第3話 悲劇

 熟睡していたパレアだったが、何の前触れもなくパチリと目が覚める。

 もう今宵はこれ以上眠れないだろうと確信できるほどの、目覚めぶりだった。


 野生の勘という言い方は知性が感じられないから好きではないが、パレア自身、そうとしか形容しようがないほどに勘が鋭いことを自覚している。

 子供たちの中で、〝毒〟の魔術師としての才能が最も乏しいパレアが今日こんにちまで生き残ってこられたのも、勘の鋭さによる危機回避能力の高さによるところが大きかった。


 熟睡していたにもかかわらず唐突に目が覚めたのも、その勘が働いたと見てまず間違いないだろう。

 だからこそ、嫌な予感しかしない。


 ローブに着替える時間すら惜しんだパレアは、寝間着ネグリジェ姿のままベッドを下り、寝る前に拵えたばかりの、触媒入りの小瓶を複数本、左手で乱雑に掴み取る。


 続けて、空いた右手で鎧窓を開けようとするも、壁越しから獣じみた足音が複数、凄まじい勢いこちらに迫ってきているのが聞こえた瞬間、半ば反射的に鎧窓から飛び下がった。


 遅れて、一頭の獣が鎧窓をぶち破って中に入ってくる。

 狼と呼ぶには卑しく、犬と呼ぶにはあまりにも獰猛な、四つ目の獣だった。


 即座に本で得た知識と照らし合わし、目の前にいる獣の名を正確に言い当てる。


「間違いない、マンイーターだ!」


 左手に握り込んだ小瓶の中から、瞬時に陶器製のものを利き腕である右手で掴み取って魔力を込める。

 小瓶に封入された触媒が、パレアの魔力に込めた意思を汲み取り、致死毒へと変化する。


 転瞬、マンイーターが飛びかかってくる。が、パレアの方が一手早かった。

 ぶん投げた小瓶がマンイーターの眉間に直撃すると同時に砕け、中に入っていた薄赤色の液体が四つ目に飛び散る。

 致死毒と化した液体が結膜から体内に侵入した途端、マンイーターは突然その場でのたうち回り始める。

 ほどなくして動きを止め、横に倒れると、口の端から血を垂らしながら絶命した。


 聞こえてきた足音は複数。

 すぐに他のマンイーターも中に入ってくると思ったパレアは、左手に握っていた小瓶の蓋を全て開け、致死性の毒霧に変ずるよう魔力を込めてから、中の液体を周囲にばらまく。

 液体は床に落ちる前に赤い霧に変化し、瞬く間に家中に充満していく。


 そうこうしている内に、最初の一頭がぶち破った鎧窓から二頭のマンイーターが中に入ってくる。が、赤い霧を吸った途端に苦しみだし、触媒となる液体を直接かけられた一頭よりも長い時間のたうち回ってから絶命した。


 突然の襲撃に心臓が早鐘を打つ中、パレアは悪態をつく。


「あのクソババア……抜き打ちでなんて課題をやらせるのよ!」


 勘が働かなければ、寝ているところを襲われていたところだった。

 とはいえ、〝毒〟の魔術師にとって自身の血が最高の触媒である以上、仮に寝ていたところを噛みつかれたとしても、そのまま食い殺されるなんてことにはそうそうならない。

 毒魔術で自身の血を猛毒に変えるだけで、マンイーターを撃退することができるからだ。


 だがそれは、人食い獣に噛みつかれた状態でも、冷静に毒魔術を行使できればの話。

 噛みつかれた痛みに思考を阻害されたり、焦りや恐怖で毒魔術の発動が覚束なかった場合は、為す術もなくマンイーターに食い殺されることになる。

 頭部や喉といった、致命に等しい箇所に噛みつかれた場合も同様だ。


 もしフィーリがマンイーターの接近に気づかず、寝ているところを噛みつかれたら――気の弱い彼女が冷静に毒魔術を行使できるとは思えなかったパレアは、触媒の入った小瓶を複数本、再び乱雑に掴み取ると、着の身着のまま家を飛び出した。



