第2話 日本人だと言いたい人たちへ
◯春◯
日本といえば、「桜」だろう
人は
見たことのある風景を「ふるさと」という
かつて、日本の花は、梅であった。
その前は、橙であった。
白い花が、日本の花であった。
橘の濃い緑に、さぞ、映えた花実であったことか。
梅の赤い花は雪に映えて、王に愛された。
緑と白と黄色と、それが白と赤に黄色の梅の花に置き換わる。
雪の冷たさにも萎れない、緑の橘と赤の梅が
環境に振り回されない強さの象徴になった。
奇しくも緑と赤は、「反対色」という色相であった。
桜に変わったのは、奈良の頃
仏教の勢力が、一段と隆盛した頃で
寺社の険悪は、遠く飛鳥の頃から続いている。
寺は、外国のもの
神社は、由来として「日本」だと述べるが
そんなことはない
神社に残る古い文献は、間違いなく大陸の朝鮮半島の由来によく似ている。
寺は半島の奥の大陸の国から入ってきた
社は半島から、頻繁に逃げてくる人を受け入れることで根付いた。
言葉なんて整う以前から
行き倒れを拾って、飯を食わせる事から
交流は、成立していた。
平安の頃の、通い婚の風習は、
そのせいではなかろうか。
男は、女の実家で女と共に朝食を食べると、
家族として、修行が始まった。仕事をもらったり教わったりすることが許されたのだ。
平安時代、天皇の力は后の実家の力だった。
だから、周りの環境が、過ごしやすくても雪の日のように凍れていても、夫婦が変わらず居られるように、橘と橙が植えられていた。
それが、橘と梅になり、桃の節句と混乱して、橘と桜に変わった。
橘の隣は、三回、変わった。
女の子→母→閉経し女性の機能を閉じた女性
この事は、源氏物語の展開の軸になっている
藤壺は、始めに早い段階で幻の人になる。
葵の上、紫の上と、青い色が濃くなっていく。橙は白い花だが実は山吹で、桜まで赤のグラデーション。だからこそ物語は、青のグラデーションで描かれた。
桜は、仏教の交換留学生が、持ち込んだものだ。ふるさとを思い出す為、寮の庭に種を撒いた。その前からあったとはいえ、爆発的に流行するきっかけは、そういうものだったのだ。
けれども、当時、大陸は、確かにふるさとに戻る政治ではなく、日本で寿命を迎える人もいた。
桜の木は、墓標になり
「桜の木下に死体が眠る」と冷やかされたのは、あさきゆめみし、と「消ゆ」のあとに命が示されて、「死」にたどり着いたからだ。
意味が重なると、深く刻まれる。
桜は、追悼のシンボルになり、
日本全国に広まり、風や鳥に運ばれた山桜と
競演した。
命を名乗らぬ、仮の名前のヒーローを
量産する意味は、どこにあるだろうか。
◯夏◯
日本の夏は、海の幸の季節でもある
鰹やアジなど
長寿のエネルギーになるEPAなどを
たくさん含んだ食の実りが訪れる
魚の生食は、アジアでも日本に特化した文化で、現代でも、魚の生食に仕込む技は、世界に有数の優秀を誇る
それも、目玉の裏だの頭の骨の周りだの
売るほどでもない「旨い部位」を彼等は
一次産業の従事者として、舌鼓を鳴らしてきた。
栄養状態が悪くなったのは
日本の王を移民が名乗りはじめてからである
日本は、1血統の国ではない。
移民と折り合いながら
移民の親の、「生まれを捨てる覚悟」に
日本生まれの子孫が応じる形で
続いてきた国だ。
だから、年長者を敬う風習が
自然に根付いた。
年長者の犠牲を悼む、祈りが
尊敬の種なのだ。
いまどきの高齢者が、どれ程のものを
捨ててきたというのか。
子孫に囲まれ、平然と利益誘導の嘘をつき、
移民の藤原氏に汚染された血統を日本の唯一血統と喚き、男子男系等とたかが100年の歴史に胸を張る。明治維新の僅か1つ前に、桜の名をもつ「女性天皇」が居たのに、そんなことを国会の場で発言する。
こんなにも、日本のことを知らない人を
「偉い先生」という、先人の苦労で広まった義務教育を無視する、生き物の集まりが、自治体の正体だ。
まるで、己の贅沢のために、国費に群がる虫のごとく、国費の本質を知らない、ずる賢い狐の集まりが、社会だ。
日本の熱さは、マントルのように
知識の深いところに、ドロドロと
鉄をも溶かす摩擦を起こしていて
ある日、火山の噴火になって
表面に降ってくる。
用心が肝心だ。
そして、魚を食べる習慣は
塩を生成する技術で、当たり前のものになってきた。
相撲の土俵には、海の神からの恵みにあやかって、埋められる品ものと
それらのお陰で、戦える体を作ったということが、ジオラマされている。
相撲は、神事だから、偽らないという意味で
服をまとわない。
歴史というのは、意味がついて大きくなることでふるい落とされることがなくなる
それを、今では噂を噂でかき消すような情報を確認できたというのだ。なんとも儚い。
◯秋◯
日本の四季に
山を染める錦秋の美しさを呼び込む地域は多い
なんとも華やかで、艶やかな季節だ。
この紅葉を、万葉集では、当然に
神のまにまにと歌う風習になっている。
みどりの木々が、黄金色に染まる。
それが「神の技」なら
「化学反応と原子」が、神なのだ。
人は、それを理解し真似ていくことができるが、
神は、姿もなくそれを始めるのだから
「頃合い」が神なのだ。
つまり
「神」とは
「時」と「反応」だ。
水が、冷夏の条件下、時がたてば、凍っていくことも「神の御技」だ。
人のことを「神の愛子」という
○冬○
雪の降る、白く凍てつく世界は
腐りを遅くする。
それは、私の命の名なので
私たちが出会ったときにでも。
私とこの星、この国 ひかりは以万 @ima-hikali
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