第2話 パレアとフィーリ

 課題などを理由に召集がかかった時はヴェルエの館に集まっているというだけで、パレアら子供たちは基本、館の周囲数キロ圏内に点在している木組みの一軒家で生活していた。

 それも八歳になってすぐに一人一軒、家を与えられるという形で。


 一〇にも満たない子供であろうが、独力で生きていけない弱者はワタシの後継者にふさわしくない――そんなヴェルエの思想を反映していた。


 翌日の昼前。


 四年の歳月を経てすっかり慣れ親しんだ家のベッドで、泥のように眠っていたパレアは、ノロノロと上体を起こす。


 こんな遅くまで寝ていたのは、今日はヴェルエからの召集がないという理由もあるが、イルルナの実験によって疲弊しきった心身が休息を求めたという理由が大きかった。

 ベッドから下りたパレアは、重い足取りで家の隅にある姿見まで移動し、寝間着ネグリジェを脱ぎ捨てて自身の背中を睨みつける。


 背中には、毒々しいほどに赤い魔法陣が刻まれていた。


 この魔法陣は、パレアが赤ん坊だった頃に〝毒〟の概念を植え付けられてすぐに、ヴェルエが自身の血を触媒にして刻んだものだった。


 未熟な魔術師はただ魔術を行使するために触媒を利用するが、一流の魔術師は行使する魔術をより高い次元に高めるために触媒を利用する。

 当然、背中の魔法陣は後者の理由によって刻まれたものであり、実際こちらの成長に合わせて魔法陣も大きくなるという超魔術的現象を、パレアは現在進行形で目の当たりにしている。


 そんな薄気味悪いことこの上ない魔法陣に込められた毒魔術は、致死毒。

 ヴェルエ自らが魔法陣を通じて、毒魔術を発動できるのは言わずもがな。

 それ以外にも致死毒の魔術が自動で発動する条件が二つあった。


 一つ目は、魔法陣を刻まれた者が、ヴェルエが定めた区域の外に出てしまった場合。


 この発動条件は逃亡防止のために設けられたもので、定めた区域とはまさしくヴェルエの館の周囲数キロ圏内を指している。

 もっとも、指定区域の周囲は山々で囲われた、所謂いわゆる陸の孤島となっており、子供の足で踏破するのは困難を極めるため、現状は魔法陣の有無に関係なく逃亡は不可能に等しい。


 二つ目は、ヴェルエに危害を加えようとした場合。


 この発動条件は、言うまでもなく子供たちの反乱を防止するために設けられたものだった。

 こちらに関しては、地獄から脱するために実際にヴェルエを殺そうとした子供が、唐突にもがき苦しんで絶命する様を、現在生き残っている三六人の子供たち全員が目の当たりにしていた。


 ヴェルエは、家族を皆殺しにしてお前たちを奪っただのと、こちらの憎悪を煽るような情報は喜々として教えるくせに、何をもって「危害を加えようとした」と判断されるかは黙して語らなかった。

 そのせいもあって、魔法陣の〝毒〟で死んだ子供が出て以降、皆が皆、ヴェルエに対して「殺してやる」だの「死んでしまえ」だのといった言葉は、絶対に口に出さないようにしていた。


 背中の魔法陣は、子供たちにとってまさしく呪いであり、刻みつけた張本人であるヴェルエ自身も、そうだと明言している。


 その一方で、ヴェルエはこうも言っていた。

 アンタたちの背中に刻んだ魔法陣は、呪いであると同時に福音でもある――と。

 最後まで生き残った一人だけが、その福音を受けることができる――と。


 福音がどういう代物かはともかく、後継者に選ばれた一人以外は生かしておく気がない師匠クソババアのクソさ加減と、毎日睨んだところで一向に消える気配がないクソ魔法陣に忌々しく舌打ちしながらも、パレアはいつもの暗色のローブに着替えた。