 ◇ ◇ ◇



 後継者候補の筆頭――イルルナは、ゆっくりと瞼を上げ、ゆっくりとベッドから起き上がる。

 目が覚めたのは、勘などという不確か感覚が働いたわけではなく、極めて魔術的な理由によるものだった。


 イルルナは就寝前には必ず、自身を中心にした半径二〇〇メートル圏内を〝毒〟で満たしている。


〝毒〟は、無色透明でなおかつ無味無臭。

 強力な魔術ほど隠すことが難しくなる魔力を完璧に隠蔽しているため、事実上、知覚することは不可能。

 定義としては空気が最も近いが、どれほどの強風が吹き荒れようがその場から動くことはなく、イルルナの半径二〇〇メートルに足を踏み入れた生き物を容赦なく蝕んでいく。


 さらにその〝毒〟は、人間か魔獣が接触した場合は、直ちに術者であるイルルナに報せるようされている。

 触媒がなければ毒魔術を使うことすらできないパレアでは、一生かかっても真似することができない〝毒〟の結界だった。


 ここまで語れば、最早言に及ばない。

 イルルナが目を覚ましたのは、〝毒〟の結界に魔獣が足を踏み入れたことを察知したためだった。


 普通ならば慌てて確認に向かう場面だが、イルルナは悠然とローブに着替え、火を点けたランタンを手に、散歩するような足取りで家の外に出る。

 周囲を見回すと、狼にも犬にも似た獣――マンイーターが三頭、草むらの上で倒れていた。


 家から最も近い位置に倒れていたマンイーターに歩み寄り、腰を落とす。

 みだりな殺生は好まない――さりとて、その理由は慈悲からくるものではない――イルルナは、結界の〝毒〟を麻痺毒に設定している。

 そのため、マンイーターは体の自由が全く利かないというだけで、命までは奪われていなかった。


「これまで、不自然なほどにこの辺りに魔獣を見かけなかったから、念のため結界に引っかかるよう設定しましたが……とうとう、がきましたか」


 イルルナは、昨日オーガと戦わされる以前から、師匠ヴェルエが魔獣を使った課題を課してくることを予見していた。

 それとは別に、寝込みを襲われても跳ね返すほどの強さを試す課題を課してくることも、予見していた。

 だから、今の状況には驚く要素も、意外に思う要素もないわけだが。


 ランタンを掲げ、マンイーターたちの足跡を確認する。

 草むらの先に伸びている足跡を見る限り、マンイーターの足取りには微塵の迷いもなく、真っ直ぐにこの家に向かってきたのは明白だった。

 それは、ヴェルエが人類の天敵に等しいマンイーターを、己が意のままに操った証左だった。


「普通に考えれば、使い魔などを使役する〝隷属〟のような、対象を意のままに操る概念の魔術師でもないかぎり、このような真似はできません。となると……」


 そこに、師匠マスターのメッセージが隠されているのかもしれない――そう考えたイルルナは、腰を落としてマンイーターの体に掌を添える。

 瞑目し、掌に意識を集中させ、マンイーターを蝕む、イルルナがかけた麻痺毒とは別の毒魔術がかけられていないかを探りにかかる。


 今イルルナやっている毒の解析は、〝毒〟の魔術師にとっては初歩中の初歩の技術ではあるが、同時に、秘奥とも見なされていた。

 膨大な毒の知識が必要な上に、一流の〝毒〟の魔術師がかけた毒魔術ともなると毒の痕跡を辿るのが難しく、二流三流の魔術師では解析できないこともザラにあるからだ。


 ゆえに、子供たちの中では最も才覚に溢れているイルルナといえども、世界最高峰の魔術師がかけた〝毒〟を解析するのは容易ではない。

 イルルナがマンイーターから掌を離したのは、実に一〇分の時が過ぎてからのことだった。


「これは、幻覚作用をもたらすタイプの〝毒〟ですね。わたくしの匂いを覚えさせた上で、極上のご馳走だと錯覚させることで、マンイーターを正確にわたくしのもとにけしかけた――といったところですか。人間を主食とするマンイーターの習性と、見た目どおり鼻が利くからこそできる手法ですね」


