第7話 難敵
いったい何が見えたのか。
それとも見えないから、目の前にあたしがいると思って手を差し伸ばしたのか。
それが意味することを測りかねている内に、パレアの目の前でマーリアは力尽きた。
救いを求めていたかのように伸ばされた手が、地に落ちる様を見て、やるせなさげに舌打ちする。
「さすがに、二人目ともなると多少は慣れるみたいね」
そんな強気な言葉とは裏腹に、人を殺した忌避と嫌悪からくる吐き気は、しっかりと覚えていた。
だがそれでも、ガゼットを殺した時ほど吐き気は強くなかったので、その事実をもって「多少は慣れた」と、暗示をかけるように何度も何度も自分に言い聞か――
「ちぃ……っ」
瞬間、再び舌打ちしながらも真横に飛ぶ。
遅れて、パレアがいなくなった空間に、数十に及ぶ紫色の光球が殺到。
パレアの代わりに光球に乱打された草木が、マーリアの死体が、マグマでも浴びせかけられたようにドロリと溶け崩れていく。
(これは、〝毒〟の魔弾……!)
奇しくも、マーリアが最期の反撃に使おうとしていた毒魔術だということは、パレアには与り知らぬ話だが。
子供たちの中に、毒魔弾を得意としている男がいることは与り知っていた。
「あれ? かわされた?」
毒魔弾が飛んできた方角から、おどけた声が聞こえてくる。
声の方を見やると、そこには、背丈がパレアと同じ程度しかない童顔の男が立っていた。
男の名は、ケイン。
顔立ちとは裏腹に、子供たちの中でもとりわけ好戦的な男だった。
ケインは獲物を探すような目つきで、こちらに視線を向け……得心したように声を上げる。
「なんだ、パレアか」
「あんたまさか、誰が相手かも確認せずに撃ったの?」
「いやだって、この区域内にいる人間なんて
事もなげに言うケインに、パレアは閉口する。
同志などと気色の悪いことを言うつもりはないが、それでも、一七年もの間同じ
つくづく思い知らされる。
本当に、今生き残っている子供たちの中に、〝まとも〟な人間は一人もいないことを。
(しかも、状況はかなり最悪ときてる)
ケインを警戒しながらも、地面の右手に見える小さな魔法陣を横目で一瞥する。
マーリアが仕込んだ魔法陣トラップは、実はまだ生きていた。
彼女が死んだことで、魔法陣トラップに込められた魔力は時間とともに消失していっているものの、完全に消え去るには今しばらく時間がかかりそうだ。
マーリアのことだから、魔法陣を踏んだら自動で毒魔術を発動するよう設定しているのは想像に難くない。
魔法陣がいまだ消えずに残っていることを考えると、自動発動も生きていると見るのが妥当だろう。
パレアは、そこら中に罠が仕掛けられた状況で、魔弾の射手と戦わなければならない状況に陥っていた。
「それじゃあ、始めようか」
その言葉どおりに、ケインは自身の周囲に、紫色の魔弾を具象させる。
先程かわした際、魔弾の数は数十程度だったが、今回は明らかに三桁を超えていた。
指揮棒を振るうように、ケインはパレアに向かって右手を振るう。
その動きに合わせて、パレア目がけて一〇〇を超える魔弾が一斉に発射された。
「ああもう!」
悪態をつきながら、パレアは斜め後方に向かって走り出す。
木々を盾にしながら、マーリアの罠地帯を抜け出す。
その流れで、ケインを罠地帯に誘導する――という狙いがあっての行動だったが、
「大方マーリアあたりの仕業だろうけど、この辺りの地面に、妙な魔力がいっぱい隠されていることはわかってるよ。だから――」
ケインは罠地帯を迂回しながらも、こちらを追跡し、
「――君の誘いには乗ってあげられないなあッ!」
魔弾を次々と具象させては、こちらに向かって乱れ撃ってくる。
見込みが外れたことに舌打ちを漏らしながらも、木々を盾にして、全速力で罠地帯からの脱出をはか――
「……!」
足を踏み出した先に、察知し損ねた魔法陣トラップがあることに気づき、戦慄する。
足そのものは止められそうになかったので、強引に体を右側に振り、自ら体勢を崩すことで、魔法陣を踏もうとしていた足を横にずらし、何もない地面に着地させることに成功する。
だが、結果として足が止まってしまった代償は大きく、ケインはここぞとばかりに魔弾の集中砲火を浴びせてくる。
横に飛んでかわそうにも、自ら体勢を崩したため飛べるほどの
「ひゅう! やるねえ!」
惜しみない賛辞を送りながらも、ケインは当然のように一〇〇を超える魔弾を具象し、発射する。
