第5話 五年後

 フィーリが殺されてから、五年の時が経とうとしていた頃。


 一七歳になったパレアはあの日と同じように、石造りの地下室でオーガと対峙させられていた。


 肩には届かない黒髪も、白磁のような肌も、睨んでいると勘違いされかねないほどに鋭い紫紺の瞳もあの日のままだが、それ以外の部分はしっかりと年相応に成長していた。


 身長は子供たちの平均よりはやや低めだが、それでも五年前に比べてたら頭一つ近く高くなっていた。

 顔立ちは美しく成長しているものの、いまだ幼さが残っているため、美少女と称するべきか美人と称するべきかは意見が分かれるところだろう。

 一方で、女性的な曲線は年齢以上に成長しており、暗色のローブの下からでもわかるほどの豊かさだった。


「さっさとかかってきなさいよ。デクの坊」


 パレアは、五年前よりも格段に棘のある声音でオークを罵る。

 直後、人語を解さないはずの食人鬼が、激昂したかのような烈しさで掴みにかかってくる。


 迫り来る巨掌を、パレアは半身になるだけでかわす。

 およそ魔術師らしからぬ紙一重の回避。

 オークの目にはそれが挑発に見えたのか、「餌の分際で」と言わんばかりにますます激昂しながらも掴みにかかってくる。


 パレアは襲い来る巨掌を単純作業でもこなすような淡泊さでかわし続け……五分の時が過ぎたところで、オーガは足をもつれさせ、盛大にすっスッ転ぶ。

 すぐに起き上がろうとするも、まるで酩酊したように起き上がれず、しまいにはまともに身動きもとれなくなり、倒れたままその場でピクピクと痙攣し始めた。

 この五分間、を吸い続けたことが原因で。


「今、楽にしてあげるわ」


 そう言って、脚を大きく振り上げ――オーガの首筋目がけて踵から叩き落とす。

 首の骨が折れる生々しい音が部屋に響き渡り、オークはピクリとも動かなくなる。


 決着がついたところで、パレアは今の戦闘で少しだけ乱れた前髪を掻き上げると、地下室の出入り口に向かって声を張り上げた。


「ほら、殺したわよ。使

「ふん。魔術師らしからぬやり方で何を偉そうに」


 吐き捨てながらも出入り口から現れたのは、パレアも含めた子供たちの師匠マスターにして、災厄の魔女と呼ばれる世界最高峰の〝毒〟の魔術師――ヴェルエ・ヴェルヒッフ。

 三角帽子にローブという服装も含め、五年前とはほとんど変わっていないが、高齢で歩くのがつらくなってきたのか、手には杖が握られていた。

 それによって、ますます如何にもな風体に見えることはさておき。


「パレア……確かにアンタは今、触媒を使わずに毒霧を発生させてみせた。魔力の隠蔽はお粗末だが、毒霧を無色透明かつ無味無臭に仕上げたことは多少は評価してやる。だが、肝心の〝毒〟が弱すぎる。言っとくけど、致死性の〝毒〟が創れないようじゃ、今の課題をクリアしたとは言えないよ」

「お望みとあらば、ちゃんと致死毒で殺してみせてもいいわよ。その場合、今よりも倍の時間がかかることになるけどね」


 などと言っているが、実のところパレアは、一七歳になってなお触媒なしでは致死毒を創り出すことができなかった。

 にもかかわらず、自信満々に挑発じみた言葉をぶつけたのは、先程の戦闘で五分も待たされた時点で、ヴェルエが相当に苛立ちを募らせていることを見抜いていたからに他ならなかった。


 その見立てが正しかったことを証明するように、ヴェルエは苛立たしげに吐き捨てる。


「本当に口の減らないカスだね……!」

師匠マスターの指導のおかげよ」

「アンタのカスさ加減を、ワタシのせいにするんじゃないよ!」

「カスカスうるさいわね。そんなに気に入らないなら、さっさとあたしのことを殺せばいいじゃない。まあ、今日みたいに露骨にあたしを狙い撃ちにした課題ばっかり出してると、あんたの大好きながなんて思うかは知らないけどね」