 自身に言い聞かせるための説明には、感嘆の響きが入り混じっていた。


 魔術の中には、概念の枠内からはみ出さなければ、術者の発想次第で思いも寄らない効果を発揮するものもある。

 ヴェルエがマンイーターにかけた〝毒〟には、そうした発想に至る糸口の一つが例示されていた。

〝毒〟の魔術師としての世界が、また一段と拡がった心地だった。


「それはそうと……この子たちは、どのように処分しましょうか」


 いつもどおりの柔和な笑みを浮かべたまま、慈悲の欠片も感じさせない冷たい目でマンイーターを見回す。

 殺してしまうのは簡単だが、そうしたらそうしたで死体を処理しなければならない。


 いくら知識や頭脳、魔術師としての才覚が年齢離れしていても、体力は一二歳の少女相応しかない。

 肉体労働は、できればしたくない。


 しばしの間、思案していたイルルナだったが、


「そうだ……そうしましょう!」


 名案が思い浮かんだのか、パンッと手を打ち鳴らしてから早足で家に戻る。

 中に入るや否や真っ直ぐに向かったのは、他の子供たちの家と同様、その大部分が本棚で埋まった壁の一角。

 五センチ四方の小さな抽斗ひきだしが数十と敷き詰められている、収納棚の前。


 棚の抽斗には、一つ一つに子供たちの名前が書かれた紙が貼り付けられており、その内の一つ――『フィーリ』の名前が書かれたものを、抽斗ごと取り出す。

 中に入っていたのは、髪の毛と爪の欠片。

 ヴェルエの課題の際や、留守を狙って家に侵入して集めた、秘密の触媒だった。


 これは確信に近い推測だが、ヴェルエもまた、触媒として使用するために子供たちの髪や爪を集めている。

 そして、その触媒を使ってマンイーターに匂いを覚え込ませ、その上で極上のご馳走だと錯覚させることで、子供一人に対して三頭のマンイーターが向かうように仕向けた。


師匠マスターがマンイーターにかけた毒魔術と同じものを、上書きしたら、どうなるんでしょうね?」


 疑問符のついた言葉とは裏腹に、上書きによってどういう結果がもたらされるのかを確信していたイルルナは、笑みを悍ましい形に吊り上げる。


 邪魔者を消すには絶好の機会だった。

 子供たち同士で殺し合うことはヴェルエに禁じられているが、今の状況ならばいくらでも言い訳が立つ。


 しかも、幸いなことに、自分の家はよりもフィーリの家に近い。

 マンイーターは見た目どおりに足が早く、子供の足とはそれこそ雲泥の差だ。

 フィーリが自力で乗り越えない限りは、絶対に間に合わないだろう。


 この機を逃す手はない――そう思ったイルルナは、心底嬉しそうに悍ましい笑みを吊り上げながらも、フィーリの触媒が入った抽斗を手にマンイーターのもとへ戻った。



 ◇ ◇ ◇



 フィーリは、涙目になりながらもベッドの下に隠れていた。

 突然鎧窓をぶち破ってマンイーターが襲ってきて、無我夢中で近くにあった枕や本をぶつけ、ベッドの下に逃げ込むと同時に魔術で毒霧を発生させた。


 ガチガチと歯を鳴らし、プルプルと震え、恐怖のあまり今にも泣き出しそうになる心を必死に鎮めながら、マンイーターに毒が効くことを祈った。