普通の魔術師ならば、とっくの昔に魔力が底をついているほどの数の魔弾を放っているのに、ケインはまだまだ余力を残している風情だった。
(ケインの才能は、
心の中で呻きながらも、木々を盾にしながら、足を止めることなく走り続ける。
魔弾の〝毒〟が、草木を溶け崩していくのを背中で感じながらも走り続け……罠地帯を脱出したところで立ち止まった。
ケインも、こちらとは一定の距離を空けながらも立ち止まる。
「一応聞くけど、観念でもしたのかい?」
「愚問ね。観念することに何のメリットがあるっていうのよ」
「確かに」
ニヤリと笑いながらも、周囲に一〇〇を超える魔弾を具象する。
「もう一つだけ聞くけど、まさか君、足元に罠がなければ僕の魔弾を掻い潜れるとか、思ってないよね?」
その問いに対し、パレアは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「まさかだって言ったら」
「やれるものなら、是非とも実演して見せてほしいね!」
転瞬、ケインは魔弾を一斉に発射し。
パレアは迷うことなく魔弾の雨に突っ込んだ。
それを見て、ケインは楽しげに笑みを深めるも、
「……は?」
魔弾の雨と木々の間を縫って、凄まじい勢いで距離を詰めてくるパレアに、笑みを引きつらせた。
罠地帯にいる間、パレアは注意力の大半を地面に割かざるを得なかった。
しかし今は、目の前の魔弾だけに集中することができる。
遮蔽物が全くない状況ならまだしも、木々という盾がある環境において、魔弾の一〇〇や二〇〇を掻い潜ることくらい、パレアにとってはそう難しい話ではなかった。
スローイングナイフの間合いに辿り着くや否や、外套の下から二本同時に抜き取り、ケインの両肩目がけて同時に投擲する。
よけきれないと判断したのか、ケインは
さらに即座に魔弾を五つほど具象し、自身とパレアのちょうど中間に位置する地面に向かって発射する。
結果、現在進行形で間合いを詰めにかかっていたパレアの眼前で、魔弾の集中砲火をくらった地面が溶け爆ぜた。
これにはパレアといえども立ち止まらずを得ず、その隙にケインは飛び下がって間合いを離す。
「パレア……君、本当に魔術師? マンイーターよりも身のこなし凄くない?」
冷汗でもかいているのか、ケインがローブの袖で額を拭いながら訊ねてくる。
実際に特訓して、マンイーターを相手に命がけの
「知ってのとおり、魔術師としての才能がなかったからね。それ以外のところで勝負するのは当然の話でしょ?」
「なるほど。合理的だね」
これで何度目になるだろうか。
ケインは一〇〇超の魔弾を具象しながらも身構える。
表情からは余裕の笑みが消え、こちらを注視する視線には欠片ほどの油断も感じられなかった。
どうやらこの落ちこぼれ魔術師のことを、獲物ではなく敵として認識したらしい。
(ナメたままでいてくれた方がやりやすかったけど……仕方ないわね)
外套の下からナイフを二本抜き取り、いつでも投擲出来るよう身構える。
パレアも、ケインも、すぐには攻撃に移らず、無言のまま睨み合う。
沈黙を嫌うように、風に揺らされた木の葉が唄い、
「ぎゃぁああぁぁああぁああぁぁぁああぁッ!!」
唐突に耳をつんざいた断末魔の悲鳴が、その全てを打ち破った。
瞬間、ケインの意識が、断末魔が聞こえた方角へ向けられる。
その一瞬を見逃さなかったパレアは、ケインの心臓目がけて右のナイフを投擲した。
「しまっ――!?」
致命的なまでに反応が遅れたケインは回避も防御もままならないまま、心臓を貫かれ、倒れ伏す。
同時に、周囲に具象していた〝毒〟の魔弾が消失した。
即死させることで確実に脅威を払拭してから、パレアはようやく断末魔が聞こえた方角に視線を送る。が、異常らしい異常は見受けられなかった。
それならと、瞑目して気配を探ることに集中してみると、断末魔の方角から気配が二つ、こちらに向かって逃げてきているのを察知する。
「いったい何が……」
知らず呟いていると、本当に
まさかと思い、視線を森の闇から夜空へ移すと、星々を隠すカーテンさながらに、
先以上にまさかと思いながら、再び視線を森の闇へと戻す。
ほどなくしてチラチラと見えてきたのは、煙と同じ緑色の炎。
その緑炎を確認した瞬間、パレアは外套の襟で口元を覆い、地を這うほどに姿勢を低くして、緑炎の反対側へと逃げ出した。
(間違いない!
