムは今ブルーベリーしかねえけど。」

「いらない!僕は別に、お前から施しを受けた訳じゃないからな!空腹のため、マジェンタに言われて、仕方なく!」

「へいへい、そういう事にしときますよ。」


しばらくの間食堂を沈黙が支配した。3人の咀嚼音と立てかけてある時計の音しか聞こえない。蒼井は最初こそは恐る恐る食べていたものの、何も異常がないと知るや否やすぐにいつものようないきおいでがっつくようになった。その様子を見て一安心したマジェンタは微笑を浮かべた。そしてクロハはコールスローを牛乳で流し込みながら、飯を食い終わったらしばし休んだ後民宿の駐車場に集合な、と言ってすぐに席を立った。


「駐車場・・・?そこでいったい何をするんですか?」

「決まってんだろう、特訓さ。動きやすい服着て来いよ」


・・・


奥会津の駐車場は部屋が三つしかない割にはそこそこ広い砂利の平地であったが、こんな辺鄙な所へ自動車で来るのは日に一回の物資運搬トラックのみであり、そのトラックも建物に近い出入り口付近にしか止めないので他の区画は雑草だらけの荒れ放題と化していた。しかし、朝食を終えた蒼井たちが来た時には砂利が見えるくらいには小奇麗になっていた。そしてそこには、タオルを頭にかぶって黒いジャージに土に汚れた軍手姿のクロハが二人を待っていた。おそらく彼がこの場を整えたのだろう。


「おお、来たな。じゃあさっそく始めるか。・・・とその前に。」


クロハは二人にある小型の機械のようなものを与えた。シアンのは何か棒状のものにかぶせて使うのだろうか、ボールペンのキャップに似た細長い空洞の形状になっている。マジェンタのはクリップオンサングラス(眼鏡のフレームに取り付けるタイプのサングラス)型である。


「これは・・・?」

「昨日俺が徹夜で作った黒系物理色内包色抽出中継器ゴシック・アダプターさ。黒がすべての色を内包しているというのはいまさら言わなくても分かるだろうが、これは二人が持ってる色力抽出装置の先端につけてやれば、その黒系物理色の中から任意の色力を抽出することが出来る。そして何より、こいつを使うとシキモリとしての能力も底上げすることが出来る。・・・かもしれない。」

「・・・本当に?」

「百聞は一見に如かず。試しにこれでやってみろ。」


そういってクロハは黒系物理色を含有する物質の代表格、木炭を取り出した。蒼井は疑念のまなざしをクロハに向けたが、それを察したクロハは「何も入ってねえよ、何ならマジェンタの疑似網膜で確認させようか?」と返した。そしてこう続ける。


「別に拒否するならそれでもいい。だが、色杯があっちにわたってしまった以上、色素生物は再祝福を経て本来の力を取り戻すことは確実だ。戦闘能力はよくて互角かそれ以上の可能性もあるその時に何も対策してねえと後々困るのはお前自身だぜ。」

「・・・」


そう。蒼井はあの時、色杯とマジェンタどちらを取るかという究極の選択の中で、マジェンタを選んだ。なぜそっちの方を選んだのかは、今考えても良く分からない。でも、もしあの時色杯を選んでいたら、一生悔やむような気がしたのだ。


「クロハさん、蒼井さんの事を責めないでください!・・・私が先にそれを使います。」

「マジェンタ!?」

「蒼井さん・・・確かに、クロハさんとは一度敵対したこともあってあまり信用できないかもしれません。でも、正体と目的を洗いざらい話してからは、彼は嘘をついているようには見えないんです。」

「・・・」

「それに、彼朝ご飯作ってるときに言ってましたよ。あの時は色素たちを欺く演技だったとはいえ、少々やり過ぎたからいつか改めて謝罪しないとなあって。」

「・・・それは本当かい?マジェンタ。」

「はい!」


それは言わない約束だろう、とクロハは言いたかったが、この際我慢した。


「じゃあ、お先に・・・」


マジェンタはいつの間にか取り出していた紅紫眼鏡マジェンタグラスにクロハの装置をクリップすると、それを目に当てて転身した。すると、目のあたりから紅紫色の渦が巻き起こるまでは通常通りであったが、そこへ一筋の黒色が混じりつつ、マジェンタを色球へと変形させた。そして、色球がだんだんと収縮し、人の形へと変わっていく。そして完全に転身を終えた時、蒼井は驚嘆の声を上げた。


「マジェンタ・・・その姿は・・・!?」


姫騎士を思わせる重鎧装ドレスから一変、なんとマジェンタの格好は黒基調のチャイナドレスのそれになっていた。所々に紅紫のラインが入っている。唯一原形をとどめている顔も、黒いラインが惹かれてより締まった趣がある。


「これは・・・わああ!!なんて格好させるんですか!!クロハさん!!」

「い、いやあ、まさか格好まで変わるとは・・・」


流石に想定外だった、と言うようにクロハは頭を抱えた。しかし前の服装よりは動きやすくなったのは確かだ。そして何より、彼女から発せられるオーラが桁違いである、と蒼井は肌で感じていた。


「格好については言いたいことがあるけど・・・でも、マジェンタ。確かに君から発せられるエネルギーの量が全く違うよ。」

「ほ、ほんとですか、蒼井さん!」

「それに・・・似合ってるよ、とっても綺麗だ。」

「・・・そ、そんな、綺麗だなんて、やだ、蒼井さんたら・・・」


蒼井に褒められて赤面しながらも照れているマジェンタにとうとうクロハが耐え兼ねてどやしつける。


「こら!!惚気てねえでとっとと転身しやがれ!!蒼井!!」

「じゃあ、僕も・・・」


蒼井は色力抽出装置にクロハの装置を取り付けて、木炭から黒系物理色を抽出して、色力を開放した。するとやはり、体を青系物理色が包み込むが、そこへ一筋の黒色が差し込まれる。色球から人の形に収縮して、等身大で転身を終えたシアンは己の体の底から湧き上がってくるエネルギーに興奮を抑えきれなかった。上半身だけだったプロテクターが腰回りや足回りにも装備されて、そしてどれも黒く鈍く光っている。上半身のプロテクターや顔にも黒いラインが入って全体的に引き締まった印象になったのはマジェンタと同じであった。


「これが・・・黒系物理色ゴシックの力・・・!体の底から湧き上がってくる・・・!」

「どうだ、いつもより全然エネルギーの量が違うだろう?・・・だが、いくらエネルギーが有り余っても、それを制御できなきゃ結局意味がねえ。その意味わかるな?」


二人はうなずいた。そのために特訓を行うのだ。


「これからお前ら二人がその力を上手く扱えるようになるまで、俺がみっちりしごいてやる。なあに内容はいたって単純、俺と戦うだけだ。」

「えっと、クロハさんは転身しないんですか?」

「ああ、俺はこの姿が普段着みたいなもんだしな。」


クロハは頭のタオルと軍手を脱ぎ捨てると、そのまま構えて二人にかかって来いと手で合図した。


「さあ、かかってこい。遠慮はいらねえ、あの時と同じ感じで来ていいぞ。」

「もとよりするつもりもない、全力で行く!」

「お願いします!クロハさん!」




ゴシックの力を身に纏った二人は、湧き上がる力そのままにクロハに向かって行く。

こうして、二人の新しい力の特訓が始まった・・・












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