 そうして二〇分の時が過ぎ、毒霧が完全に消失したところで、おそるおそるベッドの下から這い出てると、


「ひぃ……っ」


 横に倒れて絶命していたマンイーターの四つ目と目が合い、思わず引きつった悲鳴を漏らしてしまう。

 マンイーターの死骸から逃げるように立ち上がった瞬間、


「~~~~っ!」


 今度は、声にならない悲鳴がフィーリの喉を裂いた。

 さらに二頭、毒死したマンイーターの死体が家の床に横たわっていたのだ。

 それが決定打となり、涙目を通り越して、ちょっとだけ泣いてしまう。


「い、いい、い一頭だけじゃなかったの~~っ!?」


 おそらくはこれもヴェルエの課題なのだろうが、食人獣に寝込みを襲わせるほどにまで課題が激化エスカレートしている事実に、心胆が凍える思いだった。


 兎にも角にも、マンイーターの死体をこのままにしておくわけにはいかない。

 家の中に魔獣の死体があっては、落ち着くものも落ち着かないという理由も当然ある。

 だがそれ以上に、いくら人間を主食にする魔獣とはいえ、殺してしまった以上はちゃんと埋めて弔ってやらないと可哀想だという思いが強かった。


「ま、まずは埋める場所を探さないと……!」


 そう思って、家の外に出た直後のことだった。

 突然横合いからもう一頭、マンイーターが大口を開けて飛びかかってきたのは。


 鋭い牙が眼前まで迫る中、半ば反射的に右腕を割り込ませる。

 刹那、マンイーターはその右腕に食いつき、


「ぁあぁあぁぁぁっ!! 痛い……痛いぃっ!!」


 あまりの激痛に立っていられなくなったフィーリは、いよいよ目尻から涙をこぼしながらも倒れ込んでしまう。


(かかかか囓られたっ!? は、早く体内の血を触媒にして、毒魔術を使わないとっ!!)


 しかし、右腕から伝わる激甚な痛みと、人を食す魔獣が目の前にいる恐怖のせいで、上手く毒魔術を発動することができなかった。


(痛い痛い痛いっ!! 早く早く早――)


 瞬間、フィーリは右腕の痛みも忘れて、頭の中が真っ白になる。

 口からは「ぇ……」と、気の抜けた吐息が漏れていた。


 いつの間にか、だった。

 いつの間にか、さらに二頭のマンイーターが、フィーリのすぐそこまで迫っていた。


 最早、フィーリに毒魔術を行使する余裕などなく。


 小動物のように愛らしい顔立ちが、絶望で歪んだ。



 ◇ ◇ ◇



 パレアは息を切らせながら、必死に草原を駆け抜ける。

 着の身着のまま家を出たため、寝間着ネグリジェ姿なのは言わずもがな。

 靴も履いていないため、足の裏は小石などを踏んづけたことでボロボロになっていた。


 左手に握り締めていた触媒入りの小瓶も、道中に二、三本ほどこぼれ落ちている。

 休むことなく走り続けたせいで全身汗だくになっており、脇腹ももう随分前から痛みを訴えている。


 それでもなお、パレアは必死に駆け続けた。

 だってフィーリは、たったひとり生き残った〝まとも〟な子供だから。


(……ううん。違う)


