第21話 束の間の休息
浴場でばったりと倒れている所をクロハとマジェンタによって介抱されて、どうにか自分の部屋にまで戻ってきた蒼井は布団の上で横になっていた。時刻はすでに深夜の二時を回っている。
「二人ともごめん、心配かけちゃって。」
「蒼井さん、本当に大丈夫なんですか?」
「うん、僕は大丈夫だよ。有難う。」
「・・・」
とはいうものの、先ほど浴場で見た蒼井の体に着いた大量の傷跡や、明らかに都会にいたころよりやつれている顔、何より目にできたクマを見る限り、マジェンタは到底大丈夫そうには見えなかった。そして、じんじんとした痛みが残る左の頬にできた真っ赤な手形をさする別の意味で大丈夫じゃなさそうな男がもう一人・・・
「いててて・・・俺もいたわってくれよぉ・・・」
「く、クロハさんが大声を出すからいけないんですよ!私にだって恥じらいと言うものがあるんですからねっ」
「来たのはそっちなのに・・・理不尽・・・」
彼女はクロハの体もはっきりとみている。己の事をサイボーグと言う割にはとても有機的であり、肩や腰当たりの関節まわり、そして体の各部からのぞく接続用端子でようやく半機械の義体であると認識できるくらいにはよく出来ている。痛覚もしっかりしている所を見るに、少なくともこの星の技術とは比べようのないほど進んだ技術で作られていることだけは確かなようだ。たかがビンタ一発で大げさにいたがるクロハを無視して、マジェンタはすでに食べ終わった蒼井の食器をもって台所へ向かった。
「・・・」
「しばらくは俺とマジェンタだけで回すしかねえな。まあ、いい機会だからゆっくり休めや。」
「僕は大丈夫だよ、クロハ!一晩眠ればすっかり・・・」
「昼は戦闘、夜は色力の資料を読みふけって、一体お前はいつ休むんだ?」
「え・・・」
色力は蒼井にとっては姉の形見同然のものである。国が公式に研究の事実上の凍結を発表し、民間でさえも敬遠している今、自分が色力研究を続けなければ誰がやるのであろうか?そういう思いで蒼井は、姉が作り上げた色力の基礎理論と研究データーを色力研究資料館から持ち出して、戦闘の合間のわずかな休憩時間や睡眠時間を惜しんでそれを頭に叩き込んでいた。最後にまともに寝たのは果たしていつだったであろうか。
「・・・知ってたんだ、クロハは。」
「姉の遺志を継ぐという心意気は買うが、取るべき休養も取らずに頭と体ぶっ壊れる限界までこき使えば、そりゃあ倒れるだろうよ。」
「でも」
「でもじゃない。休むべき時に休んでおいたほうがいいと自分で言ったのを忘れたのか。」
「・・・」
「気張ることも大切だが、気を抜くこともそれ以上に大切だ。体と心は一つしかない。だから、もう無理するのはやめようぜ?」
「・・・うん、そうだね・・・」
「よし、じゃあそろそろ俺も寝るとするかな。」
そういって立ち上がったクロハを、蒼井は呼び止めた。このことはマジェンタには内緒にしてほしいと。彼女にまで余計な心配はさせたくはないという理由からであったが・・・ドアの向こうに当の本人が聞き耳を立てて全てを聞いていたことまでは知らなかったようだ。クロハは途中から気配に気づいていたが、あえてそれは言わずに相槌を打って部屋を出た。
「あ・・・」
部屋から出てきたクロハと目が合った。どうした、と聞かれるとマジェンタは慌てて顔をそらしてお、おやすみなさい!とだけいって自分の部屋へといそいそと戻っていく。クロハはため息をついた。こりゃあ厄介なことになりそうだぞ・・・とつぶやきながら。
・・・
蒼井は三日で本調子を取り戻して戦線に復帰した。だが・・・
「色素警報発令、色素警報発令、黄系色素から高エネルギー反応を感知。色素生物です。」
色素警報を受けて、蒼井はシアンに転身した。同時に体を色球へと変えて色素生物が出現した現場へと向かおうとしたその時、シアンよりもはるかに速いスピードで紅紫色の色球が抜き去っていく。マジェンタだ。
「蒼井さん、ここは私に任せてください!」
「ま、マジェンタ?」
そういうとマジェンタは彗星のごとく現場へと消えていった。急いでシアンが到着した頃には既に戦闘は終盤に差し掛かっており、色素生物がマジェンタの回転蹴りを食らってとどめを刺されている所だった。
「ぐあああ!!」
黄系色素生物は爆散し、構成色素が還元されていく。シアンはまたもやマジェンタに先を越されてしまった。
「マジェンタ、後片付けをお願い。そこへは僕が・・・」
「蒼井さん、大丈夫です。私が行きます!」