 家の傍に流れる小川から水を汲み、誰かの毒魔術によって汚染されていないかを確認してからその水で顔を洗う。


 食欲はあまりなかったが、いつ如何なるタイミングでヴェルエが課題を課してくるかわからない以上、食べられる時は無理にでも食べておいた方がいい。

 そう思ったパレアは、家の裏にこさえた小さな畑からジャガイモをかし、磨り潰して粥っぽく仕上げものを、食欲が失せた胃に流し込んだ。


 ヴェルエからの召集がある時は強制的に拘束されるというだけで、それ以外の時間をどう過ごすかは基本、子供たちの自由となっている。


 とはいえ、現状、毒魔術を極めてヴェルエの後継者になる以外に、この地獄から抜け出す方法がない以上、家の壁という壁を埋めている本棚の蔵書から知識を貪るか、毒魔術の鍛錬を積む以外のことに時間を費やしている暇はない。


 魔術師としての才能が乏しいパレアの場合、毒魔術を行使するための触媒を常日頃からこしらえておく必要があるため、他の子供たち以上にのんびりしている暇はなかった。と言いたいところだが、


「……さすがに今日は、フィーリのところに顔を出しておいた方がいいわね」


 めんどくさそうに、ため息混じりに独りごちる。


 昨日は、イルルナの実験がいつにも増してろくでもなかったせいで、心身ともに疲労困憊になってしまい、フィーリに送ってもらわないと自力で家までたどり着けない有り様だった。


 その事実が意地っ張りな性分を刺激し、これ以上弱っている自分を見られたくないと駄々をこねた始めた結果、なおも心配してくるフィーリを無理矢理帰らせた上で、明日は絶対に家に来るなと釘を刺してしまった。

 しかも、ちょっときつめの口調で。


「弱っていたとはいえ、あんなこと言って……ったく、子供じゃないんだから」


 およそ一二歳の子供の言う台詞ではないことは、さておき。

 別にフィーリに謝りたいとか、これ以上余計な心配をかけさせたくないとか、そういった類の話では断じてないが。

 このままではどういうにも座りが悪いので、フィーリのところに顔を出すことに決めた次第だった。


 適当に身支度を調ととのえ、家を後にする。

 子供たちに与えられた家は、他の家とは数百メートル間隔で離れており、誰の家に行くにしてもそれなりに歩かされる形になっている。


 家々の距離が離れているのは、子供たちが毒魔術の研究と修練に没頭できる環境をつくるため。

 それゆえに、家を荒らすなどして、他の子供の研究と修練を邪魔することは固く禁止されていた。


 逆に、子供たち同士の交流については全く禁止されていなかった。

 おそらくは、交流することによって新たな知見を得させ、毒魔術を進歩させるためだろうと推測する。


 そんな取り留めのないことを考えながらも、パレアはフィーリの家を目指して平原を歩く。

 そこかしこに小川が流れ、森が生い茂り、チラホラと野生動物を見かける光景は、子供たちの中でもとりわけスレているパレアといえども、心が洗われる気分になる。

 あるいは、スレているからこそこういう光景が心に染みるのかもしれない。


 そんなこんなで、心身の疲労も忘れて歩くこと一時間。

 小さな森の中に建てられている、フィーリの家に到着する。


 玄関扉をノックしようと手を持ち上げ……なぜか、すぐに下ろしてしまう。


(なに緊張してるのよ……あたし)


 昨日家まで送ってくれたフィーリを邪険に扱ってしまったことを、自分で思っている以上に後ろめたく思っていることに、パレアは気づいていなかった。


 当人にとってはよくわからない感情に悩まされながらも、それなり以上の時間をかけて意を決してから扉をノックする。が、何の返事もかえってこないことに、深々とため息をついた。