 気恥ずかしくて口には出せないけど。


 フィーリはあたしにとって、たった一人の友達。


 まだ〝まとも〟な子供が何人か生き残っていた頃から。


 フィーリとは、ずっと仲良しだった。


 性格は全然違うけど。


 不思議と馬が合った。


 他人をあまり信用しないあたしだけど。


 フィーリだけは、心の底から信用できた。


 目尻から溢れそうになった涙を、払うようにして袖で拭う。

 無事かもしれないのに、杞憂で済んでいるかもしれないのに、最悪な未来が脳裏にこびり付いて離れないせいで、瞳の奥から込み上げてくるものを抑えられない。


 やがて、フィーリの家がある小さな森に辿り着く。

 足元はさらに悪くなり、小石のみならず折れた木の枝がますます足裏をボロボロにするも、今のパレアには痛みなんて気にしている余裕はなかった。


 ほどなくして、フィーリの家が見えてくる。

 さらに近づくと、家のそばで、狼にも犬にも似た三頭の獣が、地面に横たわっているに向かって、一心不乱に顔を突っ込んでいる姿を視認することができた。


 それが意味することを理解できてしまったパレアは、ゆるゆると立ち止まる。

 パレアの存在に気づいた獣たちが、一斉にこちらに顔を向けた瞬間……絶望が、決定的なものとなる。


 月明かりによって照らされた三頭の口回りは、人間の血で染まっていた。

 そして、三頭の足元には、



 白色の寝間着ネグリジェを血の赤で染めた、無惨なフィーリの姿があった。



 すでに食い尽くされたのか、四肢は一本も残っていなかった。

 特に血の赤がひどい腹部からは、残り少なくなった内臓がはみ出していた。

 人間が魚の頭を残すように、ほとんど傷がついていない顔は、激痛と恐怖と絶望で歪みきっていた。

 光を失った瞳の端には、涙が流れた痕が残っていた。


 食人獣マンイーターの名にふさわしい惨状を前に、パレアは言葉を失う。

 理性が、本能が、目の前の現実を受け入れることを全力で拒絶する。


 マンイーターどもは、自失するパレアから生気を感じなかったのか、それとも今味わっているご馳走フィーリが余程美味しいのか。

 パレアには興味はないと言わんばかりに、自分たちの牙で穴を空けたフィーリの腹部に再び顔を突っ込み、残り少なくなった内臓に食らいつく。


 その様を目の当たりにした瞬間。


 それは怒りか哀しみか。


 まるで火山の噴火のように。


 パレアの内から激情が噴出した。


「あぁあぁああぁぁぁぁぁあああぁあぁぁぁああぁあぁっ!!」


 刹那、獣よりも獣じみた咆哮を上げながら、マンイーターどもに飛びかかった。



  ◇ ◇ ◇



 〝毒〟の結界に設定した異物が入り込んだ際は術者に報せる――そんな芸当ができるイルルナは確かに、〝毒〟の魔術師として図抜けた才能を有している。

 だが、いくら才能に恵まれているようとも、たかだか一二歳の子供が〝毒〟の魔術師の頂点たるヴェルエの領域に届くわけもなく。

 ヴェルエにとってイルルナ以上の魔術を行使することは、そう難しいことではなかった。


 毒魔術をかけた対象の状態を、遠く離れた場所から把握する――それは、今のイルルナでは行使できない、ヴェルエの高等魔術の一つ。

 その力を使って、ヴェルエは把握していた。

 幻覚作用を引き起こす毒魔術を施した一〇八のマンイーターが、つい今し方全滅したことを。

 毒魔術の魔法陣を背中に刻みつけた三六の子供たちの内、三人が命を落としたことを。


「……さて。連中も話を聞きたいと思ってるだろうから、召集をかけてやるとするかね」


 瞑目して集中し、生き残った三三人の子供たち全員の魔法陣に、毒魔術を発動させる。

 二時間以内に館に来なければ、魔法陣から致死毒を流し込むという毒魔術を。


 その毒魔術を発動してからの五分間、魔法陣が刻まれた肌に熱を伴った痛みが発生するよう設定している。

 それが召集の合図であり、二時間以内に館に来なければ死んでしまうことは、子供たちの物心がついてすぐに説明している。

 ゆえに子供たちが、大急ぎでこの館を目指していることを、ヴェルエは魔法陣を通して把握していた。


 その内の一人――イルルナは、すでに館に到着していた。

 どうやら召集がかかることを読んで、マンイーターを退けてすぐにこちらに向かっていたようだ。


「やはり、最もワタシの後継者に近いのはイルルナだねぇ」


 嬉しげに楽しげに独りごちる。

 結局、マンイーターにかけた毒魔術のメッセージを汲み取った子供は、イルルナただ一人だけだった。


〝毒〟の魔術師としての才能は勿論のこと、状況判断力、危機回避力、理性と知性の両方を併せ持った上で倫理と道徳を踏みにじる精神性……災厄の魔女の後継者として、彼女ほど理想的な人間もそうはいない。

