第4話 決意

 館を後にしたパレアは、走りどおしで疲弊しきった体に鞭を打ち、すぐさまフィーリの家に戻った。


 子供たちの中から死者が出た場合、その子供が使っていた家は、ヴェルエが毒魔術の研究に使える物を回収した後に焼却されることになっている。

 そうなる前に、できる限りフィーリの遺品を確保しておきたかったので、泥だらけの煤だらけの血だらけのまま、靴も履かずに走り続けた。


 フィーリの家にたどり着くと、悪いとは思いながらも、遺品となる物を確保するために家探しを開始する。


 まず真っ先に確保したのは、半日ほど前にフィーリに見せてもらった木彫りのブローチ。

 これだけは、絶対に消し炭にさせるわけにはいかなかった。消し炭になんてさせたくなかった。


 次いで確保したのは、これもまた半日ほど前にフィーリと意見を出し合って羊皮紙に書き溜めた、『毒を殺すための毒』の覚書。

 フィーリが行き着いた一つの成果を、ヴェルエは勿論こと、他の子供たちにも奪われたくなかった。

 自分一人ではどこまでやれるかわからないけれど、フィーリの成果をこの手で形にしてあげたいという想いもあった。


 他に遺品になる物を探してみたところ、木彫りのネックレスと思しき物や、イヤリングと思しき物など、ブローチと同じように手作りを試みたと思われる、装飾品の失敗作が次から次へと出てくる。


「毒魔術の研究もせずに、何やってんだか……」


 寂しげに苦笑しながらも、ブローチが入っていた小箱に失敗作の数々を収めていく。

 見た目の微妙さはともかく、フィーリの想いが籠もっているという点では必ず遺してやりたい物たちだった。


 しかし。


「……あたしが預かるって知ったら、あの子、涙目になりそうね」


 なにせ、ブローチを見せてもらった際は、その存在にすら触れなかった代物なのだ。

 そんな失敗作を見られたと知っただけでも、彼女は涙目になってしまうかもしれない。


 それなら――と思ったパレアは、自らが建てたフィーリの墓のもとへ行く。

 大きめの石を置いただけの、心底彼女に申し訳ないと思う墓へ。


 心情的には、木組みの十字架を突き刺すなりと、今の自分に出来うる限りの立派な墓を建ててやりたいところだけれど。

 子供たちの中には、ライバルとなる他の子供の心を抉るためだけに墓荒らしをするクズも、一定数いる。

 実際、亡くなった〝まとも〟な子供の墓を建てた際に、死体を掘り返した上で辱める、およそ人の心を感じさせない所業に及んだ輩もいた。


 フィーリにはそんな目に遭ってほしくないので、他の子供にはわからないよう目立たない場所に埋めた上で、大きめの石を置くだけという、見た目においても目立たない墓を建てた次第だった。


 パレアは墓の前で腰を落とすと、小箱からブローチ以外の装飾品を取り出し、その下に埋めていく。

 失敗作の数々は、フィーリにおって比喩抜きに墓まで持っていきたい物だろうと思ったから。


「これだけは、もらっていくから」


 最後に残ったブローチをフィーリに見せてから、小箱に蓋をする。


「たまにになるかもしれないけど、顔は出すから」


 そう言い残して立ち上がった瞬間、まるでこちらの様子を窺っていたかのように、東の空から太陽が顔を覗かせた。

 

 タイミングとしては丁度良い――そう思ったパレアは、小箱と羊皮紙を大事に抱えながらも、フィーリがマンイーターに殺された場所へ向かう。


 フィーリの身体は肉片一つ残すことなく墓の下に埋めている。

 そのため、惨劇の痕は血痕しか残っていないが、それだけでもパレアの心を抉るには充分すぎた。


 今にもバラバラになりそうなほどに、心が軋む。

 軋んだ心が、こらえきれないとばかりに悲鳴を上げる。

 そんな心から全力で逸らした目で、パレアは地面に残っているマンイーターの足跡を見て回る。


 家の中で絶命していた三頭の足跡は、ヴェルエの館の方角に続いていた。


 そして、フィーリを食い殺した三頭の足跡は、ヴェルエの館からは大きく外れた方角に続いていた。


「あっちの方角にあるのは、確か……」


 イルルナの家。だったはず。

 まさかと思いながらも歩き出し、慎重に足跡を辿っていく。


 フィーリとイルルナの家はそれなり以上に離れているため、足跡を追うのはかなりの労力を要するが、今のパレアが労力そんなものを惜しむわけがなかった。

 ところどころ足跡が見えにくくなっていたり、野生動物の足跡に混ざってしまっていたりしたものの、足跡が三頭分あるおかげで、なんとか見失うことなく追跡することができた。