 これ見よがしに肩をすくめるパレアを前に、ヴェルエは忌々しげに口ごもる。


 あの女とは、イルルナを指した言葉だった。


 一七歳になったイルルナは、ヴェルエの想定すら上回るほどの成長を遂げていた。

 ヴェルエをして、同じ歳だった頃の自分よりも魔術師として間違いなく上をいっていると、絶賛するほどに。


 だからこそ、ヴェルエはなおさら、パレアを不当に〝処分〟できなくなってしまった。

 イルルナほどの才能を、くだらないことで潰したくないと思うようになってしまった。


 そしてパレアは、そこに付け込んだ。

 クソババアの〝お気に入り〟に気に入られている状況を最大限に利用することで、一定の安全を確保した。


 ただ、安全を確保するという意味では、大人しくヴェルエの言うことに従う方が正解なわけだが。

 フィーリを無惨に死なせたこいつには、少しでも不快な思いを味わってほしくて、確保した安全から足をはみ出してでも嘲弄せずにはいられなかった。


 案の定というべきか、イルルナの機嫌を損ねたくなかったヴェルエは、負け惜しみじみた台詞を吐き捨てる。


「えぇい、とっとと失せな! アンタみたいなカスに付き合ってちゃ、時間がいくらあっても足りないよ!」

「はいはい」


 おざなりな返事を最後に、パレアは地下室から出て行った。



 ◇ ◇ ◇



 五年という時を経て、三三人に生き残っていた子供たちも今やその半分――一六人にまで数を減らしていた。

 今日こんにちまで生き残っただけあって、才なき者は最早パレア一人しかおらず、その中にあってなおイルルナは他の追随を許さなかった。


 ゆえにこの五年間、ヴェルエの課題において最優はイルルナ、最劣はパレアという結果が常態化していた。

 その度にパレアが、罰という名の実験をイルルナから受けることも。



「もうすっかり、鳴いてくれなくなりましたね」



 石造りの地下室に、イルルナの寂しげな声が反響する。

 四肢を枷鎖かさで繋がれ、寝台に仰臥させられていたパレアは、疲れたような顔をしながらも強気を返した。


「子供じゃなくなった。ただそれだけよ」


 とは言うものの、この五年間イルルナの実験によってかけられた毒魔術は、どれ一つとっても地獄。

 肉体と魔力への影響は皆無なので実害がないというだけで、味わわせる苦痛は大の大人でも発狂して余りあるものばかりだった。


 時には、全身を火炙りにされるような灼熱を。


 時には、裸で猛吹雪の中に立たされているかのような極寒を。


 時には、体の内を数万の虫が這い回るような悪感を。


 時には、生きながらにして腑分けされる幻覚を。


 パレアは悲鳴一つあげることなく、耐えきっていた。が、さすがに全くの無事というわけにはいかず、毎度毎度それなり以上に心身を疲弊させられていた。


 ちなみに今回は、イルルナ曰く「全身を骨まで溶かされることを体験できる毒」とのこと。

 痛みにしろ、皮膚や骨がドロドロに溶かされるような感覚にしろ、もう二度と味わいたくないと思える程度には地獄だった。


「子供じゃなくなった……ですか」


 イルルナが、寝台の空いたスペースに腰掛ける。

 美しく成長したという点においては、彼女もパレアと同様――いや、パレア以上だった。


 背中にかかる程度の長さだった金髪は腰まで届くほどに伸ばしており、その輝きは鮮やかという言葉を通り越して、神々しさすら覚えるほどだった。

 容貌にはいつもどおり柔和な笑みが浮かんでいるものの、パレアと違って幼さを感じさせないほどに成長してせいか、聖母を思わせるほどの包容力に充ち満ちている。

 笑みの下で揺れる二つの果実は、パレアに負けず劣らずか、それ以上の実りようだった。


「確かにもう子供じゃありませんね。お互いに……」


 聖母の笑みを蠱惑的に歪めながら、イルルナは、枷鎖に繋がれて身動きが取れないパレアの果実に人差し指を伸ばし、ねぶるようにその表面をなぞっていく。

 これにはさしものパレアも無反応というわけにはいかず、仰臥したまま仰け反りそうになる。


「……なにやってんのよ」


 抗議の言葉は、不覚にも少しだけ揺れてしまった。


「なにって、少し変な気分になっているだけですよ」

「はぁっ!?」


 まさかすぎる言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 そんなパレアの反応を見て、イルルナは「うふふ」と愉しげに笑った。


「冗談ですよ。肉欲に溺れるような真似は、師匠マスターが最も嫌うことの一つですからね。実際一年ほど前に一人、それが原因で〝処分〟された男の子もいましたしね」


 だから、これ以上余計なことはしませんよ――と言わんばかりに、パレアの胸から指を離す。

 実際にもう手を出すつもりはないだろうが、


(絶対冗談じゃなかったでしょ、こいつ……!)