「これは、いつものパターンね」


 そう言って、断りもなく扉を開ける。

 闖入者に何の反応も示さなかった家主フィーリは、パレアの言う「いつものパターン」どおり、部屋の隅で本の山に囲まれながらも読書に没頭していた。



 ◇ ◇ ◇



 フィーリは何か一つのことに集中している時は、周りのことに全く気づかないきらいがある。

 今回もまたそのパターンだと確信していたパレアは、「やっぱり」とため息を漏らしながらも、読書に没頭しているフィーリに歩み寄る。


 そして、


「こら」


 彼女の頭に、力のこもらない手刀をお見舞いした。


「ふぇっ!?」


 と、ちょっとした物音に過剰反応した小動物のように飛び跳ねると、ようやく自分以外の人間が家にいることに気づき、嬉しげな声を上げた。


「パレアちゃんっ!」


 そんなフィーリを前に、パレアはほんの少しだけムスッとした表情をしながら、自分にしか聞こえないくらいに小さな声音で愚痴る。


「昨日はつい、さっさと帰れだの、絶対にうちに来るなだの、ちょっときつめに言っちゃったから来てあげたっていうのに……」


 口では「子供じゃないんだから」とか何とか言ってる割には、愚痴の内容がどうしようもないほどに子供っぽいことに、全く気づいていないパレアだった。


 そんな当人ですら気づいていない幼さにフィーリが気づくわけもなく、心配を雨あられのように降らせてくる。


「大丈夫!? 気分が悪いとかない!? あっ、立ちっぱなしはしんどいよね! 今椅子用意するから!」


 言いながら、慌てて本の山を越えようとして……足が突っかかって本を雪崩なだれさせながらド派手にすっ転んだ。


「もう……なにやってるのよ」


 ここに来てからもう三度目となるため息をついてから、フィーリを助け起こす。


「本に没頭するくらいには、心配してなかったくせに……」


 今度はつい、相手にも聞こえる声量で愚痴ってしまった。

 フィーリは叱られた子犬のようにシュンとしてから、申し訳なさそうに言い訳する。


「だって……お気に入りの本の世界に入り込んでもいないと……絶対にパレアちゃんのおうちに行っちゃいそうだったから……」


 つまりは、心配のあまりパレアの様子を見に行きたくてしょうがなかったけど、「絶対に来るな」と言われた手前、本の世界に逃避することで言われたことを遵守したと、フィーリは言っているのだ。


 それなのにフィーリが本に没頭していたことにむくれていた自分が、如何に子供だったのかをようやく自覚させられたパレアは、自己嫌悪しながらも、絞り出すように謝罪する。


「それは……まあ……あれよ…………あたしが悪かったわよ……」


 珍しくも頬に朱が差し込んでいるせいか、視線はおろか顔すらも逸らしていた。


「ううん……わたしの方こそ……ごめんなさい……」


 案の定と言うべきか、謝り返されてしまい、何とも言えない微妙な沈黙が二人の肩にのしかかる。

 沈黙に耐えられなかったパレアは、先程までフィーリが読んでいた本を拾い上げてから、努めて呆れさせた声音で言った。


「あんた、ほんと好きね。〝外〟について書かれた本が」


〝外〟とは、魔法陣によって出ることを禁じられた区域の外側――俗世を指した言葉だった。

 そして、パレアら子供たちの世界は区域の内側で完結してしまっているため、〝外〟に憧れを抱く者は少なくない。


 一応、月二回ある定期便を通じて〝外〟の物資を注文することができるが、子供たちは、定期便のためにやってきた人間と接触することは勿論、姿を見せることさえも禁じられている。

 物資の注文にしてもヴェルエの検閲が入るため、日々の生活や毒魔術の研究に使える物以外は取り寄せることができない。


 その一方で、ヴェルエが用意した本の中には、先程フィーリが読んでいた〝外〟について書かれた本が多数混じっていた。

 俗世の知識を身につけさせるためか、わざと子供たちの欲を煽って我慢のきかない者をあぶり出すためかはわからないが。

 子供たちに希望を抱かせるような本を用意しているヴェルエは、つくづく底意地の悪いクソババアだと、パレアは心の中で吐き捨てた。


 そんな荒みきったこちらの心中に気づくことなく、フィーリはクリッとした目をキラキラと輝かせながら熱弁する。


「だって……すっごく綺麗らしい宝飾品とかドレスとか……何千人もの人が住んでいる町とか……見上げるほど高いお城とか……この目で見てみたいものが、いっぱいあるんだもん……」


