第20話 オーバー・ワーク

昼下がりの会津若松。晩秋の冷え切った空気がようやく温くなりかけたころ合いに、町は恐怖に包まれた。長閑な街は軒並み破壊されて今や瓦礫の山と化している。そして今街を踏みあらし破壊の限りを尽くさんとしているのは、かつてシアンに倒されたはずの緑系色素生物、グリンガであった。だが、前に現れた時とは違い、どこか殺気が増したような雰囲気を纏っている。今彼は駅を踏み荒らし、留置されている車両を全て鉄塊に変えながら生まれ変わった自分の威力に心酔していた。


「ふふふ・・・力が無限に湧いてくるぞ、これが、これが再祝福と言うものか!」


富士の惨劇から丸々一か月。しばらくの間鳴りを潜めていた色素生物はある日を境に再び現れるようになった。それも同時多発的に。一度に二、三体現れるのがザラになってからは防衛軍の対応が全く追い付かず、色素警報の発報と避難誘導だけで手いっぱいの状況が続いている。


防衛軍から派遣されてきた隊員たちは、悲鳴を上げながら逃げ惑う市民たちをどうにか避難所へと誘導し終わったあと、逃げ遅れた人達がいないかどうかを確認しに再び色素生物が暴れる町へと戻った。すると、


「うああああん!!うあああん!!」


一人の子供が道の真ん中で泣きじゃくっている。それに気づいた隊員の一人がいち早く子供のもとに駆け付ける。


「きみ、ここは危険だ、おじさんと一緒に来るんだ。さあ。」

「ママが、ママがどっか行っちゃったあああ」

「あとで一緒に探してあげるからね、今は早くにげ・・・ああっ!!」


防衛隊員が子供を抱きかかえて逃げようとした矢先、なんといつの間にかグリンガがすぐ近くまで迫っていた。子供の泣き声のする方へと顔を向けた時、隊員と目が合ってしまった。どくろのような顔からのぞく、緑色の濁ったような眼から発せられる殺気に圧倒されて隊員は全身が硬直する。蛇に睨まれた蛙。この状況を言い表す言葉を頭の中で思い浮かべた時、奴の口元がにやりと笑ったような気がした。


頭頂部にある一本角の先端が緑色の輝きを放ち始める。確かこの色素生物は、あそこから緑色のレーザー光線を出して攻撃するのだ。だが、恐怖が体を支配して全く動かない。そして今更逃げたところで間に合わない。死を覚悟しつつ、せめてこの子だけはと隊員はなおも泣き叫ぶ子供を強く抱きしめてグリンガに背を背けた。


「はは、死ねえ人間ども!!」


グリンガは色力を開放して緑色殺傷光線を放ち、二人を焼き切ろうとしたが、出来なかった。すんでのところで滑りこんできた青い色球に攻撃を阻まれたからである。グリンガはその色球をにらみつける。色球は段々と収縮していくにつれてグリンガは激しい憎悪感をあらわにしていく。そして色球の変形が終わったとき、その憎悪は頂点に達した。


「おのれ・・・またしても邪魔をするか、シアン!!」


二人を助けたのは、やはりシアンであった。シアンは二人の方へ目線をよこしてうなずく。ここは自分にまかせて早く逃げろ、と言っているのだ。


「シアン、頑張れ!!悪い色素たちをやっつけて!!」

「さあ、今のうちに逃げるぞ!」


二人が安全な場所へ逃げたのを確認した後、シアンはグリンガの方に向き直った。奴は前戦った時よりも明らかにパワーアップしている。シアンの直感はそう告げている。だが、それはこちらとて同じこと。特訓で身に着けた、黒系物理色ゴシックの力が体の底から湧き上がってくるのを感じながら、シアンはなおも冷静だった。