 そういう趣味はないという理由もあるが、フィーリの仇である女にそういう感情を向けられていることに、生理的なレベルで嫌悪感を覚えずにはいられなかった。


 兎にも角にも罰という名の実験は終わったので、枷鎖を外し次第、まだお喋りしたがっていたイルルナを無視して地下室を後にした。


 地上階に出ると、わざわざ待ち構えていたのか、はたまた単なる偶然か。

 階段前の廊下には、かつてオーガの課題をこなした時に絡んできた少女と少年――もとい、女と男と呼べるほどにまで成長した二人が、かつてと同じように絡んでくる。


「あらあら? またイルルナの実験台になっていたの? ここまでくると、あなたの落ちこぼれっぷりも芸術の域にまで達してきたわね」

「イルルナの実験って、拷問と大差ないって話なんだろ? そんなものを何年も一人で受けるとか、実はドMなんじゃねぇか?」


 という言いようからもわかるとおり、女と男が成長したのは図体だけで、中身の方は成長しているとは言い難かった。

 だからパレアは、かつてと同じ返事を二人に返してやることにした。


「何度も言うけど、あんたたち誰よ? 十何年経っても顔と名前が一致しないんだけど」


 とは言いながらも、実のところ、パレアはもうとっくに二人の顔と名前を記憶していた。

 ヴェルエの最終課題が子供たち同士の殺し合いである以上、〝敵〟の情報を知っておく必要があったからだ。


「またそんな見え透いた嘘を言って……!」


 平然とした物言いとは裏腹に、青筋が浮かんだこめかみをひくつかせている女の名は、マーリア。

〝毒〟のトラップを仕掛けることを得意としていた。


「俺だって、てめぇの名前なんざ覚えてねぇよ!」


 などと、わかりやすく激昂している男の名は、ガゼット。

 広範囲に毒霧をばらまくことを得意としていた。


 二人とも〝毒〟の魔術師としての才能は、パレアとは比べものにならないほどだが、それでもパレアを除いた一五人の中では下位にあたる。

 ゆえにマーリアもガゼットも、殺し合いを勝ち抜ける可能性は極めて低い。


 こうして自分よりも〝下〟の人間を虐げているのも、そうしなければ現実に押し潰されてしまうからに他ならない。

 そんな二人に、パレアは憐れみすら抱いていた。


「ちょっと! 黙ってないで何とか言いなさいよ!」

「つうか、なんだよその目! まさかパレアの分際で、俺たちのことを〝下〟に見――」


 不意に、ガゼットの怒声が途切れる。

 同じ廊下に面している、蔵書室の扉が開いたのだ。


 さすがに大声を出していたことは自覚していたらしく、ガゼットは舌打ちとともに口を噤む。が、蔵書室から出てきた男を見た瞬間、怯えるように息を呑んだ。

 そしてそれは、隣にいたマーリアも同様だった。


 パレアは、二人に遅れて蔵書室から出てきた男を見やり、得心する。

 なるほど。二人が怯えるわけだと。


 男の名は、ギリアム。

 言うまでもなく、現在生き残っている一六人の子供の一人だが、その見た目は、子供とは言い難いほどにまで成長したパレアたち以上に成熟していた。