 そうして数十分かけて足跡を追い……辿り着いた場所は、やはりイルルナの家だった。


「まさか、本当に……?」


 沸々と湧いてくる怒りとは対照的に、フラフラと頼りない足取りで、イルルナの家に近づいていく。が、目測にしてあと二〇〇メートルという距離まで来たところで、パレアは弾かれたように飛び下がり――疲労のせいで足に力が入らず、尻餅をついた。


 野生動物じみた勘が、最大級の警鐘を鳴らしてきたという理由もある。

 だがそれ以上に、数歩先にある空間が、他とは空気が違うというべきか、別世界になっているように見えるというべきか……とにかくイルルナの家の周囲が、生理的に受けつけないほどに不自然に見えて仕方なかった。


 考えられるとしたら、目視もできなければ匂いもしない〝毒〟で、家の周囲を覆っているといったところだろう。

 しかしそうなると、イルルナの〝毒〟は、風に流されることなくその場に固定されていることになる。

 たとえ魔術の産物だろうが、広範囲にばらまかれた〝毒〟が自然現象に逆らってまで一つ所に留まり続けるなど、パレアにとっては信じがたい出来事だった。


 けれど、その一方でこうも思う。

 だからこそ、生理的に受けつけないのかもしれない――と。


(いずれにしろ、これ以上近づくのは危険ね。そもそも近づく必要もないし)


 マンイーターの足跡が、しっかりとイルルナの家の手前まで伸びているのを確認し、歯噛みする。


 最早、疑いようはなかった。

 イルルナは襲ってきたマンイーターを殺すことなく撃退し、何らかの毒魔術を用いてフィーリにけしかけたのだ。

 その毒魔術がいったいどういうものなのかは、〝毒〟の魔術師としては落ちこぼれのパレアには皆目見当がつかなかった。


 けれど、イルルナがなぜ、フィーリにマンイーターをけしかけたのかは見当がついた。

 ついたから、パレアの表情はどうしようもないほどに悲痛に歪んだ。


 イルルナがあたしに、クソみたいに歪んだ感情を向けていることは、それこそ嫌というほど知っている。


 逆にイルルナは、あたしがフィーリと仲が良いことを知っている。


 あの女は、くだらない嫉妬で殺したんだ。


 あたしの、たった一人の友達を……!


