金沢はいまだにじっとこちらを見ているばかりで何か言うわけでもない。が、その不自然な沈黙に、ちらちらと教室の視線が集まり始めた。

 そんな周囲の視線に軽く睨みをきかせていた倖の視界にふと、りんの姿がうつった。

 ドキリと、心臓が大きく鼓動する。


 右手に、眼鏡を持っている。


 少しうつむくようにして頭が小刻みに揺れているのは、目に何か入ったのだろうか、左手の甲で目を擦っているようだった。

 今、こっち振りむけば。


 顔が見える。


 思った瞬間倖は行動にうつしていた。

「先生!教科書忘れました!!」

 ガタン!と、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり倖はピシリと挙手をして叫んだ。

 突然のことに、びくぅっ、と教壇の上で縮こまる金沢は一顧だにせず、ひたすらにりんのおさげ頭を凝視する。

 倖の叫び声に彼女もびくっと、肩を震わせていた。


 こっちむけぇぇっ!


 怨念にも似た思いが通じたのか、りんがゆっくりと倖の方へと体をひねる。

 いや、ひねりつつ流れるような動作で眼鏡を装着した。


 ちっ!


 教室中に、倖の舌打ちが響き渡った。

 振り向いたりんは眼鏡をしっかりかけて、怪訝そうに首を傾げている。目を合わせないように若干ずらしながら、倖は、でも、と思った。

 眼鏡をかけるまでの数瞬。


 似ている気がした。

 彼女に。


 あくまで、気がしただけだが。

 うーん。

 やっぱりはっきりきっぱり真正面から直視しないと納得できないな。

 倖が挙手したまま考えこんでいると金沢がおずおずと口を開く。

「……倖くん。教科書は、隣の子に見せてもらって……。」

 どう扱えば正解なのかよくわからない挙動不審な生徒を前にして、金沢がそれだけようやく絞り出すように呟くと、座っていいよ、と小声で伝えてきた。

 クラス中の視線が痛いので、金沢の勧めに従い素直に着席する。

 両隣の女子が、隣ってどっち、とわたわたしているのが視界に入ったが無視をした。

 あと少しで、眼鏡なし林田りんが見れたのに。

 惜しかった。

 非常に惜しかった。

 が、可能性はあるのかもしれない。

 あとは、どうやって眼鏡をとってもらうかだ。

 とりあえず普通に、取ってみ、とお願い?してみるか。

 金沢が黒板に向き直り授業を再開する。倖のことはとりあえずスルーすることに決めたらしい。

 りんも前を向き再びノートを取り始める。

 両隣の女子はいまだチラチラと倖の様子を盗み見ている。

 クラスの中で、忘れ物を自己申告して隣の奴に見せてもらえと提案されたのに、微動だにしない倖に触れることのできる勇気のあるやつは、授業終了するまで結局一人もいなかった。

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