 背丈は子供たちの中で最も高く、平均よりもやや低い程度のパレアとの差は、頭一つ分以上。

〝毒〟の魔術師として育てられている以上、体などろくに鍛えていないはずなのに、ローブの下からでもはっきりとわかるほどに、体格はがっしりとしていた。

 顔立ちは一七歳には見えないどころの騒ぎではなく、一〇歳プラスしてもなお足りないくらいだった。

 髪と同じ色をした灰眼はパレアよりも鋭く、睨んでいると勘違いされかねないどころか、睨んでいるようにしか見えなかった。


 そんな見た目どおりというべきか、見た目に反してというべきか。

 ギリアムの才能はイルルナに次ぐ。


 この五年の間に頭角を現したギリアムは、〝毒〟の魔術師の頂点であるヴェルエでさえも再現できない、超魔術と言っても過言ではない〝毒〟を創り出した。

 その〝毒〟が極めて実戦向きということもあって、ヴェルエをして、イルルナ相手に「もしかしたら」があるとしたらギリアムだけだと言わしめるほどだった。


 そんな、名実ともにナンバー2の巨漢は、指摘するような淡泊さで言う。


五月蠅うるさいぞ。貴様ら」


 マーリアとガレットは、二人揃ってビクリと震え上がる。

 パレアの相手をしている時とは違い、反論はおろかしわぶきすら漏らせていない有り様だった。


 二人の恐れようを見て、もうこれ以上の注意は必要ないと判断したのか、ギリアムは最後にパレアを見やり、


「貴様は貴様で大変だな」


 そんな言葉を残し、蔵書室に戻っていった。

 

「……なにあれ?」


 ついそんな言葉をこぼしてしまうも、すでにいなくなったギリアムの耳に届くわけもなく、その彼がいなくなったことに心底安堵している、マーリアとガゼットの耳にも届いていない様子だった。


(まあ、どうでもいい相手との会話を切り上げるには、ちょうど良いタイミングだったわね)


 などと思いながらも、パレアはどうでもいい二人の前から立ち去っていく。

 それを見てまた文句を言おうとしたのか、マーリアとガゼットは揃って口を開きかけるも、ギリアムに注意された手前、声に出すまでには至らなかった。


 呼び止められないことをいいことにスタスタと歩きながらも、パレアは思う。


(ギリアムか。殺し合いの際は、できれば相手にしたくないわね)


 イルルナに次ぐ実力者ということは、イルルナに次ぐ脅威であることと同義。

 殺し合いの場で相対した場合、殺すにしろ逃げるにしろ命がけになる可能性が高い。

 ヴェルエとイルルナを確実に地獄に叩き落とすためにも、余計なリスクは極力避けていきたいところだった。


 だが一方で、こうも思う。


 仮にイルルナとギリアムが戦うことになった場合、「もしかしたら」が起きてしまったら、彼に仇を殺されることになる。

 ただ殺すことを望んでいないパレアにとっては、二人が戦うこともまた余計なリスクだった。


(他の誰かが殺してくれるなら、それに越したことはないけど……)