 ただ殺してやるだけじゃ、到底足りない。


「叩き落としてやる……」


 ヴェルエも。


 イルルナも。


「苦痛を味わわせた上で……絶対に……地獄の底に……叩き落としてやる……!」



 ◇ ◇ ◇



 それからの一週間、パレアは傷だらけになった心身を癒すことに費やした。

 心にしろ体にしろ一週間程度で完治できるものではなかったが、だからといって休んでばかりもいられないので、癒えきっていない傷は無視して行動を開始した。

〝毒〟の魔術師としてではなく、〝として。


 まずは自分の手札の確認から始めることにしたパレアは、机の上に並べた、触媒入りの小瓶の数々をじっと睨みつけ、黙考する。

 そうして導き出された結論は、


「やっぱり、これじゃダメね」


 触媒がなければ毒魔術が使えない。

 それ自体はこの際仕方がないと割り切るにしても、触媒の使い方が我ながらダメすぎると言わざるを得なかった。


 瓶を砕いて毒霧をばらまくにしても、〝毒〟と化した触媒を直接浴びせるにしても、やっていることは、他の子供たちならば触媒なしでできる下等魔術。

 そんな手札では、すでにもう高等魔術じみたことができるイルルナに勝つなんて、夢のまた夢だ。


「活路があるとすれば、魔術師とは別の部分……」


 激情に任せてマンイーターを殴り殺したことで気づけた可能性だが、自分は魔術師としての才能はからっきしな代わりに、戦士としては才能がある方なのかもしれない。

 そちらを活かす形で、触媒を使った毒魔術をも活かすことができれば、イルルナの懸絶した才能に対抗できるかもしれない。


 光明は見えた。が、現状は取っかかりすら思いつかないので、ヒントを求めて家中の蔵書を読み漁ることにする。


 初めの内はただ闇雲に読み漁っていたが、それによって得られたものは、あくまでも毒魔術に通じるヒント。

 パレアが求めているものではなかった。


 アプローチを変える必要がある――そう思うや否や、現代の毒魔術に関わる本を読み漁るのはやめて、魔術そのものがまだ体系化されていなかった頃の、言うなればいにしえの毒魔術に関わる本を読み漁ることにした。


 そうして寝食も忘れて読んで読んで読み漁り……見つけた。

 ヒントどころか、そのまま答えになりそうなものを。


「武器に毒を塗り込む……か」


 触媒なしでは毒魔術を行使できないパレアが、見下されていることからもわかるとおり、〝毒〟の魔術師が目指す極致は、そういった発想とは真逆。

 口に出してみれば珍しくも何ともない答えだが、赤子の頃から〝毒〟の魔術師として育てられたパレアにとっては盲点だった。


 自分にとっても盲点ならば、他の子供たちにとっても盲点になるはず――そう思ったパレアは、齧り付くように今手にしている本に目を通していく。


 そうしてわかったことは、どうやら古代の魔術師は、現代において体系化された魔術を使っていないことだった。

 というか、魔術そのものが、まだ存在すらしていなかったらしい。


 古代の魔術師は、先程パレアが呟いたとおり、武器に自然毒を塗り込み、かすり傷でも人を殺めてみせることで魔術とうそぶいた。

 他にも、薬をつくって傷病を治してみせることを魔術としたり、笛の音一つで動物を操ってみせることを魔術としたりと、様々な魔術師がいるという点は現代も古代も変わらないようだが。


「さすがにこの辺りの話は、あまり参考にならなさそうね」


 本を閉じ、一つ息をつく。


 武器に毒――つまりは触媒を塗り込むのは、おそらく自分にとってはこれ以上ないほどに正解だろう。

 問題は、どういった武器が自分にとって相性が良くて、なおかつ〝毒〟の魔術師を相手取るのに有効かという点だ。


 自分の家にも、ヴェルエの館にも、毒魔術に関する本ならばいくらでもあるが、武器の扱い方や武術に関わる本は皆無だ。

〝外〟について書かれた本の中には、剣や槍といった武器について触れているものがあるが、それも使い方がわかるという程度で、武器の扱いについて深く掘り下げたものは一冊もない。