言うが早いがマジェンタは再び色球となって現場へと急行していく。ちょっと待って、と言う暇もなくシアンは置いてきぼりを食らっていた。こういったことがもう何回も続いている。そして戦闘だけではなく、日常でも・・・
「蒼井さん、ご飯できてますよ!」
「蒼井さんの洗濯物洗っておきました!」
「蒼井さん、目覚ましは5時でいいですか?」
「蒼井さんの見たがっていたアニメ録画しておきました!」
「蒼井さん・・・部屋、掃除しましたけど・・・その・・・箪笥の裏の・・・えっ、エッチな本は・・・段ボール箱にまとめて、おきましたから・・・み、見てません!私は見てませんからね!」
マジェンタが以前よりも世話焼きになっている。戦闘や日常の面で自分が何かしようとするとすぐに彼女がてきぱきと動いてくれるのだ。嬉しいことは嬉しいのだが、彼女ばっかり働かせているとどことなく申し訳なく思ってくる。いったいなぜ彼女はそうするようになったのだろうか。彼女自身に聞いても、「何でもありませんよ!」と満面の笑顔で返してくるのでそれ以上追及する気にもなれない。
「クロハ、何か理由知らない?」
「・・・自分の胸に手を当てて考えてみやがれ」
「・・・?」
だが、このようなことが長続きするわけがなかった。
「色素警報発令。色素警報発令。」
日没の奥只見に色素警報が鳴り響く。蒼井は早速シアンへと転身しようとするが、それをマジェンタの手が止めた。
「あ、蒼井、さん・・・大、丈夫です・・・私が、行きます・・・から。」
「ど、どうしたのマジェンタ!?」
「な、なんでも・・・ないで・・・す」
どうにか平静を保っているように見せているが、今の彼女は明らかに様子がおかしい。体が小刻みに震えており、呼吸もぜいぜいと荒くなっている。蒼井はもしやと思い彼女の額に手を当ててみた。思った通り、ひどい熱が出ている。
「すごい熱・・・マジェンタ、今日は出撃しないで休もう、ね?僕なら大丈夫だから・・・」
「大丈夫です、大丈夫です、から・・・」
そういうと彼女は蒼井の制止を振り切り、グラス型の色力抽出装置を取り出して転身し、色球となって飛んでいった。蒼井はすぐにシアンへと転身してその後を追いかける。
「まって、マジェンタ!!」
・・・
今回はシアンも戦闘に加わったことでどうにか勝てたものの、既にマジェンタは限界の状態であった。高熱の原因は、黒系物理色力の使い過ぎによる心身への著しい負担によるもの、とクロハは結論づけた。この力は威力も大きい分体力の消耗も激しく、連続での使用は避けるようにとクロハが念を押してはいたものの、蒼井の分まで戦うにはどうしてもそうせざるを得なかったのだ。マジェンタは帰宅早々すぐに部屋で寝かされて蒼井とクロハの看病を受けた。ちょうど一週間前の蒼井と立場が入れ替わった格好だ。
「マジェンタ・・・こんなになるまで、どうして・・・」
「・・・あの時。お前がマジェンタに内緒にしてくれって頼んだ時、あいつは全部部屋の外で聞いてたんだ。何もかもをな。」
「・・・!」
「マジェンタは、お前を少しでも楽にするために、戦闘や日常生活のありとあらゆる負担まで率先して引き受けたんだ。」
マジェンタは高熱にうなされ、顔に汗をにじませながらうわごとをつぶやいている。蒼井さんのために、私が頑張らなきゃ、私が頑張らなきゃ・・・と。それを見ていた蒼井は、胸が締め付けられるような思いだった。自分のせいで、彼女にまでいらぬ心労を負わせてしまうなんて・・・自分は、なんて愚かなことをしたのだろうか。自責の念に駆られる蒼井を見かねてクロハが優しく声をかけた。
「まあ、そう自分を責めなさんな。あんたらシキモリは割と頑丈だから、少し寝ればすぐよくなるさ。とはいえ、しばらくは安静にしてないとな・・・」
ここから先は、二人だけで話し合わせた方がいいだろう。クロハはそう思い、静かに部屋を去った。そして、夜。マジェンタは目を開いた。看病の甲斐あって熱はすっかり引いている。傍らには、蒼井が座りながらうつらうつらとしている。
「蒼井、さん?」
「・・・ああ、よかった、気が付いたんだね!」
夜の只見を照らす月明かりが、窓から入り込んで暗い部屋をぼんやりと明るくする。
余計な明かりに邪魔されずに月本来の輝きを見ることが出来るのは、田舎が都会に対抗しうる唯一の強みだ。しばらく満月を見つめていた二人だったが、その静寂に耐えかねてお互いに口を開いて、思わず声がかぶってしまう。
「「あの」」
「・・・マジェンタ、君から先に・・・」
「い、いえ、蒼井さんから、どうぞ・・・」