 そんな希望的観測を心の中で独りごちながらも、マーリアとガゼットの前から立ち去り、館を後にした。



 ◇ ◇ ◇



 ヴェルエの館から、自分の家へと戻る途上のことだった。

 平原を歩いていたパレアは、左手に見える草むらから魔獣の気配を感じ取り、ため息をつく。


 野生動物じみた勘に加えて、この五年の間に鋭さを増した五感をもって、パレアは生き物の気配というものを完璧に読み取れるようになっていた。

 ゆえに、草むらに隠れている魔獣が二頭のマンイーターであることも、小賢しいことに待ち伏せからの奇襲を狙っていることも把握することできた。


 ヴェルエが区域内に放った魔獣は、確かに実戦経験を積むのに役には立ったが、今のパレアにとって、マンンイーターなど最早経験の足しにもならない。

 とはいえ、フィーリを殺した魔獣ゆえに、見逃してやる気にもなれなかった。


 草むらの傍まで来たところで、二頭のマンイーターがここぞとばかりに飛びかかってくる。

 即応したパレアは、一頭を掌底で鼻っ柱を強打して昏倒させ、もう一頭を首筋に手刀を叩き込むことで地に伏させた。

 続けて、ローブの下から小瓶を取り出し、中に入っている触媒を、地に伏したマンイーターに浴びせる。


「ごめんなさいね。あんたたちのことは、絶対に苦しめてから殺すって決めてるの」


 言い終わると同時に、四肢の末端から少しずつ壊死させていく毒魔術を発動する。

 気絶していた二頭はそのあまりの激痛に目を覚まし、子犬のような悲鳴を上げながら、その場でのたうち回り始める。

 その末路を見届けもせずに、パレアはその場から歩き去っていった。


 しばらくして、自分の家に到着する。

 五年前にはなかった、家を取り囲んでいる木柵は、一応の魔獣対策だった。


 そして、五年前にはなかったものがもう一つ。

 ヴェルエや他の子供たちが、なんらかの理由で家に侵入してきた場合や、留守中に魔獣に家の中を荒らされた場合に備えて、大事な物を隠す床下収納庫を設けていた。


 机の下にある収納庫の床扉を開き、中に収めていた、暗色のローブよりもさらに色合いの暗い外套を取り出す。

 外套の内側には、パレアが手ずから縫い付けたホルダーが無数に取りつけられており、その全てにナイフが鞘ごと収められていた。


 ヴェルエや子供たちの前で、ナイフを使っての戦闘を見せるのは、あくまでも殺し合いの時と決めている。

 ゆえにパレアは今日こんにちに至るまで、ナイフは一本たりとも携行することなくヴェルエの課題を乗り切っていた。


 外套以外で床下収納庫に収めている物は、ナイフの予備と、『毒を殺すための毒』について書き溜めた羊皮紙、フィーリが作った木彫りのブローチを収めている小箱だった。

 

 ナイフの予備に不備がないことを確認した後、小箱に手を取り、蓋を開ける。

 彼女自身、内心ですらも認めたがらないだろうが、今やフィーリのブローチは、パレアにとってかけがえのない宝物になっていた。

 事実、ブローチを眺めるパレアの表情は常よりも柔らかく、頬には微笑すら浮かんでいる。

 

 しばしの間ブローチを眺めていたパレアだったが、ふと我に返ったように小箱の蓋を閉め、


「別に、そんなんじゃないから」


 一人勝手に言い訳する。

 自分で言っておきながら、いったい何が「そんなんじゃない」のか理解不能だった。


 そんな諸々を誤魔化ごまかすように小箱を床下収納庫に戻すと、入れ替わるようにして『毒を殺すための毒』ついて書き溜めた羊皮紙を取り出し、机上に拡げてから床扉を閉め、机と向き合う。


 フィーリと出し合った意見をもとに、この五年間一日も欠かすことなく『毒を殺す毒』についての研究を続けてきた。

 その甲斐あって、朧気ながらも形にはなってきたが、


「……やっぱりダメね」


 羊皮紙に書かれた覚書を見つめながら嘆息する。


『毒を殺す毒』は、〝毒〟の魔術師にとって最高の触媒である血を利用すれば創り出すことができ、術の発動に成功すれば、自然毒だろうが毒薬だろうが魔術の〝毒〟だろうが、間違いなく殺せるという結論には行き着くことができた。

 だがそれは対象となる毒が、どういう性質で、どういう性格で、どういう効果があるものなのかを、理解しなければ殺しきれないことがわかった。


 しっかりと調べれば、余程の代物でない限り成分と効果を完璧に理解することができる自然毒と毒薬とは違い、魔術の〝毒〟は、その魔術師の発想によって創り出されるもの。

 相手の心でも読まない限り、完璧に理解することなんてできない。


 一方で、自分で創り出した魔術の〝毒〟ならば完璧に理解することができるため、実際に自分で創った〝毒〟を『毒を殺す毒』で無効化できるか実験した際は、成功に至ることができた。