 師事できる相手なんて当然いないので必然、我流になる。

 となると、選ぶ武器は直感的に扱えるものがベストだろう。


「……いえ。それ以前に、武器そのものを調達できるかどうかって問題があるわね」


 武器となり得る物を調達する手段は、現状定期便しかない。


 だがヴェルエの検閲が入る以上、剣のような見るからに日常生活にも毒魔術の研究にも使えない物は、まかり間違っても取り寄せることはできない。

 斧に関しても、以前フィーリが薪割り用に取り寄せようとしたことがあったが、あえなく却下された。

 一方で、ナイフや包丁といった小さな刃物は、日常生活にも、毒魔術の媒体となる血を流すのにも使えるため取り寄せることは可能だ。


 そこから用意できそうな武器は――


 刃物を木の棒の先端にくくりつけることで自作できる、槍。


 弦となる物も用意する必要があるが、刃物をやじり代わりにすることで自作できる、弓。


 何の捻りもなく、それをそのものを武器として扱う、ナイフ。


 ――この三つだろう。


「……どうせなら、離れた相手を攻撃できる武器がいいわね」


〝毒〟の概念に限定されているとはいえ、敵となりうる相手が一人の例外もなく魔術師である以上、接近戦に付き合ってくれる者はまずいないだろう。

 わかりやすく武器を持っていたら、なおさら敵は距離をとろうとするはず。


 そういう意味では、見た目からしてわかりやすく、武器を失う覚悟で投擲しない限りは離れた敵を攻撃できない槍は除外だ。


 それなら弓で――と結論を出しかけるも、弓は逆に遠距離戦以外の選択肢がなくなることに気づき、考え直す。

 魔術師に接近することは確かに難しいのかもしれないが、だからといって唯一優位がとれそうな接近戦を自ら捨てるのは、あまり賢い選択とは言えない気がする。


「となると……ナイフか」


 ナイフなら、接近戦は勿論のこと、投擲することで中~遠距離戦もこなすことができる。

 携帯性にも優れているため、複数隠し持つことができるのも良い。

 日常においても使い慣れているし、考えれば考えるほどナイフ以上に最適解と呼べる武器はない気がしてくる。


「決まりね」



 結論が出たところで、早速家の中にあるナイフを集めることにする。


 小一時間かけて見つけられたのは、触媒づくりで指を切り裂くために普段から使っている物が一本。

 予備として保管している物が二本。

 栞代わりにでもしていたのか、なぜか本の間に挟まっていた物が一本の、計四本。


 思ったよりも数はあったものの、投擲武器としても使うことを考えると、この一〇倍以上は欲しいところだ。

 定期便の際は、ヴェルエにバレない程度の頻度でナイフを取り寄せる必要があるようだ。


 見つけた四本のナイフは、触媒となる液体を塗り込むと、鞘に収めた状態でその全てを革紐で繋ぎ、まとめて雑嚢ざつのうの中に放り込んだ。


「あとは、実戦あるのみね」


 パレアは雑嚢を肩に担ぐと、言葉どおりに実戦の相手を求めて家の外へ出て行った。



 ◇ ◇ ◇



 パレアが実戦相手を求めて向かった場所は、フィーリの家が小さな森だった。


 フィーリの家は、書物や毒魔術の研究に使える物をヴェルエが回収した後に、焼き払われている。

 家を焼いた結果、延焼して森ごと焼き払われる可能性を危惧していたが、さすがにヴェルエもそんな雑な真似はしなかった。


 フィーリの家の跡地に辿り着いたパレアは、今や炭しか残っていない現実に唇を噛み締める。

 それなりの時間を要して現実を受け入れると、彼女の遺体を埋めた墓のもとへ向かった。


 大きめの石を置いただけの簡素極まる墓は、周囲も含めて荒らされた痕跡は見受けられず、安堵の吐息をつく。

 人目につかないようにしていたとはいっても、ヴェルエが家を焼きに来た際、何かの拍子に墓を発見する可能性もないとは言い切れなかった。

 毒魔術の研究にフィーリの遺体を利用しようなどと考えていた場合は、捜し回られる可能性すらあった。


 森ごと焼き払われる恐れがあったことも含めて、この一週間は気が気ではなかったが、全てが杞憂に終わって良かったとパレアは心の底から思う。


「ごめんなさいね、フィーリ。顔を出すのが遅くなっちゃって」


 墓の下に眠るフィーリに謝罪する。


 気が気でなかったにもかかわらず、一週間もの間フィーリの墓に寄りつかなかったのは、休養のためという理由もあるが、フィーリの家を焼きに来たヴェルエと鉢合わせになることを避けることが最大の理由だった。