自然界には存在しない緑色の炎。
その正体は魔術によって生み出された〝毒〟の炎であり、〝毒〟の魔術師の頂点たるヴェルエに「ワタシでも再現できない」と言わしめた、奇跡の炎だった。
それゆえに断言できる。
今、毒炎で大森林を焼いている魔術師が、何者であるのかを。
(
◇ ◇ ◇
魔術の世界において、術者の発想次第で思いも寄らない魔術が創り出されることは往々にしてある。
とはいえ、それは術者が選んだ、あるいは選ばされた概念の枠からはみ出さなければの話だった。
〝毒〟と〝火〟。
明らかに二つの概念が組み合わさっているその力は、いくら術者の発想次第で奇跡じみた術を創り出せる魔術の世界といえども、異端と呼ばざるを得ない代物だった。
なぜなら魔術は、術者の深層意識が二つの概念が組み合わさっていると判断した場合、
術者が〝毒〟は〝毒〟と、〝火〟は〝火〟と認識している限り、どれほど高名な魔術師でも毒炎を創り出すことができないのだ。
それでもなお、ギリアムが毒の炎という超魔術を行使できるのは、彼が〝
概念とは普遍的な思考によって定義されたものだが、定義を正確に理解していない場合、その概念をどう捉えるかはその人の主観、つまりは観念に委ねられる。
ヴェルエの子供たちは、閉鎖された区域で、ごく限られた人間としか接することができない。
その中で育まれた普遍性など、歪まない方がおかしい。
だから、〝毒〟と〝火〟が全く同じ存在に見える子供が現れても、不思議はないとまではいかないまでも、ありえない話ではなかった。
然う。
ギリアムの目には、〝火〟は〝毒〟にしか見えないのだ。
〝毒〟が体内に入り込んだら、瞬く間に体中を冒すのと同じように、〝火〟に触れられたものは、瞬く間に皮膚を冒され、肉を冒され、骨を冒され、その果てに炭にされてしまう。
その様が、彼の目には〝毒〟と同じに見えて仕方ないのだ。
だからギリアムは、毒炎という奇跡を創り出すことができた。
なぜなら、魔術の世界において概念を定義しているのは、術者の固定観念だから。
世間では黒と定義されたものでも、術者が白だと微塵の疑いもなく信じきることができたら白になるのが、魔術の世界だから。
世界最高峰の〝毒〟の魔術師であるヴェルエが、ギリアムの毒炎を再現できないのも、九〇年近く生きた結果、〝毒〟は〝毒〟、〝火〟は〝火〟であることが当たり前だと、魂の髄まで刻み込まれていたからに他ならなかった。
ゆえに、使える人間はギリアムただ一人のみ。
それが毒炎だった。
◇ ◇ ◇
パレアは引き続き外套の襟で口元を覆い、地を這うほどに姿勢を低くしながら、毒炎から遠ざかるために、風上の方角を目指して大森林からの脱出を図っていた。
ギリアムの毒炎は普通の炎と同様、その身に触れるものを炭化する。
だが、普通の炎とは違って毒炎には熱がなく、「燃焼」という過程もなく、その身に触れたものを炭にするという結果だけが生じる。
にもかかわらず、毒炎は、普通の炎と同じように延焼にも似た現象を引き起こし、燃やすことなく炭化させながら拡がっていく。
毒炎によって炭化したものからは、普通の炎に焼かれた時と同じように煙が上がる。
そして当然のように、その煙にも普通の炎によって生じた煙にはない特性を秘めていた。
毒炎の煙を大量に吸い込んだ生物を、その身の内側――臓腑から炭化し、直接毒炎を浴びるよりも苦しめた上で死に至らしめるという特性を。
少し吸い込んだくらいなら影響はないという話らしいが、実際に吸い込んでしまった身としては気が気ではなかった。
(ほんっと、タチが悪いったらないわね……!)