 だから、


「望みはある。それに、今はダメだからって諦める理由にはならない。そうでしょ? フィーリ」


 現状では、魔法陣の〝毒〟を無効化できる見込みも、殺し合いの際に役に立てる見込みも、全くない。

 それでも、フィーリが遺してくれたものの一つだから。

 イルルナの実験のせいで多少なりとも疲れが残っているものの、今日も今日とて『毒を殺す毒』の研究に没頭した。



 ◇ ◇ ◇



 その夜。

 ヴェルエはいつもどおり、たった一人で晩餐に興じていた。


 成人男性ですらも一人では食べきれないような、王族の晩餐にも似た料理の数々を一人でこしらえ、一人で平らげる。

 後片付けも当然一人でこなし、何だったら一人で住むにはあまりにも広すぎる館を、一人で掃除することも苦もなくこなせるくらいだった。


 齢九〇に迫る老婆とは思えない壮健ぶり。

 災厄のという呼ばれているのは、そういった部分も含めてのことだが、本の中でしか俗世を知らない子供たちには与り知らない話だった。


 ヴェルエが何事も一人でこなす理由は、至って単純。

 他人のことを信用することができない――いや、する気がないのだ。


 そうなってしまったのは、〝毒〟の魔術師ゆえに、騙し騙される薄暗い闘争をこの目で目の当たりにする機会が多かったという理由もある。

 しかし最大の要因は、他者をとことん見下すどころか、自分以外の人間はカスかゴミとしか認識していない、歪みきった性根にあった。


 そんな性根の持ち主だからこそ、後継者が欲しいという理由も、その育て方も、歪みに歪んでいる。

 殺して奪い取った赤子を育てるにしても、〝外〟で雇った奴隷に任せ、赤子が子供と呼べるくらいにまで育ってからは、最早不要という理由で奴隷たちを〝処分〟した。


 どこまでも利己的で、どこまでも歪んでいる魔女。

 そんなヴェルエですらも寵愛という感情を抱いてしまうほどに、イルルナの才能は懸絶していた。

 いずれは、自分を超える〝毒〟の魔術師になれるとも確信していた。


 それならばいっそ、子供たち同士で殺し合いなんてせずに、イルルナを後継者にすべきなのではないかと考えたこともあった。

 殺し合いで万が一が起き、イルルナを失うのはあまり惜しい。

 そこそこ程度の才能しか凡人どもはどうでもいいが、ギリアムあたりも、このまま死なせるには惜しいと思っている。


「だからこそ、さね」


 そんな思いを断ち切るように独りごち、向かった先は、館の最上階にある一室。

 床一面に悍ましいほどに赤黒い魔法陣が描かれており、部屋のそこかしこに飾られた調度品の煌びやかさが、心なしか霞んで見えた。


 魔法陣の中心に立ったヴェルエは、口の端を吊り上げる。


「ワタシが初めて信頼した子だからこそ、この程度のことは乗り越えてもらわなくちゃ困るんだよ」


 まずは、区域内に放った魔獣どもを全て殺す。

 、魔獣の存在は雑音ノイズでしかないからだ。


 然う。

 ヴェルエは今から、子供たちに殺し合いをさせるつもりでいた。


 なぜ〝今〟なのか――その理由は、実に単純明快だった。


「ごふ……ッ」


 ヴェルエは唐突に咳き込み、半ば反射的に口元を手で覆う。

 離した掌には、べっとりと血糊がついていた。


 感染症などを含めた、外部から侵入した病原ならば、それを殺す〝毒〟で対処できたが、現在ヴェルエの体を蝕んでいる病は、加齢によって衰弱した臓器が機能不全を起こしたせいで発症したもの。

〝毒〟の魔術師はおろか、〝治癒〟の魔術師でさえもどうにもできない代物だった。


 死期が近い。

 だからこその〝今〟だった。


 それに今日というタイミングならば、イルルナにとっての雑音ノイズとなるパレアカスが、他ならぬイルルナの実験によって余力を削られている。

 ヴェルエといえども、パレアの生き残る力という一点においては評価せざるを得ず、だからこそ億が一――いや、兆が一にも彼女が殺し合いを勝ち抜かないよう、可能性を摘み取ることに決めていた。


 確かにヴェルエは、後継者に生き残る力というものを求めているが、あくまでもそれは〝毒〟の魔術師としての才能があってのこと。

 才能が乏しいを通り越して、ないに等しいカスには求めていない。


「パレア。ワタシがアンタに望むのは、惨めったらしく死んでくれることだよ」


 無感情に吐き捨ててから、床の魔法陣を使って、魔獣のみを殺す知覚不可の〝毒〟を区域内に散布する。


 そして――


 今生き残っている一六人の子供たち。

 その全員の背中に刻んだ魔法陣を通じて、殺し合いの始まりを告げる「冷たさを伴った痛み」を発する毒魔術を発動した。

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