 ヴェルエの底意地の悪さはともかく、夢を語っている彼女に水を差すような真似はしたくなかったので、特に意味もなく素っ気ない風を装いながらも肯定した。


「まあ、気持ちはわかるけどね」

「だよねだよね!」


 思いのほか食いつきがよかったことに、ちょっとだけ気圧されてしまったパレアをよそに、フィーリは唐突に慎重に本の山を越え、部屋の隅にある机へと向かう。


 抽斗ひきだしを開け、中に入っていた小箱を取って戻ろうとするも、今さらながらパレアのための椅子を用意していなかったことを思い出したのか、引き返して小箱を机に置き、椅子をパレアに届けてから小箱を取りに机に戻る。


 見事な二度手間っぷりに苦笑しながら椅子に腰を下ろしていると、トタトタと戻ってきたフィーリが宝箱を開くように小箱の中身を見せてきた。

 中に入っていたのは、


「もしかしてこれ……ブローチってやつ?」


 例によって本から得た知識しかないため、どうしても疑問符が付いてしまう。

 とはいえ、フィーリのブローチは、本物のブローチを知っている人間の方が疑問符を付けてしまうような代物だった。

 台座も、その中央に嵌めているように見せかけた宝石も、全てを木彫りで再現しようとした、お世辞にも出来が良いとは言えないブローチじみた何かだった。

 

「うん……! 本当は宝石とか貴金属とかで造りたかったけど…………」

「定期便で下手にそんな物を注文したら、最悪クソババアの折檻が待ってるわね」

「……だよね……」


 先程興奮気味に口にした言葉を、シュンとしながら呟く。

 なんとなく決まりの悪さを覚えたパレアは、小箱の中のブローチを摘まみ上げ、


「クソババアのクソさ加減はともかく、自力で作ったにしては悪くないんじゃない? 細部ディティールもしっかりしてるし」


 ブローチを褒めた途端、フィーリの表情がパァっと華やいだ。


「ほんと!?」

「ほんとよ。知ってるでしょ? あたしがお世辞を言わないことは」


 歯に衣着せていないだけとも言えるけど――と、付け加えかけるも、明らかに余計な一言だったので喉元で押し止めた。

 フィーリが「えへへ……」と嬉しそうにしていたから、なおさらに。


「そうだ! もっと上手に出来るようになったら、パレアちゃんにもあげるね!」

「別に構わないわよ。あたしが気に入るくらいのやつを仕上げられる自信があるなら」

「任せて! 絶対に仕上げてみせるから! その代わり!」


 小動物にしか見えないほどに気弱な彼女にしては珍しく、どこか勝ち気な表情を浮かべながらも、こちらに向かってズビシと指を差してくる。


「パレアちゃんと二人で〝外〟に出られたら、一緒に同じブローチをつけて、一緒に町を回ってもらうからね!」


 無邪気すぎる言葉に、さしものパレアも表情を曇らせてしまう。


「……フィーリ。水を差すようなことは言いたくないけど……わかるでしょ? 