「グリンガ。まだ負け足りないのか。」

「裏切り者シアン、今度こそは貴様をぶち殺す!!今の俺は前とは違うぞ!!」

「その言葉、そのままそっくり・・・返してやる!」


そして、巨神たちの激しい戦闘が始まった・・・


・・・


「いや、来ないで!!来ないで!!」


眠らぬ街東京はその名に恥じず夜でも昼のように明るい。しかしいったん華やかな繁華街の裏通りに入ればそこに広がるのは混沌を孕んだ闇。周りがやたら明るいので闇はより深まる。人目のつかぬ裏通りを通り抜けて近道をしようとした通りすがりのある女性もまた、その混沌の餌食になろうとしていた。


「お嬢さん、そう怖がりなさんな・・・俺と少し遊ぼうぜ・・・?」


薄汚れた裏通り。コンクリートの壁に描かれたつたない色とりどりの落書グラフィティから、奴は現れた。後ろから差す後光がくっきりと示すそのシルエットは、羽を広げた蛾そのものであった。橙系色素生物、這十蛾ハウテンモスである。


「ヒヒヒ・・・裏通りに来たのが運の尽きよお、俺はグリンガやルージュとは違ってでっかくはなれねえ、だがこうやって一人ずつなぶり殺しにするにはこのサイズはジャストだぜぇ・・・」

「いや!!誰か・・・誰か!!」

「叫んだって来やしねえよぉ、俺の鱗粉は悲鳴も、血も涙も吸っちまうんだぜぇ・・・ヒヒヒ」


這十蛾は大きく羽を羽ばたかせた。ぶわあと巻き上がる風に奴の鱗粉が混ざって女にまとわりつく。女は必死に振り払おうとするも、体がしびれて動けなかった。この粉には吸い込んだものをマヒさせる成分も含まれているのだ。動けなくなった女はもはや悲鳴を上げることも敵わない。かろうじて動ける口から女は声を振り絞る。


「たす・・・けて・・・」

「ヒャハハ!!もう観念しな、お前はもう助からない・・・でもその前に、俺がじっっっっくりとお前という花の養分を吸いつくしてやるよぉ!!」


「蛾が蝶の真似事なんて、ナンセンスですね。」


突然後ろから声が聞こえる。はっと気づいて振り向くと、そこには黒いスーツに身を固めた紅紫色の髪をした女が立っていた。


「ああん?誰だおめぇ」

「その人から離れなさい。貴方のような汚らわしい虫風情が、触れていいものではありません!」


毅然と言い放った女を、這十蛾はぎりりとにらみつける。


「かわいげのねえ女だ、食事の邪魔をしやがってぇ・・・それともあれか、自分から死にに来たのか、え?」

「死ぬのは貴方の方です、色素生物!」


女はそう言い放つと、胸ポケットから大きなグラスを取り出して、着眼した。目の回りから火花のようにエネルギーが解放され、全身を包み込んだ。チャイナドレスのような黒い鎧装に包まれたその姿は、まさしくシキモリ二号マジェンタその人である。


「て、てめえは!!シキモリ!!」

「貴方は私が倒します。容赦はしません!!」

「く、くそう!!」


這十蛾は中級色素生物ではあったが、再祝福したとはいえ長らく暗殺をその主な任としてきたこともあって基礎的な戦闘訓練をおろそかにしていた。今まともに戦えば勝ち目はない。その逃げ足の速さも彼の持ち味の一つであったが・・・


「逃がさない!」


マジェンタは等身大でも空を飛べる。這十蛾は己を追って飛び上がったマジェンタと壮絶な空中戦を交わし、星の明かりすらかき消すほどの東京の夜景を見ながら死んでいくのだ・・・


「でもマジェンタ、流石にけが人の見殺しはまずいだろう。」


そういいながら一部始終を見届けていたクロハは、倒れていた女をやさしく介抱する。ちょっとちくっとするよ、と言うが早いが右手の人差し指からマイクロニードルを伸ばして女の動脈に素早く打ち込んだ。