心の中で毒づきながらも駆け続ける。
大森林でギリアムと戦うのは、さすがに厳しい。
〝延焼〟させ放題なので、毒炎を凌ぐのはパレアと言えども困難を極める。
よしんば毒炎を凌げたとしても、木々を炭化させたことによって生じた煙は防ぎようがない。
今は逃げの一手以外に、打てる手はなかった。
やっとの思いで大森林を抜け出すと、煙に巻かれないよう風上の方向へ移動する。
逃げ出す前に察知した二つの気配は、パレアが逃げている最中に動かなくなったことを把握していた。
毒炎から逃げ切れなかったか、煙を吸い込みすぎたかして、死んでしまったようだ。
(……さて、ここからどう動いたものか)
毒炎に巻かれ、その煙が
だから、大森林の中にいるであろう
彼が大森林から出てくるのを待つか、一旦退くか――取れる手は二つに一つだった。
(ただ、出てくるのを待つといっても
うんざりとした視線を、煙が立ち込める大森林に巡らせる。
頭に〝大〟がつくだけあって、大森林の面積は相応に広い。
気配が察知できるパレアといえども、大森林のどの辺りからギリアムが出てくるのかなんて把握しようがなかった。
(向こうが、あたしの方に来てくれたら話が早いんだけど)
そんな都合の良いことを考えていた矢先だった。
大森林の方から、こちらに向かってくる気配を察知したのは。
まさかと思い、気配を感じた方角を注視する。
ほどなくして大森林から出てきたのは、案の定と言うべきか、灰髪灰眼の巨漢――ギリアムだった。
パレアはいつでもナイフを抜けるように気構えながら、鷹揚な足取りで近づいてくるギリアムに訊ねる。
「参考程度に聞きたいんだけど、どうしてここに、あたしがいるってわかったの?」
「貴様がいるとわかったわけではない。生きて大森林を出られた者がいたとして、逃げるなら風上の方角しかないと判断してまでだ。それより……」
ギリアムの視線が、外套の内側に向けられる。
「貴様が〝毒〟の魔術師として才能がないことは知っていたが、まさかそんな
嘲るわけでもなければ、ましてや見下すわけでもない。
ただ事実を指摘するような物言いだった。
月明かりがあるとはいえ、夜闇の中にあってなお外套の内側に仕込んだナイフの存在に気づき、触媒を塗り込んでいることまで見抜くギリアムの観察力と洞察力に、パレアは舌打ちする。
他の子供たちとは違い、この男には微塵の油断もない。
(イルルナに次ぐ才能の持ち主なんだから、少しくらいは冗長しなさいよ)
内心で愚痴りながらも、外套の下からナイフを二本抜き取る。
ギリアムも両腕を浅く開き、掌から緑色の毒炎を燃え上がらせる。
転瞬、
ギリアムは右手を横に振るい、毒炎を放射した。
パレアは即座に真横に飛び、毒炎をかわすと同時に、毒炎を放ったばかりの右腕目がけてナイフを二本とも投擲。
猛毒の二刺が、右腕に吸い寄せられるようにして空を切り裂くも、
「させん」
ギリアムは右手を振るった勢いを殺すことなく旋転し、左手の毒炎をナイフに向かって放射する。
ナイフは一瞬にも満たぬ間に炭化し、ギリアムの眼前で崩れ果てた。
予想をはるかに上回る炭化速度に、パレアは再び舌打ちを漏らす。
(ギリアムに届くくらいまでなら
(ね!)に合わせて、真横に飛ぶ。
半瞬後、パレアのいなくなった空間を毒炎が吹き抜けていった。
その際、毒炎に巻き込まれた草花が炭化し、煙が立ち込め始める。
当然そのことはギリアムも理解しており、風上という退路目がけて毒炎を放射してくる。
回避すると同時にナイフを投げて反撃するも、先と同じように毒炎で炭化させられる結果に終わってしまう。
ここまでの攻防は互角。
ギリアムの魔力量は、並みの魔術師をはるかに凌駕していたケインよりもさらに上。
ケインの魔弾に比べたら毒炎の方が必要とする魔力が大きいだろうが、それを差し引いても、この戦いの間にギリアムの魔力が底をつくなんてことはあり得ない。
今の調子で戦い続けたら、先に
(このままじゃ勝てない……!)