 ヴェルエは、後継者以外の子供を生かすつもりはない。

 だから、昨日オーガと一対一で戦わされた時のように、死と隣り合わせの課題を容赦なくパレアたちに課してくる。


 最終的には、あのクソババアはあたしたちに殺し合いをさせるつもりでいるはず――パレアは、半ば以上にそう確信していた。


 ヴェルエは〝毒〟の魔術師としての才能と同じくらいに、一個人としての強さを、ひいては生き残る力を重視している。

 多大な年月と労力を費やして選り抜いた後継者が、あっさりと野垂れ死んでしまうような弱者では元も子もないからだ。


 手っ取り早く強者を選り抜くのに有効な、殺し合いという手法にヴェルエが気づいていないわけがない。

 もう少し子供たちの数を減らしたいのか、子供たちの毒魔術が成熟するのを待っているのか、それとも単なる気まぐれか。

 ヴェルエがまだあたしたちに殺し合いをさせていないというだけで、いつやらされてもおかしくないと、パレアは考えていた。


 考えていたから、二人一緒に生き残るのは無理だと諦めていた。

 逆に、フィーリと殺し合いをさせられるハメになったら、自分はどうするつもりなのかは、考えること自体を放棄していた。


 そんなパレアの諦観を前に、何を思ったのか、フィーリは突然立ち上がる。

 そして、なぜかコソコソとした足取りで玄関扉や窓へ向かっては、キョロキョロと家の周囲に人がいないことを確認する。

 行動の意図が理解できずに眉根を寄せているパレアのもとに戻ってくると、フィーリは小声で、衝撃的な言葉を口にした。


「上手くいけばの話になるけど……二人で一緒に〝外〟に行くの……無理じゃないかもしれないって言ったら……パレアちゃんは信じる?」



 ◇ ◇ ◇



 まさかすぎるフィーリの言葉に、さしものパレアも数瞬呆然としてしまう。。


「それってつまり……あたしも、あんたも、生き残ることができるってこと?」


 そのせいでひどく間抜けな質問をしてしまうも、フィーリは至って真剣にコクリと首肯を返した。


「まさか、魔法陣これをどうにかできる方法……見つけたの?」


 自身の背中を指差しながら訊ねるパレアに、フィーリはしどろもどろしながらも答える。


「いや……その……魔法陣自体をどうにかできるわけじゃなくて……魔術による〝毒〟をどうにかできるかもって話で……」


 それだけでも充分すぎるほどに凄い話だと思ったパレアは、思わず瞠目する。

 見た目どおり心も体も小動物なフィーリは、まかり間違っても大言を吐いたりはしない。

 そのことを知っているから、なおさら驚きは大きかった。


「詳しく、聞かせてもらってもいい?」

「う、うん! もちろん! あ、でも……前提として話さなくちゃいけないことが、物凄く当たり前の話になるけど……いい?」


 おずおずと訊ねてくるフィーリに苦笑しそうになりながらも、パレアは「かまわないわ」と返した。


「えと……まず前提として、魔術というものは植え付けられた概念の枠内なら、術者の思念のもと好き放題に奇跡じみた力を発現することができる。だから魔術によって生み出された〝毒〟は大抵の場合、術者の『解毒させない』という思念が練り込まれているため、自然毒や毒薬とは違って解毒薬は存在せず、術者本人が毒魔術を解くか、〝治癒〟系の概念を持った魔術師でないと解毒することはできない……であってるよね?」