 今回は少々をやらかしているが、その結果が才能のないカスが一人減っただけならば、大目に見て然るべきだろう。


 とはいえ、いくらイルルナが才能に溢れているとはいっても、今すぐ彼女を後継者に仕立て上げるのは、時期尚早が過ぎるというもの。

 いくら才能に溢れていようとも、齢一二に過ぎない小娘である以上、足りない部分は山ほどある。


 イルルナほどではないにしろ、悪くはない才能の持ち主もいくらかおり、晩成する可能性も捨てきれない。

 じっくりとイルルナを育てるという意味でも、後継者選びにはまだまだ時間をかける必要がある。


「だが、だけはねぇ……」


 他の子供たちが大急ぎで館を目指す中、その場からほとんど動いていない二人の内のもう一人――パレアのことを思い浮かべ、深々と嘆息する。


 いったい何を考えているのかは知らないが、パレアは現在フィーリの家の近くにおり、なぜかそこから一向に離れようとしなかった。


 ヴェルエが高等魔術で確認できるのは、あくまでも毒魔術をかけた対象の〝状態〟であって、対象が今どういう〝状況〟にあるのかはわからない。

 ゆえに、パレアが何を思って動こうとしてしないのかは知りようがなかった。


 魔法陣を通じてフィーリが死んでいることは把握しているので、おそらくはそのあたりが原因だろうとヴェルエは推測する。


「ったく、じょうなんてものは〝毒〟の魔術師にとっては真っ先に捨てるものだってのに、いつまでもしがみついて……やはりカスだね、あの子は」


 問題は、そのカスにイルルナが入れ込んでいることにある。


 カスに向けた感情自体は実に〝毒〟の魔術師らしく、好ましいくらいなので口を出すような真似はしていないが、同時に、カスだからといってパレアを不当に〝処分〟できなくなってしまったのは、ヴェルエにとっては痛し痒しだった。

 課題を乗り越えられずに死んだ――といったように、正当な理由もなしにパレアを〝処分〟した場合、イルルナの反発を招く恐れがあるからだ。

 そのせいで、イルルナほどの才能を〝処分〟するハメになってしまっては目も当てられない。


「このままパレアが時間内に館に来なければ、話が早いんだけどねぇ」


 つまらなさげに忌々しげに独りごちると、ヴェルエはすでに到着しているイルルナを迎えるために、館の自室から、子供たちの召集場所に使っている広間へ移動した。



 ◇ ◇ ◇



 パレアは穴を埋めていた。

 マンイーターどもに無惨にも食い殺された、フィーリの亡骸を寝かせた穴を、くわを使って埋めていた。


 パレアの全身は、泥だらけで煤だらけで血だらけだった。

 激情に駆られたパレアは、フィーリを食い殺したマンイーターどもを毒魔術を一切使わずに素手で殴り殺し、全ての死体に火を点け、灰に変えた。


 普通ならば、一二歳の子供が魔術も武器もなしに、三頭のマンイーターを撃退するなど不可能な話だ。

 それでもなお成し遂げることができたのは、あまりにも乏しい魔術師としての才能とは対照的に、戦士としての才能が秀でていたからに他ならなかった。


 フィーリの亡骸を埋めた地面を綺麗にならし、大きめの石を置いただけの墓を建てる。

 しばし、泣き腫らした目で墓を見つめた後、


「いつか、ちゃんとしたものを建ててあげるから」


 それだけ言い残すと、踵を返して走り出した。ヴェルエの館を目指して。


 この期に及んで死ぬことはたいして恐くないが、フィーリの、他の子供たちの人生を弄んだ末に殺したあのクソババアが、何の報いも受けないままでは死んでも死にきれない。

 絶対に、この手で報いを受けさせないと気が済まない。


 そして、報いを受けさせなければならない輩がもう一人。


 今はヴェルエの召集がかかっているため、調べている暇はないが。

 子供たちの中に、フィーリにマンイーターをけしかけた輩がいることを、パレアは見抜いていた。


 家の中で息絶えていたものも含めて、フィーリを襲ったマンイーターの数は六。

 パレアを襲った数の、ちょうど倍だ。


 ヴェルエはどうしようもないクソババアだが、課題の公平性においては――あまりこういう言い回しはしたくないが――信頼できる。

 目をかけている子供に対しては課題の難度を下げ、気に入らない子供に対しては難度を上げるというような依怙贔屓は、絶対にしない。


 子供たちの誰かが、自分を襲ったマンイーターを何らかの方法でフィーリにけしかけない限り、倍の数のマンイーターに襲われるなんてことはあり得ない。

 そいつにも、必ず報いを受けさせなければならない。


 だから、生き残らなくてはならない。

 ヴェルエを殺せるだけの――いや、殺すだけでは足りない。

 ヴェルエを絶望の底に突き落とせるだけの、力と知恵を身につけなければならない。


 だから、今じゃない。


 今は耐えて耐えて耐えて、泥水を啜ってでも生き延びて、力と知恵を蓄えろ。


 自制と自戒を繰り返しながらも、パレアは走り続け……魔法陣を刻まれた背中が熱を伴う痛みを発してから一時間と五〇分後に、館の広間に到着した。


 広間にはすでに、ヴェルエも子供たちも揃っており、泥と煤と血で塗れたパレアの姿に、驚きと侮蔑の視線が向けられた。

 そんな中、イルルナただ一人だけが、パレアの無事を喜ぶ視線を向けてきたが、


(あんたじゃない……! あたしの無事を喜んでいい人間は……!)