容赦なく襲い来る毒炎を必死にかわし続けながら、必死に勝つための方法を模索する。
――思い切って懐に飛び込んで、近接に持ち込むのは?
(……ダメね。ギリアムが自分の周りに毒炎を吹き荒れさせたりなんかしたら、さすがにかわせる自信がないわ)
――なら、そうされるよりも早くにギリアムを仕留めるのは?
(……それもダメね。あたしが言うのも何だけど、ギリアムは魔術師とは思えないくらいに
――なら、
(それなら……いえ。むしろ論外ね。一撃離脱を繰り返しながら、風上を陣取るなんて現実的じゃな――……風上?)
不意に、閃く。が、その一瞬が命取りになってしまう。
「ようやく隙を見せたな」
ギリアムはここぞとばかりに、両手を交差するように振り抜くことで毒炎を広範囲に放射した。
右、左、上――どこに飛んでもかわしきれないと判断したパレアは、即座に地に伏せることで広域放射を回避する。
しかし、数十本のナイフの重量があるとはいっても、羽織っていた外套がパレアと同じ速度で地に伏せられるわけもなく。
毒炎に炙られた裾が、仕込んでいたナイフごと瞬時に炭化する。
さらに、毒炎は裾よりも上の箇所にもしっかりと〝延焼〟しており、パレアは最早何度目になるかもわからない舌打ちを漏らした。
先程閃いた一手は、大量のナイフを必要とする。
外套ごとナイフを炭にされるわけにはいかないので、右手で抜いたナイフを投擲することでギリアムを牽制すると同時に、左手で抜いたナイフで外套を裂き、〝延焼〟箇所を切り離した。
その
だが、それよりも早くに、
(今は、
パレアは毒炎がついた外套の端を掴むと、仕込んでいたナイフごと、ギリアム目がけてぶん投げた。
「無駄だ」
淡々と言いながらも、外套の切れ端と呼ぶにはあまりにも凄まじい勢いで迫るそれを、左手の毒炎で炭化する。
「無駄じゃないわ。こうして仕切り直すことができたもの」
三割ほど短くなった外套からナイフを引き抜きながら、パレアは不敵な笑みを浮かべる。
「一旦落ち着くことが狙いか。……いや。あるいは、別の狙いがあってのことか」
「考えすぎよ。あんたが今言ったとおり、一旦でもいいから落ち着きたかっただけ」
「生憎だが、その言葉を鵜呑みにするほど、俺は貴様を軽く見ていない。以前から、才なき身で
予想もしなかった言葉に、パレアは目を
「……なにそれ? 皮肉?」
「本心だ。ゆえに、全力をもって貴様を殺す」
舌打ちを漏らしたい衝動は、かろうじて
同時に、思う。
どうりで油断の欠片もないわけだと。
「ギリアム……あんた、ほんっとに厄介ね」
「褒め言葉だと受け取っておこう」
そんなやり取りを最後に。
パレアをナイフを投擲し。
ギリアムは毒炎を放射した。
◇ ◇ ◇
(やはり速いな)
毒炎の放射を
ヴェルエの指導のもと〝毒〟の魔術師として育てられたため、子供たちの多くは身体能力が低く、体の動かし方もなっていない。
事実、殺し合いが始まって以降、ギリアムはすでに五人殺しているが、毒炎の放射をかわせた者は一人としていなかった。
毒炎を防げた者も、一人もいなかった。
理論上は、毒炎に匹敵する魔力を込めた魔弾をぶつけるなどして相殺できるが、そんな真似ができるのは、
だからこそ、もうすでに一〇分以上戦っているにもかかわらず、外套を少し炭化させたきり、完璧に毒炎をかわしきっているパレアに、あらためて敬意を抱いた。