 当たり前の話と言いつつも、不安そうに確認をとってくるフィーリにいよいよ苦笑しながらも、パレアは首肯を返した。


「それでね、ここからが本題なんだけど……『解毒させない』という思念のもと毒魔術を使っているのなら、、魔術の〝毒〟でも無力化できると思ったの……」

「解毒とは違う方法って……まさか!?」


 察したパレアがさらなる驚きを露わにする中、今度はフィーリが力強く首肯を返した。


「『毒を殺すための毒』。それを毒魔術として仕上げることができれば……」

「クソババアの魔法陣の〝毒〟も、無力化できるかもしれないってわけね! 凄いじゃない、フィーリ!」


 掛け値なしに称賛するパレアに、フィーリは「えへへ」と照れくさそうに笑った。


「といっても、まだ理論の段階にすぎないし、師匠マスターに知られたら対策されちゃうかもだから、本当に上手くいけばって話だけど……」

「それでも充分よ!」


 と、褒め称えたところで、ふと我に返る。

 フィーリが示した可能性が希望を見出すのに充分すぎたせいで、ついガラにも興奮しすぎてしまったことに。

 そのことがなんとなく恥ずかしくなったパレアは、わざとらしく「コホン」と咳払いをしてから、努めていつもの調子で言い直した。


「……それでも充分よ」


 さすがにこれにはフィーリもこらえきれなかったらしく、クスクスと笑い出す。

 興奮しすぎたことをなかったことにしようとした結果、余計な醜態を晒してしまったことに気づいたパレアは、少しだけ頬を赤くしながらもそっぽを向いた。


 そんな反応を見て、ますますクスクスと笑っていたフィーリだったが、突然思い出したようにポンと手を打ち鳴らす。


「あ、そうだ! こんな風に言うのは悪いかもだけど……他の子たちに教えたら師匠マスターに告げ口したり、わたしとパレアちゃんを嵌めようとしたりするかもだから……二人だけの秘密でお願いね」


 後ろめたそうに言うフィーリに、パレアはそっぽを向いたまま横目を向ける。


「勿論わかってるわよ。そういうあんたこそ、他の連中を置いて〝外〟へ行くことに、罪悪感なんて感じてんじゃないわよ。この一二年の間に散々思い知らされたでしょ。もう子供たちの中で〝まとも〟な人間は、あんた一人だけしかいないってことが」

「そ、そんなことないっ! パレアちゃんだって――」

「あたしは〝まとも〟じゃないわよ。あんたとあたしが助かるためなら、他の連中を殺してもかまわないって思ってる時点でね」


 自嘲じみた言葉を、つい突き放すような声音で吐いてしまい、二人の間に気まずい沈黙が横たわる。


 然う。

 パレアとフィーリを除き、今生き残っている子供たちの中に、まともな人間は残っていなかった。

 ヴェルエの毒魔術に魅入られ、倫理も道徳もドブに捨てて毒魔術を極めようとする者ばかりだった。


 ……いや。

 正確には、倫理と道徳を捨てきれなかったまともな人間は、パレアとフィーリ以外は今日こんにちまで生き残ることができなかった。


 まともな精神性を有していれば、両親を殺し、死と隣り合わせの課題を課してくるヴェルエを、心から師事したりなんかしない。

 ゆえに、まともな者ほどヴェルエの指導に反発し、不興を買ってしまい、殺されてしまった。


 ヴェルエの不興を買わずとも、どこからか攫ってきた人間を〝毒〟の実験台にして殺すといったような、人間性をドブに捨てることを要求される課題に直面した際、まともな精神性が徒となって課題をこなせずに〝処分〟された者もいた。


 まともゆえにこの地獄に耐えられず、脱走やヴェルエの殺害を試みた結果、魔法陣の毒魔術が発動して死んでしまった者もいた。


 そうやって、一二年の間にまともな人間は櫛の歯が欠けるように減っていき……結局、当人の言葉に比べてまともなパレアと、フィーリしか生き残ることができなかった。

 二人とも〝毒〟の魔術師としては落ちこぼれもいいところだが、パレアは生来のしたたかさで、フィーリは先程見せたような非凡な発想力をもって、今日まで生き残ることができた。