 この世に、人間はもう一人もいない。

 ここにいるのは、いずれ必ず報いを受けさせる敵と、敵に等しい奴だけだ!



「無様だね」



 最早聞き慣れた、吐き捨てるようなヴェルエの一言が、パレアにぶつけられる。


「その姿なり……まさか、マンイーターを素手で殺したとか言うんじゃないだろうね?」


 ヴェルエの声音と表情から、嫌悪にも似た感情を見て取ったパレアは、嘲笑を浮かべながらも訊ね返す。


「そうだって言ったら?」


 途端、子供たちの間でどよめきが拡がった。

 先と同じように、驚きと侮蔑が入り混じったどよめきが。


 そんな子供たちとは違い、パレアの言葉に小揺るぎもしなかったヴェルエは、逆に嘲るような言葉を返してくる。


「今日死んだ三人のカスと、大差ないカスだと思うだけさね」


 目の前のクソババアが、暗にフィーリをも侮辱してきたことに激しい憤りを覚えるも、砕けんばかりに歯を食いしばることで、どうにか、かろうじて、こらえきった。


「ワタシの教えを理解せずに、仲良しごっこなんてしてるから、そんな目に遭うんだよ」


 パレアにさらなる嘲弄をぶつけてから、ヴェルエは子供たち全員に言う。


「良い機会だから教えておいてやる。感づいている者も何人かはいるだろうけど、ワタシがアンタたちに、最後に課す課題は殺し合い。十何年ともに過ごしてきた連中すら殺せないようなヘタレじゃ、〝毒〟の魔術師なんてやってられないからね」


 再びどよめきが拡がるも、先程パレアが起こしたものよりは明らかに小さかった。

 ヴェルエの言うとおり、最終課題が殺し合いであることに感づいていた者が複数人いる、なによりの証左だった。


「殺し合いの合図は、『背中の魔法陣が冷たさを伴った痛みを発した』時。その瞬間から二四時間以内に自分以外の子供を全て殺さないと、魔法陣から致死毒が流れ込んできておっぬって寸法さね。それも、あっという間に死ねるような優しいやつじゃなくて、数時間は地獄の苦しみを味わうようなやつをねぇ」


 ヴェルエがそう言う以上、地獄の苦しみという言葉が比喩ではないことを知っていた子供たちは、揃って息を呑む。


「だが、以前にも言ったとおり、この殺し合いはアンタたちにとっては福音にもなる。最後まで生き残った者は、ワタシの全てを手に入れた上で、背中の魔法陣が消滅するように設定しているからねぇ」


 ヴェルエはニヤリと笑い、


「殺し合いは、明日始めるかもしれないし、一ヶ月後に始めるかもしれないし、一年後に始めるかもしれない。さすがに、アンタたちが大人になる前には始めるつもりだが……もしかしたら、その直前くらいに始めるなんてことも、あるかもしれない。全てはワタシの胸の内ってわけさね」


 ついには「うぇっふっふっ」と独特な笑い声を上げ始める。


「とはいえ、アンタたちが命のやり取りを知ったのは昨日の今日。本当に明日始めちまったところで、殺し合いとは名ばかりのお遊戯を見させられるだけ。それじゃぁワタシがつまらない」


 そんな最低な言葉の後に、こう締めくくった。


「だからワタシが、アンタたちに実戦経験ってやつを、たんと積ませてやるよ。これからは常時、区域内に魔獣を放つことでねぇ……うぇ~っふっふっ!」


 不気味な笑い声がこだまする中、子供たちは、青ざめたり、逆にやる気を漲らせたり、どうでもいいと言わんばかりに欠伸を漏らしたりと、反応は様々だった。

 その中にあってなお、殺意すら孕んだ凶眼で師匠ヴェルエを睨みつけるパレアの反応は、誰よりも異質だった。


(実戦経験を積ませてやる、か。望みどおり積んでやるわよ。あんたが後悔するくらいにね!)


 そんな決意を心の奥底に刻みつけると、今はもうここには用はないと言わんばかりに踵を返した。

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