それと同時に、憐れみも抱いていた。
もしヴェルエに目をつけられることなく、魔術師以外の道を目指していれば、武術の世界において
そんな憐れみすらも炭に変えるように、パレア目がけて容赦なく毒炎を放射する。
毒炎は、それによって生じた煙と同じく自然風の影響を受けるため、風上の相手を狙う場合はどうしても放射速度が落ちてしまう。
そのため、徹底して風上を死守するパレアにはなおさら回避が容易いらしく、反撃する余裕があることを示すように飛んできたナイフを、
ナイフに触媒が塗り込まれている以上、かすり傷すら許すわけにはいかない。
相手が隙を見せない限りは、常に片手分の毒炎を残しておかないと、やられるのはこちらの方だと肝に銘じる。
(パレアの武器がナイフである以上、数に限りがある。我慢比べを続けながら、風が凪いだ時や風向きが変わった時に仕掛ける。現状はこの方針で問題ないだろう。だが……)
このままではジリ貧になることは、パレアもわかっているはず。
となると、彼女ならばどこかで必ず勝負に出てくる。
それを凌げるかどうかが勝敗の分かれ目になる――ギリアムはそう確信していた。
一進一退の攻防は、なおも続く。
ギリアムが放った毒炎は、凄まじい身のこなしを見せるパレアが
パレアが投げたナイフは、凄まじい集中力を見せるギリアムが悉くを炭化させた。
そんな代わり映えのしない展開に飽きた神が、横槍を入れたのか。
強弱はあれど、先程吹き続けていた風が、唐突に凪いだ。
パレアが勝負に出た時が、勝敗の分かれ目になると確信していたからといって、目の前の好機を逃す理由にはならない。
こちらから勝負に出ることに決めたギリアムは、両手をパレアの方へ突き出し、最速の毒炎は放――
「ッ!?」
刹那にも満たぬ間、ギリアムの最速すらも上回る速さで、パレアがナイフを投擲してくる。
予備動作は一切なく、彼女の右手が霞んで見えた時にはもう、一本のナイフがこちらの眼前まで迫っていた。
尋常ならざるスローイングナイフを前に、ギリアムは攻撃を中断し、
「ふ……ッ!!」
ナイフを迎撃することに全身全霊を費やして、毒炎を放射。
思い切った切り替えは功を奏し、ギリギリのところでナイフを炭化させることに成功する。
(まさか今の今まで、本気の
心底から驚かされたギリアムだったが、本当に驚かされたのはこの後だった。
パレアの姿が消えていたのだ。
眼前まで迫っていたナイフを毒炎で迎撃したことで、一瞬だけパレアから視線を切っただけなのに、彼女の姿が視界から完全に消えていたのだ。
再びまさかと思いながらも視線を地面に落とすと、そこには、地を這うほどの低姿勢で肉薄してくるパレアの姿が。
間合いに入った刹那、パレアは左手に持っていたナイフを閃かせる。
投擲を視認しきれなかった以上、斬撃などなおさら視えるわけがないが、体勢からして彼女の狙いが脚であることは容易に想像できる。
ゆえにギリアムは、高さに重点を置きつつも飛び下がることを選択する。
想像どおりに脚を狙ってきた場合は跳躍しているため斬撃をかわすことができ、そうでなかったとしても、飛び下がることでナイフの間合いの外に逃げるという狙いがあっての行動だった。
そんなギリアムの動きを見てから対処したかのように、パレアは這うほどの低姿勢から立ち上がりつつも、烈風の如き切り上げを放ってくる。
(無駄だ! 届くわけがない!)