 そうなってしまった場合、ヴェルエが、底意地の悪いクソババアならではの勘の良さを発揮して、墓の存在に気づくかもしれない。


 底意地の悪さゆえに、フィーリの遺体を墓から掘り返して辱めるかもしれない。

 それだけは絶対に避けたかったので、この一週間は我慢してでも家に引き籠もった次第だった。


 そんな言い訳を、フィーリの墓に向かってひとしきり並べ、最後にもう一度だけ謝罪してから黙祷を捧げる。

 もう出ないだろうと思っていた涙が、一滴ひとしずくだけ頬を伝っていった。


 黙祷を終えたところで、革紐で繋いだ四本のナイフを雑嚢から取り出し、腰に巻き付ける。

 そんな自分の出で立ちを見下ろし……呆れたようにようにため息をついた。


「いくらなんでも、こうもわかりやすくナイフを見せびらかすのはわね」


 だが、相対する相手に見えづらくするとなると、携行できるナイフの数が少なくなってしまう。

 パッと見ではナイフを持っていることを確認しづらく、なおかつナイフを大量に携行できる手段を模索する必要があるようだ。


 早速浮き彫りになった課題を脳裏に刻みつけたところで、森の中心部を目指して歩き出す。

 そこに、魔獣と思しき存在がいる――そんな気がしてならなかった。


 勘によるものなのか、気配というものを読む才能が自分にあったのかはわからない。

 けれど、子供たちに実戦経験を積ませるという名目で、区域内に魔獣を放ったとヴェルエが明言したせいもあってか、向かう先に必ず魔獣がいるとパレアは確信していた。


 そしてその確信どおり、魔獣を見つけた。

 人間じみた顔と、獅子じみた体をもった魔獣――マンティコアを。


「ほんっと悪趣味ね、あのクソババアは……!」


 思わず、忌々しげに吐き捨ててしまう。

 そのせいでマンティコアがこちらに気づき、薄気味悪い人面をこちらに向けてきたが、ヴェルエに対する不快感の前では些事にすぎなかった。


 オーガやマンイーターのように主食にしていないというだけで、マンティコアも人間を喰らうタイプの魔獣だ。

 子供たちに実戦経験を積ませるために、率先して人間を狙う魔獣を区域内に放つヴェルエの気遣いが、有り難すぎて反吐が出そうだった。


 そんな怒りも、マンティコアの顔が、笑みにも似た形に歪む様を目の当たりにした瞬間、霧散する。


 当たり前のように真っ正面から対峙してしまったが、相手は人を喰らう魔獣。

 他のことに気を取られていては、返り討ちにされてフィーリのもとに旅立つことになる。

 彼女に会いたいという気持ちはあるが、そんな形で会うつもりは毛頭ない。


 気を引き締め直し、ナイフを鞘から引き抜いた刹那だった。


「ケェエエエェエェエエエエェェッ!!」


 耳をつんざくような甲高い咆哮を上げながら、マンティコアが猛然と突っ込んでくる。

 その速度に驚いたパレアは、慌てて真横に飛んで突撃をかわした。が、着地に失敗して転んでしまった挙句、引き抜いたばかりのナイフを取り落としてしまう。


 一方マンティコアは、急停止と同時に転回し、ちょうどいい高さまで下がったパレアの頭を噛み砕くべく、大口を開けながら突進してくる。

 パレアは上体を起こしながら慌てて鞘からもう一本ナイフを引き抜き、迫り来るマンティコア目がけて投擲する。


 ナイフは狙いどおりにマンティコアの眉間に――などという芸当は、素人に等しいパレアにできるはずもなく、薄気味悪い人面の頬をかすめるだけの結果に終わってしまう。

 当然、その程度でマンティコアが怯むはずもなく、このままではまずいと思ったパレアは、起こしたばかりの上体を横に倒し、そのまま地面に転がることで難を逃れた。


「ああもう!」


 回避にしろ攻撃にしろ、一つも上手くできていないことに苛立ちながらも、致死毒の魔術を発動する。

 ナイフがかすめたことで、触媒がマンティコアの体内に侵入した。

 だから、これで決まる――と思っていたら、


「ゲェエエェェエエエェェェェエェッ!!」


 マンティコアは苦しげな咆哮を上げたものの、死ぬ気配どころか、倒れる気配すら見受けられなかった。


(触媒が体内に入ったのも、〝毒〟が効いてるのも間違いないけど……今の触媒だと、かすめた程度じゃってこと!?)