 そうした経緯を経たからこそ、二人はこの地獄にあってなお大の仲良し――パレアは口では認めないが――であり、運命共同体でもあった。


「……パレアちゃんは〝まとも〟だもん」


 不意に、駄々をこねるようなフィーリの反論が沈黙を破る。

 こちらを睨む双眸には、うっすらと涙が滲んでいた。


 そんな目を向けられてしまっては、パレアに意地を張り通すことなどできるわけもなく、


「……わかったわよ。あたしだって、他の子供たちあいつらと同じだって思われるのはごめんだしね」


 その言葉を聞いて、フィーリは鼻を啜ってから、納得したように「ん……」と頷いた。



 ◇ ◇ ◇



 パレアがフィーリの家を後にしたのは、日が沈んでからのことだった。

 フィーリと『毒を殺すための毒』について意見を出し合い、まとめたものをおぼえがきとして羊皮紙に書き溜めていたら、いつの間にかそんな時間になっていた。


 ヴェルエは子供たちに、深夜は可能な限り外出しないよう言い含めている。

 そこに込められた意図はわからないが、少なくとも「深夜に子供が外出するのは危ないから」などという真っ当なものでないことは断言できる。


 ゆえに、今日はもうこれ以上『毒を殺すための毒』について研究するのはやめて、また明日続きをやることを約束してから、パレアはフィーリの家を後にした。


 今日は起きてすぐに粥っぽい物を食べたきりなので、家に戻るとすぐに夕食を用意し、さっさと胃に収めた後は、昨日のオーガとの戦闘で大量に無駄にしてしまった触媒をこしらえることにする。


 自身の血を触媒に使っているとは言っても、それをそのまま使用していては身が持たない。

 なので、この盆地に点在している森の木々の中でも、とりわけ魔力を込めやすい高樹齢の木から取った樹液を水で薄め、自身と血を数滴垂らしたものを触媒とし、量産していた。


 ここ数日は、試験的に陶器の小瓶に触媒を封入してみたが、ちょっとした拍子で割れてしまうデメリットが、あまりに大きいことを思い知らされた。

 一方で、割れやすいからこそ地面に叩きつけたり、対象に投げつけたりと、封を開けるという手順を省いて触媒を撒き散らせるメリットは捨てがたいものがあった。


 散々悩んだ結果、触媒の封入に使う小瓶の割合を、木製を七、陶器製を三にすることに決める。

 それから二時間かけて全ての小瓶に触媒を封入したところで、オーガの戦闘とイルルナの実験のせいで疲弊した心身が眠気を訴えてきたので、逆らうことなくベッドに倒れ込むことにした。



 ◇ ◇ ◇



 子供たちが各々の家で寝静まっている時分。

 ヴェルエは、一人で住むにはあまりにも広すぎる館の中を歩いていた。


 災厄の魔女として、時に国の依頼で極秘裏に要人を毒殺し、時に大量発生した魔獣を掃討するために毒を撒き散らし、屍の山を築いたりと、〝毒〟の魔術を使って得た財産により、館は内も外も豪奢の一語に尽きるものになっていた。


 もっとも、子供たちとオーガを戦わせたり、出来の悪い子供に罰を与えるのに使用している地下の部屋のように、豪奢とは対極どころか、いっそ悍ましさすら覚える部屋もチラホラと存在しているが。


 今、ヴェルエが向かっている部屋は、まさしく後者。

 例によって地下に設けられており、子供たちには一切教えていない隠し階段でしかいけないため、部屋の存在を知っているのは館主であるヴェルエただ一人のみ。


 隠し階段を下りきった先にあるのは、ご多分に漏れず石造りの部屋――いや、広間だった。

 広間には巨大な檻が設けられており、その中には、誇り高き狼のようにも卑しき犬のようにも見える、左右に二つずつ切れ長の瞳を持った獣が一〇八頭、ひしめき合っていた。


 獣の名はマンイーター。

 名が示すとおり人間を主食とする、人類に最も忌み嫌われている魔獣の一種。


 そのマンイーターが、ヴェルエの姿を認めた途端、一〇八頭全てが、臣下が主にこうべを垂れるようにしてその場に伏せた。


「良い子だ。褒美に、アンタたちの大好きな人肉を食わせてやるよ」


 言いながら、壁際に屹立している巨大なレバーを倒すと、地鳴りとともに天井が開き、せり上がった床がマンイーターの檻を上へ上へと押し上げていく。

 地上に到着すると同時に檻が開き、まるで初めからそうすることを決めていたように、マンイーターたちは、一斉に散らばった。


 一人地下に残るヴェルエは、愉快げに口の端を吊り上げながらも独りごちる。


「さぁて、ワタシのに気づける子は何人いるかねぇ」

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