その断定どおり、猛毒の刃はギリアムに届かなかった。が、ナイフを振り切ったパレアの左手首から血が滴ってくることに気づき、戦慄する。
魔術師にとって、己が血は最高の媒体。
その血が滴る腕を思い切り振り上げたらどうなるか……結果は論ずるまでもなかった。
手首から飛び散った血の雫が、飛び下がるギリアムに追いすがる。
毒炎で炭化させようにも、発動する前にパレアの血が顔にかかるのが目に見えている。
運良く粘膜にかからなかったとしても、彼女が皮膚から浸透するタイプの〝毒〟を創り出していた場合、結局死の運命は避けられない。
ゆえにギリアムは、何の捻りもなく、両腕で顔面を防御した。
ローブの袖で血を受け止めることで、体に直接血が付着するのを防いだのだ。
続けて、着地すると同時に防御に使った両手に毒炎を具象。
両手を振り下ろすことで、眼前のパレアに叩きつけるように放射する。
さすがというべきか、その時にはもう彼女は飛び下がっており、眼前の地面を炭化させるだけの結果に終わってしまった。
だが、
「凌ぎきったぞ……!」
勝敗の分かれ目になる――そう目していた攻防を乗り切った高揚感と達成感が、そのまま口について出る。
そんなギリアムを前に、パレアはゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ――」
不意に、体の内側からズクンと不吉な鼓動が響く。
「――凌ぎきってはいないわ」
淡々とした指摘が
その色合いが、夜闇の下にあってなおはっきりとわかるほどに赤かったことに、ギリアムは目を見開いた。
「馬……鹿な……ナイフも血も、完璧に凌いだは……ず……ごふッ!?」
二度目の吐血によっていよいよ体に力が入らなくなり、その場で膝を突いてしまう。
明らかに致死性の〝毒〟――のはずなのに、不思議と苦痛はなかった。
「確かにあんたは、ナイフも、血も、完璧に凌いでみせた。けど、残念だけど、そもそもあたしは
その言葉を聞いて、思い出す。
パレアがかつて、
「ま、まさか……ナイフに塗り込んでいた触媒を使って……毒霧を……?」
「ええ。そのとおりよ。あたしの場合、屋外だとどうしても効果が薄くなるけど、風上に立ち続けた上で、あんたの近くにあたしの血をばらまいて毒霧の濃度を上げれば、致死量まで持っていけると思ってね」
「なるほどな……しかし……貴様がイルルナと同じ……知覚不可の毒霧が使えたとは……」
「遺憾だけど、この身で直接味わう機会には恵まれていたからね。まあ、使えるようになったのはつい最近だし、魔力の隠蔽まではできてないから、気づかれるかどうかは賭けだったけど」
「賭けか……。よく言う……。俺の毒炎の魔力で……毒霧の魔力を隠せると……踏んでいたのだろう……?」
「踏んではいないわ。期待はしてたけど」
「ふっ……そう……か――ぐほぉッ!?」
三度目の吐血は、先の二回とは比べものにならないほどの血量だった。
今すぐ地に伏した方が楽になれることはわかっていたが、それでもギリアムは、片膝をついた体勢のまま
「……あんたが望むなら、今すぐ楽にしてあげてもいいわよ」
哀惜にも似た輝きを瞳に宿しながら、パレアは言う。
「不要……だ……そもそもこの〝毒〟自体……苦痛というものが……まるでない……。なぜそんなぬるい〝毒〟を……俺に使った……?」
「敬意を向けてくる相手を苦しめる趣味なんて、あたしにはない。ただそれだけよ」
その言葉に、ギリアムはガラにもなく目を丸くし、
「ふははは……!」
ガラにもなく、声に出して笑った。
なるほど。
イルルナが彼女に入れ込む気持ちが、今少しだけ理解できた。
とはいえ、そのことを口に出したら、イルルナの歪みに歪んだ愛に苦しめられている彼女は、心底嫌な顔をするだろう。
だから、
(墓まで持っていくとは、こういうことを言うのだな)
そんな内心の独白を最後に、己が死を受け入れたギリアムは糸が切れた
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