「ゲェエエェェエエエェェェェエェッ!!」


 再び、マンティコアが苦しげな咆哮を上げる。

 体がわずかに前傾するのを見て取ったパレアは、突進を警戒するも、


「ギェッ!?」


〝毒〟のせいで体に力が入らなかったのか、地を蹴ろうとした後ろ足が滑り、無様に倒れ伏す。

 絶好の好機と見るや、パレアは思考を介することなく地を蹴る。

 勢いをそのままに刺突を繰り出し、起き上がろうとしていたマンティコアの眉間を、今度こそ確実に刺し貫いた。


 絶命した人面獣が再び地に伏すのを見下ろしていたパレアだったが、我に返ったようにハッとする。


「ナイフで直接刺し殺してどうするのよ、バカ」


 どの程度の傷なら、マンティコアクラスの魔獣を毒殺できるか確かめたかったのに、咄嗟に体が動いてしまい、刺殺してしまった。

 しかし、だからこそ確信することもできた。


「やっぱりあたし、魔術よりも直接戦闘こっちの方が向いてるみたいね」


 収穫はそれだけではない。

 高樹齢の木から取った樹液と水に、血を数滴垂らした程度の触媒だと、かすめた程度ではたいして〝毒〟が効かないことを知ることができた。

 少々気が重いが、混ぜる血の量を増やす必要がありそうだ。


「あとは、スローイングナイフの練習をしなくちゃね」


 狙いどおりに投擲できるとは思っていなかったが、それでも、比較的大きなマンティコアの顔をかすめたこと――つまりは、あとほんの少し狙いがズレていたら外れていた事実は、まあまあショックだった。

 実戦を積むにしても、もう少し命中精度を上げてからの方がよさそうだ。

 今日みたいな戦いを繰り返していては、命がいくつあっても足りない。


「これは、時間がかかりそうね……。まあ、まだしばらくは時間がありそうだから、別にいいけど」


 ヴェルエは言っていた、今子供たち同士で殺し合いをさせたところで、お遊戯にしかならなくてつまらないと。

 だから実戦経験を積ませてやると。


 あのクソババアの腐った性格を考えると、その言葉に嘘偽りはないだろう。

 それに、わざわざ区域内に魔獣を放った以上、その経過をしばらくは見守りたいと思っているはずだ。

 クソババアが殺し合いを始める気になった頃には、充分にナイフを使った戦い方を習熟させることができるだろう。


 と、そこまで考えたところで気づく。

 自分が今、当たり前のように、他の子供たちと殺し合いをするつもりでいたことに。


 あたしが地獄に叩き落としたい相手は、ヴェルエとイルルナの二人のみ。

 他の子供たちは、喜々としてヴェルエの指導を受けているイカれた連中だし、あたしのことを見下してもいるけど、だからといって殺してやりたいと思えるほど憎くは思っていない。


 それに、フィーリが行き着いた『毒を殺すための毒』を形にして、ヴェルエの魔法陣の〝毒〟を無効化することができれば、他の子供たちと殺し合う必要はなくなる。


(……だけど……)


〝毒〟の魔術師としての才能がないあたしが、『毒を殺すための毒』を形にした上で、〝毒〟の魔術師の頂点たるヴェルエの〝毒〟を無効化できるとは到底思えなかった。

 殺し合いを勝ち抜いて魔法陣を消滅させる方が、余程分があると断言できる。


 それに、あたしのようなカスが勝ち抜いた方が、ヴェルエにとっては苦痛であり、地獄であり、絶望であるはず。

 ヴェルエのこれまでの言動を鑑みると、あたしのような最低限の才能すらないカスを忌み嫌っていることは明白。

 死んでしまった方がいいとさえ、思っているだろう。

 そんなカスが殺し合いを勝ち抜き、後継者になってしまった場合、あのクソババアはいったいどんな顔をするだろうか……考えただけで、胸が躍る心地だった。


「……うん。決めた」


 殺し合いは、最大限利用させてもらう。

 ヴェルエとイルルナを地獄に叩き落とすには、その方が都合が良い。

 だから、他の子供たちを皆殺しにしても構わない――とまで考えたところで、パレアは自嘲めいた笑みを浮かべる。


「……ったく」


 結局、皆殺しという結論に行き着いてしまうあたしの、


「いったいどこが〝まとも〟だって言うのよ、フィーリ」


 フィーリの墓の方角を見やりながら、独りごちる。

 声音に、後ろめたさにも似た響きが入り混じっていることにも気づかずに。

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