第6話
一夜の宿を借りた次の朝。小腹の足しにと貰った木の実の入った小袋を片手に、僕は歩き始めていた。石畳の堅い尖りが足裏を刺す。朝の冷たさと、湿り気。深く息を吸うと喉が潤う気がした。
慈円さんは夕食の後、自分の寝床を僕に貸してくれようとした。少ない食料を分けてもらって、寝床まで借りるのは忍びないと頑として拒否した。それならと、彼の持っている布をありったけ集めて、彼のベッドのそばに敷いてくれた。
_ありがとう、ございます_
そういう僕に慈円さんは
_こちらこそ、こんなとこに泊まってくれてくれて、ありがとう_
と笑った。
早々に床に就いた僕たちの頭のそばで、花はゆるりと体を楽に立ったまま目を閉じていた。その体は呼吸する発光体のようだった。花のもとには空気中の塵や僕たちに降る恐れや悲しみが弱く吸い込まれていき、そしてやわらかな光に変換していってくれているような気がした。
堅い木の床の上に広げられた布類の感触をひとつひとつ頬に拾いながら、僕は気が遠くなるようにして意識を手放した。今まで眠っていたベッドではないけれど、僕はよく眠れたように思う。
だから夜中に見たものはもしかしたら夢か、僕の創り出した幻想の類かもしれない。
瞼を撫でる光に、僕は薄目を開けた。周りは静かで、とっさにおばあちゃんの姿を探しかけて、意識の頭を振った。ここは森の中だ。僕は花を手折りにきたのだ。そして_
そこで隣に眠る彼を首を横に倒して見た。現実を確認したかっただけかもしれないし、もしかしたら彼は、と思ったのかもしれない。気付けば慈円さんの手に、そっと自分の手を乗せていた。温かくて、ほっとした。そしてあまりに深い彼の呼吸に、ふと花を見たのだ。花は発光していた。その浩々とした光に、僕は言葉を呑みこんでいた。腕も、スカートの膨らみも、頬も、唇も、どこもかしこも花は光に滲んで居た。
_これは、何_
胸に落としたはずの言葉に、花はこちらに顔を向けて答えた。
_これ?この光?これは命の光。慈円の命の光よ_
それを花は細やかな粒子にして慈円さんへと降らしていたのだ。
_どうして?_
_だって_
花は口をひやりと揺り籠の形にして、僕の胸に言葉を落とした。
_慈円は受け取らないんだもの。でも私がずっと持っているわけにはいかないのよ_
弟を笑う姉のような、恋人の可愛さを語る女の子のような、母親の溢れる愛を確信している少女のような、それは寛容さと諦観と熱情だった。白い花が光の中微笑むのを瞼は消さないまま、僕の視界はその色に似た視界へと沈んでいった。そして気づけば、朝に打ち上げられていたのだ。それが今朝のこと。
僕は自分の見たものを胸に揺らめかせながら、彼とその花に別れを告げた。
_ゆっくりさせてやりたいけど、お前の花が待ってるからな_
慈円さんはそう言いながらも僕を引き留めてしまいと言っているようだった。瞳がまた水分を含んで輝いて見えた。
_ありがとうございます。僕が花を手折った後どうするのか分からないですけど、また会えたら_
僕は口を噤んで笑うことにした。慈円さんも、ははは、と笑いながら肩を二つ叩いてくれた。花は微笑むばかりで夜中の一通りを、口止めも仄めかしもしなかった。ただその白い瞳が儚げで、手折るのはともかく、夜中の花のことを話すことは躊躇われた。
一粒、小袋の中の木の実を取り出して口へ放り込んだ。渋くて、少し甘くて、独特の風味が鼻に抜けていく。これをあの大きな手が拾い集めたのかと思うと微笑ましかった。自然上がった口角に、鳥の高い声が降った。
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