「あ・・・ああ・・・」

「動くなよ、今あんたに入り込んだ鱗粉ナノマシンを俺のナノマシンで死滅させてるから。」


体から痺れがすうっと引いていく。生死の境から解放された安堵感からか女はすっかりへたり込んでいる。ふと上を見上げていると、空に紅紫の閃光がちかちかと二回ほど強く光った。マジェンタが技を決めて這十蛾を撃墜したのだ。それを見届けたクロハは女に謝罪すると、何やら封筒を握らせてそのまますたすたと去っていった。中身を見てみると、ちょっとした便箋と共に10万円が内包されている。


『すんませんね、迷惑かけちゃって。・・・これは迷惑料やタクシー代の諸々も兼ねてますんで、まあここはひとつこれで勘弁してください。』


便箋には、そう書かれていた・・・


・・・


既に時計の針がすべて12時の方向を差しかける頃に、ようやく蒼井とマジェンタ、そしてクロハの三人は奥只見へと帰ってきた。ここ最近は日本全国で色素生物の出現頻度が多くなるにつれて朝から晩まで出撃することが多くなり、当然こんなど田舎で終電なんてものはないに等しいので、皆疲労困憊の体を無理やり飛ばして奥只見へと帰還する。

帰宅早々、蒼井はリビングのソファに身を投げ出した。


「つ、疲れた・・・」

「今日は朝に札幌と広島で、昼は仙台と会津若松、そして夜の福岡、東京!全く奴ら再祝福してから明らかに威力増してきたな・・・」

「僕、先に風呂いただきますね・・・」

「おう、その間に飯作っとくわ。」


クロハは今日も冷蔵庫から缶詰とパックご飯を取り出してレンジで温める。朝ご飯さえまともな食事をとっていれば大丈夫なのだが、ここ最近はその朝ごはんでさえもインスタント・レトルト・缶詰食品で済ませることが多い。


「いい加減まともなもん作らねえとな・・・とはいえ、あいつらがいつ現れるか分からない以上、そんな時間もありゃしねえし・・・」

「クロハさん、無理なさらなくていいですよ、私たちは最低でも色力さえ接種できればどうにでも・・・」

「色力ばっかりじゃだめだ、ちゃんと白いご飯を食べなきゃ。」

半機械人間サイボーグなのに結構人間臭いんですね。」

「だからこそ、さ。人間の体を捨てたからこそ、せめて立ち振る舞いは人間らしくあろう、ってやつよ。そうやってどうにか自分は生き物であるという事を自覚しなきゃ、やってられんのさ。」


クロハはそういうと、早々に遅すぎる晩飯を食べ終わって席を立った。とっくに飯は出来ているというのに、蒼井がまだ上がってこない。長風呂は体に毒なのになあ、と独り言ちながら更衣室から共同大浴場へとつながるドアを開けるなりクロハは驚愕した。なんと蒼井が裸のままうつぶせで倒れていたのだ。


「!!・・・蒼井!!大丈夫か!?しっかりしろ!!」

「う・・・クロハ・・・」


クロハは蒼井の体を起こし、相手の顔を覗き込んで呼びかける。改めてみる蒼井の顔は寝不足なのだろうか目にくまが出来ており、とてもやつれている。声も心なしか弱弱しい。


「蒼井、蒼井!!」

「はは・・・ちょっと・・・立ち眩みしちゃって・・・」

「馬鹿野郎、調子が悪いなら悪いとなぜ言わない!?・・・よし、部屋に連れてってやるからな、よっ・・・と。」


クロハは蒼井の片腕を自分の方に回し、ゆっくりと立ち上がって更衣室の方へ戻ろうとした。そこへ・・・


「どうしたんですか!?」


クロハのただ事ではない声を聴いて、マジェンタが駆け付けたのだ。だがどうにもタイミングが悪かった。


「「あっ」」


・・・仲間の異常に素早く駆け付けることは決して悪くないことだ。だが、人造人間とは言え、マジェンタだって年頃の女性である。目の前に突っ立っている二人の成人男性の全裸姿を見てなんとも思わないほど、マジェンタの羞恥心は未熟ではない。


「・・・キャァァァァァ!!」




夜も更けて、月が煌々とその輝きを照らしつける民宿、奥只見に顔を真っ赤にしたマジェンタの叫び声がこだました・・・










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