「・・・マジェンタ、ごめん!」
蒼井はマジェンタに向かって深々と頭を下げた。
「ど、どうしたんですか急に?」
「マジェンタ、君はあの時、僕がクロハと話していたことを、部屋の外で聞いていたんだろう?」
「・・・」
「クロハから聞いたよ。あの人には、隠し事は出来ないね・・・」
「・・・はい。」
マジェンタには自分のせいでいらぬ心労をかけてしまった、と蒼井は改めて彼女に謝罪した。
「そ、そんな。私の方こそ・・・私なんか、蒼井さんを助けるために生まれてきたのに、逆にいつも蒼井さんに助けられてばっかりで・・・ずっとずっと・・・蒼井さんの足ばかり引っ張って・・・」
いつの間にか、マジェンタは目に涙を一杯に溜めていた。声も湿っぽくなっている。
「・・・だから、少しでも蒼井さんの役に立ちたくて・・・蒼井さんが倒れた時は、いてもたってもいられなくて・・・私が頑張って、蒼井さんを楽にしてあげなきゃって・・・」
「・・・マジェンタ・・・」
蒼井はマジェンタをそっと抱きしめて、耳元でささやいた。
「有難う、マジェンタ。・・・でも、僕だってマジェンタに助けられてるんだよ?」
「へ・・・私が?」
「うん。・・・岐路井さんが、イエルが何もかもぶち壊していったとき、僕は正直これからどうすればいいのか不安で不安で仕方なくて、心が押しつぶされそうだった。・・・でも、僕は君がいるから、マジェンタがいるからこそ、僕はどんな困難にも立ち向かっていける。傍にいるだけでこれほど頼もしい味方はいないよ。」
「・・・」
蒼井の手がマジェンタの透き通るような髪に触れる。さらさらとしていてとても触り心地が良い。
「君がそばにいてくれるだけで、僕は頑張れる。でも、もう無理に徹夜でがり勉とかはしないよ。だからさ、マジェンタも無理しないで。好きな人が苦しむ姿は、お互い見たくないよ。」
「・・・へ?い、今なんて・・・?わ、私の聞き間違いじゃ、な、なければ・・・わ、私の事を・・・す、好きって・・・」
「うん。僕はマジェンタが好きだ。頼もしい戦友として。心を許せる友達として。・・・そして、一人の人間の女性として。」
マジェンタの事が好きだ。それを聞いた彼女の顔が紅潮していく。熱はとっくに引いたはずなのに、頭がくらくらする。でも、不思議と不快感は感じなかった。むしろ、蒼井さんに対する自分と同じくらい、蒼井さんは自分の事を思ってくれていた、お互いが両思いであったという事が何よりもうれしかった。
「わ、わ、わ・・・私、私・・・」
私も、蒼井さんの事が大好きです。
そう言い切った後に、マジェンタは思いっきり泣いた。嬉しさのあまり泣くのは生まれて初めての経験であった。だんだんと夜の空にさえぎられて月の光が心細くなっていく。月はかろうじて雲の切れ間から光を漏らし、二つの影が一つに重なる瞬間を映し出して、今・・・完全に消え去った。
・・・
「愛って、いいよなあ・・・」
ベランダでタバコをふかしながらクロハは独り言ちた。隣の部屋にいたのでやり取りは全て聞いていたが、ごそごそと服を脱ぎ始めるような音を聞いてからは超収音機能を完全に停止した。地獄耳とはいえ人様の愛の営みにまで聞き耳を立てるというのは野暮である事をクロハも十分に理解している。何より、クロハ自身もその経験者であるのだ。彼は月が隠れたのをいいことにこぞって自分たちの存在を主張し始める夜空の星々を眺めて、かつての自分の思い人の事を脳裏に思い浮かべた。その思い人は既に亡くなっている。結婚している。娘もいる。その娘は今、元気にしているだろうか・・・
しばらくぼうっと空を眺めていると、一筋の流れ星が大空を横切った。今でこそ流れ星は願い事をかなえてくれる吉兆のイメージではあるが、大昔はそれとは真逆で、何か悪いことが起きる、誰かが死ぬといった凶兆のイメージの方が強かった。そして己の目、耳、頭脳、そして本体たる
クロハはそっと隣の部屋に聞き耳を立てた。既に二人は一枚の布団の中ですやすやと寝入っている。二人に訪れたつかの間の休息を邪魔させるわけにはいかない。彼はこっそりと、微小構成体を撒いて二人の部屋を包んだ。これで少なくとも夜明けまでは色素警報を含め周りの音を全てシャットアウトできる。
「今夜ぐらい、ゆっくり眠れよ。」
クロハはそう背中越しに呟くと、己の体を塵化させて流星の落下予測地点へと向かった。今宵の敵は、俺一人で片づける。
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